現実のたてる音/パレ・ド・キョート「序」

【長過ぎる枕】

尋牛序一

從來不失 何用追尋    
由背覺以成疎 在向塵而遂失 
家山漸遠 岐路俄差   
得失熾然 是非鋒起

I Looking for the Cow

She has never gone astray, so what is the use of searching her? We are not on intimate terms with her, because we have contrived against our inmost nature. She is lost, for we have ourselves been led out of the way through the deluding senses. The home is growing farther away, and byways and crossways are ever confusing. Desire for gain and fear of loss burn like fire, ideas of right and wrong shoot up like a phalanx.

第一に牛を探す まえがき

 はじめから見失っていないのに、どうして探し求める必要があろう。覚めている目をそらせるから、そこにへだてが生じるので、塵埃に立ち向かっているうちに(牛を)見失ってしまうのだ。故郷はますます遠ざかって、わかれみちでたちまち行きちがう。得ると失うとの分別が、火のように燃えあがり、是非の思いが、鋒のほさきのようにするどく起こる。


返本還源序九

本来清浄 不受一塵
觀有相之榮枯 處無為之凝寂
不同幻化 豈假修治
水緑山青 坐觀成敗

IX Returning to the Origin, Back to the Source

From the very beginning, pure and immaculate, he has never been affected by defilement. He calmly watches growth and decay of things with form, while himself abiding in the immovable serenity of non-assertion. When he does not identify himself with magic-like transformations, what has he to do with artificialities of self-discipline? The water flows blue, the mountain towers green. Sitting alone, he observes things undergoing changes.

第九にはじめに帰り源にたち還る

 はじめから清らかで、塵ひとつ受けつけぬ。仮りの世の栄枯を観察しつつ、無為(涅槃)という、寂まりかえった境地にいる。空虚な幻花とは違うのだ、どうしてとりつくろう必要があろう。川の水は緑をたたえ、山の姿はいよいよ青く、居ながらにして、万物の成功と失敗が観察される。

廓庵師遠/慈遠「十牛図」(英訳:鈴木大拙/現代日本語訳:柳田聖山)

 

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伝 周文作:相国寺

 

平櫛田中の代表作とされるものの一つに「尋牛」がある。岡倉天心(覚三)を会頭とし、平櫛田中、米原空海、山崎朝雲、加藤景雲、滝沢天友、森鳳声の6名が、1907年(明治40年)10月に結成した木彫研究団体「日本彫刻会」の第5回展に出品された高さ50センチに満たない小品である。

「日本彫刻会第5回展」が行われた1913年(大正2年)9月には、その「日本彫刻会」の会頭であった岡倉天心が死去している(1913年9月2日)。同作に伝えられるエピソードとして、その原型――田中の「彫刻」は、まず塑像原型を作り、それを石膏型に起こした後に、星取法で木材に写して木彫とする――を見た天心がそれを高く評価し、「フランスの若い彫刻家に見せたい」と言ったとも伝えられている。井原市立田中美術館の作品解説に拠れば、田中は「尋牛」をテーマとした事について「何年も彫刻を業としているが、いまだに真の彫刻が分からない私自身の姿だ」と言ったともされている。

言うまでも無くこの「尋牛」は、中国宋代の臨済宗楊岐派の禅僧・廓庵師遠とその弟子の慈遠によって書かれた禅籍である「十牛図」に由来している。日本で「十牛図」と呼ばれているものは、例えば「未牧」 「初調」 「受制」 「迴首」 「馴伏」 「無礙」「任運」「相忘」 「獨照」 「雙泯」から成る太白山普明禅師の「牧牛図頌」等のそれではなく、この臨済宗楊岐派の廓庵和尚/慈遠和尚によるものを指している。こうした廓庵による「十牛図」の事実上の標準化は、数ある「仏教国」の中でも極めて例外的であり、その一事を以ってのみ「外国文化」である仏教受容史的な側面も含め「日本特有」である。

「十牛図」は “Ten Bulls(Der Ochse und sein Hirte)" として「西洋」社会にも知られてはいるものの、その「作者」が中国語読みの “Kuòān Shīyuǎn” ではなく “Kaku-an" という日本語読みで通っているのは、偏に鈴木大拙氏等の日本人の翻訳紹介によるものである。事実上「日本特有」が「世界標準」になったのである。

この「日本特有」の廓庵/慈遠「十牛図」の受容のされ方は、そのまま「日本特有」の――少なくとも或る時代までの――精神的バックボーンの一部を形成してはいるだろう。嘗ての日本の知識人の知的常識/素養として――「寺」という機関に代表される「仏の教え」が、永く日本に於ける精神形成装置の重要な一つであったが故に――漢籍や仏典は位置していた。

当然「古来」的な日本人である平櫛田中の頭の中には「十牛図」の「説話」の全てが入っていただろうし、同様に現代日本人に比すれば相対的に漢籍や仏典に親しかった岡倉天心もまた、「尋牛」のタイトルを以ってその全体を想像した事であろう。両者ともそうした「教養」の中にあったのである。

小平市平櫛田中彫刻美術館の「音声解説」では事実上「十牛図」全十図の内の第六の境位である「騎牛帰家」までしか触れられてはいない。そこでは「この作品には肝心の牛の姿はありませんし、山も草も表現されてはいません。けれどもその分、わたしたちが造像力を働かす事によって、作品の世界は無限に広がって行きます。皆さんも是非その様に鑑賞してみて下さい」としているが、そもそもが「十牛図」に於ける「尋牛」が、「牛」を彫刻的な形で表す事の不可能な境位――谷岡ヤスジ氏の「尋牛」の様な次元を跨いだ表現も彫刻には不可能――である事は、田中にしても天心にしても「常識」であった事だろう。

「十牛図」は「自己実現」の書であるとも言われる。「牛」に見立てられているのが「真の自己」、それを探し求める「牧人」が「真の自己とは何であるかという問い」であるとも言われる。但しその「真の自己」は、巷間言われるところの所謂「自分探し」に於ける「本当の自分」を(直ちに)意味するものではない。

「十牛図」に於いて「真の自己」を表しているのは、「牛」と「牧人」が共に画面から消えた第八「人牛倶忘」、第九「返本還源」、第十「入鄽垂手」の三つの境位になる。即ちここでの「真の自己」とは、何も描かれないもの、川のほとりの花の咲いた木、老人が童子に話して聞かせる事の三態になる。「何者かになる事/何者かであろうとする事」を目指す現代の多くの――通勤電車の戸袋で広告している様な――「自分探し」では、こうしたものを「本当の自分」とする事はまず無いだろう。

「十牛図」が三次元表現される場合、伝統的には第六「騎牛帰家」、即ち(人から見て)牛の背中に乗って笛を吹きながら/(牛から見て)笛を吹く人を背中に乗せながら、元いた場所へ帰る姿を表現する事が多い。それを「彫刻」に当て嵌めれば、「彫刻家であろうとする事」と「彫刻の何たるか」が一体となった様という事にはなるが、田中はそれを避けて「彫刻の何たるか」を探し求める最初の段階である「尋牛」に留まり続ける。

況してや「彫刻の何たるか」を消す(第七「到家忘牛」)事も、「彫刻家であろうとする事」と「彫刻の何たるか」の双方を消す(第八「人牛倶忘」)事も、「彫刻家であろうとする事」と「彫刻の何たるか」を消す事でその「背後」の「現実」が顕現する(第九「返本還源」)事も、手をぶらりとさせて何もせずに子供と話す(第十「入鄽垂手」)事も、田中は自らの姿としては表現し得なかった。それは偏に田中が近代に「目覚め」させられた「彫刻家であろうとする」病に罹患した者だったからであり、また凡そ近代以降の芸術家の多くが「芸術家であろうとする」者であるとすれば、「芸術家であろうとする事」と「芸術の何たるか」を共に消し去らない境位に留まらねばならない。何故ならば、近代以降の芸術家というのは「芸術家であろうとする事」と「芸術の何たるか」の分裂から生じる緊張状態に留まり続ける事を制作の原動力とする遅延(「いまだに真の彫刻が分からない」)の別名だからだ。

それに対して観者は「芸術」に属さない者であるが故に「芸術の観客であろうとする事」から自由になれる可能性を持つ。また「芸術の何たるか」からも自由になれる可能性も持つ。従って「芸術家であろうとする」者の「先」を行く事も可能だ。但しそれは何らかの形で「芸術」を経た上での話ではある。芸術展に行って――多かれ少なかれ何らかの形で「芸術の何たるか」を追い求めに行き(「尋牛」)――そこで「芸術の何たるか」の「跡」や「姿」を「対象」として発見する(「見跡」「見牛」)も、「芸術の何たるか」を自分のものにしようと悪戦苦闘する(「得牛」)も、「芸術の何たるか」を己のものとしたと感ずる(「牧牛」)も、「芸術の何たるか」と己が一如となったと思い込んで家路に就く(「騎牛帰家」)も良しである。しかしその一方で、芸術展で「芸術の何たるか」や「芸術の観客であろうとする事」を敢えて消し去る(「到家忘牛」「人牛倶忘」)も、「現実」の中に「芸術の何たるか」がそのまま存している事を見る(「返本還源」)も、傍らの子供とずっと話している(「人牛倶忘」)も良しなのである。

「現実のたてる音」という芸術展のタイトルを目にして頭に思い浮かべたのは、「十牛図」に出て来る数々の音である。例えば「尋牛」の「頌」に登場する音は「晚蟬吟(秋のおくれ蝉の声)」である。

頌曰
 茫茫撥草去追尋 水闊山遙路更深
 力盡神疲無處覔 但聞楓樹晚蟬吟

Alone in the wilderness, lost in the jungle, he is searching, searching!
The swelling waters, far-away mountains, and unending path;
Exhausted and in despair, he knows not where to go,
He only hears the evening cicadas singing in the maple-woods.

頌って言う
 あてもなく草を分けて探してゆくと、川は広く山は遥かで、ゆくてはまだまだ遠い。
 すっかり疲れ果てて、牛の見当もつかぬようになって、あやしい楓の枝で鳴く、秋のおくれ蝉の声が、耳に入ってくるばかり。

(英訳:鈴木大拙/現代日本語訳:柳田聖山)

 

あのマルティン・ハイデガーは、ドイツ語訳された「十牛図」に関心を示し、特に第九「返本還源」がアンゲルス・シレジウスの詩を彷彿させるとしている。

Die Rose ist ohne Warum. 

Sie blühet, weil sie blühet.
Sie achtet nicht ihrer selbst,
fragt nicht, ob man sie siehet.

薔薇は何故無しに有る、
それは咲くが故に咲く。
それは自分自身に気を留めないし、
ひとが自分をみてゐるか否かと、問ひはしない。

Angelus Silesius “Der cherubinische Wandersmann"
アンゲルス・シレジウス「ケルビンの如き遍歴者」(辻村公一訳)

 

「現実のたてる音」展へは、秋のおくれ蝉の声を聞く様に聞きに行こうと思った。秋のおくれ蝉は何故無しに鳴く。秋のおくれ蝉は鳴くが故に鳴く。それは自分自身に気を留めないし、ひとが自分をみてゐるか否かと、問ひはしない。

「パレ・ド・キョート」イベントもまた、秋のおくれ蝉の声の様にも秋の虫の音の様にも、或いは降り続く雪の音の様にも騒がしいものかもしれない。しかしその複雑な騒がしさは、虹色に回折する静けさに通じるのだろう。

念為だが、これは「芸術家であろうとする」者の話ではない。翻って「芸術に勤しもうとする」者の話でもないのである。

 【長過ぎる序了】

 

 【続く