現実のたてる音

承前

現実のたてる音を「聞き」に展覧会に行くというのは、甚だ倒錯的な行為ではある。現実のたてる音ならば、わざわざ展覧会に行かなくても、既にそこかしこに〈現実のたてる音〉として存在しているからだ。

しかし求められなければならない倒錯というものはある。「現実のたてる音」と題された展覧会を「聞き」に行き、そこでようやく現実の〈現実のたてる音〉に注意を払い、それに聞き耳を立てる事が可能になるというのが、人間の能力の極めて平均的な在り方ではあるからだ。多かれ少なかれ、展覧会にはそうした人間の平均的な能力のレベルに対する見極めが何らかの形で組み込まれている。何故ならば、展覧会は未だに優れて/劣って啓蒙の産物ではあるからだ。啓蒙であるからには展覧会は蒙である者の為にこそ存在する。キュレーターの仕事のステージは恐らくそこにしか無い。

但し啓蒙は教化と同一視されるべきではない。展覧会に於ける啓蒙が目指すものは、蒙が啓かれた先を真理として明示的に提示するのではなく、如何に自分達(これにはアーティストやキュレーターも含まれる)が蒙でしかないかを各々に各々の形で自覚化させる、いずれは捨て去らなければならない階梯なのだ。展覧会は決して親切な解答を必要とする人間向きに存在しているものでは無いし――親切な解答を作品中に親切な形で入れ込もうとする作家はいない筈だ――、また互いの答えを突き合わせてそれらを総合させて行く事も無意味だ。百の蒙には百通りの蒙がある。そしてその百の道の先に轍は無い。

全ての〈現実のたてる音〉に対して常にセンシティブであり続けていたら、場合によっては普段の生活に支障を来すかもしれない。だからこそ展覧会という普段の生活とは「異なる」、梯子を立て掛け易い倒錯の場所で、倒錯的な形でそれは顕にされなければならない。

但し倒錯の場所を離れたと同時に、再び〈現実のたてる音〉と疎遠な「使用前」の生活にリセットされるというのも寂しい話ではある。例えば「現実のたてる音」で〈現実のたてる音〉を「聞いた」のであるならば、帰家した後にも――その記憶が鮮明であれば――〈現実のたてる音〉は相対的に大きく聞こえる筈だ。誠実な人間であればあるだけ、余りにもそれが聞こえ過ぎる事で、場合によってはその者の精神を病ませる事になるかもしれない。展覧会を見るというのは原理的にはその様に危険極まり無いものなのである。

危険な場所では決して足元を見てはならない。それは自分が見なければならないと思うもの――自分の足――を見ようとして、その遥か下に広がる遠くを見てしまうからだ。そこで立っている為には、顔を上げて遠くをしっかり見る。そして意識を目で見ていない自分の足の指に集中させる。その時〈現実のたてる音〉は耳で聞かないものになる。

しかし一種の定力的なものによって得られる音の聞き分けの能力もまた蒙である。己が心臓の音が聞こえるというのはほんの入口でしか無い。金の上と、木の上と、灰の上に落ちた灰の音が異なっているという聞き分けは、センサーの感度が上がっただけに過ぎない。

何も無い 音も無い。「現実のたてる音」の英語タイトル “nothing but sounds" を捩って言えば、“nothing nothing"。その最初の “nothing" は “empty" を意味せず、二つ目の “nothing" は “silence" を意味しない。そして二つの “nothing" の間にあるのは “but" でもなければ “so" でもないのだ。

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勅令第八百三十五號

朕金屬類回収令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ交付セシム

裕仁

御璽

昭和十六年八月二十九日

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「大東亞戰爭終結ノ詔書」の昭和天皇による朗読録音放送、所謂「玉音放送」によって、殆ど全ての「臣民」は、事実上初めて昭和天皇の肉声を聞いた。その宮中祭祀祝詞に発する独特の節回しや、声のピッチの高さに少なからぬ「臣民」は戸惑いを隠せなかった。「臣民」それぞれの頭の中には、それぞれに「天皇陛下」の「玉音」がイメージされてもいただろうが、その殆どは昭和20年8月15日正午のラジオ放送で初めて流された裕仁天皇の肉声とは大きく隔たっていたに違いない。

御真影」なる天皇の「像」が相対的に広く行き渡っていたのに対し、天皇の「音」は「憚りあり」として長く秘すべきものとされた。しかし想像してもみようではないか。ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ(「マホメット」)、イイスス・ハリストス(「イエス・キリスト」)、ゴータマ・シッダッタ(「釈迦牟尼仏陀」)の肉声録音が残り、それぞれの肉体に「声」が帰せられてしまうかもしれない様な事態を。「声」こそが重要とされる様な世界では、それらの「声」は、それぞれの脳内に預言や経典や勅令といったエクリチュールの音声変換の形式――一種のボコーダー的な――としてあるべきであるが故に、その様な〈現実のたてる音〉(=肉声)は排除されねばならないのである。

脳内で当てられた「玉音」が「朕金屬類回収令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ交付セシム」と言う。仮に「朕金屬類回収令ヲ裁可シ茲ニ之ヲ交付セシム」が、昭和天皇の肉声によって読まれ、それが「臣民」に勅令の内容を広く告げるという理由でラジオ放送されていたらどうだっただろうか。そうなった時、逆に京都市山科区の福應寺の梵鐘にも、3つの穴が開けられなくて済んだのかもしれない。

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分厚い「本」が低めの彫刻台の上に置かれていた。「河原町VOXビル新築工事 竣工図」という「表紙」のこの分厚い「本」は、1981年12月時点での「河原町VOXビル」の完成形を表している。それはこのビル建設に関わった数々の人々の仕事のアーカイブでもある。

測量から始まり、床養生を剥がすところまでの工程がそこに詰まっている。建築現場というものに親しい者なら、この青焼きを見て、脳内に〈現実のたてる音〉が再生されもしよう。それは油圧ショベルのバケットがたてる音かもしれないし、結束線ハッカーの回転音かもしれないし、コンクリート打設の音かもしれないし、安全帯を足場に引っ掛ける音かもしれないし、ピータイル接着剤のヘラをコンクリート床に擦り付ける音かもしれないし、マスキングテープを千切る音かもしれないし、通電時に各種機器が上げる唸り音かもしれない。

そして尚も建築現場というものに親しければ、「気まぐれ」という店名のイタリア料理店の窓際の席に座り、そのガラスを固定しているコーキング剤を見て、それがガラスに擦り付けられる音を脳内で再生する者がいるかもしれない。

河原町VOXビル」というアーカイブ。何よりもそこに関わった/関わっている者達のアーカイブ。

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If you ever plan to motor west, 

Travel my way, take the highway that is best.
Get your kicks on Route sixty-six.

“Route 66": Bobby Troup

 

アイスランドのセルフガソリンスタンドチェーン、“Olís" (Olíuverzlun Íslands hf)。そのアイスランド北西部スカガストロント(Skagaströnd)店のストリートビューである。アイスランドでは、ガソリンスタンドが外食に於ける重要な場所の一つだ。“Olís" ガソリンスタンドに併設されている同資本経営のレストラン・チェーンの名称は “Grill 66" である。この名称からも店のロゴのデザインからも明らかな様に、この “66" は1960年代にアメリカでテレビドラマにもなったアメリカの “Route 66" ――世界で最も有名な道と言われたりもされている――から取られている。

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“ROAD MOVIE" と題された “plan to west" なムービー。現実の “HOLLYWOOD" から 6,940km 離れたアイスランドの地で、“CHICAGO" から "LOS ANGELES” までの一つ一つを「訪ね」て行く若者達。

そのムービーには、 "Grill 66" スカガストロント店の店内でブームマイクを振り回して音を拾っている人の姿が「映り込んで」いて、スタッフロールの “Sound" には “Rachel Lin Weaver" の名前もある。しかし彼等の仕事はこの展示空間の空気を震わせてはいない。音のスタッフは、聞かせる事の無い音を懸命に拾って見せている様にも見える。サウンド・ムービーのスタッフというロールを、サイレント・ムービーの中で演じる為に。

サイレント・ムービーであるが故に成立するジャンルに、スラップスティックがある。所作が音との連関性を失った時、その身体が因果の条理から外れた過剰なものに映ってしまうというのは、映画の発明期から感じられていた――歩く姿をフィルムに収めるだけでそれは過剰な所作に見えてしまう――ところのものだろう。「現実のたてる音」に於ける “ROAD MOVIE" は、正に「体を張った演技」で成立しているスラップスティックなのである。所作は音から開放され、その事で音もまた所作から開放される。

その時突然「河原町VOXビル」内に響き渡る楽器の演奏が始まった。何処かで誰かが今夜のステージのリハーサルをしているのだろうか。

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“ROAD MOVIE" の左に続く仮設壁(その真裏に「福應寺梵鐘」がある)に、みっしりと隙間無く埋められている多数のものがある。それはキャンバスに描かれているところから、その一事を以ってその一つ一つを「絵画」として良いだろうか。

しかしこれは「ディスプレイ」と言うよりも「タイリング」の方法論である。「タイリング」という「仕打ち」によって「タイル」にされた「絵画」。「タイル」が埋められたこの壁は、隣の “ROAD MOVIE" のディスプレイが掛かったそれや、他の「白色」のそれとは異なり、ここだけが「黒色」で塗られているところに「仕打ち」の周到が示されているとも言える。

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「陶壁」にも見える「タイリング」から抜かれたものなのだろうか。「陶壁」と “ROAD MOVIE" の間には、 “ROAD MOVIE" の「白色」の壁の上に1枚の「陶板」がインストールされ、再び「絵画」として「復活」しているかの様にも見える。

美術史は「タイリング」によって「物語」(=「説話」)を形成して行く事例を幾つも教えてくれる。パルテノンのフリーズ部に埋められたレリーフは、そうしたものの一例である。凡そ神話や逸話や教義を説話的な形で示す時、「タイリング」という展示のテクニックが用いられたりもする。「タイリング」によって生じる「説話」。そしてそこから弾かれた「絵画」。

1970年代後半から1980年代前半に掛けて、日本の津々浦々の新築ビルで多用された建築意匠である「螺旋階段」を登る。それを登る事で得られた視点から、見落としがちな「陶壁」上部のコンストラクションが見えて来た。

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そして次の「見物」のコンストラクションも。

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先程来からビル内に響いている「今夜のステージのリハーサル」の音は、この隙間から見えるコンクリート打ちっ放しの壁に投影された映像とのシンクロの加減から、その確証は極めてあやふやなものながらも、このデバイスが出力していると結論付けた。

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螺旋階段を上がったところに架けられたその「橋」は、果たして滝壺の様な場所だった。目の高さに映像はあるものの、ここは展望台としては極めて幅が狭い。それは滝の上から観光する事にした。

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ART ZONE" の本体という事になるのであろうか。扉を開けて入るとそこは極めて「騒々しい」部屋だった。

「ああ」と思った。それから同展のフライヤーに書かれていたキュレーター氏の「騒々しい」テキストを読み直してみた。

当然の事ながら、その「騒々しい」テキストには〈現実のたてる音〉が一つも書かれていない。そこにあるのはオノマトペだけである。「ドン」も、「キュルキュル」も、「ぴっ」も、「キュン」も、「ざくっ」も、「どくん」も ......、その全てが21世紀の日本に於ける「擬声語」或いは「擬態語」的な表現だ。

大鏡」には「過去聖霊は蓮台の上にてひよと吠えたまふらむ」とある。少なくとも「大鏡」が編纂された平安時代後期までの犬の鳴き声を表わすオノマトペは「ひよ」だった。彼の時代の日本人には「ワンワン」や “Bow Wow” や “نبح " などとは聞こえなかったのである。我々がこのフライヤーの文章の「ドン」の箇所を読み、「ドン」であるとそれぞれの脳内で解釈し直す〈現実のたてる音〉は、果たして平安時代にはどの様に聞こえていたのであろうかと平安京の地で考える。

長い壁と相対的に短い壁がぶつかる隅に、まるで彫刻の場所の暗さから追い立てられたかの如く複数の「絵画」――明るくなくては生きていけないもの――が固まっている。これもまた1階の「陶壁」で見た「絵画」への「仕打ち」と同じであり、追い立てられなかったものは、柱の厚み分しか無い「壁」や、エレベーターに続くドア付近の壁に「避難」している。この「絵画」の追い立てのオノマトペはどういうものになるだろう。「ジョジョ」の「ドドドドド」や「ゴゴゴゴゴ」になるのだろうか。

この部屋の「絵画」を見て観者が感じるオノマトペは「ズリズリ」であったりもするだろう。金属の塊から21世紀日本の観者が感じるオノマトペは何だろうか。

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壁裏には〈現実のたてる音〉を掻き立て、それを拾ってアンプリファイアーするシステムがあった。音の出処は見に行けない。自宅にはこの様なシステムは置けないから、各自は努力してそこにある石の音を聞く力を養う様にしよう。

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すこしお洒落で、すこしかっこよくて、すこしホッとする。そんな隠れ家的Bar」。良く切れる包丁が水回りの隙間に刺さっているその店内に「糸」が張り巡らされていた。

「隠れ家的Bar」の一番奥にあるシングルコーンの「スピーカー」が、様々な周波数を出力している事が、そのコーン紙の震えによって観察された。そのコーン紙が出力する周波数を、「隠れ家的Bar」の店内に張り巡らされた糸が、光の明滅による「幻影」と合わせて「可視化」している。

そのコーン紙が動く周波数の一つに 1Hz〜2Hz位のものが「ある」様に観察出来た。この周波数はまた、人間の大人の正常時の心拍数である。そして心拍数で思い出されるのは町中の交差点だ。

車のウィンカーの点滅速度、或いは歩行者信号のそれは、その「人間の大人の正常時の心拍数」よりも幾分か速く設計されている。それを見ている者の緊張を促し急がせる為にだ。人間の心拍を引っ張りだした、〈現実のたてる音〉の極めて現実的な運用例と言えよう。やんちゃな人達の乗る車のウィンカーが、メーカー製のそれよりも速めの点滅速度にチューニングされているのも、それを見ている者の緊張度をより上げより不安にさせる為にである。振動としての人間。

会場で配布されているテキストには、ジュゼッペ・ペノーネの言葉として「視覚で理解した形は、触ることで必ず修正される」とある。それに続けて「やってみて欲しいこと」として「糸にそっと触れてみる」ともある。次のセンテンスには「指をそっと近づけてみる」ともある。自分も糸に触れてみた。但し彫刻家であるペノーネが「触ること」に対して想定していただろう手(それは彫刻を生み出す場所でもある)でそれをする事は避けた。センスには、目の専制同様、手の専制というものもあるからだ。だから頬の頬骨辺りでそれに触れるとも無く触れた。触覚は決して手だけのものではない。糸は虫が羽音を立てる様にやって来た。より官能の器官である舌先で触れたらどうだろうかと思ったもののそれは自重した。

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「隠れ家的Bar」を出ると「滝」の上の展望台である。滝をずっと見ていて飽きない人がいるのと同様、この映像をずっと見ていて飽きない人がいる。作品の音は、このビルの中にあっては、滝の音(=〈現実のたてる音〉)と化していた。

配布テキストに「私たちは窓をひとつ増やしました」とある様に、映像の左隣には「本場」ローマから 9,710km 余り離れた――即ちアイスランドの地方都市であるスカガストロントとハリウッド間よりも遥かに遠い、極東の島国の地方都市である京都の――イタリア料理店「伊太利亜飯店 華婦里蝶座」の嵌め殺しの窓があり、そのまた左隣にも緑色の枠を施された同店の窓がある。

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一番左の窓には会計カウンターが見え、真中の窓の右奥には厨房がある。同店のウェイター氏は左の窓から真中の窓へと移り、そのまま窓の右端に消えると、再び料理を持って左側の窓の人になる。そしてまた右側の窓に食器を下げに行き、それから左側の窓に舞い戻って客の会計の相手をする。それが終わると右の窓の厨房に入る。自分はそこで、そのまま投影された映像の中に氏が登場する様な錯覚を覚えたりもした。

この「滝」は「伊太利亜飯店 華婦里蝶座」の店内から見るのが良かったのかもしれない。「伊太利亜飯店 華婦里蝶座」の窓という「滝」の裏(「ウォータースクリーン」の裏)から他の「滝」を眺め、滝壺や展望台から覗いている人達を観察するというのは中々に乙なものであろう。そしてその背後では、それ自体を映像作品にしたくなってしまう様な、行ったり来たりを延々とし続けているウェイター氏がいるのである。アイスランドの “Grill 66" の “TULSA" “GARDNER" “FONTANA" よりも遥かに洗練されている様な印象を受ける、“ENALC Hotel School" 仕込みの本多征昭氏「直伝」のピザを次々に注文し、「伊太利亜飯店 華婦里蝶座」のウェイター氏の、その勤務時間に於ける氏の全てを見届けるというのも一興ではあろう。

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現実の滝のウォータースクリーンの背後に岩盤が見え隠れする様に、投影された映像もその背後の「打ちっ放しのコンクリート壁」を見せている。そこは展望台であるから椅子は無い。16時間を立つかしゃがむか。

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滝の展望台から階段で屋上に向かう。ここから先は、通常「河原町VOXビル」が「関係者」以外には立ち入らせたくない場所だ。その「バックヤード」が「期間限定」で公開されていた。階段を折れ、階段を折れ、或る人にとってはとても重要で、或る人にとってはさして重要ではないものが次々と目に入る。

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河原町VOXビル」の屋上に到着する。「投身自殺のメッカ」にはなり得なさそうな凡庸な屋上である。風に乗って「これはわたしのちではありません」が流れて来る。

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小屋。SPF材が剥き出しのその作りは極めて内装的だ。これを作った人は、このオープンエアにあって、明らかに何よりも先ず内側を仕上げる事を目標にしている。シェルに囲まれていなければ成立しないものを、摘出された内臓の様に露天に置く。現実の内臓がたてる音(空腹音等)が外に聞こえる場合もある様に、この「内臓」からも音が聞こえている。或いはこれもまた一種の位相反転的な「宇宙の缶詰」なのであろうか。

「内蔵」に入る(その「内臓」の中では、最終日にポルノ映画が流れ、人々が寝ていた)。「引込線2015」で見た映像が流れていた。投影されるのは表面処理をされていないベニヤ板。映像の中に目を射抜く投影光を返すコーススレッドの点。ループするショットとショットの間にベニヤ板は現れ、映像が現れるとそれは消える。「引込線2015」とは異なり、ここにも椅子は無い。10分余りを立つかしゃがむか。

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「これはわたしの血ではありません」。その時、果実から作られたものを指して「これはわたしの血である」と決然と言った――その録音は残っていない――とされる人物がいた事を思い出した。その人は穀物で作られたものを指して「これはわたしの体である」と言った――その録音は残っていない――ともされている。「わたし」の「血」を飲みなさい。「わたし」の「体」を食べなさい。『内蔵』に入れるのは葡萄酒でもパンでもないものだ。

こうして自分の中で最初の部屋の “ROAD MOVIE" にループするのである。

「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」「内臓に入れよ」。

録音可能な「音」ではない「声」がそれを言う。「これはわたしの血である」が発せられた建物の外を彷徨く犬の声は、2,000年前のエルサレムの人々にはどの様に聞こえていたのだろうか。

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「現実のたてる音」展の作品は、数々の「仕打ち」(キュレーションとも言う)によって常に何かを「剥奪」されていた。これらの作品が「美術館」で展示される事があれば、映像作品はコンクリート壁やベニヤ板に直接投影させられたりはしないだろう。そして映像作品を鑑賞する観客には椅子が必ず与えられる。絵画作品は一点一点の間を程良い形で離され、白い壁の上に目の高さで掛けられたに違いない。一つの部屋の中に、極めて明るい場所と極めて暗い場所を同時に作るという事がされる事は無い。作品の大まかな解釈に関係が無いと思われる要素は極力排除され、作品は常に表舞台に上げられる。作品は十全な形で公開されるべきであるという「原則」がそこにはある。

「現実のたてる音」という展覧会は、こうした「原則」の逆を行く数々の「反則」で成立している様に思えた。しかし「現実」は「反則」(「原則」的ではないもの)としてしか存在しない。「気まぐれな天気」というものは原理上あり得ないのである。

「反則」を排除する事で「原則」的に成立するのが「美術」というフォーマルであるとすれば、当然逆説的にこの「反則」だらけの展覧会は極めてフォーマリスティックである。何故ならばそれはフォーマルの存在を言及的に認めているという点でフォーマリスティックであり、その上でその崩れによって〈現実のたてる音〉を見せるという話法に徹頭徹尾則っているからだ。

しかし繰り返すが、「原則」が「現実」に見えている我々が〈現実のたてる音〉を意識化する為の、それは「求められなければならない倒錯」というものなのである。

【了】

パレ・ド・キョート

承前

イベントについて

 

VOXビル全体を使って、展覧会最終日である11月23日、深夜0時から夕方まで同時多発的に複数の出来事が発生する。それはフランスにある美術館パレ・ド・トーキョーの一時的なインストールになると思うので、タイトルを「パレ・ド・キョート」とする。

 

「現実のたてる音/PALAIS DE KYOTO」公式サイト
http://palaisdekyoto.jp/

 

「パレ・ド・キョート」が「抜け目の無い」タイトルである事は確かだ。それはフランス映画 “Emmanuelle(邦題「エマニエル夫人」)"に対する日活なりの「インストール」である「東京エマニエル夫人」の様にも、“The Beatles" に対する木倉プロなりの「インストール」である「東京ビートルズ」の様にも、アメリカ映画 “The Kentucky Fried Movie(邦題「ケンタッキー・フライド・ムービー」)”に対する赤塚不二夫なりの「インストール」である「下落合焼とりムービー」の様にも「抜け目が無い」。

「東京エマニエル夫人」配給の日活による同映画の解説、「ただし、西洋人と日本人の性意識の相異等の視点からも描き、本家『エマニエル夫人』以上に内容の濃度を強め、よりファンタジックにエロスの世界を展開していく意欲作!!」といった、「本家」を(括弧付きではあっても)「本家」として認め、それに対して言及的な形で存在しているという共通性と同時に、"Tokyo" =「東京」(第一次世界大戦戦勝国である「日本」を象徴するものとしての「東京」。即ちそれは「奠都」から半世紀=1918年にして最早「京都」ではない)への地域的対抗感情が極めて簡単なアナグラムとして仕掛けられている事も否応無く感じられるタイトルである。

果たして同イベントが「パレ・ド・キョート」というタイトルで無かったら――例えばそれこそ「現実のたてる音」というタイトルであったとしたら――、果たしてそれは「パレ・ド・キョート」とは些かなりとも違ったものとして認識されたのであろうか。それとも全く変わらずであったのだろうか。

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いずれにせよ「パレ・ド・トーキョー」と「パレ・ド・キョート」両者の間には大きな差異がある。それは「エマニエル夫人」と「京都エマニエル夫人」、又は「世界」の「中心」の一つであるヨーロッパ/フランスの首都(「国際社会」を揺るがすテロの格好の標的にすらなってしまう)と「世界」の「辺境」の東アジア/日本の地方都市(「国際社会」的には極めて無視し得る対象であるが故に平和な町)、或いは「官」(或いは「官」が主体)と「民」というレベル以上に感じられるのは、前者が「美術」の展示に特化した天井の高い「美術館」である一方で、後者が飲食店が主体になっている、ゲームのダンジョンタワーの如き「商業ビル」(そのテナントの一つとしてしか「美術」が存在していない)である事であろう。

今回の「パレ・ド・キョート」なるイベントを、全体として成功したものであるとした上で言うならば、その成功の鍵の一つはそれが行われた場所が「ARTZONE」をはみ出して(当然「パレ・ド・トーキョー」でもなく)「河原町VOXビル」(=「商業ビル」)全体を使って行われた事にある様に思える。それは同イベントの「双子」の片割れである「展覧会」=「現実のたてる音」にも当て嵌まるものだ。仮に「パレ・ド・キョート」が(何かの間違いで)「京都市美術館」(それは性格的な意味で「本家」である「パレ・ド・トーキョー」と近似した空間である)で行われた事を想像してみれば判る。

ここで「河原町VOXビル」という建物を「御浚い」してみる。

会社名 株式会社 鹿六
本社所在地 〒604-8031 京都市中京区河原町通三条下ル大黒町44 河原町VOX
TEL(075)255-0081 FAX(075)255-1592
代表社名 代表取締役 小谷 賢
設立年月日 昭和38年2月1日
資本金 1,000万円
主な事業河原町VOX」(商業ビル)を中心に、学生の街京都を代表する若者たちへ、健全な若者の生活文化を「衣」「食」「住」「遊」を提供する多角化事業の運営。
MEDIA SHOP
和・洋書籍、レコード、CD、ポスター、カード、雑貨などの小売りおよび卸売り。
■SCALE
輸入家具・雑貨
カプリチョーザ河原町VOX店
カプリチョーザ河原町OPA店
イタリアン・レストランの運営。
■DEN-EN
ビア・パブの運営
■PARTY SPACE
パーティースペースの運営
■SEAGULL,SEAGULL jr,ALPHA,DENVER
グレージング、パブの運営
■VOX HALL
ライブハウス、スタジオの運営
従業員数 126名(正社員16名、契約社員7名、アルバイトクルー110名)
主な取引銀行 京都中央信用金庫本店、池田銀行京都支店

VOX「会社概要」
http://vox.co.jp/?page_id=39

 鹿六(株)による「学生の街京都を代表する若者たちへ、健全な若者の生活文化を「衣」「食」「住」「遊」を提供する多角化事業原文ママ)」というコンセプトの賜物が「河原町VOXビル」という「商業ビル」である。この文章中の「健全な若者」という語が、恐らく「現実のたてる音/パレ・ド・キョート」というイベントの性格の一部を表している様に思える。ここには「悪辣な人物」は恐らく一人もいない。

 

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11月23日(祝)0時から始まった「パレ・ド・キョート」。22日の昼間の動物園詰め、及び行き帰りの大渋滞の疲れが出た為に22時から仮眠を取った後、午前2時(本来は23時に起床する予定であった)に自転車で出発し、午前3時過ぎに河原町三条に到着した。とは言え、すぐさま「河原町VOXビル」の人にはならなかった。それではこの時間にここまで自転車で来た甲斐が無さ過ぎる。夜中の町程面白いものは無いからだ。

そのまま木屋町通まで自転車で行き、それから三条通へ出て再び河原町通。それから再度「河原町VOXビル」の前を通り過ぎ、また木屋町通という左回りの旋回を、時速3キロ程度の自転車で30分程繰り返していた。その円環の6時方向にある「河原町VOXビル」の中からは大音量の楽器の音が聞こえて来る。しかしそれも十数メートルも離れれば聞こえなくなる。

木屋町通から三条通に掛けては様々な人がいた。白い肌の人がいた。黒い肌の人もいた。黄色い肌の人は勿論日本人ばかりではないだろう。それらの人の年齢構成もまた様々だ。様々な人が様々な事を様々な言語で様々なレイヤーで語っている。「善人そう」な人もいるし「悪人そう」な人もいる。木屋町通のそれぞれの店からは、それぞれの大音量が聞こえ、それぞれに「楽しそう」な人達が出入りしている。「同時」の「多発」。しかし「同時」の「多発」こそが世界の真理の一面というものではあるだろう。その「楽しそう」な多様な人の集まる店の一つにふらふらと入りかけたものの、流石にそれは自重した。

逍遥をしながら、この日の昼間の動物園(滞在時間「たったの」3時間)の事を思い出していた。動物園もまた「同時多発」である。動物園に於ける「演者」であるライオンは吠え続け、アジアゾウは泥浴びをし、アカゲザルは子供が猿山に落とした靴を舐め回し、カイウサギやヤギは子供に撫で回される。その一方で「檻」の外の幼児はベビーカーで眠りこけ、黒い肌の人達はセルフィーをし、来園者が食べたうどんや焼きそばやフライドポテトの残骸を求めに飼われていない鳩が付近をウロウロ徘徊する。動物園というものは全く以って「同時」に「多発」ではある。しかしここで見る事の出来る「多発」は、それぞれの「演者(動物)」相互の隔離、そして「演者」と「来園者」相互の隔離によって多くが生じているとも言える。ライオンの檻を外し、アジアゾウの檻を外し、アカゲザルの進入路を開け、カイウサギやヤギの柵を外して園内を全く一つの空間にしてしまい、そこに剥き出しの「来園者」が入れば「同時多発」なるものの様相はそれまでとは全く異なったものになるだろう。

自転車による逍遥を終えて「河原町VOXビル」に入る。予想通り「パレ・ド・キョート」では、この日のこのビル内にいる人達の平均年齢の倍以上の人になってしまった。ここで出されている音などに合わせて「今風」に(無理して)ノッてみたりすれば、それは傍からは「イタいジジイ」にしか見えないし、その一方でここで「ALWAYS 三丁目の夕日」よりも前に生まれた自分の身体に忠実な体の動きを(無理して)表出したらしたで、それはやはり「イタいジジイ」にしか見えない。どれもこれもが何処かで自分に対して「無理強い」である。だから会場では微笑だけをして、おくれ蝉の声を聞いていた。自分の人生の夏の時期(1970年代)にはこうした蝉の声をしばしば聞いていた事を思い出しながら。

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朝食を作りに帰る関係上(そして24時間スーパーで朝食の食材を買って帰る関係上)、「パレ・ド・キョート」には1時間程度しかいなかった。再度ここに訪れる予定は無い。逍遥をしなければ1時間半という事にはなるものの、この日の夜中の逍遥はしたかった事の一つだった。

自分が「パレ・ド・キョート」の一時間で見たものは、「本番」に向けてスタンバイする「飼われている鳩」と、「川俣正」と現象的な照合をされ勝ちな何かと、寝る人と、寝る人と、数百キロメートルの移動に適した形にトランスフォームした「多和圭三」と、ビルの外まで聞こえる大音量のソースである楽隊と、ごついプリマと、440Hz であり続ける人と、ortofon 等が据え付けられた Technics の複数ターンテーブルと、リクリット・ティラバーニャを思い出してしまったりする人もいるだろう何かと、屋上の小屋――そこには1970年代に自分が東京・調布の多摩川沿いの日活や大映のスタジオの「周り」で「遊んで」いた事を思い出させる映像が流れていた――の中の寝る人等であった。

「パレ・ド・キョート」の17時間では色々な事があったらしい。

「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」togetter
http://togetter.com/li/904795

この togetter で様々な人から報告されている17時間分の「プログラム」の殆どを、「たったの」1時間の人間(しかも一処に平均数分ずつしかいなかった)である自分は見逃している。従って「プログラム」単位で、あれが面白かった、これが面白かったという事を書く資格が無いと言われればその通りとしか言い様が無い。3,000円也(午前3時段階での「現実のたてる音」分を引いた価格)を払って見たものは、それぞれに断片であったり、準備中であったり、そもそも行われていなかったりで、その断片や準備中を以って何かを言う事しか出来ない。1時間よりも2時間、2時間よりも7時間、7時間よりも17時間の方が定量的に「勝っている」というのなら、そうした見方に異を唱えるつもりは無い。

現場で一瞥=一時間瞥をして、それから「若い人」達(40歳未満を「若い人」とする)のリポートの数々をツイッターで間欠的に追い、また togetter を見る限りでの「パレ・ド・キョート」の印象は「楽しい」だった。

「楽しい」は全く悪い事ではない。但しその「楽しい」を体験した者が、ここに来ていなかった誰かに「楽しい」の何かを何らかの形で手渡して、初めてその者の「楽しい」は完成する。「回転する LED を見ました」「鳩が飛んだところを見ました」「屋上で金属を鳴らしました」、そしてまた「楽しみました」「記憶に残りました」で自己完結し、そのまま墓場に持ち込んではならないのだ。

ここに来た「若い人」が、数十年後に腰の曲がったジジイやババアになった時、傍らの童子にその「パレ・ド・キョート」の「楽しい」を手渡し、その童子もまたその「楽しい」を自らの「楽しい」として共有する事が出来るか否か。単なる年寄りの思い出話ではなく、それが上手い形で手渡されれば、今度はその童子がジジイやババアになった時に、傍らの童子にその「楽しい」を手渡せるだろう。「楽しい」の手渡し。それは「パレ・ド・キョート」の「楽しい」を体験した者全員に科せられた、飽くなき手渡しの技術開発を伴う責務なのである。

全く以って「入鄽垂手」ではないか。さても、あの夜見た事をこのジジイは子供にどう話したら良いものか。

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【続く】

現実のたてる音/パレ・ド・キョート「序」

【長過ぎる枕】

尋牛序一

從來不失 何用追尋    
由背覺以成疎 在向塵而遂失 
家山漸遠 岐路俄差   
得失熾然 是非鋒起

I Looking for the Cow

She has never gone astray, so what is the use of searching her? We are not on intimate terms with her, because we have contrived against our inmost nature. She is lost, for we have ourselves been led out of the way through the deluding senses. The home is growing farther away, and byways and crossways are ever confusing. Desire for gain and fear of loss burn like fire, ideas of right and wrong shoot up like a phalanx.

第一に牛を探す まえがき

 はじめから見失っていないのに、どうして探し求める必要があろう。覚めている目をそらせるから、そこにへだてが生じるので、塵埃に立ち向かっているうちに(牛を)見失ってしまうのだ。故郷はますます遠ざかって、わかれみちでたちまち行きちがう。得ると失うとの分別が、火のように燃えあがり、是非の思いが、鋒のほさきのようにするどく起こる。


返本還源序九

本来清浄 不受一塵
觀有相之榮枯 處無為之凝寂
不同幻化 豈假修治
水緑山青 坐觀成敗

IX Returning to the Origin, Back to the Source

From the very beginning, pure and immaculate, he has never been affected by defilement. He calmly watches growth and decay of things with form, while himself abiding in the immovable serenity of non-assertion. When he does not identify himself with magic-like transformations, what has he to do with artificialities of self-discipline? The water flows blue, the mountain towers green. Sitting alone, he observes things undergoing changes.

第九にはじめに帰り源にたち還る

 はじめから清らかで、塵ひとつ受けつけぬ。仮りの世の栄枯を観察しつつ、無為(涅槃)という、寂まりかえった境地にいる。空虚な幻花とは違うのだ、どうしてとりつくろう必要があろう。川の水は緑をたたえ、山の姿はいよいよ青く、居ながらにして、万物の成功と失敗が観察される。

廓庵師遠/慈遠「十牛図」(英訳:鈴木大拙/現代日本語訳:柳田聖山)

 

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伝 周文作:相国寺

 

平櫛田中の代表作とされるものの一つに「尋牛」がある。岡倉天心(覚三)を会頭とし、平櫛田中、米原空海、山崎朝雲、加藤景雲、滝沢天友、森鳳声の6名が、1907年(明治40年)10月に結成した木彫研究団体「日本彫刻会」の第5回展に出品された高さ50センチに満たない小品である。

「日本彫刻会第5回展」が行われた1913年(大正2年)9月には、その「日本彫刻会」の会頭であった岡倉天心が死去している(1913年9月2日)。同作に伝えられるエピソードとして、その原型――田中の「彫刻」は、まず塑像原型を作り、それを石膏型に起こした後に、星取法で木材に写して木彫とする――を見た天心がそれを高く評価し、「フランスの若い彫刻家に見せたい」と言ったとも伝えられている。井原市立田中美術館の作品解説に拠れば、田中は「尋牛」をテーマとした事について「何年も彫刻を業としているが、いまだに真の彫刻が分からない私自身の姿だ」と言ったともされている。

言うまでも無くこの「尋牛」は、中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵師遠とその弟子の慈遠によって書かれた禅籍である「十牛図」に由来している。日本で「十牛図」と呼ばれているものは、例えば「未牧」 「初調」 「受制」 「迴首」 「馴伏」 「無礙」「任運」「相忘」 「獨照」 「雙泯」から成る太白山普明禅師の「牧牛図頌」等のそれではなく、この臨済宗楊岐派の廓庵和尚/慈遠和尚によるものを指している。こうした廓庵による「十牛図」の事実上の標準化は、数ある「仏教国」の中でも極めて例外的であり、その一事を以ってのみ「外国文化」である仏教受容史的な側面も含め「日本特有」である。

「十牛図」は “Ten Bulls(Der Ochse und sein Hirte)" として「西洋」社会にも知られてはいるものの、その「作者」が中国語読みの “Kuòān Shīyuǎn” ではなく “Kaku-an" という日本語読みで通っているのは、偏に鈴木大拙氏等の日本人の翻訳紹介によるものである。事実上「日本特有」が「世界標準」になったのである。

この「日本特有」の廓庵/慈遠「十牛図」の受容のされ方は、そのまま「日本特有」の――少なくとも或る時代までの――精神的バックボーンの一部を形成してはいるだろう。嘗ての日本の知識人の知的常識/素養として――「寺」という機関に代表される「仏の教え」が、永く日本に於ける精神形成装置の重要な一つであったが故に――漢籍や仏典は位置していた。

当然「古来」的な日本人である平櫛田中の頭の中には「十牛図」の「説話」の全てが入っていただろうし、同様に現代日本人に比すれば相対的に漢籍や仏典に親しかった岡倉天心もまた、「尋牛」のタイトルを以ってその全体を想像した事であろう。両者ともそうした「教養」の中にあったのである。

小平市平櫛田中彫刻美術館の「音声解説」では事実上「十牛図」全十図の内の第六の境位である「騎牛帰家」までしか触れられてはいない。そこでは「この作品には肝心の牛の姿はありませんし、山も草も表現されてはいません。けれどもその分、わたしたちが造像力を働かす事によって、作品の世界は無限に広がって行きます。皆さんも是非その様に鑑賞してみて下さい」としているが、そもそもが「十牛図」に於ける「尋牛」が、「牛」を彫刻的な形で表す事の不可能な境位――谷岡ヤスジ氏の「尋牛」の様な次元を跨いだ表現も彫刻には不可能――である事は、田中にしても天心にしても「常識」であった事だろう。

「十牛図」は「自己実現」の書であるとも言われる。「牛」に見立てられているのが「真の自己」、それを探し求める「牧人」が「真の自己とは何であるかという問い」であるとも言われる。但しその「真の自己」は、巷間言われるところの所謂「自分探し」に於ける「本当の自分」を(直ちに)意味するものではない。

「十牛図」に於いて「真の自己」を表しているのは、「牛」と「牧人」が共に画面から消えた第八「人牛倶忘」、第九「返本還源」、第十「入鄽垂手」の三つの境位になる。即ちここでの「真の自己」とは、何も描かれないもの、川のほとりの花の咲いた木、老人が童子に話して聞かせる事の三態になる。「何者かになる事/何者かであろうとする事」を目指す現代の多くの――通勤電車の戸袋で広告している様な――「自分探し」では、こうしたものを「本当の自分」とする事はまず無いだろう。

「十牛図」が三次元表現される場合、伝統的には第六「騎牛帰家」、即ち(人から見て)牛の背中に乗って笛を吹きながら/(牛から見て)笛を吹く人を背中に乗せながら、元いた場所へ帰る姿を表現する事が多い。それを「彫刻」に当て嵌めれば、「彫刻家であろうとする事」と「彫刻の何たるか」が一体となった様という事にはなるが、田中はそれを避けて「彫刻の何たるか」を探し求める最初の段階である「尋牛」に留まり続ける。

況してや「彫刻の何たるか」を消す(第七「到家忘牛」)事も、「彫刻家であろうとする事」と「彫刻の何たるか」の双方を消す(第八「人牛倶忘」)事も、「彫刻家であろうとする事」と「彫刻の何たるか」を消す事でその「背後」の「現実」が顕現する(第九「返本還源」)事も、手をぶらりとさせて何もせずに子供と話す(第十「入鄽垂手」)事も、田中は自らの姿としては表現し得なかった。それは偏に田中が近代に「目覚め」させられた「彫刻家であろうとする」病に罹患した者だったからであり、また凡そ近代以降の芸術家の多くが「芸術家であろうとする」者であるとすれば、「芸術家であろうとする事」と「芸術の何たるか」を共に消し去らない境位に留まらねばならない。何故ならば、近代以降の芸術家というのは「芸術家であろうとする事」と「芸術の何たるか」の分裂から生じる緊張状態に留まり続ける事を制作の原動力とする遅延(「いまだに真の彫刻が分からない」)の別名だからだ。

それに対して観者は「芸術」に属さない者であるが故に「芸術の観客であろうとする事」から自由になれる可能性を持つ。また「芸術の何たるか」からも自由になれる可能性も持つ。従って「芸術家であろうとする」者の「先」を行く事も可能だ。但しそれは何らかの形で「芸術」を経た上での話ではある。芸術展に行って――多かれ少なかれ何らかの形で「芸術の何たるか」を追い求めに行き(「尋牛」)――そこで「芸術の何たるか」の「跡」や「姿」を「対象」として発見する(「見跡」「見牛」)も、「芸術の何たるか」を自分のものにしようと悪戦苦闘する(「得牛」)も、「芸術の何たるか」を己のものとしたと感ずる(「牧牛」)も、「芸術の何たるか」と己が一如となったと思い込んで家路に就く(「騎牛帰家」)も良しである。しかしその一方で、芸術展で「芸術の何たるか」や「芸術の観客であろうとする事」を敢えて消し去る(「到家忘牛」「人牛倶忘」)も、「現実」の中に「芸術の何たるか」がそのまま存している事を見る(「返本還源」)も、傍らの子供とずっと話している(「人牛倶忘」)も良しなのである。

「現実のたてる音」という芸術展のタイトルを目にして頭に思い浮かべたのは、「十牛図」に出て来る数々の音である。例えば「尋牛」の「頌」に登場する音は「晚蟬吟(秋のおくれ蝉の声)」である。

頌曰
 茫茫撥草去追尋 水闊山遙路更深
 力盡神疲無處覔 但聞楓樹晚蟬吟

Alone in the wilderness, lost in the jungle, he is searching, searching!
The swelling waters, far-away mountains, and unending path;
Exhausted and in despair, he knows not where to go,
He only hears the evening cicadas singing in the maple-woods.

頌って言う
 あてもなく草を分けて探してゆくと、川は広く山は遥かで、ゆくてはまだまだ遠い。
 すっかり疲れ果てて、牛の見当もつかぬようになって、あやしい楓の枝で鳴く、秋のおくれ蝉の声が、耳に入ってくるばかり。

(英訳:鈴木大拙/現代日本語訳:柳田聖山)

 

あのマルティン・ハイデガーは、ドイツ語訳された「十牛図」に関心を示し、特に第九「返本還源」がアンゲルス・シレジウスの詩を彷彿させるとしている。

Die Rose ist ohne Warum. 

Sie blühet, weil sie blühet.
Sie achtet nicht ihrer selbst,
fragt nicht, ob man sie siehet.

薔薇は何故無しに有る、
それは咲くが故に咲く。
それは自分自身に気を留めないし、
ひとが自分をみてゐるか否かと、問ひはしない。

Angelus Silesius “Der cherubinische Wandersmann"
アンゲルス・シレジウス「ケルビンの如き遍歴者」(辻村公一訳)

 

「現実のたてる音」展へは、秋のおくれ蝉の声を聞く様に聞きに行こうと思った。秋のおくれ蝉は何故無しに鳴く。秋のおくれ蝉は鳴くが故に鳴く。それは自分自身に気を留めないし、ひとが自分をみてゐるか否かと、問ひはしない。

「パレ・ド・キョート」イベントもまた、秋のおくれ蝉の声の様にも秋の虫の音の様にも、或いは降り続く雪の音の様にも騒がしいものかもしれない。しかしその複雑な騒がしさは、虹色に回折する静けさに通じるのだろう。

念為だが、これは「芸術家であろうとする」者の話ではない。翻って「芸術に勤しもうとする」者の話でもないのである。

 【長過ぎる序了】

 

 【続く

躱す

馬鹿もほどほど いい加減にしろよ

オケが終っても歌っています
あること無いことはじからポイポイ
口先だけでゴロだけ合わせ
あたしゃ歌手です いい加減にしろよ......
お風呂の加減はいかがです?
いい加減です

 

所ジョージ「いい加減にしろよ」

 

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展示室に入ると早速「躱す」をされてしまった。会場である CAS の展覧会情報に掲載されている椎原保氏や谷中佑輔氏の作品のイメージを抱えて行くと、果たしてそこにあったのは(取り敢えず現象的には)それらとは全く異なるものであった。全く以って「躱す」である。

但しその当該ページには、それぞれの作家が「躱す」事が予め書かれてはいる。

谷中は自身の身体と自らがつくりだす彫刻とに向き合い、よじ登り、食べ、叫ぶ。 他方、椎原は、丹平写真倶楽部のメンバーであった父・椎原治(1905-1974)と向き合う。 亡き父が残した散逸しつつある資料の整理と、自身の日常との重なりのなかで、向き合う。

CAS は「CAS」と「CAS Annex」で構成されているらしい。本展は入口入ってすぐの「本館」が谷中佑輔氏のエリア、左に折れた「別館」が椎原保氏のエリアになっている。

極めて大雑把な上っ面で言えば、「本館」は粘土の部屋であり、「別館」は写真の部屋である。昇降機の無いこのビルの3階のギャラリーに1トンの粘土を運んだという事が、この展覧会に興味のある人間の間では話題になっていたりもする。

果たして1トンの粘土で何が作れるだろうか。横綱白鵬の実物大原型ならぎりぎり6体は作れる。しかし換言すればたったの6体しか作れないとも言える。現役時代の六代目小錦八十吉(最高位東大関)ならば、4体を作る事は出来ない。アパマンショップの店頭に設置されている青い小さな象=「住む象くん」の原型を、1トン程度の粘土で作れるかどうかは極めて怪しい(以上それらを「無垢」で作るという前提に於いて)。

「1トンの粘土」に親しんだ事の無い人間は、「1トンの粘土」という字面を前にして「ええええっ! 1トンも!!!」となるであろうし、その一方で粘土まみれの人生を送っている人間なら「ああ、1トンぽっちか」と思ってしまう物理量である。「1トン」という数字は「多」と「少」のダブル・ミーニングを有している。因みに自分は後者の側にいる。

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粘土と写真(機材)というのは、極めて妖しい誘惑を放つものだ。全くそれらは「うずうず」させられるメディアなのである。
 
人は粘土の前に立つと何かを作らねばならない気にさせられてしまう(これは幼児期から特に教えた訳でもないのにそうなる)。「創世記第二章」には「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった(ז וַיִּיצֶר יְהוָה אֱלֹהִים אֶת-הָאָדָם, עָפָר מִן-הָאֲדָמָה, וַיִּפַּח בְּאַפָּיו, נִשְׁמַת חַיִּים; וַיְהִי הָאָדָם, לְנֶפֶשׁ חַיָּה.)」とあるが、その人は「土のちり」に水を含ませた粘土的な土で出来ているのかもしれない――神にとってはそれが最も造形し易い。アダム(אָדָם)という名もまた「土」と「人」のダブル・ミーニングである。何だろうか。かたどり(形象)へと誘惑する粘土の放つこの人類史的な妖しさは。であればこそ、少なからぬ芸術家は、その妖しい「うずうず」から何とか距離を取ろう(躱そう)と悪戦苦闘するのである。
 
カメラもそうだ。カメラを渡されれば何かを写して残さねばならない気にさせられる(幼児にスマートフォンを渡せば、すぐさまカメラアプリでホームボタンを押し、その結果を確かめる)。何だろうか。かたどり(形・撮)へと誘惑するカメラの放つこの妖しさは。であればこそ、少なからぬ芸術家は、その妖しい「うずうず」から何とか距離を取ろう(躱そう)と悪戦苦闘するのである。
 
「いたずらに殺気を帯び凄気を浮かべ(「受難の村正」柴田南玉:「講談全集」大日本雄弁会講談社:1928-29)」ているが故に「斬る」という思念(邪念)を吸い、それを持てば人を斬らずにはいられなくなる刀を「妖刀」と称したりもするが、「妖かし」という点では粘土もカメラも「妖刀」と違わぬ、「作る/撮る」という思念(邪念)を吸って人を狂わせるマテリアル/メディアなのである。「躱す」展の「鑑賞」ポイントの一つは、芸術家のこれら「妖かし」への抗いであろう。

「形」の誘惑から逃れようとする粘土がある。しかし何をどうやってもそれは「形」になってしまう。1歳児位しかそこからスマートに逃れる術は知らない。身体を持たない筈の神(即ち神に於いては彫刻は身体性と関わりが無い)ですら「形」の誘惑を逃れられない。彫刻という邪念を振り払うにはどうすれば良いのか。粘土に於けるこの会期は一種の「修行」を見せるものである。そして確かに「修行」は「形」を見せるものではない。結跏趺坐(例)は外から鑑賞する為の「形」ではない。

本展の会期中、粘土には様々な意味の不純物が混ぜられる。極めて現実的に言って「形」を作る為の造形材料の扱いとしてはかなり乱暴に思えたりもする。それは水彩画家が絵を描きながら、そのパレットに唾を吐き続ける様なものかもしれない。そして唾を混ぜた絵具を、紙に移して行くという因業は止む事は無い。水彩画家はまずは「描かねばならない人」なのだ。粘土に於いても同断である。

しかし粘土は水彩絵具とは異なる。通常の場合、型取りまでの中間項でしかない粘土には再生の儀式がある。会期中に1トンの内の数キログラムは「乾燥」という形で失われて行く。粘土に対して特別の関心が無い者ならそのままにしておいても全く平気だが、粘土に人生の首根っこを掴まれた者は、そのカチカチになってしまった粘土に水を含ませ、粘土練り機に通す事を殆ど反射的にしてしまう。何故ならばカチカチの状態では「形」を作るのに不適だからだ。全く以って因業な話ではないか。そしてその因業がまるまる会場で見られるのである。

そうした因業は、壁の十字やモーター仕込のものからも現れる。乾燥によってひび割れた粘土の奥から、その「形」を保持する為の角材(粘土彫刻の極めて悲しき内骨格)が見え始めて来てしまうのだ。そしてその因業をまるまる受け入れつつ、この「修行」は行われ続ける。

全能の神ならば、「形」と「粘土」との間にある関係に決着を付ける為に、「呪われし粘土よ 地上から去れ」と言いつつ、地上から全ての「造形」に適した粘土を瞬時に消し去ってしまう(或いは全ての粘土を業火によって「焼き物」にしてしまう)かもしれない。この地上から一切の粘土が無くなれば、或る種の彫刻はそこで全て終わるからだ。しかし因業にこそ生きる全能ならぬ人間は、「造形」に「使える」粘土を、再度「造形」に「使える」様にと、粘土を練る事でそれを細々と再生する道を採ったのである。

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「別館」にあるのは、インフォメーションの「椎原保」作品とは異なり、作家の父親である「椎原治」氏(1905〜1974)の写真の関連である。そこは恰も「椎原治記念館」の趣すらある。

その展示室内には椅子が3つ程置かれている。これらに座って大いに腑に落ちる気になれるのであれば、その人は大いに腑に落ちれば良いだろう。

ベスト判という懐かしいフォーマットが見える。木製の引き伸ばし機の電源コードは袋打ちでプラグは丸型。コンタクトプリントの中のパフォーマンスの様な事をする美大生は今は相対的に少ない。しかしノスタルジーに陥ってはならない。それでは「別館」が「浪花千栄子」の貼ってある「昭和酒場」になってしまう。この「別館」への入口付近には、そうしたノスタルジーを戒める文言が貼ってあったりもする。そしてそれは写真の因業論としても読める。1976年中に書かれただろうその全文を引用する。

福野輝郎

 

 1930年代の一人の作家の、ここに現前している営為の痕跡は、ともすれば、記憶にしまわれた映像が引きずり勝ちの、あの懐かしさと云う萎えたロマンティシズムをそれ自身が断罪している。見る者は、殊更、時代背景としてのシュルレアリズムや、それが前衛と云われたかも知れない手法の奇矯さに関心を寄せる必要もない。その目新しさを、「失われた時」に限定する権利はいまなおわれわれにはなく、知られざる世界の構成に向けて、あらゆる領域の詩的言語がようやく孤独な作業を始めたと云うこの「現実の時」の中で、その映像はやはり新しいのである。
 事物を写しとる機械は、この作家にあって文字通りの写実の道具とはならなかった。写す行為は事物を巧妙に写しとることによって完結すると云う、あの自然主義の傲慢さはそこには一切ない。眼はそのような完結への計略に開かれてはいず、ただ事物のもつ存在の抽象性に集中している。
 この抽象性への透視こそ、終りのない運動の持続として、何よりもこの作家の写す行為を支えているのだ。決して眼に淫することのないその視線は誠実であり、恣意的な、いわゆる抽象への誘惑からも自由である。
 埋蔵さながらに、日々絶えざる腐蝕にさらされた物質としての紙片の表層から、ちょうど印画紙があの暗闇の液体の中で次第にその画像を鮮明にしてゆくように、覗かれ、あるいは覗かれてしまっていた世界は、いま半世紀を経て、見る者の前にこの上もなく明るく立ち現われている。

 

「眼はそのような完結への計略に開かれてはいず、ただ事物のもつ存在の抽象性に集中している。この抽象性への透視こそ、終りのない運動の持続として、何よりもこの作家の写す行為を支えているのだ。決して眼に淫することのないその視線は誠実であり、恣意的な、いわゆる抽象への誘惑からも自由である」。妖かしへの抗い。そしてこれは隣室の粘土に向けられた言葉の様にも読める。「交わす」。

上掲引用文は、1977年の「椎原治回顧展」(1977年1月6日〜29日)の三つ折パンフレットの中葉に印刷されているものだ。その左に1940年の「椎原治」氏の言葉が記されている。

 繪畫と同じ道を寫眞は何時までも進んでゆくべきではない。繪畫の影響に依って進歩した寫眞は、最早繪畫と違った別の、寫眞としての、軌道にのるのが本當ではないか。

 道具――あらゆる藝術を表現する手段又は方法はマテリアルを決定する。偉大なる藝術作品の上にはこれは確定的なものではないが、又道具を適當に使ふ事は偉大なる藝術作品を作成する根源となり素材と道具を最もよき條件に置く事がその作品の價値を高める。以上の様な意味で寫眞のゆくべき道は決定され、よりよき理想に向かって邁進する時代は既に現代でなければならぬ。

 

丹平写真集 “光” 昭和15年6月発行より

 

この文章を会場でつらつらと読んでいたら、その中頃に回転軸が見付かった。「適當」という単語である。この時代に於けるこの文章中の「適當」は、「 ある状態目的要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと(スーパー大辞林)」の意味で用いられている筈だ。しかし今ではそれを「テキトー」と書ける様な、実に高田純次的な意味として流通する事が多い。「いい加減」と同様のダブル・ミーニング。

この昭和15年の文章の「適當」を「テキトー」に置き換えてみると、その文章の全体の意味が180程も変わってしまう。「道具をテキトーに使ふ事は偉大なる藝術作品を作成する根源となり素材と道具を最もよき條件に置く事がその作品の價値を高める」。後段の「最もよき條件」が「テキトー」によって、確定的な「点」としてのものではなくなる。高田純次の「テキトー」もまた「躱す」芸なのであり、それは障害物によって発生する回折的なゆらぎとして現れる。

かいせつ【回折】

(名)スル
〔 diffraction 〕
波動の伝播が障害物で一部さえぎられたとき,障害物の影の部分にも波動が伝播してゆく現象。障害物の大きさと波長が同程度のとき顕著になる。音波電磁波光 X 線のほか,電子線中性子線などの粒子線でも,その量子力学的な波動性のために回折が起こる。

 

スーパー大辞林

 

粘土の「適當」やカメラの「適當」を、粘土の「テキトー」やカメラの「テキトー」にし続ける。それが一番「楽」なのではないだろうかと「修行」を見ていて思った。「簡単」ではないが。

すくなくともいまは、目の前の街が利用するためにある

【枕】

「枕」は仮定の話になる。

或る古書店で古い洋書を買ったとする。その本がどういう経緯でこの店先に流れ着いたのかは判らない。そのページを捲って行くと、二葉の写真プリントが挟まれていた。

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裏書めいたものは無い。一体何時頃の写真だろうか。少なくともカラーフィルムが発明されてからのものである事は確かだ。ここは何処なのだろう。撮影者は何処の誰だろう。そして何を思ってこのショットを撮ったのだろうか。

【枕】終わり。

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東京・恵比寿の waitingroom で、「すくなくともいまは、目の前の街が利用するためにある」展を見た。

同展プレスリリース(PDF)
http://www.waitingroom.jp/japanese/exhibitions/2015/doubles_vol1/07122015_waitingroom_doublesPR.pdf

奥の部屋の一面の壁全面に大きく「引き伸ばされて」いる写真があった。広大な牧草地。十数頭の牛。所謂「引き」で撮られた画面内にある何れのものに対しても、特段に関心の中心化を図っていない様に見えるこの写真の撮影は、この展覧会に「アーティスト」としてクレジットされている人によるものなのだろうか。

それにしては、余りにも「訴え掛けよう」とする姿勢の見えない写真だ。何らかの形での「訴え掛け」がその「存立」の根本にある「アーティスト」の写真には、多かれ少なかれそうしたものが――判り易い/判り難いを問わず――含まれているものではあるだろう。しかしこの写真は「訴え掛け」の在処を示そうとするものでも、また「訴え掛け」の不在を示そうとするものでも無さそうだ。言わばこの写真は、そもそも「『写真』にする」意志というものが欠けている様に見える。

極めて安手のテレビドラマに、ハンカチに染ませた「クロロフォルム」を嗅がされて誘拐されるという定形があるが、この大きく引き伸ばされた牧場の写真は、その失神状態から冷め、後ろ手に縛り上げられ監禁されている誘拐アジトの窓から見た風景の様にも思える。のんびりした牛の声が不安をいや増しにする。そこが何処であるかの情報に乏しい風景。ここは一体何処だろう。人の話し声もしない。何処の国かも判らない。

やれやれこれはまたまた極めて難儀な「写真」だなと展覧会場で途方に暮れていたところ、親切なギャラリーの方が、わざわざこちらに寄って来られて、この撮影者が誰であるかを明かしてくれた。それは作家の御祖母であられるという。それを聞いた事で「途方に暮れた」は終わり、それに代わる形で「より途方に暮れた」が始まった。「武田雄介」という「アーティスト」による「写真」ではなく、その「祖母」による写真。困惑をより深める為の親切。

「祖母」という一般名詞の持つ罠。「祖母」とは、基準となる者から直系2親等の「上流」に位置する「女性」を意味している。その基準を満たしていれば誰でも「祖母」になる。同じ長谷川町子キャラの「磯野フネ(サザエさん)」と「伊知割石(いじわるばあさん)」は――それぞれ「フグ田タラオ」「伊知割マコト/伊知割サナエ/伊知割ツトム」にとって――「祖母」である。「右寄り」の政党に投票し続ける「祖母」もいれば、「左寄り」の政党に投票し続ける「祖母」もいる。一日の多くの時間をオカンアートの制作に費やす「祖母」もいれば、Adobe Lightroom を立ち上げつつ次の個展のプランを構想している「祖母」もいる事だろう。

Wikipedia「祖母」を検索すれば、「直系2親等にあたる女性や高齢の女性についてはおばあさんを参照」とあり、「おばあさん」の項目へと飛ばされる。この「おばあさん」がまた極めて厄介な一般名詞だ。「おばあさん」には二重の「ジェンダー」が被せられている。「女性」という「ジェンダー」と、「老人」という「ジェンダー」だ。Google 画像検索で「おばあさん」を検索すれば、その二重の「ジェンダー」を被せられた人々の画像が表示される。

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「作家の祖母の方が撮られた写真です」。その言葉を聞いて、この Google 画像検索に表示されている様な人がカメラを構えている――どちらかと言えば微笑ましい印象の――姿がすぐにも想像されてしまう。しかし勿論それは「祖母」という言葉の罠だ。その「祖母」は、その写真を撮影した時点では、まだ「祖母」になっていないうら若き20代の女性だったかもしれないのに。しかしそうであっても「作家の祖母の方が撮られた写真です」は誤りではない。「作家のおばあさんの方が撮られた写真です」ですら「正確」な表現である。

勿論根掘り葉掘り問えば、その「祖母」がどの様な人であり、またその写真の撮影時期や撮影場所、撮影意図すら知る事が出来たかもしれない。しかしこの写真は「『祖母』の方が撮られた写真です」のままにしておくのが良い様な気がする。

極めてつまらない話にはなるが、「現代美術/現代アート」の世界には「拾ったもの」を作品に使用する系譜というものがある。「流木」アートや「廃品」アート的な作品を作る人は、何処の町にも必ず一人はいるだろう。「コラージュ」に使用される「コレ」された数々の「パピエ」は或る種の「拾ったもの」になるだろうし、少々の無理を承知で言えば「レディメイド」もまた「拾ったもの」の系譜にあると言える。そうした「拾ったもの」系譜の作品に対して、「近代的な主体概念を超克する」的な解釈――表現者本人によるもの含む――が常に被せられ(て解釈の消費をされ)るというのもまた、「現代美術/現代アート」の世界では極めて良く見掛ける、永遠に続くかと思われる日常風景である。

この「武田雄介」という人の、これまでの「インスタレーション」を見ての印象もまた、何処かで「拾ったもの」感のするものだった(その全てが買い求められ、或いはそれを構成するものの幾つかが「作られている」ものであったとしても)。その「インスタレーション」と呼ばれ得る何かを前にした観客は、何処かしら「途方に暮れる」感に向き合わされたものだ。それは「拾ったもの」――例えば「コーヒー缶」や「古タイヤ」や「手放された玩具」等――を使い、誰もが見知っている「ティラノサウルス」のイメージに「昇華」させて行く様な類の「アート」では無い。寧ろそれは、誰かがコーヒー缶を蹴り続けた挙句に道路端の凹みに嵌ってしまい、そのままで放置されている様な――しかし「道路端の凹みに嵌ってしまった」といった「事件」の起こり様を読み取る事が可能である様な――ものだ。

ここにあるのは、撮影者の情報が欠落している「拾った写真」として現れている。牧場の写真の向かって右隣の人物を撮った写真は、その相対的な「高精細」から判断して(その判断は間違っているかもしれない)字義通りの「拾った写真」ではなさそうだが、しかしそこには「私はここを拾った」的な切り取りがされている。そこを「アーティスト」が「拾った」理由は判らない。単純に元写真の天地のそれぞれ「中央」部分というのはあるかもしれない。その一方で、その「拾った」部分を「中央」にする為に、「全体」の写真の構図が決定されているという捻転が存在している様にも思える。

しかしそれもこれも判らないままにして、「より途方に暮れる」という状態に置かれ続けているのが良いのだろう。

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未だ京都の冬が残っていた2015年3月の話。「京都芸術センター」2階の “Speaking in Tongues(Aernout Mik)" を見た後に、「PARASOPHIA特別連携プログラム」の「鳥の歌」展を見るという事にした。

アーノウト・ミックを見終わり、階下に降りるとそこには校庭の向う側にある展示を最初に見て欲しいという内容の掲示がされていた。数十メートル離れた校庭越しの展示室(以後「第一室」とする)と思しき部屋の扉には、何らかの文章が書かれた紙が貼ってあるのが見えた。しかしそこに何が書かれてあるのかはこの距離では明らかではない。展示の指示通りにそこまで歩いて近付いて行くと、その紙に書かれた文言の内容が明らかになった。機器故障の為にこの部屋の展示は取り止めになったという意味の事が書かれている。最初に見て欲しいというものを省いて次のもの(「第二室」)を見る訳にも行くまい。その日は「鳥の歌」を見る事を止めた。

次に京都芸術センターの「鳥の歌」に行ったのは2週間後位だろうか。2週間というのは「機器」のテクニカルなそれなりの安定性が確保され、ベータ公開状態が解消されるだろうマージンを勘案してのものだ。果たして何事も無かったの如く「第一室」のそれは動いていた。

聞き様によっては他愛の無い話が、3面のスクリーンから交互に流れて来る。3つの「他愛の無い話」。この手の話は何処かで聞いた記憶がある。ああそうか、自分の母親が話していた、父親との馴れ初めの話だ。見合いの場で二人きりになり、それから見合い会場を出て近所の公園か何かを歩き、そこのベンチを若い女性(やがて自分の「母」になる)に譲る際に見せた若い男性(やがて自分の「父」になる)の些細な――しかし間が抜けている――行動に、「この人は良い人だ」と確信したといった様な話だった。

その話は自分の中では一回しか聞いた記憶が無いものの、しかし今でも鮮明に覚えている。その時、目の前の人は「母」である事から離れていた。同時にその話の中に登場する若い男の人(やがて自分の「父」になる)もまた。その目の前の「母」を着た「娘」の話す「他愛の無い話」はまた、「歴史」的には「第五福竜丸」と同じ頃の話でもある。しかしそれも「『時代』としては」なのではある。

確かに京都の「鳥の歌」では、三つの「他愛の無い話」があってこその「第二室」の「資料」だった。その「資料」の中には、相対的に若い男女が寄り添う写真もあった。「他愛の無い話」と「時代」。或いは「時代」と「他愛の無い話」。それは「時代」の中にある「他愛の無い話」なのだろうか。それともそうした「時代」に、完全には添い寝する事の無い(或いは「添い寝」を何処かで拒否する)「他愛の無い話」なのだろうか。

今回の waitingroom の展示では、京都の「第一室」に於ける様な「他愛の無さ」は後景に下がっていた。京都の「第二室」から派生しただろうこの展示は、そうした「他愛の無さ」に覆い被さっていた「時代」を、相対的に前景にする。

日本統治時代」の地図がそこにあった。巡り巡って、今は台湾人の「ノスタルジー」の対象でもあるらしいその地図の山間部を見て、ああここに隣室の写真の牧場があるのかもしれないと妄想した。

そして、何処とも判らない牧場(もしかしたら「台湾」かもしれない)に於ける「他愛の無い話」に思いを馳せた。「第一室」の「おばあさん」達が、まだ「娘」だった頃に話されていた様な。

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本の中に挟まれた「写真」は、或る女性によって1930年代の末頃に撮られた写真である事までは判った。その時、その女性は「他愛の無さ」からそれを撮影しただろう。そしてその数年後に彼女は「妻」になり、その直後に「自殺」するのである。

「鳥肌実」

ここ数年はテレビのアンテナをすっかり折っている。最後に長時間テレビ番組を見たのは、アナログ停波から数年前の2007年頃だ。従って、それ以降のテレビの「有名人」は、自分にとっては「無名人」である。

商店の店頭等でしばしば見掛ける、揃いの格好をして笑顔を振り撒いているお嬢さん達は、巷間「有名人」とされているらしいのだが、それが何という名前の人なのかは知らない。プロ野球全球団の監督の名前を答えよと問われても「知るかそんなもん」である。

世間で言うところの「ジジイ」の平均年齢には達していないと思うものの(まだ「優先席」を譲られた経験は無い)、年端の行かない幼児から「バカ!」とか「ウンコ!」とか「ジジイ!」とかの捨て台詞を投げ掛けられる程度にはすっかり「ジジイ」である。

従ってなのかどうなのかは判らないが、所謂「サブカルチャー」の流行に対する感受性/嗜好性は、未だ「ジジイ」の「ジ」ですら無かった頃(約40年前とする)に比べれば、アンテナの感度は随分と低くなっていると自覚はしているし、また今は敢えてかなり低めのチューン値にしているという事もある。

大体「ジジイ」はそういうものを期待されていない存在ではあるだろう。「ジジイ」が持てる資産に飽かせて観光バスをチャーターして大挙押し寄せ、ガレキを買いまくって「荒らし」て行くワンフェスというのは、少なくとも現時点では悪夢に見えるに違いない。

これが恥ずべき事なのかどうかは判らないが、この9月12日まで「鳥肌実」という名前の人物が存在している事を知らなかった。理由は流行に対するアンテナの感度が低い「ジジイ」だからだ。それが物議を醸す可能性を持つ名前である事も知らなかった。理由は以下同文だからだ。

鳥肌実」って誰だ。

そう思っていたら、すぐさま「鳥肌実」氏の「ヘイトスピーチ」が YouTube にアップされている事を知らせる公開ツイートが、リンク付きで「ジジイ」の TL の最上部に現れた。それを9月12日の午前中にリツィート経由で見た自分は、今まで知りもしなかった「鳥肌実」氏の「ヘイトスピーチ」に、いとも簡単に無料で触れる事が出来たのである。

自分はもうすっかり頑固な「ジジイ」であるから、誰でも容易にアクセス可能な「鳥肌実」氏の「ヘイトスピーチ」を見て、その「主張」にハートを鷲掴みにされる事は無かった。前後を切られた件の無料動画で判断する限りは、「面白い『芸』」にも見えなかった。しかしその一方で、この Twitter の公開ツイート上で剥き出しにされた無料公開の「鳥肌実」氏の「ヘイトスピーチ」のリンクを踏むのは、それが Twitter である限り頑固な「ジジイ」ばかりではないだろうなとも思った。それ以降も、この「ヘイトスピーチ」動画へのリンクは、相変わらず間欠的に Twitter 上で剥き出し状態にされている。

9月12日中に(「芸人」としての「賞味期限」を十数年前に過ぎたとも一部にされている)「鳥肌実」氏という存在を何となく把握した気に取り敢えずなり(「正確」なものであるかどうかは判らない)、それから「鳥肌実」氏全般に関する俄勉強を経て(過去には東北芸術大学にも武蔵野美術大学にも多摩美術大学にも日本大学芸術学部にも京都嵯峨芸術大学にも呼ばれていた事を知った)達した印象は、「『パレ・ド・キョート』に於ける(現在の)『鳥肌実』」というのは「『旭山動物園』に於ける(現在の)『鳥肌実』」を目指しているのではないかというものだった。即ち「『(現在の)鳥肌実』の行動展示」である。

「現在の『鳥肌実』」氏が「野獣」であると仮定した上で言うならば、その「野獣」を「博物学」的な「行動展示」の対象として見るというのには様々な条件が必要にはなる。その最も重要な条件は「野獣」を「動物園」内に確実に留めておく事になるが、その条件は取り敢えずは満たされていた様な気がする。少なくとも「野獣」状態にある「鳥肌実」を伴った「散会」等が市中で「ライブ」で行われたりしない限りは。

他の条件としては観客の「姿勢」が挙げられるが、この条件は結構ハードルが高い。即ち飽くまでもそれを「研究対象」として見る事を、3,500円也を払う事でそれを見る権利を獲得した「パレ・ド・キョート」の観客は期待されている。

ARTZONE" は、京都では「知る人ぞ知る」空間ではあるが、同時に「知らない人には全く知られていない」空間でもあり、単純な数字上の比率から言えば後者のウェイトが圧倒的である。東京で言えば、そこは(その経営母体を問わなければ)「NADiff a/p/a/r/t」みたいなものだろうか。

そんな場所にわざわざ出掛けようというのは、大抵は「その筋」(所謂「アート」系)の人であり、また「その筋」の人というのは、その多くは信条的には「リベラル」寄り(或いはどっぷり)の人達であるという勝手な思い込みがある。

飽くまでも印象ではあるが、多くの「その筋」の方々は、Twitter で「桜」方面の人達をフォロー(決して皆無とは言わない)していないだろうし、或いは死んでもフォローするものかと思われている方々も多かろうとは思う。「鳥肌実」氏の「ヘイトスピーチ」(「芸」であるか否かは問わない)程度で、その信条が簡単に揺らいでしまうという方は、そもそも “ARTZONE" という場所には縁が無いのではないかと思えたりもする一方で、しかしそれもまた蓋然性の内にはある事は否定出来ない。自らを智者であると任じている人間が、往々にして煽動に対して脆弱であるという例を幾らでも見て来ている人生だ。

仮に「鳥肌実」氏が「研究対象」になり得たとしても、それでも「鳥肌実」自体が諸所に現れる事自体を許し難いとする方が、3,500円也の観客の中におられる可能性を全くのゼロであるとする見方があるとすれば、それはそれで「誤っている」認識と言えるだろう。

兎にも角にも、「パレ・ド・キョート」の場から「鳥肌実」の名前は削除された。削除されるに至った具体的な経緯は必ずしも明らかではないし、「パレ・ド・キョート」に於ける「鳥肌実」氏の具体的な「行動」がどの様なものになるかも結局判らなかったが、いずれにしてもその削除に「鳥肌実の存在が悪」と考える正義感が果たした役割は大きい。そしてここから先の正義感の行く先としては、拡散されまくっている「閲覧注意」の動画の削除をこそ YouTube に働き掛け続けて行く事になるのだろう。

 

資料「鳥肌実の『パレ・ド・キョート』出演を巡るツイート」
http://togetter.com/li/890169

窓と壁

【前説 1/3】

悲しくも人類にしか出来ない暴力の形。

Sirens of the lambs : Banksy

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 【前説 2/3】

 “Güterwagen" =「貨物のワゴン」。このドイツ語は、日本語では通常「貨車」と訳される。

ポーランド南部の小さな村ブジェンジンカ(Brzezinka)村境沿いのユデンランペ(Judenrampe)に、数十年インストールされているこの年代物の “Güterwagen" は二軸車である。スポーク車輪の軸受の上には、相対的に簡便廉価なサスペンション・システムであるリーフスプリングが渡されている。決して乗り心地が最上であるとは言えない。しかし「客車」ではない「貨車」であるから、この「貨車」を走らせていた者にとってそれは問題とはならなかったのだろう。

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これと似た型式の「貨車」の内部はこうなっている。「貨物(Güter)」が「窓」を必要とする事は「無い」。この羽目板二枚分の開口部は「窓」ではなく、最低限の「換気」の為のものだ。この開口部に有刺鉄線を巡らせたケースもある。開口部から「貨物」が車外に「飛び出して」しまう事を防ぐ為にだ。 

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他の型式のものには「貨物」への監視塔が備えられているものもある。

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ブジェンジンカ村の「貨車」は、上掲ストリートビュー左手のポイントで左側の支線に入り、170R 前後の左カーブを100度強曲がり、この村で唯一の直線道路、ウリツァ・オフィアル・ファシズム(Ulica Ofiar Faszyzmu)とゲートを潜って、操車場を備えた施設に到着する。直近のオシフィエンチム(Oświęcim)駅で「仕分け」され、窓の無い「貨車」の中で生き残った者は、そこから再び窓が殆ど無いか、或いはそれが全く無い「働けば自由になれる(Arbeit macht frei)」が掲げられた建物へと収められて行く。

「窓」を奪って「貨物」にするという、悲しくも人類にしか出来ない暴力の形。そこからそれは始まっている。

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【前説 3/3】

嘗て東京の恩賜上野動物園に「ブルブル」という雄ゴリラがいた。1957年(園長:古賀忠道=初代)に同園に推定4歳でカメルーンから「来園」し、同園の「ズーストック計画」事業の一環である「ゴリラ・トラの住む森」エリアが東園にオープンした翌年の1997年(園長:斉藤勝=10代)に、その生涯を閉じた(推定44歳)ウェスタンローランドゴリラ(西ローランドゴリラ)である。

日本の動物園史に於いて、第二次世界大戦敗戦直後の国民的動物園アイドル――占領下の日本国有鉄道が特別仕立ての象列車を走らせた――が、名古屋・東山動物園に生き残っていたアジアゾウの「マカニー」と「エルド」(1937年に同園が木下サーカスから購入した4頭=「アドン」「エルド」「マカニー」「キーコ」の内の2頭。「アドン」と「キーコ」は栄養失調等による衰弱死)やインドのネール首相(当時)から贈られた上野動物園の「インディラ」であるとすれば、1955年の「事故」による名古屋の2頭の象の表舞台からの退場後は、東京の「ブルブル」もその役の一端を担っていた。

ゴリラは非常にセンシティブな動物の一つである。「ブルブル」は、1970年前後に一時期自傷行動に陥っていた。自らの体毛を毟り取ってしまうのだ。食餌を含めたゴリラの飼育ノウハウが日本の動物園でまだ確立されていなかった試行錯誤の時代。「ブルブル」と一緒に暮らしていた雌ゴリラが「リウマチ」と見立てられた症状に罹ってしまう。その治療の為に雌ゴリラが隔離状態に入った為に、その「別離」のストレスから「ブルブル」の自傷行動は始まったとされている。

1971年、「ブルブル」のストレスを低減させようと、飼育関係者がバックヤードの彼の「寝室」に設えたのが、当時一般家庭の普及率が20%前後だったカラーテレビ(19インチ:大卒初任給の5ヶ月分前後の値段)だった。彼に与えられた番組は「野生の王国」(古賀忠通氏監修:主題歌は昭和40年代の日本を象徴する音でもある「シンガーズ・スリー」)や「野生の驚異」、後にプロ野球、プロレス、キックボクシング、ハクション大魔王いなかっぺ大将帰ってきたウルトラマン、ドラマ等といったものであった。

果たして「ブルブル」は「テレビ漬け」のゴリラになって行く。「野生の王国」や「野生の驚異」以外の番組には全く興味を示さなかったというが、それら「野生もの」(テレビサイズの判り易い物語を作る為の脚色/編集あり)の「ドキュメンタリー」は、 9時30分〜17時、及び定休日(月曜)といった、開園時間――それは来園者からの好奇混じりの「監視」の視線を浴び続ける時間(「休憩」無し)である――外という「オフ」の時間を、そこでしか過ごせない「窓」の無い「寝室」に於ける「窓」の代替物であった。21世紀の今ならば、「畜舎」に Wi-Fi を引き、ゴリラに iPad やニンテンドーが渡されていたかもしれない。

f:id:murrari:20110402010206j:plain電波によって運ばれたものの表示に依存する「ブルブル」。野生の何百万倍もの量の人間の視線を集める「博物学」の対象にされて生き続けるという、悲しくも人類にしか出来ない暴力の形からそれは始まっている。

 【前説終わり】

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走る美術館「現美新幹線」

 

 JR東日本では、世界最速の芸術鑑賞「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の運転を2016年春頃に、上越新幹線「越後湯沢〜新潟間」で予定しています。

 

本列車では、
注目のアーティストがこの場所のために制作した現代アート、地元の素材にこだわったスイーツやコーヒーを提供するカフェ、沿線に広がる車窓など、様々な魅力をご用意しております。

 

新幹線で移動しながら現代アートを鑑賞するというユニークな演出をぜひ体験してみてください。

 

http://www.jreast.co.jp/genbi/

 来年(2016年)の「春頃」から、「世界最速の芸術鑑賞」を謳う「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」が越後湯沢〜新潟間を走るという。営業キロ134.7kmを50分弱で結ぶ区間である。ミニ新幹線規格のE3系という、JR東日本で余りに余った車両の再利用になる。「アートキュレーション」は「SCAI THE BATHHOUSE」及び「TRUE Inc.」、総合プロデュースは「TRANSIT GENERAL OFFICE INC.」という「東京資本」によるものだ。

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「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の編成図はこうなっている。

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JRは「下り」線の行き先方向から1号車が始まる決まりになっている。従って東京(「上り」方面)を背にした新潟(「下り」方面)に近い方から、11号車の「松本尚」氏、12号車の「小牟田悠介」氏、13号車の「paramodel」(キッズスペース)と「古武家賢太郎」氏(カフェ)、14号車の「石川直樹」氏、15号車の「荒神明香」氏、16号車の「ブライアン・アルフレッド」氏という6両編成(2M4T)になっている。

11号車の「松本尚」車は、通常のE3系を相対的に小改造のまま使用する様だ。12号車の「小牟田悠介」車、14号車〜16号車の「石川直樹」車、「荒神明香」車、「ブライアン・アルフレッド」車は、下り進行方向右側の窓を塞ぐ改造がされて「壁」になっている。上掲動画の車窓風景は、この「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」で見る事は可能にも思える(素通しガラスの場合)が、その反対方向の車窓風景はデッキに立たない限り見る事が出来ない。

一方13号車の「paramodel・古武家賢太郎」車では、それらの車両の窓とは反対側が開けられているものの、そこは「paramodel」による「キッズスペース」部分に限られていて、車両の残り半分の「古武家賢太郎」氏のエリアである「カフェ」は、その座席周囲以外は全くの窓無しである。

この図面(恐らく実際の設計と大きな変更点は無い)から読み取れるのは、この「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」を利用する乗客に、なるべく「車窓」から見える外の世界を見させない様にする工夫がされているという事である。11号車の「松本尚」車に、どの様に「アート」作品がインストールされるのかは判らないが、他の(「paramodel」エリアに集まる事を許された「キッズ」以外を除く)車両では、乗客が「車窓」を背にする座席配置になっている。それは鉄道車両に設えられた「壁」に掛かる「芸術」の「鑑賞」に極めて適した座席配置であり、且つ「壁」に掛かる「芸術」の「鑑賞」以外には全く適さない座席配置である。

これは例えば、米アムトラックスーパーライナー・ラウンジ車の、室内に背を向けて「車窓」から見える外の世界を見るのに最適化された外向きの座席配置とは全く正反対のものだ。

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果たして「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の窓は通常車両の様に素通しだろうか、或いは採光の為にのみ存在するスモークの入ったものになるのだろうか。同じE3系の改造車で、同じ6量編成(S51編成)のE926形「新幹線電気・軌道総合試験車(East i)」――所謂「ドクターイエロー」。車体色は黄色ではない――は、この「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」より窓数が多い。測定機器を積載する車両であるのに。

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いざこの「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」が現実化した際には、そうしたものは排除されてしまうのかもしれないが、しかしこの「現在検討中のイメージイラスト」に描かれている「パース」図の、「壁」部分下部のグレーに塗られた「腰板」の存在こそが、この高速鉄道車両に「現代アート」を持ち込もうとする欲望の形とその限界を、極めて良く表しているとも言えるだろう。その意味で、この些かも「現代アート」的ではない「腰板」こそは、この「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」から決して外してはならないものの様な気がする。

仮にそれが、「腰板」を外された全くの「ホワイトキューブ」になったとしても――それが多少見難くなるだけで全く同じであるとは思うが――「現代アート」→「現代アートであるからこそ壁の存在は必要条件である」→「E3系に遮光性の高い壁を設ける改造を施す」という判断の流れは、恐らく動かし難く既定のものだったと想像される。結果的に「現代アート」→「現代アートであるからこそ壁の存在は必要条件ではない」とはならなかったのである。

しかし窓無しの車両は、外からは「貨車」の様にも見えてしまう。そこで蜷川実花氏による晴れやかな花火でラッピン(wrap in=覆い隠す)する事が必要とされたのだろう。確かにそれで「世界最速」の「貨車」のイメージは払拭されるかに思える。但し所謂「ラッピング」を施された貨物列車(先頭機関車のみ)というのは過去に存在している。

この「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」に於いて「壁」が「現代アート」の必要条件の一つであるとすれば、他には何が必要だろうか。「監視員」というのはどうだろう。この「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」にインストールされた作品が、同時に動産的な価値を有するものであるとして、その場合「作品に手を触れないで下さい」と書かれていても、動産的価値を毀損する=手を触れてしまいそうになる様な観客/乗客に対して彼らが必要であるとすれば、やはり各車両にそれは配されるべきであろうか。或いは、監視カメラで観客/乗客を集中管理すべきであろうか。その場合、センサー仕掛けのアラームが車内に鳴り響いたり、回転灯が回ったりするというアイディアも有りかもしれない。そうした一連の「監視」には、鉄道警察官を割り当てるべきか。しかし現実的にはセンサー入り防弾ガラスの向こう側に作品を置くのが最もコスト安になるだろう。勿論一切を監視しないままに任せ、通勤電車の車内広告に対するのと同じ様なセキュリティ・レベルにしておくというのも、それはそれで「現代アート」ではある。

「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」が走れば、全ての「展示」を見たくなるというのが、この列車をわざわざ選ぶ人間の人情というものだろう。多くの観客/乗客が、この50分弱の間に目の前の1メートル前後(恐らく90センチ〜120センチ程度)の幅の通路を11号車から16号車までの「展示」を移動して見て回るのである。「通路」に対して向けられたシートに座る自分の直前を、次から次へと他車両の観客/乗客がやって来る。大きな作品に対しては、引いて見たくもなるというのも人情だから、その場合は「ソファー」に座る自分の膝先に他の観客/乗客が迫って来る事にもなるだろう。「ガイドツアー」すらあるかもしれない。この通路は通勤電車のそれ以上に「往来」なのである。

「芸術」の「鑑賞」の場は眠りこける場ではない。そもそも「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」のシートは、「ソファー」をイメージしている為に――近距離通勤電車のシートと同じ長手方向に並ぶ――リクライニングしない。この観客/乗客が行き交う落ち着かない場所で、しかもテーブルの無い状態で弁当を食べる訳にもいかなかろう。但しロングシートの通勤電車でそれを食べる事の出来る人間は別だ。

(たったの)50分間を「芸術」の「鑑賞」に浸ってもらうという名目で、敢えて Wi-Fi もコンセントも付けないという事はあるだろうか。確かに「美術館」や「ギャラリー」の展示室内では充電は不可能ではあるし、そこでスマートフォンタブレット端末を取り出すのは美的に躊躇わさせられる。況してやここでラップトップコンピュータ(この席では文字通り膝上に載せての使用になる)を取り出して見積書を作るなど以ての外とされるだろう。

試しに “train lounge" で画像検索を掛けてみると、世界各国の鉄道ラウンジ車両内に於ける「ソファー」の使用例がヒットする。

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これらの多くで重要視されているのは、互いの「顔」を向き合わせた「会話」だ。互いの視線の正面には相手の「顔」があり、その背後にパノラミックな「窓」がある。「順番」としてはそうだ。

何よりもこれらは番号を振られた座席ではない。基本的にラウンジ車両の「ソファー」はチケット販売時に割り当てられた座席ではなく――それらの席は別に存在する――「空き」を見つけて座る椅子だ。

「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の「ソファー」は指定席なのだろうか。その場合、どの席が人気が高いだろう。

f:id:murrari:20151022222959p:plain従来通りのシート配列の11号車の各席は指定席かもしれない。一方、12号車〜16号車の「ソファー」はどうだろう。それは「空き」を見つけて座る席なのだろうか。即ち乗車チケットは潜在的な「立席」である自由席の形で販売され、観客/乗客は椅子取りゲームの様に「空き」を争奪するといった様な。であれば「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」のシートは通勤電車のそれと同じものになる。

それは “Fine art" が壁に掛かっている列車だったこのモスクワの通勤メトロと、構造的には全く同じだ。

外国メディアが差し出すマイクに向けて、動画内のロシアのコミューター(乗客?観客?)氏は言う。"I use this line often and it's nice to see these pictures. I hope it makes art more accessible to young people,"(私はこの3号線をちょくちょく使っているけど、この様な絵画を見る事が出来るのはとても良いね。こうしたものがある事で、若い人達がより芸術に親しめる様になれればと思うよ)。

今から半年後の「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」が開通した初日、これとそっくりな「感想」が日本のテレビでオンエアされるのは確実だろう。仮に実際にそれが出て来なくても、テレビ局の編集室や新聞社のPC上で、その様に「要約」すれば良い。そしてその「乗客の声」を以って、報道は「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」の「予定稿」通りの「成功」を伝える事になる。

動画の車内の乗客の様子が極めて興味深い一方で、動画の最後のホームのカメラから見た「芸術を見る人達」のバックショットも、中々に良い味を出していると言える。そして「GENBI SHINKANSEN(現美新幹線)」は、その外側を覆うラッピングも含めて殆どこのメトロと同じものになる(コンテンツだけ異なる)のである。

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それにしても、何故に「アート」は人々の「正面」に「壁」として立ちはだかり、その視線を我がものにしようとするのか。「背後」であり続ける「アート」というのは無いのだろうか。