「喪失」

《千の注釈》長過ぎる注

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Elle : C'est beau, hein... Cet homme avec son chien... Regardez : ils ont h même démarche.
Lui : C'est vrai. Vous avez entendu parler du sculpteur Giacometti ?
Elle : Oh ! oui, j'ai trouvé très beau !
Lui : Vous ne savez pas ?Ila dit une phrase extraordinaire. ..lia dit : « Dans un incendie, entre Rembrandt et un chat, je sauverais le chat. »
Elle : Oui, et même : « Je laisserais partir le chat après. »
Lui : C'est vrai ?
Elle : Oh ! oui, c'est ça qui est merveilleux justement... non ?
Lui : Oui, c'est très beau. Ça veut dire : « Entre l'art et la vie, je choisis la vie. » 
Elle : C'est formidable. Pourquoi m'avez-vous posé cette question ? 
Lui : Sur Giacometti ? 
Elle : Oui 
Lui : À propos de... du monsieur, là, avec son chien.

女:素敵でしょ…犬と一緒のあの人、見て、同じ様な歩き方をしている。
男:ああ本当だ。ジャコメッティという彫刻家を知ってる?
女:ええ、とてもハンサムだと思う。
男:知ってる?彼はすごい事を言ったんだよ。「火事になったらレンブラントと猫とどちらを救うか。僕だったら猫だね」ってね。
女:そうね。そしてこう続ける。「その後で猫を逃してやる」。
男:それ本当?
女:ええ、とても素敵な話でしょ。そう思わない?
男:そうだね。とても美しい。「芸術と命なら、命を選ぶ」と。
女:素晴らしいわ。なぜそんな質問をしたの?
男:ジャコメッティの事?
女:そう。
男:それは…犬と一緒の紳士がいたから。

"Un homme et une femme" (1966) : Claude Lelouch(「男と女」:クロード・ルルーシュ)より(大村訳)

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2023年12月29日。

それまでのんびりとしていた共同アトリエのLINEグループが、にわかに緊張が走るものに変貌したのは、その朝に投げられた1枚の画像投稿(午前8時32分)からだった。それは、朝から近所で消防車のサイレンがけたたましく鳴っている事に疑問を持った共同アトリエメンバーのA氏が、家の近くから撮影したものだ。記憶にあるゴルフ練習場を中景に、その奥の高台から煙が上がっている。

すぐさまXで検索を掛け、その火事の動画付き投稿(直後に削除)を発見したB氏が、ポストのURLとスクショで、他でも無い自分達の仕事場が燃えたという「正解」を投稿する。

最初の LINE 投稿から13分後、消防からC氏のところに連絡が入ったというメッセージがアップされる。確認の為に立会いが必要との内容で、A氏が向かう事になった。坂道を登って行くA氏の眼前に、すっかり変容した仕事場が現れる。A氏の悲痛な連投が始まる。

XのスクショとA氏の投稿で、「事態は些かも楽観の余地の入るものではない」と覚悟を決めて、自分も急遽東海道新幹線の人になる。

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【ファクト】

2023年12月29日午前7時半頃。東京都町田市で火災が発生。消防車26台が出動。火元は造園業者の資材置場。「焚火」による失火。そこから燃え広がり、両隣の「アトリエ」(「アトリエトリゴヤ」「スタジオ306」)に類焼。資材置場と2つの「アトリエ」の計3棟、凡そ400平米が焼ける。資材置場と「スタジオ306」の2棟は全焼。「アトリエトリゴヤ」は半焼。人的被害無し。3棟以外への類焼も無し。

半焼した「アトリエトリゴヤ」は、多摩美術大学の大学院を出たばかりの若者6名によって1982年に立ち上げられた共同アトリエである(プレ期を含めると1981年〜)。火災発生直前のメンバーは作品倉庫やアーティスト・ラン・スペースとして使用している者も含めて、41年で12名に増えた。そのメンバーの中に立ち上げ組の大村も含まれる。

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現場到着は14時を回っていた。警察車両と居残りの消防車が坂道に止まり、既に規制線が張られている。失火者等を交えた現場検証は翌日との事で、現場保存の為に中には入れない。大村がオキュパイしていた場所は火元に近く、焼け方の最も激しい場所の一つだった。規制線からは最も遠い位置にあり、遠目にしか状況を把握出来なかったが、上屋の鉄骨が高熱で捻じ曲がり、屋根の高さが半分程になっているというところから鑑みて、一切の希望的観測を持たず、想定のレベルを全くのゼロに置くという精神上の防衛機制をあらためて取り、留まり続けたところで無意味でしかないその日は現場を立ち去る事にした。

年が明け、連日立て続けにテレビ報道で炎が上がる映像を見て気持ちが塞がり続ける。数日後再度新幹線で現場に赴き、被害状況の詳細を確認する。躯体の最も古層の部分のみが燃え残っている。そこに大村が運び込んだもののほぼ全ては、焼け落ちているか、黒焦げになっているか、溶けているか、バラバラになっているか、デブリに飲み込まれているか、高熱で物質的な強度が低下してしまっているかのいずれかだ。防衛機制が作動している為に、それらを前にして感情が大きく揺さぶられる事は無い、と脳を納得させる事で情動の発散を停止し、社会的/文化的振る舞いの中に自分を収める。さりとて精神的な緩衝材が働いたところで、それらを目撃したという記憶、その光景は残り続けていく。

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【ファクト】

検分の結果、大村が多摩美術大学大学院を出てからの40数年分のほぼ全作品、工具類、資料、書籍等々が焼失、全損した事が判明する。今年の春頃までには、3棟にあるものの全てを撤去して更地にし、全員退去する事までは決定している。

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「ファクト」については、ここまでが現在公に出来るものである。それ以上の事は、様々な理由でここでは書けない。それは「これから」についても同断である。

人的喪失を伴わないものの、多かれ少なかれ自分もまた「グリーフケア/グリーフワーク」の対象者である事に相違は無いだろう。「もう1ヶ月」ではなく「まだ1ヶ月」なのだ。「アトリエトリゴヤ」に限っても12の形の「喪失」と「悲嘆」(グリーフ)が存在する。

参考:「グリーフワーク【グリーフ・サバイバー】」

www.grief-survivor.com

SNSで、限定公開でこの罹災について書いたところ、直後に或る美術作家からコメントが付いた。「作品を失う、ということについて聞きたい」との事だった。その作家は一般解を求めたのだろうか。であればその質問自体が無意味である。「喪失」の認識はそれぞれに異なるものであり、それに対する「悲嘆」もまた一般化に馴染まない。一人の人間の中でも「悲嘆」の形は常に揺れ動く。そうした「悲嘆」を全て蒐集し、万人に供する形に仕立てる事が出来たとしても、それは文学以外のものにはならない。ここで書いている事も「喪失」から「1ヶ月後」時点のそれに留まるしかないものだ。

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折しも年賀状の季節でもあった。潰れた家の住人にも、焼けた家の住人にもそれは届く。「あけましておめでとう」というのは、そもそもは年を跨いでサバイブしてきた者に対する寿ぎの言葉だ。即ち「あけましておめでとう」の英訳の最適解は「HAPPY NEW YEAR」ではなく、「I AM STILL ALIVE」であり、それを読んでいる/読める状況にある者に対する「YOU ARE STILL ALIVE」であり、再度それを日本語に変換すると「生きてるだけで丸儲け」になるのではないか。「グリーフケア/グリーフワーク」が成立する最も根本的な条件は、何を置いても険しさを伴う「STILL ALIVE」なのだ。

猫はレンブラントと依存関係にはないが、多かれ少なかれ作家は自らの作品と依存関係にある。或いはその依存関係こそを作家と呼ぶ。レンブラントは消失し、猫は生き残る。作品は消失し、作家は生き残る。「これから」の選択肢の中には「猫になる」というものもあるのかもしれない。