2010-09-01から1ヶ月間の記事一覧

「展評:追悼(後編)」

物故作家の展覧会。この作家はデビュー時期が同じだった。年齢は少しだけ向こうの方が上だったから、生年に於ける「昭和」のディケイドは異なっていた。それでもキリスト教暦に言うところの70年代末から80年代に掛けての同じ「時代」を共有していたと言える…

「展評:追悼(前編)」

「現代美術」は「現代美術」である。「現代美術」は「現代美術」の問題を問題にする。「現代美術」は「現代美術」の名の元に行われる一切合切である。因みにここでの「現代美術」を、ティエリー・ド・デューヴ風に「芸術」と言わないのは、「芸術」一般はそ…

「展評:土木」

「彫刻」の「起源」はどこにあるのだろうか。「美術史」の教科書を紐解けば、先史時代の「ヴィレンドルフのヴィーナス」辺りの「プリミティブ」な「人形(ひとがた)」等を、代表的な事例とする記述に出会う事が多い。しかしそれが「彫刻」ではなく、広く「…

「展評:インタラクティブ」

今から30数年前の事。自分の現代美術の「展覧会デビュー」は、映像作品の個展だった。但し、ここで言う「展覧会デビュー」とは、「ギャラリー巡り」の意味である。その最初の展覧会の作品の詳細な内容は、忘れようとしても思い出せないのだが、その作家は、…

「展評:土木(前段)」

最近、一部では「砂遊び」を「サンドアート(sand sculpture)」と呼ぶ習わしになっている様だ。 砂遊び砂遊び(すなあそび)とは、主に幼児・児童などが砂場や砂浜で砂を掘ったり砂山を作ったりして遊ぶことである。概要この遊びは、砂を掘ったり盛り上げた…

展評

ここ数年、しばしば某SNSで「展評めいたもの」を書いてきた。また別のサイトでも「展評めいたもの」を書いてきた。しかし今後、「展評めいたもの(以下「展評」)」はここに集約させる事にする。これまでに書いてきた「展評」は、どちらかと言えば「無名」の…

ブランド信仰

【承前】永く「不遇」であり、永く「無名」であり、永く「清貧」であり、その末に周囲に「理解」されぬまま没したという画家がいたりするかもしれない。しかしそうした「不遇」で「無名」で「清貧」な画家は、それこそ世に「履いて捨てる程」いる。換言すれ…

烙印

良く言われる事だが、「ブランド」の語源は余り芳しいものではない。「New Oxford American Dictionary」にはこうある。 2 an identifying mark burned on livestock or (esp. formerly) criminals or slaves with a branding iron. • archaic a branding ir…

余裕

これは飽くまで個人的な経験則であり、従って「全ての芸術家はこうである」などと言うつもりは毛頭無い事を予め断っておく。とは言うものの、個人的にはそういうケースを見聞する事が、決して少なくはないというのもまた確かなのではある。「芸術は心の余裕…

巧技

【承前】 自分の父親は、所謂「社員職人」「企業職人」だった。日本最大手の印刷会社の中にいて、「細紋彫刻」の技術者として定年まで勤めていた。そもそもその会社の沿革自体が、民間による「細紋彫刻」の「歴史」から始まっている。それ故に、「筋」から言…

貴賎

嘗てその「アーティスト」は「日本現代美術」のそれなりに「重要な作家」だと目されていた。現在の「基準」からすれば、それは「無きに等しい」や「児戯に等しい」のかもしれないが、それでも1980年代なりに、「日本現代美術」には「アートシーン」が存在し…