
京都の大原にある「AIR大原」を7ヶ月ぶりに訪れた。前回最後の訪問は昨年(2025年)の11月9日。「大村益三(おおむら・ねこ)」として参加した「カムバック!紅葉祭 同時開催展」(会期:11月8日〜11月9日。企画:長谷川新。以下「同時開催展」)の2日目(最終日)だった。



2026年6月20日から8月9日(長崎原爆投下の日!)まで、「AIR大原」では、その「同時開催展」に「予告絵」を出していた中井輪の個展「庶民列伝」(注1)が開催されている。同展のフライヤーに採用されている画像は「同時開催展」の1日目のショットである(注2)。今回は「庶民列伝」展の初日(2026年6月20日)に大原入りした。「同時開催展」の最終日の大原は雨。そしてこの「庶民列伝」展の初日も雨だった。


(注1)会期:2026年6月20日(土)〜8月9日(日)。川端五条の半兵衛麩ビル・ホール Keiryu でも、同じ会期で中井の個展「Rin Nakai 20 JUN - 9 AUG」が開催されている。
(注2)「同時開催展」2日目は雨になり、展示作品が雨に当たる懸念があった為に、初日とは別の場所(母屋二階の一室)に移された。
同展フライヤーには、キュレーターの長谷川新の文章が書かれている。引く。
小説家の深沢七郎(1914-1987)は、短編集『庶民烈伝』のなかで、ひとりのおばあさんについて書いています。広島の原爆によって家族を殺され、失明し、独居老人・障害者となった彼女は、それでも頑なに生活保護を受給せず、補償運動にも参加せず、「手が動く限りは」と按摩で生計を立てています。彼女は、被爆の瞬間に見た閃光を「七色に輝く雲」と呼び、そのなかに神様がいたと信じています。光を浴びたことによって、おばあさんは眼球を焼かれ視力を失うわけですが、にもかかわらず、彼女はそれを自身が変化した契機であるとし、その実感を強く握りしめて生きています。このおばあさんを「悲惨」で「不幸」であるとし、「支援対象」でしかないとみなす眼差しこそが貧困なのであり、中井輪は、こうした「庶民」の生の強さと尊厳に深い衝撃を受けたといいます。大量殺戮兵器と映画の光学的経験を安易に結びつけることは慎まねばなりませんが、それでも、このような生がありうるのだということを、中井は制作と展覧会をとおして、考え抜こうとしています。
中井の油彩画は、映像記録と不可分であり、習慣として固定化される手前の人間の身振りに着目するところから始まります。近作では、自身の父の姿を記録する試みや、友人たちに特定の設定や状況、脚本を与えて演じてもらうなど、演出を介したアプローチを行ってきました。現在はとりわけ、ささやかな映画の自主上映会を定期開催し、映画を鑑賞する人々の姿を撮影・再構成し、油彩画へと昇華する試みを続けています。
スマートフォンで動画が矢継ぎ早に消費され、絶え間ない自己主張が求められる現代において、ひとつの映画に夢中になっている人の身体は特異な存在感を放ちます。鑑賞者たちは各々の姿勢で光を受けとめようとし、スクリーンの光に釘付けになり、照らしかえされ、いわばすべてが光であるような世界へと溶け出していきます。その姿勢は、真剣な眼差しを向けているように見えて、どこか退屈さや疲労を孕み、力の置きどころに迷い、重心を傾かせてぎこちなく硬(こわば)っています。中井はそのような受動的で、緩慢で、光のゼロ度にまで収束しているかのような身体をじっと観察し、次のように書いたことがあります。ーーしかしそれでも観客は、疲れることと光を受けとめることのあいだで、後者を選び続ける。
本展会期中には野外上映会やワークショップも開催予定です。また、半兵衛麸ビル2F(京阪五条駅下車すぐ)においても、KYOTO INTERCHANGE主催で中井輪の個展「Rin Nakai 20 JUN - 9 AUG」が同時開催されます。あわせてご高覧いただけますと幸いです。
深沢七郎の「庶民烈伝」三「安芸のやぐも唄」から一部を引く。
「ひょっと」
おタミは自分の姿に気がついた。義理だとか、恩だとか言っていた息子の茂雄とは全然、違っている自分に気がついたのである。息子も娘だちもいなくなったし、孫だちもいないが、ただ1ツ、おタミはかたく抱いているものがあったのである。あの七色の雲が現れたときから、ただ1人で生きていくことしかないのである。死んでいくことも怖れないが、1人だけで生きていくことも怖れない。なにも怖れない自分のちからをかたく抱いているのである。
「あの雲は」
とおタミのめくら(原文ママ)の眼はあのとき天に現れた七色の雲を思い浮かべた。1人でなにも怖れなく生きていくのを知ったのはあの雲の現れたときからである。
「あの雲ン中には」
とおタミのめくらの眼には赤い、黄色い、青い、紫の巨大な虹の入道雲が映っていた。
(あの雲ン中には神様が)
とおタミは思った。手は客の肩をもんでいた。耳は街の行進の騒ぎを聞いていた。瞼には巨大な七色の雲が映っていた。雲の中には1人で生きることを教えてくれた不動明王のような神が住んでいるのだと気がついた。「庶民烈伝」深沢七郎:中公文庫 p.127-128
この「おタミ」(「庶民」)の「境地」は、殆どの家族/係累を広島の原爆で失い、社会的コードに縛られなくなった事による「本来」的な自己の魂の解放というべきものだろうか。ここに付箋1。
そして中公文庫の深沢七郎「庶民烈伝」のカバーに書かれた「周囲を気遣って本音を言わずにいる」のところに付箋2。
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【枕:レジデンス】
戦争が終わりに近づく頃には、アメリカのB29という爆撃機が編隊を組んで大原の上空を飛び去っていきました。その度に私たちは授業や作業を中止して待避しました。農作業の時間も多く夏休みも五日ほどしかありませんでした。
「大原校の歴史」京都大原学院
https://ohara-gakuin.jpn.org/ohara/gakkou/rekisi/rekisi.htm
中井輪の2つの個展が開かれている京都は、最初の原爆投下の有力候補地(注3)の一つであったものの、最終的にそれから外れた事でも知られている。2023年公開の映画「オッペンハイマー」(監督:クリストファー・ノーラン)の1945年の暫定委員会(Interim Committee)のシーンで、ジェームズ・レマー演ずる陸軍長官のヘンリー・スティムソンが ”I've taken Kyoto off the list due to its cultural significance to the Japanese people. Also, my wife and I honeymooned there.It's a magnificent city."(「私がリストから京都を外した。日本人にとって文化的意義が大きい。実は新婚旅行で京都に行った。本当にすばらしい街だ。」:配信版日本語吹き替え書き起こし。以下同)と語っているが、この台詞は後の「神話」に基づいた映画人による創作である(注4)。
(注3)1発目の原爆投下地の候補は、最終段階で京都、広島、新潟に絞られた結果、広島が選ばれる事になる。2発目の予定地は軍需工場の多い小倉だったが、決行日当日の天候を見た「現場判断」で長崎に変更される。
(注4)"Henry Stimson didn’t go to Kyoto on his honeymoon” : Restricted Data / A Nuclear History Blog : Alex Wellerstein
https://blog.nuclearsecrecy.com/2023/07/24/henry-stimson-didnt-go-to-kyoto-on-his-honeymoon/
中井輪「庶民烈伝」展が開かれている「AIR大原」(注5)のある大原は、「満州事変」から始まる所謂「十五年戦争」の末期には、京都市内の小学校の疎開先の一つだった。大原(当時は京都市ではなく京都府愛宕郡大原村。1949年4月1日に京都市に編入)に疎開してきたのは、「京都市立西院国民学校」(現「京都市立西院小学校」)の3年生以上の児童148名、教員9名。彼等の分宿先は、天理教若狭分会、阿弥陀寺、遮那院、正円寺、宝勝院であり、その学童達が通学したのは現在の「京都大原学院」(小中一貫校。当時は「大原国民学校」)である(注6)。これらのいずれもが「AIR大原」の周辺にある。



(注5)言うまでもないが、「AIR大原」の「AIR」は「アーティスト・イン・レジデンス」の略である。先頃発売された「美術手帖」2026年7月号の特集は「21世紀の現代アート事典」だった。同特集は大きく7つのパートで構成され、その内のパート5が「オルタナティブはどこにある?」である。
複数の執筆者が持ち寄った文章で構成されたこのパートを纏めるのは、岩田智哉と今回の2つの中井輪個展のキュレーターの長谷川新だ。その「オルタナティブはどこにある?」の項目の一つに(当然の事ながら)「アート・イン・レジデンス」がある。書き手は小田井真美。「辞書引き」的にそれを引いてみる。
アート・イン・レジデンス(以下、AIR)は、アーティストの創造的活動の発展や継続を支える仕組みであり基盤でありネットワークである。『アーティストの一時的な滞在とその活動を受け入れる個人や団体』と『一時的にある場所・地域に滞在し活動するアーティスト』でAIRは成立する。(…)近年増加傾向のアーティストを含む多様な事業者の活動や経費負担型AIRは、創造的活動の研鑽と同時に、地域内プレーヤーの連帯やケアの性質を帯びる。それらはコミュニティの自律性を醸成しながら、各地に存在し、互いに繋がりあっている。
蛇足ではあるが、筆者もこの「オルタナティブはどこにある?」パート内の、「見えづらさ/残りづらさ」(中本憲利執筆)中で言及されていたりする(PR)。

(注6)「京都市学校歴史博物館」サイト「戦争に伴う学童疎開の記録」右京区
https://www.edu.city.kyoto.jp/rekihaku/about/sokai/ukyou.html
京都市の学童疎開が始まったのは、1945年1月16日に現在の京都女子大学近傍の馬町にB29から20発の250ポンド爆弾が投下(死者34人、負傷者56人:京都府記録)された事により、その必要性がにわかに高まったからだ。その後、現右京区西院春日町(同年3月19日)、太秦(同年4月16日)、京都御所(同年5月11日。銃撃)、西陣(同年6月26日)が空襲に遭う。「西院国民学校」の疎開が始まったのは同年3月25日からであり、それは同校所在地でもある「西院春日町」が爆撃(午前7時半頃。人的被害無しとされる)されてから約1週間後の事である。その後西院小学童の大原「レジデンス」は敗戦から2ヶ月後の10月17日まで7か月程続く。
仮に原爆投下地のリストから京都が除外されずにいたとしたら、大原はどうなっていた事だろうか。広島と同じ地上600メートルで「リトルボーイ」が炸裂していたとして、投下予定地だった梅小路機関区転車台(標高27メートル)との間に大原界隈で最も高い山の一つである瓢箪崩山(標高532メートル)を挟んでいても尚、それの放つ「光」は「爆心地」から約17キロ離れた大原の学童(存命であれば現在80代から90代)にまで届いた事だろう。そして児童達は「光」の方向に上る「突然現れた大きい入道雲」(注7)を、瓢箪崩山越しに目撃する。
(注7)深沢七郎「『庶民列伝』その三『安芸のやぐも唄』」。
ニューメキシコ州ソコロで行われた世界最初の核実験のコードネームは、J・ロバート・オッペンハイマーが命名した ”Trinity"(「三位一体」)であり、それは「神様」──「庶民烈伝」の「おタミ」のそれとは全く違うだろうが──の領域をも暗示させるものだ。同映画の暫定委員会のシーンでは、「原爆」の「威力」についてキリアン・マーフィー演ずるオッペンハイマーにこの様に語らせている。”Yes, but don't underestimate the psychological impact of an atomic explosion. (...). Dropped from a barely noticed B-29, the atomic bomb will be terrible revelation of divine power."(「ええ、ですが、原爆の爆発による心理的な影響は非常に大きいと思われます。(中略)B-29から密かに投下される原子爆弾は、神のようなすさまじい力の出現と取られる。」)。”the psychological impact" に付箋3。
一方でオッペンハイマーが、後にキャサリン・“キティ”・オッペンハイマーになる女性に「量子力学」を説明する場面では、”our bodies, all of it. It's mostly empty space. Groupings of tiny energy waves bound together."(「僕たちの体も、すべてはほぼ空っぽ。小さなエネルギーの波の束だ。」)と語る。それを上掲ステートメント中の「すべてが光であるような世界」とペアで付箋4。
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【AIR大原】
今回の中井輪の個展は「AIR大原」と「半兵衛麩ホールKeiryu」という2つの会場での「同時開催」だ。或る意味でそれらの空間は対称的な性格を持つ(注8)。その「両極」なスペースで一人の作家の個展が同時に行われる事。それが今回の「中井輪」展全体の「核心」の一つである様な気がする。更にどちらを先に見るかで、その印象は大きく異なるという気もする。しかしその「両極」の中間に位置するのは「作品」という「物理」であり、それが「両極」に見えているものをパタパタと開けたり閉めたりする一つの蝶番──その「開け閉め」によって「両極」は不確実化する──になるとも想像する。結局のところ、どちらから入ろうとも、最終的に行き着く先は同じという事にはなるのだろうが、それでも体験の「順番」というものを殊更に軽視してはならないとも思う。
(注8)その一つの現われが、会場内の作品の布置や作品のデータを示す「会場マップ」にも現れている。「AIR大原」のそれと「半兵衛麩ホールKeiryu」の最大の相違点の一つは、後者には前者には無い「作品価格」が記されているところにある。


筆者の選択は「AIR大原」を先に見るというものだった。元々が民宿「三千院道」だった「AIR大原」は、基本的に襖と畳で構成された日本家屋である。それは即ち、所謂「油彩画」にとって「アウェー」な空間である事を意味する(注9)。こうした場所──「美術」の「圏外」(注10)──でこそ、キュレーションの妙味を見せてくれるのが、この「街のキュレーター屋」の「得意」とするところだと思っていたりするから、相対的に「ホワイト・キューブ」(注11)である「半兵衛麩ホールKeiryu」の展示よりも、そちらを先に見ておきたかったからという理由が大きい。
(注9)日本の近世と近代の境目に位置し、そのポジションを限りなく自覚していた高橋由一が、自らの「油彩画」に施した様々な工夫は、「近代以前」の日本家屋への自作のフィッティングを模索したものだ。
(注10)現実問題として、「AIR大原」の建物は「借用」しているものである為に、その「原状」保全が求められる。従って「美術」の100%思い通りにはならない場所だ。ほぼほぼそこは、展覧会場として「二条城」(例)の様な性格を持つ場所であり、基本的に壁や柱に釘を打ったり、襖を含む壁に大穴を開けたり、そこに直描きをしたり、床を剥がしたりは出来ない。長谷川新が自称する「街のキュレーター屋」の「街」とは、「美術」の「圏外」をも含むものの意があると当方は解している。
(注11)ここでの「ホワイト・キューブ」は「美術」を展示するのに最適化された壁面──それが白かろうが黒かろうが打放しコンクリートであろうが──を持つ、「美術」主導で整備された空間という意味でのそれである。

京都市営地下鉄「国際会館」駅から京都バス19系統の人になり、「野村別れ(里の駅大原)」で降車して「AIR大原」へと向かう。バス停近辺の「飛び出しくん」には「首」や「手」がもがれているものがある。


以上2点は晴天の別日(2026年6月28日)に撮影
これらは学童の代わりに交通事故に遭った「身代わり地蔵」という事なのだろうか。されどその「首」は元に戻される事はなく「手」は地面に落ちたまま晒され/放置されている。
「大原名物」とされる「しば漬け」に使用される事の無かった赤紫蘇(注12)の葉が散乱する建物を過ぎる。
(注12)大原の「しば漬け」に使用される赤紫蘇は、発色や香りの鮮やかな「ペリルアルデヒド型」と呼ばれる品種に限定されていて、徹底した自家採種と交雑防止の管理が行われている。

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宿は不穏だ。
宿は、家を離れてはいるものの、目的地に到着している訳でもなく、常に「途中」に存在するリミナル(liminal:閾・境界)な空間であり、日常ではない一方で新しい秩序にも属していないが故に、秩序が一時停止した状態を好むホラー作品の多くの舞台になってきた。
宿は家の機能を模倣するが、しかしそこは誰の家でもなく、他人が昨日まで使用し、明日には別人がそこに寝泊まりする匿名的な空間である。そこには、前の宿泊客の「記憶」或いは「死」すらも見えない形で堆積している。誰が来ても良いが、誰が消えても良い場所。まさにホラー好みのする「非-場所」(”Non-lieu”:マルク・オジェ)。それが家(身近な存在/場所:ハイム ”heim")の反転である「不気味なもの」(ウンハイムリッヒ ”unheimlich":ジークムント・フロイト)としての宿だ。親しみやすく慣れ親しんだ筈のハイムリッヒ(heimlich)の擬態の中で、抑圧された無意識が顔を出し、恐怖や違和感を覚えるホラーの宿。果たしてこの「AIR大原」の建物はベイツ・モーテル(「サイコ」:アルフレッド・ヒッチコック)なのか、オーバールック・ホテル(「シャイニング」:スタンリー・キューブリック)なのか。

「宿」(過去完了形も含め)を展覧会の場所にするというのは、或る意味で極めて「真っ当」な方法論とも言える。展覧会は作品が最終的に落ち着く場所ではなく、その目的地である他所──美術館収蔵なのか、コレクター収蔵なのか、或いは元あった場所に帰るのか──へ行くまでのリミナルな場所だ。展覧会の度に、ベッドメイクによってピンと張られたシーツの様にスペースは整えられ、「あなたの居場所ですよ」と作家とその作品を迎えてくれるのだが、「会期」が終わればその痕跡は消去されて、新たなシーツと取り替えられる。
言わば時限性としての展覧会に「展示」されている作品もまた、時限性であるところの「投宿」(レジデンス)の状態にある。そこが「ギャラリー」であれ何であれ、「閾・境界」(リミナル)としての展覧会の場所は、「宿」の様な「非-場所」であるが故に、その場所を通過する過去と未来の作品(「旅行者」)達の「記憶」(或いは「死」)の間に、常に既に挟まれている。
ーー
玄関の引き戸を開けて中に入ると、三和土の先は旅館お約束の上がり框である。框の手前の式台に、幾度となく他人が足を通してきたスリッパが複数列で置かれているところも、民宿時代を彷彿とさせるものだ。

通常の旅館では、大荷物を持つ人間の動線確保上、そこが狭いロビーであれば余りごちゃごちゃと物を置かないものだが、宿泊施設としての用を最優先のものとしない「AIR大原」では一転「応接」の場と化している。左右にソファー(右のソファはトイレのドアを塞いでいる)。その奥に左右両側に繋がる開口部と昇降の為の階段。不穏。何処かで見た風景が頭を過ぎる。

幻視の赤い洪水のエレベータードアの場所に、中井輪の金沢美術工芸大学大学院修了制作の「モデル」(2023年)が見えている。


「大原女の写真額」(注13)や「いわさきちひろの複製画」(注14)といったこの館の先住者達の間を抜けて、その絵へと近付いて行く。それは壁面に掛けられた形でインストールされているのではなく、民宿時代の玄関帳場(注15)の受付台の上に置かれ、帳場の開口部を隠す形で立て掛けられた状態にある(注16)。即ちそれは「投宿」的な時限性を隠さない形でそこに存在している。



(注13)平安末期以来の「柴・薪」の行商人である「大原女」の装束は、時代と共に変化している。現在広く知られているこの「大原女」の装束は、彼女等が徒歩で売り歩く──その販売エリアの南端は八条通付近までであり、「半兵衛麩ホールKeiryu」の辺りは彼女等の嘗ての行商(徒歩)圏内にある──「柴・薪」の需要が、近代に入っての産業変化に伴う燃料販売店の増加、海運等の発達による仕入先の変化、電気・ガス(プロパン含む)が普及した等の理由で落ち込んだ頃にフィックスされた「観光」的な「様式」である。因みに大原の南の集落である八瀬もまた「柴・薪」行商人の里だった。
需要激減の「柴・薪」に代わる大原の産業として、他でもないその需要低下をもたらした日本の「産業革命」(産業構造の変化)がもたらした「庶民」の食生活向上(日常的に白米が食卓に上がる)に合わせた形で、「香の物」(白米の伴)である「紫葉漬け」の製造・販売が取って代わられる。
(注14)「つば広帽子の少女」。原画は1970年頃。
(注15)「旅館業法施行令」の第一条第二項に於いて、一定の規模を持つ宿泊施設には玄関帳場の設置が義務付けられていて、その受付台は幅1メートル以上、壁までの奥行30センチ以上と定められている。
旅館業法施行令
https://laws.e-gov.go.jp/law/332CO0000000152/
(注16)これは実際には「釘をなるべくこの建物に打ちたくない」という「借り手」としての現実的な事情によるものではある。
画中の物語としては、横長の画像を収めようとするカメラが三脚に据えられていて、そのレンズは左の人物の顔に向いているかに見える。それがこの絵の中の「モデル」という事だろうか。であれば、このカメラで収められた画像を「作品」として発表し、その結果他者を表象する権利を持つ「作者」として認知されるのはこの右側の人物なのだろうか。しかし「モデル」も「作者」も、恐らく「作者」の側に位置する「スタッフ」然とした中央の人物も、この絵に於いては全て「見られる者」としての「モデル」だ。「モデル」の多重性。そしてここで最上位の「見る者」としてあるのは、この3名を写真に撮り、それを作品化(油彩画化)する画家である。
「モデル」の右方向の壁には3点の「小品」(いずれも2022年)が見える。


アントナン・アルトーが出演している事でも知られる、ジャンヌ・ダルクの「異端審問」を取り上げた1928年のフランス映画「裁かるるジャンヌ」(監督:カール・テオドア・ドライヤー)(注17)の投影を、講義机が並べられた部屋で見ている観客は、スクリーン一杯に映されたジャンヌ・ダルク(演:ルネ・ファルコネッティ)よりも希薄な「幽霊」("Phantom")(注18)の様な存在の様にも見える。ここでの中井は、その早描きの技術を遺憾無く発揮し、画中の全てが何らかのエネルギーの粗密である/でしかない(付箋4に飛ぶ)様な画面を作り出す。こちらの3点は壁に掛けられていて、それは一般的な作品展示の方法論として直ちに「異端」ではない。
(注17)「裁かるるジャンヌ」(”La Passion de Jeanne d'Arc")
(注18)"Phantom"(「幽霊」、「幻影」、「心象」、或いは「映像」、または「見掛け倒し」の意)が、英語圏の数々のものの名前に採用されているというのも興味深い。ロールス・ロイスの最上級リムジンの名に与えられているのがこの「見掛け倒し」("Phantom")であり、ベトナム戦争に於けるアメリカ軍の主力戦闘機マクダネル・ダグラス F-4 の愛称も「見掛け倒し」("Phantom")だ。
因みに「AIR大原」に隣接するサバゲー・フィールド「キャンプ大原」では、ベトナム戦争を「ナム戦」と略す。

中井輪「庶民烈伝」展の直前には、「米帝バーガー」も供されたという「ナム戦イベントOSHINAM2026」というイベントが同所で行われた。そのインフォメーションにある「モブ」という語は、「庶民烈伝」の「庶民」とも重なるものであろうか。
大原の「しば漬け」の「名店」として「土井志ば漬本舗」、「志ば久」と並び称せられる「辻しば漬本舗」は、その「ナム戦」による特需(「ベトナム特需」)が下支えをした「いざなぎ景気」時の1970年の創業である。「名店」の中で一番の「老舗」である「土井志ば漬本舗」は、日清戦争の清からの多額の賠償金による特需で、日本の重工業に於ける近代化が開始された(例:「官営八幡製鐵所」の操業開始)1901年の創業であり、「志ば久」は十五年戦争敗戦の年である1945年創業だ。「しば漬け」が産業として浮上する切っ掛けは、いずれも「戦争」とそれによる「景気浮揚」なのである。
「運動イメージ」と「時間イメージ」("L'image-mouvement", "L'image-temps”)の二巻からなる「シネマ」("Cinéma")で、ジル・ドゥルーズはドライヤーの同映画に見られる ”visage"(「顔」)の "paysage"(風景)化に注目する。それは極端なクローズアップにより、「顔」から社会的機能を剥ぎ取り(注19)、白黒の抽象的な強度の場としての「風景」へと変貌させているというものだ。
(注19)「脱領土化」:"déterritorialisation" :Deleuze = Guattari。付箋1、付箋2に飛ぶ。



この3点の中央にある「シアターⅠ」では、観客がスクリーンに極端に近づき、「風景」としての「顔」を間近に観察する姿が描かれている。そして早描きのラフなストロークで描かれる事で、「堅固」/「充実」が画面から消え去ってしまったこの「シアター」三部作では、純粋なエネルギー強度のマッピングとしての「風景」が、恰もジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーの「雨、蒸気、速度──グレート・ウェスタン鉄道」(例)の様に出現する。

左側の「シアターIII」では、その茫漠としたエネルギーの負圧の中に、こちらを見る視線が感じられる。投影されたジャンヌ・ダルクの「首」もこちらを見ている。不穏。
それから再度「モデル」の方向へと相対し、玄関帳場カウンター下のキャビネットの中を確かめてみる。ここに「蒐集」されているものは、「AIR大原」の建物のオーナー(サバゲー・フィールド「キャンプ大原」のそれでもある)の私物がメインであり、一部はキュレーターやアーティストが持ち込んだものの「コラボレーション」だ。
オーナーのものとしては、「アンダーワールド」の「パールズ・ガール」LP、「ジャニス・ジョプリン」のベストアルバムLP、楠みちはる「シャコタン☆ブギ」、えんどコイチ「死神くん」、魔夜峰央「パタリロ!」、さいとう・たかを「サバイバル」、岩明均「骨の音」、かわぐちかいじ「ジパング」、吉田終生「YASHA」、弘兼憲史「取締役 島耕作」(注20)。

(注20)膨大な私物(多くは埃を被った/しかし捨てられてはいない「記憶」)の中から「キュレーター」側による選定済。一人の人物のこれらの私物に見られる振幅の大きさを以て、オーナーの「人となり」といったものを単純な形で固定化する事は可能だろうか。
そこに「美術」関係者(こちらは複数者)が集めただろう、「美術手帖」2026年7月号「21世紀の現代アート事典」、植草甚一「植草甚一コラージュ日記 東京1976」、中西豊子「女の本屋の物語」、近藤竜男「ニューヨーク現代美術: 1960-1988」、「スローイング・スパゲッティ at 御殿山生涯学習美術センター」図録、新潟市美術館「式場隆三郎:脳室反射鏡」展図録(付箋5)、岩名泰岳図録、近代画説(No.13 - No.16を纏めて製本したもの。美大図書館蔵書)(付箋6)、サントリー「山崎蒸溜所貯蔵梅酒ブレンド スーペリア」、WISS(注21)ラベルのスコッチ・ウイスキー(「WISSky」。インデペンデント・ボトラーによるシークレット・ディスティラリー)の瓶。
(注21)「WISS」は京都府南丹市八木町を活動拠点にする「KISS」のコピーバンド。恵比寿映像祭2023のコミッション・プロジェクトで荒木悠が発表した「仮面の正体(海賊盤)」(コミッション・プロジェクト特別賞)に彼等が「出演」している。
https://www.yebizo.com/2023/jp/program/1676

その「WISSky」の上、「パタリロ!」の左に、中井輪の一部限定冊子作品「Super Shy」(2024年)がある。聞いたところでは「『変』なポーズ集」との事だ。パラパラと捲る。それは「『変』なポーズ集」というよりは、「『変』とされるポーズ集」なのかもしれないと思った。「『変』であるもの」と「『変』でないもの」との境界は、実は曖昧だったりするし、それらは反転しもする(注22)。
(注22)例えばASD(自閉スペクトラム症)の人の感覚世界は、「健常」とされる者の感覚世界とは異なる。彼等には「異常」と感じられてしまう世界を、「健常」な人間は「正常」な環境として受け入れている。当人の持つ「能力」の如何によっては、「健常」の「正常」は耐え難い「異常」に感じられるものでしかない。https://distance.media/article/20230620000028/
そして左側の「大広間」からも不穏な視線がこちらに向けられている。



オイルライターの火を翳した役所広司がそれだ。この役所広司は、1997年公開の黒沢清の「ホラー映画」、「CURE」(注23)中のそれである。役所が演じる刑事の高部賢一が、隔離施設の独房に監禁された萩原聖人演じる連続殺人事件の重要参考人・間宮邦彦と「対決」する場面だ。画中画内の高部の顔は、映画内で座っていた高さとほぼ同じであり、画中の観客はベッドに座る間宮の位置にいる。
(注23)同映画タイトルの「CURE」は、当初は「伝道師」となる予定だった。その公開は「ポア」(治療/救済)でも知られる「教団」によって引き起こされた「地下鉄サリン事件」の2年後である。
高部:どうした?ライターがないと喋れないのか。ほら。
間宮:すごいよあんた。
催眠術によって操る者と操られる者の形勢逆転の様に見えるこのシーン。しかしそこで実際に行われたのは、間宮から高部への「伝道師」(殺人教唆者)の引き継ぎだった。ライターの火は他者をして殺人の実行へと誘導する催眠術に於ける「凝視誘導」トリガーの一つ。しかしこの場面では、間宮は別のトリガーである水(雨漏り)を使用する事で、高部を「伝道師」へと変貌させる。「善良」な人間が殺人を犯す事で、社会化された「善良」に隠された「本来」的な自己の魂を解放させる(付箋1、付箋2に接続)「治療」/「救済」(cure / poa)の連鎖の中に、間宮に「すごい」とその「才能」を認められた高部もまた放り込まれる。
間宮:その水があんたを楽にする。気持ちいい。空っぽだ。生まれ変われ。俺みたいに。
後に殺人者となる内科医・宮島明子(洞口依子)との会話のシーンでは、間宮はこういう事を言っている。
間宮:前は俺の中にあったものは、今、全部外にある。だから先生の中にあるものが俺には見えるんだよね。その代わり俺自身は空っぽになった。
共に付箋4へ接続。
催眠導入の光を翳した役所広司を映した四角い光圧が、5人の観客を照射している光景を描いた「上映Ⅰ」(2025年)。実際の映画「CURE」のこのシーンの瞬間、これらの「観客」の様な反応やポーズをするという事は「珍しい」と言えば「珍しい」。光の照射によって硬直した身体をより硬直させているといった風にも、或いはポーズ人形(木偶)にポーズを取らせ、それを配置したかの様にも見える。
付箋5の式場隆三郎が、昭和12年に刊行した「絶對安眠法」の「不眠症の理學的療法」章に「映畫催眠法」という項目がある。
映畫催眠法
音樂が眠りを誘ふことは、誰でも知つてゐる。ところが、映畫の與へる强ひ視覺作用と、トーキー應用による聽覺作用を併せて、治療に役立てようとする試みがソヴエトで行はれた。
この研究は五ヶ年前からモスクワのスハレブスキイ敎授(注24)によつて進められ、最初に完成させたのは「催眠療法」と題したものである。映寫幕によつて觀客に催眠術をかけて、ねむらせようとする方法である。映畫は三卷からなり、第一卷は酒精(アルコール)中毒の家庭、社會、產業などに及ぼす害毒の解剖であり、第二卷は醫者がアルコール中毒患者に催眠術をかけてゐる光景で、これによつて觀者を催眠術の豫備狀態にひきいれ、第三卷では映寫幕上の醫者が観者全体に、直接催眠術を施すことになる。勿論トーキーで、音樂と言葉を巧みに使ふもので、視覺と聽覺の刺戟によって催眠術をかけるわけである。式場隆三郎「絶対安眠法」中央公論社
https://dl.ndl.go.jp/pid/1047560
(注24)
全ての悩み事を頭から追い払い、私を見てください。
音楽と、ゴングの柔らかな音が聞こえてきます。
気分は良くなり心が落ち着いてきます。リラックスしています。
周囲のことは一切気になりません。ラザール・マルコヴィチ・スハレブスキー『精神医学および神経病理学におけるパソキノグラフィー』(1936年)
ソ連のこうした試みは結局頓挫するものの、映画というメディアは、もとよりセルゲイ・エイゼンシュテインが興味を持ち続けていた様に「催眠」的である。付箋3に接続。
同時にこの中井輪の絵に描かれた「CURE」の役所広司は鏡像である。それは役所が「利き手」ではないだろう「左手」でライターを持っている事からも明らかだ。

では画家は実際に鏡を使ってこの絵を描いたのだろうか。しかしそうではあるまい。キャビネットの中にあった付箋6の「近代画説」14(「特集:明治回顧」2005年)の巻頭エッセイ、森田恒之の「右前自画像の消滅 ー 写真を見て描くことはいつから悪になったのかー」が、それを「解く鍵」の一つになる。Photoshop による客観の反転。それを見て描くことは「悪」なのか。そして「鏡」もまた、ホラー作品で重宝される装置であり、それは「場所」を占めない、「こちらの世界」と「あちらの世界」の「境界」(リミナル)である(注25)。
(注25)映画「CURE」で殺人が行われる場所の多くは、「公」と「私」の境界上にある。「ホテル」、「交番」、「公衆トイレ」、「病院」、「ファミレス」。小学校教師と精神科医の「自宅」を別にして、「恐怖」はそうした境界上の場所で行われる方がより強くなる。


「上映Ⅰ」の斜向かいに、「みつむらクリーニング小松駅前店」に併設のコインランドリーの店内で円陣を組む「コインランドリー」(2023年)がある。この季節には使用される事のないストーブの上にそれはインストールされている。この絵のすぐ右には作品を掛けられそうな壁があるものの、その壁は「二条城」のそれである。作品の左右に立て掛けられた茶色く着色された木材は、そうした場所でキャンバスを壁掛けする為の「補助具」(注26)なのだが、結局それはここでは使われる事はなく、使用されなかったものとして、「コインランドリー」に寄り添う形になっている。
(注26)それは例えば2025年に二条城で行われた「アンゼルム・キーファー:ソラリス」展で、彼の巨大絵画を展示する際に使用された特製のステンレス・フレームの様なものである。

この作品は、先程の冊子「Super Shy」にも掲載されている「写真」の写しだ。ここでも付箋6の「近代画説」の「右前自画像の消滅 ー 写真を見て描くことはいつから悪になったのかー」に接続する。

大広間の入口入って左奥に「上映Ⅰ」と同じ「画中画」構造を持つ「ドアガラス」(2025年)がある。絵の一番奥のレイヤーが「裁かるるジャンヌ」を描いた「シアターⅡ」。こちらは「画中画中画」だ。リミナルのレイヤーがより「ミラーハウス」の様に多重化している。


この日は「ドアガラス」斜め上の天井の黒カビが生えた箇所から雨漏りがしていた。赤い桶(注27)はそれを受け止める為のものだ。桶の中にポタポタと雨が滴り落ちている。
(注27)赤い桶では受け止めきれないとなったのか、後にそれはより大きな黄色い桶に置き換えられている。

先述した様に「CURE」の中で滴り落ちる「水」というのは催眠術の導入メソッドだ。先程の「上映Ⅰ」のライターの火、そしてこの現実の雨漏りで発生する連続音。既に何処かで「行かねばならない」という暗示を掛けられて展覧会を見に来た観客は、ここでそれらのトリガーで深い催眠に掛けられるのだろうか。展覧会という催眠術、或いは催眠術としての展覧会。「見なければならないもの」として現れるもの。「しかしそれでも観客は、疲れることと光を受けとめることのあいだで、後者を選び続ける」のである。



「ドアガラス」の対面、大広間の入口入って右奥の、ベニヤ板の灰汁が染み出してしまった仮壁上に「観客Q」(2026年)がある。ステートメントに書かれている「受動的で、緩慢で、光のゼロ度にまで収束しているかのような身体」の「顔」がそこにあるとも言えるが、或る意味でそれは「催眠」の技術でもある「映画」を見てしまった者の表情でもある。これは「CURE」の役所広司を始め、戸田昌宏の小学校教師、でんでんの交番勤務の警官、洞口依子の内科医、うじきつよしの精神科医、中山俊の若い刑事らが催眠術(治療)に掛けられた後に見せる表情の様にも見える。
更にその感を強くさせるのは、それが「胴体」から切り離されている「首絵」(仮)(注28)であるところにある。今日、商品としての「油彩画」を求める需要の最大ボリュームの一つと言えば「肖像画」の市場(注29)だ。自らが「写真」化される事では飽き足りず、画家を雇用していた嘗ての王族の様な気分を、金色に額装された「油彩画」という「形式」(注30)で味わいたい客層というものが確かに存在する。その「肖像画」の現在の日本での「頂点」とも言えるのは、永田町の自民党本部8階ホールに掲げられた歴代自民党総裁を描いたそれ(注31)だろう。
(注28)中井輪の「首絵」は、所謂 ”headshot" や ”bust”、或いは浮世絵の「大首絵」や「大顔絵」よりも、遥かに「首」の「絵」である。
(注29)例:https://w-elegance.o.oo7.jp/newpage3.html
(注30)それは技法的な「形式」である以上に、自らが他人を使役し労働させる(描かせる)事で、自らの姿を「永遠」化出来る存在である事をアピールする社会的な「形式」なのである。「肖像画」は社会階級的な労働の物神としても顕現する。
(注31)その歴代総裁の「肖像」を描いた油彩画に見守られる形で「自民党総裁選挙」が行われる。
https://takumima21.sakura.ne.jp/portrait.html
しかし試しに、その「自民党総裁」の「肖像画」の一つでも、この中井輪の「首絵」同様に「首」のみにトリミングしてしまったらどうだろう。ほぼほぼ原寸大の歴代「自民党総裁」の「首」のみが並ぶ自民党ホール。そこで明らかになるのは、多くが「トーキング・ヘッド」から「アッパー・ボディ」で描かれる「肖像画」は、「首」と衣服やポーズで社会性を表す「胴」がペアになって初めて成立する「形式」であるという事だ。或いは社会性というのは「司令」を与える「脳」が収まる「首」と、その「司令」を受け取る「胴」が「繋がった」状態でのみ成立可能なものなのである。従って「首絵」は「首」と「胴」が切り離された「死体」の絵に限りなく漸近する。

そしてまたこの「観客Q」も付箋6の「近代画説」に接続している。「近代画説」13(「特集:[画塾]と[美術学校]」2004年」)の迫内祐司「戦時下における美術制作資材統制団体について」に記された、戦時中に配給切符無しで自由に購入可能だった限定色の絵具(注32)のみを使って、この絵は描かれているとの事だ(同様の絵具で描かれた作品は「半兵衛麩ホールKeiryu」で展示されているものの中にもある)。この絵を描いている時の画家のパレットの上は、「戦争画」の時代(注33)のそれである。
(注32)2026年もまた「戦時中」である。2026年の「物資不足」はカルビーのポテトチップスやかっぱえびせんやフルグラの袋から「色」を失わせた。現在の日本の塗料メーカーの塗料は、それに加えて「コストプッシュ・インフレ」の中にある。インフレとは「通貨価値の下落」を意味するが、「購買力低下」という形で事実上の「物資不足」(手に入れたくても手に入らない)が起こっているとも言える。
(注33)現在、大原の特産品/土産物として知られる「しば漬け」(紫葉漬け)は、戦時中は物資不足で塩や樽の確保が難しく、また食糧増産の国策の中にあって「贅沢品」「嗜好品」であるそれは生産の制限を受け、自家消費のものだけを細々と生産していた。十五年戦争末期、産業としての「しば漬け」は壊滅の状態にあった。「戦没画家」である靉光は戦時中の物資不足の中「ドロでだって絵が描ける」と言ったとされているが、大原から比叡の山々を挟んだ滋賀の戦時中の新聞(「滋賀新聞」:1945年8月7日。広島原爆投下の翌日)には、「土を食ひませう 如何です? 戦時食生活の徹底版」という記事が載っていた。土を食さねばならないという認識すら生まれる時代に、白米とのペアが最も望まれる「香の物」(しば漬け)でも無い。大原に住む者も、大原に疎開してきた児童も「食う」為の作物(例:さつまいも)を日々「増産」していた。
いずれもが社会的な制約(貸借関係)の中でインストールされた4点の「油彩画」の大広間を出て、ジャンヌ・ダルクの横を奥に入ると、そこに双子の少女の姿は無かったものの、十分なまでに不穏な廊下が姿を表す。


廊下の入口にも「催眠術」に掛けられた「首絵」である「観客N」(2026年)がある(壁に釘で掛けてある)。


その斜め前の半ば「物置」と化した部屋には「ダイニング」(2024年)があった。「相部屋」(=「公」と「私」の「リミナル」)感がするインストール。「立ち入り禁止」とされていてこの部屋には入れない。画中の男女二人の、頭の位置が低い方のみが「エプロン」をしているというところも大いに不穏である。


向かいの客室に、映像作品「鑑賞者ら」(2026年)があるとリストにはあったものの、この日その撮影(「パフォーマンス」)が「半兵衛麩ホールKeiryu」で行われる(ここの訪問から2時間後)為に「カミング・スーン」状態だった。スクリーン下部の左右を、壺と獅子の置物が手持ち無沙汰気味にテンションを掛けている。

その右手前の畳の上に、「置かれた」状態でインストール(注34)されている「観客M」(2026年)。そしてスクリーンと対面する壁にインストールされた「観客L」(2026年)がある。
(注34)他の形のインストールも検討されていたとの事。

「観客M」は手のアップ。それは恰も「デッサン」で用いる、敢えて社会的コードを極力外した──象徴的「意味」を持たない──「手」の石膏像(人体彫刻から切り離された「手」)の様にも見える。

SNSでアイコン化までしている饒舌な「いいね!」(サムズアップ:例)(注35)の対極にそれはあり、手話的なコードで言えばこれはほぼほぼ「無言」だ。そしてこれもまた「首」から切り離された「身体」の一部の様に見えなくもない。「首」から送られる信号から遮断された「手」が、少し前に見た「飛び出しくん」の落ちたそれをも想起させる。
(注35)最近の SNS の「いいね!」はより細分化されていて、例えば Facebook では「いいね!」(Like)、「超いいね!」(Love)、「大切だね」(Care)、「うけるね」(Haha)、「すごいね」(Wow)、「悲しいね」(Sad)、「ひどいね」(Angry)という7パターンが用意されている。投稿への反応者は、この7つばかりの「社会的身振り」のパターンの中に、自分を無理矢理当て嵌める事を日々強いられる。

「観客L」も「催眠」に掛けられた人の「首絵」なのだが、そのインストールに、先程の「コインランドリー」の「脇侍」的な木材が使用されている。その木材を適度な長さに切り、それを日本家屋の「鴨居」/「長押」等に「掛ける」形で「油彩画」を「無理なく」インストールする為の「補助具」として使用している。高橋由一も悪戦苦闘した日本家屋のコードに従った「善良」に基づく「暫定解」なのだが、結果としてこれもまた極めて不穏である。「首」から上へと伸ばされた一本線。それは現実と妄想の「リミナル」を描いた映画「CURE」で、高部が「見た」妻・文江(中川安奈)の縊死死体(首吊り死体:高部の潜在的な願望)の幻影とも重なってしまう。

襖を開けた隣室には、「アパート」(2022年)が「ダイニング」同様「相部屋」状態に置かれている。こちらも手前の半畳以外は「立ち入り禁止」の部屋である。この絵に登場する包丁は、映画「CURE」の有名なラストシーン(包丁を持ったファミレス店員が淡々と上司の「殺害」へと向かう)を想起させたりもする。或いは母親への依存が強過ぎるノーマン・ベイツ(アンソニー・パーキンス)のそれなのか。いずれにせよ、その伝で言えば、包丁を蝶板に相対している二人は、互いにそれぞれ「善良」ではあるのだろう。「善良」と「善良」の間にあるもの。その包丁が、映画「オッペンハイマー」の原子爆弾であっても、或いは十五年戦争時の中国に於ける実戦(中国人殺傷)を半ば即物的に描いた映画「海軍爆撃隊」(1940年:東宝映画)(注36)の爆撃機(注37)であっても、沖縄戦を描いた「ハクソー・リッジ」(2016年)で「善良」の人が所属する軍隊が持つ火炎放射器であってもなのだろうか。
(注36)同映画は現在、「ゴジラの円谷英二が…」的な扱われ方をされるものであり(時に「円谷監督」作品扱いすらされる。この映画での圓谷の肩書は「特殊技術」であり「特技監督 円谷英二」は1955年から)、それは「ゴジラ」(1954年)に始まる一連の「怪獣映画」やテレビの「ウルトラ」シリーズ等の成功から遡行された視点である。円谷英二(圓谷英二)という名前は、戦後のそれらの商業的成功が元になって「神格化」(或いは「作者化」)される。
筆者は1980年代後期から2000年代初めまで、円谷英二の流れを汲む東宝「特撮」映画のパートタイムのモブ・スタッフ(「東宝映像美術」の下請け。当然エンドロールに名前は出ない)でもあったが、80年代頃の砧撮影所にはまだ「天皇」や「国宝」や「神」等と呼ばれる「神格化」された存在がゴロゴロしていた(例:操演、背景画等)。
昭和から平成に掛けて制作に携わった「特撮」映画「ガンヘッド」(1989年公開)の巨大プロップ(高さ6メートル)が収められた第10ステージ(撮影は第8ステージがメイン)の隣には、「黒澤天皇」の「夢」(1989年公開)のオープンスタジオがあった。「黒澤天皇」のジャガーが砧に到着すると空気は一変する。個人の不可侵的「神格化」は時に「伝統化」に繋がり、技術的なプログレスを停滞させもする。終わるべくして終わるものはこうして終わる。「夢」の撮影時にはジョージ・ルーカスやスティーブン・スピルバーグが「黒澤組」の現場を訪れていたが、一方で彼等が乗り越えてしまった「伝統芸能」を伝承する我々の制作現場で、彼等の姿を見た記憶はない。
「夢」も「ガンヘッド」も、その制作時に天皇裕仁の崩御があり、日本社会の一部では「下血」報道から始まる「自粛」の中で、天皇の新たな統治的前景化が起きていたものの、「黒澤天皇」の「夢」も、或る意味で「円谷天皇」の「皇統」の中で制作された「ガンヘッド」も、その制作が止まるという事は無かった。「海軍爆撃隊」の映画制作をドライブしたのは最終的に「天皇」という「機関」だったが、1980年代の後期には映画制作を止め断念させるまでの力は同じ「天皇」(「象徴」)には無かったのである。
(注37)



8月1日に「AIR大原」で行われる「海軍爆撃隊」の「納涼映画会」のメインビジュアル(画:中井輪)に登場する機体は、映画内でその「活躍」が描かれた爆撃機である九六式陸攻(三菱重工・中島飛行機製)ではなく、アメリカの双発旅客機ダグラス DC-3(1936年運用開始)をベースにした零式輸送機(昭和飛行機・中島飛行機製。エンジンは三菱「金星」に換装)である。DC-3は本国アメリカでは軍用輸送機C-47として使用され、当時連合国のアメリカの同盟国であるソ連では、同機はソ連製エンジン(シュベツォフ M-62)に換装され、Li-2という軍用輸送機になっている(その後ソ連及び東側諸国で運用される)。ダグラス・マッカーサーが厚木に降り立った時の機体(「バターン」)は、DC-3の後継機である4発エンジンのダグラス DC-4の軍用輸送機版のC-54Bである。戦前のDC-3と、戦後のDC-4(「自由主義」国の機体。パンナムや日本航空等で使用される)という対照がそこにある。
「海軍爆撃隊」は、「戦い」(「海軍爆撃隊」から「ウルトラファイト」まで)の描写と不可分な形式である「特撮」の「誕生」でもあった。それは「戦い」の描写以外に、事実上「特撮」の出る幕は無いという事でもある。そして同時に「特撮」は「戦い」によって「死んでいく」側から求められる事は無い。
「アパート」の対面の部屋(実質「物置」)に、「首絵」である「観客O」(2026年)がやはり縊死体的に吊るされている。ここも「立ち入り禁止」の「相部屋」であるが、流石にこの部屋に入ろうというのは無理である。


その斜向かいには「父とライチ」(2025年)。フォークに刺したライチを持つ「父の手」が吊るされている。皿とフォークと手とライチによる、半ばインスタレーション的な「構成」がそこにある。


それから洗面所に入り、ロッカーの上に「父と腕」(2025年)。この「腕」が何をしようとしているのかは、その先が「切られて」いて分からない。


そして2つの洗面台を跨ぐ形で立て掛けられた「Y夫妻」(2024年)。


「Y夫妻」のこの「奇妙」なポーズは、「色鉛筆を選んでいる」写真から、色鉛筆を消去したものだという。その結果それぞれの手が宙に浮き、恰もそれはマリオネットの手の様でもある。「手」という「首」同様の「創造」と「支配」の象徴が、その自由意志の根拠を消去される事で「死体」化する。
こうして中井輪「庶民烈伝」展の「最奥部」(「特別出演」の「小松均」は別)まで到達し、再び不穏な廊下と不穏なロビーを通り、「ナム戦」で理不尽に奪われる命に抗議し続けた「いわさきちひろ」や、「死」に漸近したボロボロのタイヤ(「バーストして帰る」2025年:松下みどり。傍らにモータースポーツの「レジェンド」の著書がインストールされている)等を横目に外に出る。
相変わらずの雨。観光客の数を相対的に少なくさせる雨は、ここが叡山線(1925年〜)や乗合バス(1920年代後半〜)に頼る観光の地である遥か以前に、「生」と「死」が静かに交互する生活の地である事をより印象付ける。四方の山から山霧が上がっている。到着する頃には「パフォーマンス」が行われている筈の五条の「半兵衛麩ホールKeiryu」へと向かう。
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【半兵衛麩ホールKeiryu】
「非‐場所」──誰が来ても良いが、誰が消えても良い場所──である「都」として歴史の長かった京都は、その聚散の多さの分だけ、モブも含めた「死」が堆積した不穏な街である。実際、京都市内(特に洛中)の何処へ行っても「死」に纏わる旧跡ばかりだ。
「半兵衛麩ホールKeiryu」がある場所はまた、その正面に見える鴨川の一帯が、嘗て「六条河原」(五条大橋から正面橋辺りまで)と呼ばれる刑場だった(注38)。中井輪の2つの展覧会が始まった翌日(6月21日)放送のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」では、織田信長(小栗旬)に謀反を起こした荒木村重(トータス松本)への見せしめの一環として、妻の荒木だし(山谷花純)をこの「六条河原」で斬首処刑したシーンが流れた。太刀を下ろされ切断されるだしの「首」が地上波に流れる(シルエット表現)。「信長公記」には、その「シーン」が記されている(注39)。
(注38)半兵衛麩ホールKeiryu から400メートル程南へ行った正面橋付近には「元和キリシタン殉教の地」の碑がある。1619年10月6日に当地で52名のキリシタンが火刑(ジャンヌ・ダルクと同じ)に処せられている。

(注39)ドラマではこの「信長公記」に基づく描写がされていた。
たしと申はきこへ有美人也古しへはかりにも人にまみゆる事無を時世に随ふならひとてさもあらけなき雑色共之手にはたり小肘つかんて車に引乗らる最後之時も彼たしと申車より下様に帯しめ直し髪高/\と結直し小袖之ゑり押退て尋常に切られ候是を見るより
物理的な刑執行(斬首)の後は、社会的な刑執行の梟首(晒し首:獄門)である。六条河原──或いは三条河原──に、嘗ては胴体と切断された「首」が晒され(注40)、京の人々は「統治」技術としての死体毀損(社会的地位の毀損)を、或る種の「エンターテイメント」として見ていた──パリのコンコルド広場(例)やルーアンのヴィユ・マルシェ広場(例)も同じ──のであり、それはミシェル・フーコー的に言えば「誰を生かし、誰を殺す事が出来るか」という政治的メッセージの受け取りでもあった(付箋3に接続)。梟首は近代以降は「梟示」(きょうじ)と名を変えて存続するものの、正式には1879年に廃止された(近代以降の廃止である為に、梟首/梟示の写真は多く残る)。因みに江戸時代から明治に掛けての「斬首」・「梟首」は「庶民」に対する刑罰であり、高位の者のそれではない。
(注40)その「首」が盗まれたりしない様に不寝番をする民や、「首」や「胴体」を「後処理」する民というのも京都には存在した。それが現在に至るも解消され切っていない京都の社会的な非対称性を作り上げてきたとも言える。
「キリスト教」が題材の多くを占める「西洋美術」もまた、「殉教」的な「死」を多く描く。磔刑は勿論、斬首をテーマにしたものもある。多くは「サロメ」(注41)として描かれる「洗礼者ヨハネ」の「首」も「西洋美術」の重要なテーマの一つだ。
(注41)「庶民烈伝」展のリリース文にあった深沢七郎の「庶民烈伝」の盲目の老女が登場する章「安芸のやぐも唄」の次章が「サロメの十字架」である。

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不穏な京都の不穏な場所に建つ「半兵衛麩ホールKeiryu」の人になる。「庶民烈伝」のそれと重なるところが多いものの、こちらのリリース文も上げておく。
中井輪の制作は、映画の上映会から始まります。映画を観にやってきた参加者たちは、各々の姿勢で光を受けとめようとします。こうして「鑑賞者」となった人のからだは、スクリーンの光に釘付けになり、スクリーンの光に照らしかえされ、いわばすべてが光であるような世界へと溶け出していくのですが、中井はそうした鑑賞者のからだを油彩画へと保存するのです。
光を受けとめるからだは、それ自体が光点の集合であるし、映画に夢中になっているとも言えるのですが、見方によっては、無力で、無防備で、疲弊しているようでもあります。力の置きどころに迷い、重心は傾き、筋肉のこわばりを悪化させている。からだはたんに「ままならない」。中井はこの「ままならなさ」のなかに、からだが「光点」でしかないことに、私たちの生の輪郭を押し広げ返す契機を見てとっています。
映画を観ることがひとつの「生き延び」になっている。油彩画の制作が、微動だにしないからだの、思いがけない底しれなさの、肯定になっている。中井が描く人々は、特殊な状況にあるのでも特別な存在なのでもなく、迂闊なことを言えば、私たち全員がこうなのであり、ここにこそ、人間を語りだせるリアリズムがあるとさえ言えるのだと思います。
なお、今回はAIR大原galleryでも個展「庶民烈伝」を開催しています。あわせて、ご覧いただけますと幸いです。
長谷川新(ゲストキュレーター)
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半兵衛麩ビルの螺旋階段を上がっていくと「ホワイト・キューブ」が出現する。「AIR大原」の「宿」とは違い「美術」では「見慣れた」風景だ。
展覧会の初っ端──螺旋階段から上がった場合の──の右壁に大きな作品の「首絵」がある(注42)。
(注42)これらを含めてこの会場の作品の制作年はいずれも2026年。







「上映IV」も含め、「首絵」のいずれもが低めの位置に掛かっている。実測した訳では無いが、「首絵」の下端の高さは1メートルそこそこだろう。その高さに「首」が並んでいる。誤読の権利を最大限行使した上で言うならば、これは晒し首の「獄門台」(注43)の高さ(地上3尺5寸=約106cm)(注44)の様にも思える。六条河原の真っ只中の地で、その高さに「首」が並ぶ図。不穏。
(注43)「獄門」とは平安時代の平安宮の外にあった「検非違使」(現在、京都府警のマスコットキャラ「ポリスまろん」──警視庁の「ピーポくん」の様なもの──のイメージソースになっている)に隣接していた「左獄」(現在の京都府庁の辺り)の門(平安時代の梟首場所)から来ている。
(注44)江戸時代の「獄門台」は厳密に規格化されていて、長さ6尺(180cm)の4寸(12cm)角の梅財を、地上高3尺5寸(106cm)、埋め込む地下部分2尺5寸(76cm)の状態に立て、そこに厚さ2寸(6cm)、幅1尺(30cm)──現代の宿泊施設の玄関帳場の受付台と同じ寸法──の板を渡し、それに五寸釘を数本「逆さ釘」にしたところに「首」を刺して固定する。更に「首」の安定性を高める為に左右に粘土が盛られる。台の長さは1人用が4尺(120cm)、2人用が6尺(180cm)、3人用が8尺(240cm)と定められる。その伝で言えば、5人用だと12尺(360cm)という事にはなる。(尺寸とメートルの換算は全て「約」)

「上映IV」は「首」と「胴体」が繋がってはいるものの「首絵」同様「催眠」の顔である。
会場の奥には、黒くカジュアルな衣装で統一された3人(注45)が立っていて、画家の人はマンフロットの三脚に据えられた「カメラ」(注46)でそれを捉えている最中だった。これが「パフォーマンス」である。3人の俳優に画家がどの様な指示を出しているのかは、良く聞こえない/全く聞こえない。
(注46)SONYのカムコーダー(FX2)。
俳優の3人が最初の仕事を終え、画家もその記録を一旦中断すると、奥のスペースが「解放」される。取り急ぎ「観客F」のその先を見て回る。
入った先の右壁、エレベーター脇の壁に「観客P」、奥の柱の3面に時計回りに「観客K」、「観客G」、「観客H」。そして最奥部の壁に「観客I」がある。そのいずれもが、やはり「獄門台」の高さにインストールされている(内「観客K」と「観客G」の2点は「手」)。







「観客K」は左手、「観客G」は右手であり、その中間の上部に仮想の「首」があるのだろうか。


「観客I」は窓に最も近く、光量の大きい外光は、その作品「背後」の壁の状態を余す所なく伝えてくれる。「過去」に行われた展覧会の痕跡を極めて丁寧に消去はしているものの、完全にそれは消えてはいない。パテ跡はパテ跡として光線の具合によっては現れたりもする。ここが「宿」と同じリミナルな空間である事を再認識させられる。前掲の文章をリフレインする。「展覧会の度に、ベッドメイクによってピンと張られたシーツの様にスペースは整えられ、『あなたの居場所ですよ』と作家とその作品を迎えてくれるのだが、『会期』が終わればその痕跡は消去されて、新たなシーツと取り替えられる。」。
「観客I」を背にすると、窓の構造柱の下に「首」が落ちているのを発見する。

はてさてこれはどういった趣向のインストールかと思い、そのまま眼を上に上げると取り残された三脚のその先の壁はこうなっていた。

作品リストと照合するに、落ちている「首」はどうやら「観客J」であり、あの3人の俳優はこの作品が消去された壁を見て演技をしていたという事になる。大倉の「Y夫妻」の反復。
再び最初の部屋に戻る。新たな「パフォーマンス」のテイクが始まっている。それを一通り見物してから会場を後にする。
ーーーー
【AIR大原】
画家が「夜っぴて」動画編集をした映像作品が、「カミング・スーン」だった場所に来ているとの事で、展覧会2日目に再度「AIR大原」に向かう。前日までの雨ではなく、時々降雨したりもする曇天。
道々に同じ政治家のポスター。「首絵」を回避する工夫(饒舌)が「意識」を持った「首」の周りに施されている。

一方でこちらはまた別の統治的工夫が見られる。「首」の主ではない者による「晒し」。「刑」は既に始まって/終わっているかの様だ。

「駐在所情報」の「落とせスピード!落とすな命」は、あの「満身創痍」の「飛び出しくん」の声でもあるだろう。
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民宿の、ジャンヌ・ダルクの奥の不穏な廊下を曲がってすぐの8畳間の客室は、この日は映写室として機能していた。壺も獅子も与えられた仕事をきっちりしているスクリーンに、「半兵衛麩ホールKeiryu」で撮られた約4分半程の映像作品「鑑賞者ら」が流れている。中井輪のタイトル命名規則に従い、登場している3人の俳優(蛭田、藤原、高木)をそれぞれ「観客イ」「観客ロ」「観客ハ」とする。

オープニングから3分半は、それぞれの「首絵」的ショット。最初に「観客イ」、次に「観客ロ」、それから「観客ハ」の「首絵」が1分程度で切り替わる。時にそれは「死」(「催眠」)の顔であり、時にそれは過剰なまでに「生」(「覚醒」)の顔になる。「死」と「生」の切り替わりの多くは、それぞれの横にいる他人との関わりの有無で、スイッチが入ったり切れたりする。

3分強を過ぎた辺りでそれは引きの絵になり、画面左から「観客イ」「観客ロ」「観客ハ」の横一列の並びになる。この一列は、3人が「鑑賞」している絵が掛けられた壁面と平行関係にあるだろう事が伺い知れる。そして「観客ハ」の後ろにある「首絵」(「観客I」)が、4人目の「鑑賞者」の役割を果たしている。4つの「死顔」の絵が続いた後、「観客I」以外の3人は再度過剰な「生」へと移行する。その一部始終を「観客I」は無言で「鑑賞」する。「画中画」。そして再び「死顔」の揃いとなる。

カメラはラスト5秒で、エレベーター近くへと移動し、3人の背中越しのショットになる(注47)。彼等/彼女等が見ていた壁面には、あのキャンバスを壁掛けする為の木片だけがある。
(注47)ここに「出演」しているカメラは、この画を収めているソニーと同機種ではなくオリンパスOMなのだが、そのオリンパスのレンズ光軸の延長線は3人の足下であり撮影者も不在である。不穏。
こうして不穏の相乗となった「AIR大原」を出て、星野太氏との「トークイベント」があるという2回目の「半兵衛麩ホールKeiryu」へと向かう。
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【半兵衛麩ホールKeiryu】
あの木片だけだった壁面に、前日「落ちて」いた「観客J」が、「獄門台」の高さへと「戻って」いた。

それを確認してから星野太氏と画家のやり取りを聞く。会場からの声で「作品の位置が低い」的な質問が上がる。別の質問としては、「釘(タックス)が中途半端な打ち付けで終わっているものが多いのは何故か」といった内容の質問も出る。いずれもこの展覧会に何かしら不穏なものを感じ取ったからこそ出たものだろう。

「釘が見える」事は、2つの個展の全ての中井輪作品が、「額装」されずに展示されているという非常に重要な部分を突いた指摘だ。「額装」せずに展示するキャンバスの一般的な張り方は、キャンバス地を木枠の後ろまで折り込み、それを「タッカー」(エアタッカー含む)で止めていくというものだが、中井輪はそれをせずに「釘」の存在をそれとして見せている(注48)のである。新たな宿題が出た気もする。
(注48)「AIR大原」の「モデル」の裏側からも明らかな様に、中井輪作品のタックス打ちは「過剰」である。その「過剰」は何から来るものか。
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半兵衛麩ホールKeikyu を出る。相変わらずの曇天。「晴」と「雨」の境界としての気象/境界の意味しかない気象。京都には曇天が良く似合う。
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追記(2026年7月20日)
7月19日に「AIR大原」を再訪した際、8月1日に同所の駐車場で開催される「納涼映画会──『海軍爆撃隊』を野外上映する」のパブリシティに使用された中井輪の「最新作」である「予告絵2」のオリジナル油彩画が新たに加わっていた事を確認する。






































「ミュージアムロード」のバナー・フラッグにも使用されたこの

































レッサーパ










「昭和50年代金沢〈架空線工房〉の映画ポスター」には、自分が幾らかなりとも「関係」のあった映画(「日活ロマンポルノ」等)のタイトルが無いかどうかを確かめてしまった。幾つか「ニアミス」はあったもののそのものは無かったが、それでも「その当時」の空気感を感じ取れる絵面のポスターではあった。中学校の美術の授業(1971年頃)で、こうした絵面で発売されたばかりの「日産フェアレティZ」の「ポスター」を「カッコよく」描いた記憶も蘇った。当時はこうしたデザイン処理が「超カッコいい」の代表とされてもいた訳で、これらも昭和40年代後半から昭和50年代に掛けての「路傍」的にも(その時代の中学生的にも)こうした絵面が「超カッコいい」(「メジャー」)の側にあったのである。ここは「カッコいい」──そして後年必ず「ダサく」なる──の「歴史探訪」の意味が色濃い。その時々の「カッコいい」だけで構成され、そもそも「カッコいい」とは何かを問う「展覧会」(恐らくそこには「聖子ちゃんカット」等も入る)というのも見てみたい気がした。






「キュレーター」はもとより「制作者」(「アーティスト」)にあっても、「社会化」である「発表」/「公開」は必ず何らかの形で「社会的」に「傷を追う」もの(周囲の人間も巻き込まれる)だ。小さな「書店」主の井上正夫がその「作品」を生涯「公開」するに至らなかったのは、それを回避する故だったのかもしれない(故郷から遠く、若い頃に絵を学んだという「東京」でなら「発表」/「公開」の人生が可能だったのか)。彼の言う「俺の人生は20歳で終わった」は、「公開」(社会化)に伴う「傷だらけの人生」に対するアンビバレントな感情の吐露の様な気がした。










