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パレ・ド・キョート

承前

イベントについて

 

VOXビル全体を使って、展覧会最終日である11月23日、深夜0時から夕方まで同時多発的に複数の出来事が発生する。それはフランスにある美術館パレ・ド・トーキョーの一時的なインストールになると思うので、タイトルを「パレ・ド・キョート」とする。

 

「現実のたてる音/PALAIS DE KYOTO」公式サイト
http://palaisdekyoto.jp/

 

「パレ・ド・キョート」が「抜け目の無い」タイトルである事は確かだ。それはフランス映画 “Emmanuelle(邦題「エマニエル夫人」)"に対する日活なりの「インストール」である「東京エマニエル夫人」の様にも、“The Beatles" に対する木倉プロなりの「インストール」である「東京ビートルズ」の様にも、アメリカ映画 “The Kentucky Fried Movie(邦題「ケンタッキー・フライド・ムービー」)”に対する赤塚不二夫なりの「インストール」である「下落合焼とりムービー」の様にも「抜け目が無い」。

「東京エマニエル夫人」配給の日活による同映画の解説、「ただし、西洋人と日本人の性意識の相異等の視点からも描き、本家『エマニエル夫人』以上に内容の濃度を強め、よりファンタジックにエロスの世界を展開していく意欲作!!」といった、「本家」を(括弧付きではあっても)「本家」として認め、それに対して言及的な形で存在しているという共通性と同時に、"Tokyo" =「東京」(第一次世界大戦戦勝国である「日本」を象徴するものとしての「東京」。即ちそれは「奠都」から半世紀=1918年にして最早「京都」ではない)への地域的対抗感情が極めて簡単なアナグラムとして仕掛けられている事も否応無く感じられるタイトルである。

果たして同イベントが「パレ・ド・キョート」というタイトルで無かったら――例えばそれこそ「現実のたてる音」というタイトルであったとしたら――、果たしてそれは「パレ・ド・キョート」とは些かなりとも違ったものとして認識されたのであろうか。それとも全く変わらずであったのだろうか。

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いずれにせよ「パレ・ド・トーキョー」と「パレ・ド・キョート」両者の間には大きな差異がある。それは「エマニエル夫人」と「京都エマニエル夫人」、又は「世界」の「中心」の一つであるヨーロッパ/フランスの首都(「国際社会」を揺るがすテロの格好の標的にすらなってしまう)と「世界」の「辺境」の東アジア/日本の地方都市(「国際社会」的には極めて無視し得る対象であるが故に平和な町)、或いは「官」(或いは「官」が主体)と「民」というレベル以上に感じられるのは、前者が「美術」の展示に特化した天井の高い「美術館」である一方で、後者が飲食店が主体になっている、ゲームのダンジョンタワーの如き「商業ビル」(そのテナントの一つとしてしか「美術」が存在していない)である事であろう。

今回の「パレ・ド・キョート」なるイベントを、全体として成功したものであるとした上で言うならば、その成功の鍵の一つはそれが行われた場所が「ARTZONE」をはみ出して(当然「パレ・ド・トーキョー」でもなく)「河原町VOXビル」(=「商業ビル」)全体を使って行われた事にある様に思える。それは同イベントの「双子」の片割れである「展覧会」=「現実のたてる音」にも当て嵌まるものだ。仮に「パレ・ド・キョート」が(何かの間違いで)「京都市美術館」(それは性格的な意味で「本家」である「パレ・ド・トーキョー」と近似した空間である)で行われた事を想像してみれば判る。

ここで「河原町VOXビル」という建物を「御浚い」してみる。

会社名 株式会社 鹿六
本社所在地 〒604-8031 京都市中京区河原町通三条下ル大黒町44 河原町VOX
TEL(075)255-0081 FAX(075)255-1592
代表社名 代表取締役 小谷 賢
設立年月日 昭和38年2月1日
資本金 1,000万円
主な事業河原町VOX」(商業ビル)を中心に、学生の街京都を代表する若者たちへ、健全な若者の生活文化を「衣」「食」「住」「遊」を提供する多角化事業の運営。
MEDIA SHOP
和・洋書籍、レコード、CD、ポスター、カード、雑貨などの小売りおよび卸売り。
■SCALE
輸入家具・雑貨
カプリチョーザ河原町VOX店
カプリチョーザ河原町OPA店
イタリアン・レストランの運営。
■DEN-EN
ビア・パブの運営
■PARTY SPACE
パーティースペースの運営
■SEAGULL,SEAGULL jr,ALPHA,DENVER
グレージング、パブの運営
■VOX HALL
ライブハウス、スタジオの運営
従業員数 126名(正社員16名、契約社員7名、アルバイトクルー110名)
主な取引銀行 京都中央信用金庫本店、池田銀行京都支店

VOX「会社概要」
http://vox.co.jp/?page_id=39

 鹿六(株)による「学生の街京都を代表する若者たちへ、健全な若者の生活文化を「衣」「食」「住」「遊」を提供する多角化事業原文ママ)」というコンセプトの賜物が「河原町VOXビル」という「商業ビル」である。この文章中の「健全な若者」という語が、恐らく「現実のたてる音/パレ・ド・キョート」というイベントの性格の一部を表している様に思える。ここには「悪辣な人物」は恐らく一人もいない。

 

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11月23日(祝)0時から始まった「パレ・ド・キョート」。22日の昼間の動物園詰め、及び行き帰りの大渋滞の疲れが出た為に22時から仮眠を取った後、午前2時(本来は23時に起床する予定であった)に自転車で出発し、午前3時過ぎに河原町三条に到着した。とは言え、すぐさま「河原町VOXビル」の人にはならなかった。それではこの時間にここまで自転車で来た甲斐が無さ過ぎる。夜中の町程面白いものは無いからだ。

そのまま木屋町通まで自転車で行き、それから三条通へ出て再び河原町通。それから再度「河原町VOXビル」の前を通り過ぎ、また木屋町通という左回りの旋回を、時速3キロ程度の自転車で30分程繰り返していた。その円環の6時方向にある「河原町VOXビル」の中からは大音量の楽器の音が聞こえて来る。しかしそれも十数メートルも離れれば聞こえなくなる。

木屋町通から三条通に掛けては様々な人がいた。白い肌の人がいた。黒い肌の人もいた。黄色い肌の人は勿論日本人ばかりではないだろう。それらの人の年齢構成もまた様々だ。様々な人が様々な事を様々な言語で様々なレイヤーで語っている。「善人そう」な人もいるし「悪人そう」な人もいる。木屋町通のそれぞれの店からは、それぞれの大音量が聞こえ、それぞれに「楽しそう」な人達が出入りしている。「同時」の「多発」。しかし「同時」の「多発」こそが世界の真理の一面というものではあるだろう。その「楽しそう」な多様な人の集まる店の一つにふらふらと入りかけたものの、流石にそれは自重した。

逍遥をしながら、この日の昼間の動物園(滞在時間「たったの」3時間)の事を思い出していた。動物園もまた「同時多発」である。動物園に於ける「演者」であるライオンは吠え続け、アジアゾウは泥浴びをし、アカゲザルは子供が猿山に落とした靴を舐め回し、カイウサギやヤギは子供に撫で回される。その一方で「檻」の外の幼児はベビーカーで眠りこけ、黒い肌の人達はセルフィーをし、来園者が食べたうどんや焼きそばやフライドポテトの残骸を求めに飼われていない鳩が付近をウロウロ徘徊する。動物園というものは全く以って「同時」に「多発」ではある。しかしここで見る事の出来る「多発」は、それぞれの「演者(動物)」相互の隔離、そして「演者」と「来園者」相互の隔離によって多くが生じているとも言える。ライオンの檻を外し、アジアゾウの檻を外し、アカゲザルの進入路を開け、カイウサギやヤギの柵を外して園内を全く一つの空間にしてしまい、そこに剥き出しの「来園者」が入れば「同時多発」なるものの様相はそれまでとは全く異なったものになるだろう。

自転車による逍遥を終えて「河原町VOXビル」に入る。予想通り「パレ・ド・キョート」では、この日のこのビル内にいる人達の平均年齢の倍以上の人になってしまった。ここで出されている音などに合わせて「今風」に(無理して)ノッてみたりすれば、それは傍からは「イタいジジイ」にしか見えないし、その一方でここで「ALWAYS 三丁目の夕日」よりも前に生まれた自分の身体に忠実な体の動きを(無理して)表出したらしたで、それはやはり「イタいジジイ」にしか見えない。どれもこれもが何処かで自分に対して「無理強い」である。だから会場では微笑だけをして、おくれ蝉の声を聞いていた。自分の人生の夏の時期(1970年代)にはこうした蝉の声をしばしば聞いていた事を思い出しながら。

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朝食を作りに帰る関係上(そして24時間スーパーで朝食の食材を買って帰る関係上)、「パレ・ド・キョート」には1時間程度しかいなかった。再度ここに訪れる予定は無い。逍遥をしなければ1時間半という事にはなるものの、この日の夜中の逍遥はしたかった事の一つだった。

自分が「パレ・ド・キョート」の一時間で見たものは、「本番」に向けてスタンバイする「飼われている鳩」と、「川俣正」と現象的な照合をされ勝ちな何かと、寝る人と、寝る人と、数百キロメートルの移動に適した形にトランスフォームした「多和圭三」と、ビルの外まで聞こえる大音量のソースである楽隊と、ごついプリマと、440Hz であり続ける人と、ortofon 等が据え付けられた Technics の複数ターンテーブルと、リクリット・ティラバーニャを思い出してしまったりする人もいるだろう何かと、屋上の小屋――そこには1970年代に自分が東京・調布の多摩川沿いの日活や大映のスタジオの「周り」で「遊んで」いた事を思い出させる映像が流れていた――の中の寝る人等であった。

「パレ・ド・キョート」の17時間では色々な事があったらしい。

「パレ・ド・キョート/現実のたてる音」togetter
http://togetter.com/li/904795

この togetter で様々な人から報告されている17時間分の「プログラム」の殆どを、「たったの」1時間の人間(しかも一処に平均数分ずつしかいなかった)である自分は見逃している。従って「プログラム」単位で、あれが面白かった、これが面白かったという事を書く資格が無いと言われればその通りとしか言い様が無い。3,000円也(午前3時段階での「現実のたてる音」分を引いた価格)を払って見たものは、それぞれに断片であったり、準備中であったり、そもそも行われていなかったりで、その断片や準備中を以って何かを言う事しか出来ない。1時間よりも2時間、2時間よりも7時間、7時間よりも17時間の方が定量的に「勝っている」というのなら、そうした見方に異を唱えるつもりは無い。

現場で一瞥=一時間瞥をして、それから「若い人」達(40歳未満を「若い人」とする)のリポートの数々をツイッターで間欠的に追い、また togetter を見る限りでの「パレ・ド・キョート」の印象は「楽しい」だった。

「楽しい」は全く悪い事ではない。但しその「楽しい」を体験した者が、ここに来ていなかった誰かに「楽しい」の何かを何らかの形で手渡して、初めてその者の「楽しい」は完成する。「回転する LED を見ました」「鳩が飛んだところを見ました」「屋上で金属を鳴らしました」、そしてまた「楽しみました」「記憶に残りました」で自己完結し、そのまま墓場に持ち込んではならないのだ。

ここに来た「若い人」が、数十年後に腰の曲がったジジイやババアになった時、傍らの童子にその「パレ・ド・キョート」の「楽しい」を手渡し、その童子もまたその「楽しい」を自らの「楽しい」として共有する事が出来るか否か。単なる年寄りの思い出話ではなく、それが上手い形で手渡されれば、今度はその童子がジジイやババアになった時に、傍らの童子にその「楽しい」を手渡せるだろう。「楽しい」の手渡し。それは「パレ・ド・キョート」の「楽しい」を体験した者全員に科せられた、飽くなき手渡しの技術開発を伴う責務なのである。

全く以って「入鄽垂手」ではないか。さても、あの夜見た事をこのジジイは子供にどう話したら良いものか。

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【続く】