「失われた『作品』」

美術評論家建畠晢氏の回顧譚でしばしば氏の口から語られている話がある。「父親」である「彫刻家」建畠覚造氏に関するものだ。

(略)抽象彫刻は売れないのね。で、展覧会に出した作品が帰って来ると、置く場所がなくなってくるわけよ。大きな作品なんかは特に。だから、兄と一緒に父を手伝って、帰って来た作品をハンマーで壊して、粉々にして庭に穴を掘って埋めた。子供にとっては面白いわけだよ、そういうのは。きゃっきゃしながらやったわけだけど、父はずいぶん悲しがっていたんだろうなと、今にして思えば思います。

建畠晢 オーラル・ヒストリー 第1回:インタヴュアー:加治屋健司、池上裕子:2008年3月25日

https://oralarthistory.org/archives/interviews/tatehata_akira_01/

「美術」に於ける様々な「問題」が「露頭」(地質学用語:"outcrop")しているインタヴューと言える。この「オーラル・ヒストリー」で最も注目すべき「美術」の「問題」の一つは、「抽象彫刻は売れない」という「美術評論家」による「確言」──「確言」する事そのものにも「問題」は大いに存在する──にある。

「旺盛な制作意欲」による「供給過剰」と、それに全く見合わない「美術」の「市場規模」という、「需給」関係の圧倒的な差によって生じたのは、身も蓋もなく言えば「不良在庫」であり、その結果としての「置く場所」(「ストレージ」)の残り容量の逼迫──「置く場所がなくなってくる」(建畠晢氏)──である。但しこの建畠覚造氏のケースは決してレアなものではなく、少なくともオブジェクティヴな「作品」制作をメインにする「アーティスト」ならば、且つ「ストレージをアップグレード」する事が──主に経済的な理由で──困難な「アーティスト」ならば、保管/保存するに「値しない」と判断した自作を自らの手で「破壊」/「廃棄」、乃至は「放棄」/「投棄」した経験が無いという事はまず無い。即ち建畠覚造氏のそれは、極めて一般的な「アーティストあるある」と言える。

例えば先般のブログに登場したアルベルト・ジャコメッティが、終生制作拠点としたパリ14区のイッポリト・メンドロン通り46番地の半地下のアトリエは、その広さが僅かに24平米(≒7坪/≒13畳:その内2畳程が「ベッド」に充てられる)であり、その結果「新しい作品を作る為に、古い作品を移動させたり、捨てたり、壊したりすることがあった」(注1)という。ジャコメッティの制作ノートには、"Distrutto"(「破壊した」) や "perduto"(「捨てた」)の語が、頻繁に現れている。

(注1)”déplace, jette ou détruit parfois les œuvres anciennes pour faire de la place afin d’en produire de nouvelles”:Christian Alandete, directeur artistique de l’Institut Giacometti
参考: https://www.swissinfo.ch/fre/culture/sculpture_a-paris-l-institut-giacometti-ressuscite-les-%c5%93uvres-disparues-de-l-artiste-suisse/45600302

近代以降の「アーティスト」が、自らの存在意義/アイデンティティとする「旺盛な制作意欲」は、「自発的」なものであるというよりは、「市場」側からの「要請」──「ビギナーズ・ラック」(若い時の成功体験)を餌にした「搾取」込み──でしかないものを内面化してしまっているものだ。「旺盛な制作意欲」によって、存命中に「作品」を「作り続ける」(注2)事は、特にセカンダリ入りを果たした「アーティスト」(注3)の「ブランド」維持に直結する。「市場」としては、存命中に「辞め」られては「困る」のだ。その「死」によるもの以外の如何なるキャリアの「中断」も「市場」は認めない。

(注2)「市場」的には、キャリア初期の「傑作」を遥かに凌駕する様な中高年期の「傑作」が出なくても良いし、出る筈も無いとすら思われていて、また仮にそうしたものが出たとしても「市場」的な高評価はしない(高質量の平米・立米を持つ「大作」は別基準での「評価」)。寧ろキャリア初期に最大の価値基盤を置くセカンダリの評価フォーマットを混乱させる様なそうした「傑作」を出されてもまた「困る」のである。

(注3)それは「消費対象」としての「アーティスト」であり、単純に「作る人」である事から「キャラクター」(=「象徴交換」:ジャン・ボードリヤール)という「消費対象」としてのステージに立った、「ミッキーマウス(例)」と寸分違わないという意味での「アーティスト」である。そして「アーティスト」は「キャラクター」たらんと日夜「キャラ立ち」「キャラ設定」の戦略的構築に余念が無い。

要は「大作至上主義」(注4)を含めた「市場」の内面化が、「アーティスト」の「倫理」とされているものなのである。「アーティスト」が「アーティスト」として存続・維持する為に、「自己福祉」としての側面も強くある「美術」に於いては価値の等価な交換というものは視界の外にある。「旺盛な制作意欲」は、常に「アーティスト」の「欲望」として「需要」側から求められる。そしてそこでは、その「欲望」とされる「要請」は、常に「理性」を上回されられるのだ。だからこそ「アート作品」は常に「作り過ぎ」の状態にある。

(注4)制作に於ける諸経費が相対的に膨大なものになる「大作」もまた、「作るもの」ではなく、常に外的要因(内面化されたものも含む)によって「作らされるもの」である。「大きい作品を見せたい」という「欲望」は、外部からの「圧力」による「褶曲」(地質学用語:"fold")や「変成」(地質学用語:"metamorphism")によって「捻じ曲げ」られて形成される。この世に生を受けた瞬間に、「大きい作品を見せたい」という「欲望」が新生児に「自発的」に生じる筈もなく、それは一にも二にも物心付くまでに受けて来た「教育」の賜物でしかないものだ。紙やキャンバス等を継ぎ接ぎしてまでも、「大作」は作られらければならない「要請」なのであり、何かを「捻じ曲げ」る事で制作されるしかない自目的化した「大作」は、それ自体が一つの「地質学」的トピックなのである。


「需給」のバランスが著しく崩れている「ビジネスモデル」というのは、恵方巻きやクリスマスケーキといった「季節商品」(注5)にも見られるところである。恵方巻きやクリスマスケーキの「生産過剰/食品廃棄物(Food waste)化」(「旺盛な『生産』意欲」という「『生産』の呪縛」)が一も二もなく批判の対象になる昨今だが、一方で美術作品の「生産過剰/美術廃棄物(Art waste)化」(「旺盛な『制作』意欲」という「『制作』の呪縛」)は、寧ろ「アーティスト」の「倫理」の「証」ですらあるとされる。食べられる事無く廃棄される食品をして「食品ロス」と言うならば、「帰って来た作品をハンマーで壊して、粉々にして庭に穴を掘って埋め」るというのは「作品ロス」という事になるのだろうか。

(注5)「美術作品」もまた、時々の短いインターバルの「言説」に全面的に依存し、結託し、それとの関係性と共に「消費」され、やがて「忘却」される「季節商品」の一つである。そして「季節」の「変転」の演出によって、「消費」の窮乏は構造的に再生産(例:リバイバル・ブーム)される。

いずれにしても「帰って来た作品をハンマーで壊して、粉々にして庭に穴を掘って埋め」た結果、その瞬間に「失われた『作品』」が生まれ、建畠覚造氏にとってその作品との「今生の別れ」が出来したのである。果たしてその「今生の別れ」の際に、「ずいぶん悲しがっていた」(建畠晢氏)という「エモ」が彫刻家の胸に去来していたかどうかは、建畠覚造氏本人で無い者としては判らない。それは父子の関係にあってすらも全く同断だろう。

そもそも「アーティストの死」に際しては、不可避的に「アーティスト」と「作品」との「今生の別れ」が発生する。棺や墓の中に「作品」を入れても、それは「誤魔化し」でしかない。「残された」作品は「他人」のものでしかない。その「他人」が何をどうしようと「アーティスト」の関知の完全な外部にあるのだ。

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「失われた『作品』」問題というのは、「現代美術」という名の思想体系の根幹に関わるものの一つでもある。「現代美術」に於いて現在最も有名な「失われた『作品』」の一つは、紛れもなく──何重もの括弧付き(注6)で──「マルセル・デュシャン」の「泉」という事になるだろう。横倒しされ、属人的なものに帰する事を意味する「作家サイン」("R.Mutt":でっち上げ)を入れられたエルジャー社の「最高級二焼成ヴィトラスチャイナ、モデルナンバー700」の男性用小便器スタンダード・モデルは、アルフレッド・スティーグリッツの「ギャラリー」での「展示」を経て、ニューヨーク・ダダの同人誌「ザ・ブラインドマン」("The Blind Man")第2号で完成を見る「炎上」を達成した「後」に意図的に「破棄」され、その結果この地上に1917年の「オリジナル」は存在しない事になった。

(注6)現在では、エルザ・フォン・フライターク=ローリングホーフェン(Elsa von Freytag-Loringhoven)が「泉」の「真の作者」であるとするものが半ば定説化している。

「泉」の「破棄」の「犯人」が、仮に例えばアルフレッド・スティーグリッツだったとして、その「破棄」行為に対して、マルセル・デュシャンその人がスティーグリッツの胸ぐらを掴んで号泣、非難、難詰したとしたら、それはそれで随分と「格好悪い」どころか、「マルセル・デュシャン」という「キャラクター」の「設定」的に「台無し」な話ではある。

彼の墓碑に書かれたセンテンスを捩って言えば、「されど作品を制作するのはいつも他人ばかり」("D’ailleurs, c’est toujours les autres qui le font.")こそが、「マルセル・デュシャン」という「キャラクター」の最大の意味であり、且つ20世紀の美術が到達した「認識論的断絶」(「心象」→「構造」)の前にあっては、多かれ少なかれ「現代美術」の「アーティスト」にとって「作品を制作するのはいつも他人ばかり」が己が存在の「条件」なのだ。その結果として「喪失」に対する「悲嘆」の属人的「所有」性に与しない事が、デュシャン、及び彼に「続く」者にとっては最低限の「倫理」として共有されなくてはならない。

「自分にしか作れないもの」を作るのではなく、「自分」と「他者」の「共有」空間にこそ己の「制作」の軸足を置く事が「現代美術」の「アーティスト」に求められるのであれば、「作品」の「喪失」に対しては、常に「所有」概念に陥る事無く「構造」としての「共有」的立場を崩さないというのが「現代美術」の「職業」上の「要請」なのである。

最終的に「自分にしか作れないもの」ではない「作品」──そこに記された「サイン」は、常に「アーティスト」とその「外部」の関係に於ける中間領域に存在している事を意味している──との「今生の別れ」に際して何処までも「シレッ」とする事。これが20世紀以降の「アーティスト」という「キャラクター」に求められるものだ。そこでは「ずいぶん悲しがっていた」という「属人」的「エモ」属性は、仮にそれが「あった」としても「出して」はならないのである。

「現代美術」という思想体系に、曲がりなりにも己を位置させようとする「アーティスト」ならば、自作との「今生の別れ」──それは自作の自らの手による破壊を含む──に対し、「喜怒哀楽」などというものを極力遠ざけなければならない。「喜怒哀楽」こそが「アート」の基底にある──「怒」は時に例外──という「通俗」的了解に、徹頭徹尾「抗って」きたからこその「アーティスト」の現在ではないのか。そもそも「アーティスト」になった時点で、そうした「心理」や「通俗」の牢獄から抜けよう、「アーティスト」なるものは単に社会的変数に於ける一つの「ノード」でしかないと思ったからこそ、そこに「アーティスト」という「ノード名」で居続けているのではないか。

「通俗」というのは何処から何処までもが「人間」的属性である。その「通俗」から逃れられる方法の一つは、やはり「猫になる」事しか無いのかもしれない。何故ならば猫は、凡そ「通俗」というものを全く理解しない、「通俗」の全き外部にあるものだからだ。