躱す

馬鹿もほどほど いい加減にしろよ

オケが終っても歌っています
あること無いことはじからポイポイ
口先だけでゴロだけ合わせ
あたしゃ歌手です いい加減にしろよ......
お風呂の加減はいかがです?
いい加減です

 

所ジョージ「いい加減にしろよ」

 

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展示室に入ると早速「躱す」をされてしまった。会場である CAS の展覧会情報に掲載されている椎原保氏や谷中佑輔氏の作品のイメージを抱えて行くと、果たしてそこにあったのは(取り敢えず現象的には)それらとは全く異なるものであった。全く以って「躱す」である。

但しその当該ページには、それぞれの作家が「躱す」事が予め書かれてはいる。

谷中は自身の身体と自らがつくりだす彫刻とに向き合い、よじ登り、食べ、叫ぶ。 他方、椎原は、丹平写真倶楽部のメンバーであった父・椎原治(1905-1974)と向き合う。 亡き父が残した散逸しつつある資料の整理と、自身の日常との重なりのなかで、向き合う。

CAS は「CAS」と「CAS Annex」で構成されているらしい。本展は入口入ってすぐの「本館」が谷中佑輔氏のエリア、左に折れた「別館」が椎原保氏のエリアになっている。

極めて大雑把な上っ面で言えば、「本館」は粘土の部屋であり、「別館」は写真の部屋である。昇降機の無いこのビルの3階のギャラリーに1トンの粘土を運んだという事が、この展覧会に興味のある人間の間では話題になっていたりもする。

果たして1トンの粘土で何が作れるだろうか。横綱白鵬の実物大原型ならぎりぎり6体は作れる。しかし換言すればたったの6体しか作れないとも言える。現役時代の六代目小錦八十吉(最高位東大関)ならば、4体を作る事は出来ない。アパマンショップの店頭に設置されている青い小さな象=「住む象くん」の原型を、1トン程度の粘土で作れるかどうかは極めて怪しい(以上それらを「無垢」で作るという前提に於いて)。

「1トンの粘土」に親しんだ事の無い人間は、「1トンの粘土」という字面を前にして「ええええっ! 1トンも!!!」となるであろうし、その一方で粘土まみれの人生を送っている人間なら「ああ、1トンぽっちか」と思ってしまう物理量である。「1トン」という数字は「多」と「少」のダブル・ミーニングを有している。因みに自分は後者の側にいる。

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粘土と写真(機材)というのは、極めて妖しい誘惑を放つものだ。全くそれらは「うずうず」させられるメディアなのである。
 
人は粘土の前に立つと何かを作らねばならない気にさせられてしまう(これは幼児期から特に教えた訳でもないのにそうなる)。「創世記第二章」には「主なる神は土のちりで人を造り、命の息をその鼻に吹きいれられた。そこで人は生きた者となった(ז וַיִּיצֶר יְהוָה אֱלֹהִים אֶת-הָאָדָם, עָפָר מִן-הָאֲדָמָה, וַיִּפַּח בְּאַפָּיו, נִשְׁמַת חַיִּים; וַיְהִי הָאָדָם, לְנֶפֶשׁ חַיָּה.)」とあるが、その人は「土のちり」に水を含ませた粘土的な土で出来ているのかもしれない――神にとってはそれが最も造形し易い。アダム(אָדָם)という名もまた「土」と「人」のダブル・ミーニングである。何だろうか。かたどり(形象)へと誘惑する粘土の放つこの人類史的な妖しさは。であればこそ、少なからぬ芸術家は、その妖しい「うずうず」から何とか距離を取ろう(躱そう)と悪戦苦闘するのである。
 
カメラもそうだ。カメラを渡されれば何かを写して残さねばならない気にさせられる(幼児にスマートフォンを渡せば、すぐさまカメラアプリでホームボタンを押し、その結果を確かめる)。何だろうか。かたどり(形・撮)へと誘惑するカメラの放つこの妖しさは。であればこそ、少なからぬ芸術家は、その妖しい「うずうず」から何とか距離を取ろう(躱そう)と悪戦苦闘するのである。
 
「いたずらに殺気を帯び凄気を浮かべ(「受難の村正」柴田南玉:「講談全集」大日本雄弁会講談社:1928-29)」ているが故に「斬る」という思念(邪念)を吸い、それを持てば人を斬らずにはいられなくなる刀を「妖刀」と称したりもするが、「妖かし」という点では粘土もカメラも「妖刀」と違わぬ、「作る/撮る」という思念(邪念)を吸って人を狂わせるマテリアル/メディアなのである。「躱す」展の「鑑賞」ポイントの一つは、芸術家のこれら「妖かし」への抗いであろう。

「形」の誘惑から逃れようとする粘土がある。しかし何をどうやってもそれは「形」になってしまう。1歳児位しかそこからスマートに逃れる術は知らない。身体を持たない筈の神(即ち神に於いては彫刻は身体性と関わりが無い)ですら「形」の誘惑を逃れられない。彫刻という邪念を振り払うにはどうすれば良いのか。粘土に於けるこの会期は一種の「修行」を見せるものである。そして確かに「修行」は「形」を見せるものではない。結跏趺坐(例)は外から鑑賞する為の「形」ではない。

本展の会期中、粘土には様々な意味の不純物が混ぜられる。極めて現実的に言って「形」を作る為の造形材料の扱いとしてはかなり乱暴に思えたりもする。それは水彩画家が絵を描きながら、そのパレットに唾を吐き続ける様なものかもしれない。そして唾を混ぜた絵具を、紙に移して行くという因業は止む事は無い。水彩画家はまずは「描かねばならない人」なのだ。粘土に於いても同断である。

しかし粘土は水彩絵具とは異なる。通常の場合、型取りまでの中間項でしかない粘土には再生の儀式がある。会期中に1トンの内の数キログラムは「乾燥」という形で失われて行く。粘土に対して特別の関心が無い者ならそのままにしておいても全く平気だが、粘土に人生の首根っこを掴まれた者は、そのカチカチになってしまった粘土に水を含ませ、粘土練り機に通す事を殆ど反射的にしてしまう。何故ならばカチカチの状態では「形」を作るのに不適だからだ。全く以って因業な話ではないか。そしてその因業がまるまる会場で見られるのである。

そうした因業は、壁の十字やモーター仕込のものからも現れる。乾燥によってひび割れた粘土の奥から、その「形」を保持する為の角材(粘土彫刻の極めて悲しき内骨格)が見え始めて来てしまうのだ。そしてその因業をまるまる受け入れつつ、この「修行」は行われ続ける。

全能の神ならば、「形」と「粘土」との間にある関係に決着を付ける為に、「呪われし粘土よ 地上から去れ」と言いつつ、地上から全ての「造形」に適した粘土を瞬時に消し去ってしまう(或いは全ての粘土を業火によって「焼き物」にしてしまう)かもしれない。この地上から一切の粘土が無くなれば、或る種の彫刻はそこで全て終わるからだ。しかし因業にこそ生きる全能ならぬ人間は、「造形」に「使える」粘土を、再度「造形」に「使える」様にと、粘土を練る事でそれを細々と再生する道を採ったのである。

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「別館」にあるのは、インフォメーションの「椎原保」作品とは異なり、作家の父親である「椎原治」氏(1905〜1974)の写真の関連である。そこは恰も「椎原治記念館」の趣すらある。

その展示室内には椅子が3つ程置かれている。これらに座って大いに腑に落ちる気になれるのであれば、その人は大いに腑に落ちれば良いだろう。

ベスト判という懐かしいフォーマットが見える。木製の引き伸ばし機の電源コードは袋打ちでプラグは丸型。コンタクトプリントの中のパフォーマンスの様な事をする美大生は今は相対的に少ない。しかしノスタルジーに陥ってはならない。それでは「別館」が「浪花千栄子」の貼ってある「昭和酒場」になってしまう。この「別館」への入口付近には、そうしたノスタルジーを戒める文言が貼ってあったりもする。そしてそれは写真の因業論としても読める。1976年中に書かれただろうその全文を引用する。

福野輝郎

 

 1930年代の一人の作家の、ここに現前している営為の痕跡は、ともすれば、記憶にしまわれた映像が引きずり勝ちの、あの懐かしさと云う萎えたロマンティシズムをそれ自身が断罪している。見る者は、殊更、時代背景としてのシュルレアリズムや、それが前衛と云われたかも知れない手法の奇矯さに関心を寄せる必要もない。その目新しさを、「失われた時」に限定する権利はいまなおわれわれにはなく、知られざる世界の構成に向けて、あらゆる領域の詩的言語がようやく孤独な作業を始めたと云うこの「現実の時」の中で、その映像はやはり新しいのである。
 事物を写しとる機械は、この作家にあって文字通りの写実の道具とはならなかった。写す行為は事物を巧妙に写しとることによって完結すると云う、あの自然主義の傲慢さはそこには一切ない。眼はそのような完結への計略に開かれてはいず、ただ事物のもつ存在の抽象性に集中している。
 この抽象性への透視こそ、終りのない運動の持続として、何よりもこの作家の写す行為を支えているのだ。決して眼に淫することのないその視線は誠実であり、恣意的な、いわゆる抽象への誘惑からも自由である。
 埋蔵さながらに、日々絶えざる腐蝕にさらされた物質としての紙片の表層から、ちょうど印画紙があの暗闇の液体の中で次第にその画像を鮮明にしてゆくように、覗かれ、あるいは覗かれてしまっていた世界は、いま半世紀を経て、見る者の前にこの上もなく明るく立ち現われている。

 

「眼はそのような完結への計略に開かれてはいず、ただ事物のもつ存在の抽象性に集中している。この抽象性への透視こそ、終りのない運動の持続として、何よりもこの作家の写す行為を支えているのだ。決して眼に淫することのないその視線は誠実であり、恣意的な、いわゆる抽象への誘惑からも自由である」。妖かしへの抗い。そしてこれは隣室の粘土に向けられた言葉の様にも読める。「交わす」。

上掲引用文は、1977年の「椎原治回顧展」(1977年1月6日〜29日)の三つ折パンフレットの中葉に印刷されているものだ。その左に1940年の「椎原治」氏の言葉が記されている。

 繪畫と同じ道を寫眞は何時までも進んでゆくべきではない。繪畫の影響に依って進歩した寫眞は、最早繪畫と違った別の、寫眞としての、軌道にのるのが本當ではないか。

 道具――あらゆる藝術を表現する手段又は方法はマテリアルを決定する。偉大なる藝術作品の上にはこれは確定的なものではないが、又道具を適當に使ふ事は偉大なる藝術作品を作成する根源となり素材と道具を最もよき條件に置く事がその作品の價値を高める。以上の様な意味で寫眞のゆくべき道は決定され、よりよき理想に向かって邁進する時代は既に現代でなければならぬ。

 

丹平写真集 “光” 昭和15年6月発行より

 

この文章を会場でつらつらと読んでいたら、その中頃に回転軸が見付かった。「適當」という単語である。この時代に於けるこの文章中の「適當」は、「 ある状態目的要求などにぴったり合っていること。ふさわしいこと(スーパー大辞林)」の意味で用いられている筈だ。しかし今ではそれを「テキトー」と書ける様な、実に高田純次的な意味として流通する事が多い。「いい加減」と同様のダブル・ミーニング。

この昭和15年の文章の「適當」を「テキトー」に置き換えてみると、その文章の全体の意味が180程も変わってしまう。「道具をテキトーに使ふ事は偉大なる藝術作品を作成する根源となり素材と道具を最もよき條件に置く事がその作品の價値を高める」。後段の「最もよき條件」が「テキトー」によって、確定的な「点」としてのものではなくなる。高田純次の「テキトー」もまた「躱す」芸なのであり、それは障害物によって発生する回折的なゆらぎとして現れる。

かいせつ【回折】

(名)スル
〔 diffraction 〕
波動の伝播が障害物で一部さえぎられたとき,障害物の影の部分にも波動が伝播してゆく現象。障害物の大きさと波長が同程度のとき顕著になる。音波電磁波光 X 線のほか,電子線中性子線などの粒子線でも,その量子力学的な波動性のために回折が起こる。

 

スーパー大辞林

 

粘土の「適當」やカメラの「適當」を、粘土の「テキトー」やカメラの「テキトー」にし続ける。それが一番「楽」なのではないだろうかと「修行」を見ていて思った。「簡単」ではないが。