****のアート


「****のアート」展


このたび、(中略)グループ展に参加することになりました。
(中略)お近くにお越しの際は、駅から近いです。宜しくお願いします。


(注)「****」は伏字表現


30年超の「友人」である「現代美術」系の「彫刻家」から、展覧会案内がメールで入って来た。自分の知らないギャラリーの名前だった。これまでの自分の人生で余り縁の無かった町の、この駅に降りた事も未だ嘗て無い。首都圏の白地図を示されて、そこが何処にあるかを示せと問われれば、自分にはそれを100%間違えられる自信がある。案内に記された他の26人の「作家」の名前にも心当たるものが無い。これらの人達は「彫刻家」の勤務する美術大学での「教え子」なのだろうか。


仕事を終えてカーナビに住所を入れる。**県**市**…。目的地まで1時間と計算されたものの、カーナビが推奨して来た有料道路を使わない事と、不案内な町であるという事を考え合わせれば、実質1時間半は掛かるだろう。17時半で閉まるギャラリーには、15時半位に到着する事になる。この展覧会を見てから他の展覧会を回れるという立地には無いし、大体月曜日というのは「Tokyo Art Beat」アプリ的な用語で言えば「本日休館」というのが昨今の美術展のデフォルトである。この日はこの展覧会だけを見るという事にした。


その「Tokyo Art Beat」アプリでは、この展覧会はもとよりギャラリーもヒットはしない。そもそも「Tokyo Art Beat」の情報は、「東京都」以外は「美術館」率が極端に高くなり、恰も「県」には「ギャラリー」というもの自体が存在していないかの様に印象付けられたりもする。一方「Google 先生」にこの展覧会名を入れても、それはそれで中々ヒットはしない。その展覧会名に似ていると言えば似ていなくも無く、似ていないと言えば全く似ていない楽曲関連のページばかりが表示された後、ようやく3ターン目に「彫刻家」の勤務校サイトの展覧会インフォメーションが1件だけヒットし、そこから先はまた検索の不発ばかりが延々と続く。「Twitter」の検索にこの展覧会名やギャラリー名を入れると、当該ギャラリーアカウント(33フォロワー)のツイートだけが2つヒットするのみだ。


メールを読んだ瞬間、件の「彫刻家」が「参加」するには「随分」な展覧会名だと思った。実際のそれに近いかもしれない表現―――細かいニュアンスは異なる―――で書けば「いろとりどりのアート」(仮称)展である。ひらがな表現の「いろとりどり」(実際には別のひらがな言葉)だけで終わらせるのなら兎も角、通常「現代美術」の展覧会に「〜のアート」というタイトルはまず付けない。「コンタクツのアート」や「複々線のアート」や「キャラクラッシュのアート」というタイトルを「現代美術」が採用する事はほぼあり得ない。これは狙っているのか、それとも狙っていないのか。外しているのか、外れているのか。もう少し他に言い様があるのか、もう少しも他に言い様は無いのか。「真意」を量りかねつつ、首都圏の私鉄沿線の極めて平均的な商店街に入り、東京三菱UFJ銀行隣のコイン駐車場に車を止め、iPhoneGoogle マップを起動すると、果たしてそのギャラリーは商店街の道を隔てて駐車場の向かいにあった。


道に面してガラス張りのギャラリー前の歩道から、そのガラス越しに「彫刻家」の姿を認める事が出来た。他の作家は会場内にはいない様だ。敏感過ぎるセンサーを備えた―――ドアの位置自体が歩道から近過ぎるとも言える―――自動ドアが、まだ市の土地に立っている自分に対してフライング気味に戸を開けてくれた。「彫刻家」は自分の姿を認めると「神出鬼没」と言った。自ら展覧会案内を出しておきながら、ここには来ないものと思っていたのだろうか。


ほぼ全ての作品は壁に掛けられている。「絵画展」と言って良いだろうか。額装されたものも、そうでないものもある。入口入って右側の壁にある「カラー・フィールド・ペインティング」や「アンフォルメル」に混じって、「カボチャ」や「トンボ」や「イルカ」等の絵が目に入って来た瞬間、「これは大胆過ぎるのか、それとも計算高過ぎるのか」と思った。それらはリアルに子供の絵の様に見える。絵具の扱いに少しでも慣れてしまった人間が、この絵の様に絵具を使おうと思ったら、それにはかなりの頭の切り替えを必要とするだろう。それをも「シミュレート」したのであれば、その作家の能力と知性と狡猾は恐ろしい程だ。子供の絵の上っ面をつまみ食い的に「シミュレート」する事で、「イノセント」を表象するステレオタイプな「子供スタイル」を我がものとする絵本作家等は、これらの絵の前では只々凡庸に思える。重ねて言うが、隙無くリアルなのである。


思えば近現代美術で常に「最先端」とされているものは、昨今流行りの「関係性」やら「リレーショナル」やら「社会関与」やら「参加」に至るまで、「美術」という「囲い込み」から、その「外部」へ「出る」為の、専ら「美術」の側の「都合」による「工夫」の連続だった。しかしそれは同時に、端的に「外部」であったものが「美術」の「内部」に「拡張」的な形で「回収」されてしまう過程の連続でもあった。


例えば上掲の文章の「美術」の箇所に「地上」を代置してみれば判り易いと思うが、「『地上』という『囲い込み』から、その『外部』へ『出る』為の、専ら『地上』の側の『都合』による『工夫』」の数々という「最先端」が、「宇宙探査/宇宙開発(space exploration/space development)」と呼ばれるとすれば、「『美術』の『最先端』」をドライブする欲望の形は、そうした "outer space(外宇宙)" と見做したものへの "exploration(探査)" や "development(開発)" の様相を帯びたりもする。


考えてもみれば、「大航海時代」から何ら変わる事無く、"outer space" の側から「宇宙探査船」を呼ぶ事は無いのだ。「宇宙人」が「こっちへおいで」と「宇宙探査船」を呼ぶのは、「スターシャ」という御伽話の存在位のものだ。「宇宙探査船」を打ち上げるのは、月面上に国旗を立てる事に象徴される様に、例外無く「地上」の「都合」によってなのである。


子供の絵もまた、そうした「美術」の "outer space" の一つとして、散々「美術」という「覇権的欲望」(実際に覇権出来るかどうかは全く別)に「利用」されて来たものだ。それは絵本作家の様に子供の絵を「シミュレート」するというレベルに留まらず、「子供の絵に対してどの様な価値を美術論的に見出し得るか」という「美術」への「フィードバック」を前提とする形での「利用」の形もある。それが悪いという訳ではない。但しそれは―――子供の絵の「利用」に限った事では無いが―――「美術」の「都合」という軸足の存在を「美術」自身が決して忘却しないという前提を崩さない限りに於いてのみである。「子供の絵と関係を持とう」とする「欲望」が「誰」のものであるかは、他ならぬその「欲望」を持つ者自身によって常に自覚化され問われ続けなければならない。子供は「スターシャ」ではないし、そこに政治家もしばしば使う方便―――行政も得なら国民も得―――でもある「Win-Win」を持ち出して来る事は、「美術」にその自覚が無いのであれば慎まなければならない。相互の利益を強調するのは「植民地主義」の常套手段でもある。


東京ディズニーリゾートのキャラクターの制服をタイポロジカルに―――まるでベルント&ヒラ・ベッヒャーの様に―――反復し続ける絵、文字を刺繍した作品、原稿用紙の作品…。そして一枚の油絵の前で息を呑む。こんな絵を今まで見た事が無い。使用した絵具の量は相当なものだろうと想像される。しかし画面上にはそのわずかしか残っていない。それどころか描いた絵具で「支持体」まで見せているところすらある。絵具の量が増して行けば、その分だけ物量として画面上にそれが残るという絵は幾らでも見た事があるが、絵具を載せれば載せる程削られて行くという絵は初めてだ。削られた絵具はキャンバスの縁へと追いやられ、その結果四角いものであったキャンバスは、はみ出た絵具によって別の形になっている。喩えは良くないが、お好み焼き屋の鉄板の上にタネを置いてそのままヘラでかき混ぜ続け、そのタネの殆どが鉄板周囲のトユやカス受に入ってしまう一方で、鉄板上には焦げ付きやこびり付きのみが残るといった感じだろうか。鉄板と、焦げ付きやこびり付きと、トユやカス受けの大量のタネが一枚の絵を構成している。一言で言えば「凄みのある絵」だ。この人の絵は「絵画の在りか」や「VOCA」に出ていただろうか。いや出ていなかった。


しかし会場の奥に行くに従って「これはもしかして…」という思いが浮かんで来た。いや、まだ「確信」は持てない。と同時に「もしかして」は確かめられない方が良いのかもしれないとも思った。やがて「彫刻家」に紹介された「ギャラリーの人」と話している内に「エイブル・アート」という単語が出て来た。「いろとりどりのアート」(仮称)は、所謂「現代美術」の人達による展覧会ではなかった。それは「シミュレーション」ではなかった。しかし「やはり」の語は飲み込んだ。「エイブル」の語が頭を占めるのを振り解こうとした。


東京ディズニーリゾートのキャラクターの制服をタイポロジカルに反復し続ける絵」の人の手になる、「おかあさんといっしょ」の数十枚の「フレーム」―――映像的な意味での「フレーム」―――「絵画」や、ディズニーキャラクターの刺繍、新宿の風景の「ドローイング」等も「ギャラリーの人」は見せてくれた。その人が「エイブル・アート」に関係する展覧会で「オーディエンス賞」を受賞したとも言われた。そしてこのギャラリーで、何時ぞやの「六本木クロッシング」展にも出たという「現代美術のアーティスト」と二人展を行った事も。Google で検索すれば「エイブル・アート」に関係する展覧会に大きく関わっている人が、この人について「紹介」した新聞記事等もヒットする。


「いろとりどりのアート」(仮称)展の出品者の他の人の名前も検索してみた。すると「アーティスト」はもとより、「写真家」や「写真評論家」等の名前が、それらの「障碍者」の人達の名前と一緒に出て来たりした。「みんなそこに『出掛けて』いるのだな」と思った。そしてその人達は、「アーティストの**さん」や「写真家の**さん」といった「職業」に対置される形で、「知的障害者の**さん」や「自閉症の**さん」といった形で殆どが「紹介」されている。


上で「『絵画の在りか』や『VOCA』に出ていただろうか」と書いた。それらの展覧会は、事実上「健常者」の為の展覧会となっている一方で、「障碍者」にはそれらとは「別枠」の展覧会が用意されていたりする。それらは、「オリンピック」に対する「パラリンピック」の如く存在している様にも思える。確かに「障碍者」は「健常者」と同一のスポーツ試合に同一のエントリ基準で組み入れられる事は殆ど無い。その理由は「競う」という一点で確かに正当性を有している様にも思える。では「障碍者」が「健常者」と同一の展覧会に同一のエントリ基準で組み入れられない理由は何であろうか。仮に「健常者」と「障害者」の間に何らかの「非対称性」が存在するとして、その「非対称性」は両者が「つくるもの」にもそのまま及ぶという事になるのであろうか。「作品」上では「違い」が見え難くても、「作者」の「主体」に「違い」があれば、それは「別枠」とすべきであろうか。確かに「ポコラート」という「垣根」を取った試みはある。しかしそれもまた「別枠」の形の一つの様に思える。


例えば「VOCA」という「健常者アート」の「展覧会」に、先述した「凄みのある絵」が、その描き手が「障碍者」である事を明かされずに出品されていて、それが「VOCA賞」を取ってしまったとする。次の年もまた、別の「障碍者」が「VOCA賞」を取り、そしてそれ以後「健常者」が「VOCA賞」をなかなか取れなくなったりする事を妄想してみる。恐らくそうなった時に、「エイブル・アート」や「アウトサイダー・アート」という呼称は姿を消すだろう。そしてその時「ノーマライゼーション」の「ノーマル」の意味するところも変わらざるを得なくなる。


「いろとりどりのアート」(仮称)展会場で興味深い話を聞いた。最近では "able art" に於いても「アーティスト」であろうとする姿勢が求められるというのだ。即ちプロフェッショナルな「生の芸術家」の誕生である。「生の芸術家」の戸籍上の名前が、そのまま商標的な「作家名」に変質する(「いろとりどりのアート」(仮称)展会場には「雅号」を持っている人もいた)。「生の芸術」は、「プロの生(brutiste professionnel)」という一種の語義矛盾を抱えつつ、確実に「次段階」に入った。であれば「作家」たらんとする一点では、「健常者アート」と「障碍者アート」の「区別」は最終的には無くなる事にもなる。「玄人アート」と「素人アート」でもあった「健常者アート」と「障碍者アート」の「区別」が、今や或いはやがて「玄人アート」と「玄人アート」として同一平面上に並ぶ。


しかし現実的に言って、「障碍者」が「つくるもの」を「アウトサイダー」の「アート」として固定化したい「健常者アート(「インサイダー・アート」)」は、自らが「無徴」の位置にある事を明け渡しはしないだろうし、それは決して「アート」の望むところではない。即ち何時まで経っても「アートの主役は自分達」なのだ。それは "man" が「男」であると同時に「人類」を指す「無徴」の語であるのに対し、「女」は "woman" や "womankind" という「有徴」の語を当てられているという関係にも似る。"woman(女)" は "man(人類=男)" から見てどの様な価値を見出し得るかを永く問われて来た。日本語の「女流」というのも、そうした「有徴」の語の一つである。「人類」を表す "man(kind)" 、即ち「人類=男」は、最近になって性差別的であるとして "human(kind)" 等とされる事も多くなっているが、一方の "art" は "art brut" や "outsider art" や "able art" といった、 "woman(古語では wifman=wife-man=妻となるべき人類)" 的な「有徴」的な呼称―――「障害を持つ - 人類の芸術」―――を未だに次々と作り出している段階に留まり続けている。


展覧会場にある "able art" の数々。しかしそれにしても何故にそれらは「アート」と呼ばれなければならないのか。「造形」だからだろうか。確かにこれらは「批評」の対象にもなり得るかもしれないが、それが「美術批評」でなければならない必要性は些かも無い。であるにも拘わらず "art brut" や "outsider art" や "able art" という呼称は、既にそれが「美術批評」の対象である事を「予約」されてしまっている「制限」として作動する。"man" が "human" に対する「制限」の形である様に、「臣民」が「臣」の「民」である事を("people" がそれを了承した覚えが無くても)予め「予約」されている様に。端的に "people" である者に「臣」の言葉を被せれば、その瞬間から "people" が如何に「臣」のものであるかを説く事が出来る。同様にあらゆるものに "art" を付加すれば、その瞬間からそれが如何に "art" のものであるかを説く事が出来る。


ラテン語の "ars" が捻れに捻れて、フランス語の(狭義の) "art" 、英語の(狭義の) "art" 、そして今日の日本語に言う「美術大学」で学ぶ様な「美術」(ガチガチの狭義)にまで至り着いた。フランス人の(狭義の) "art" 関係者だったジャン・デュビュッフェ(Jean Dubuffet)が、自分のコレクション(それは「制限」の形の一つである)を通じて、 "art brut" という名称を―――半ば自分の "art" 仕事に於けるポジション確保の為に―――仕立て上げた。以後それらは "art" の「造形物」として遡行的に「発見」され今日に至る。その意味で、デュビュッフェが「してしまった」行為の「罪」は決して軽くはない。


或る若い保育士の人が、自分を「美術」の人間であると十分に認識した上でこう言った事がある。「子供の絵を美術(的な意味での造形)として見たら何も判りません」。「何も(ナッシング)」であるかどうかは置くとしても、それでも「美術」の目では、物事をかなり多く「見誤る/見落とす」事になるという厳然たる事実は確かに存在する。保育士の人の子供の絵に対する分析というものも実際に聞いた事があるが、それはそれで分析として説得力のあるものだった。そして同時に確かに「美術」的なアプローチでは、そうした分析はかなり難しいという事を感じた。「美術批評」(や所謂「表象文化論」)が「造形物」に対する「知的アプローチ」の一つである事は疑い得ないものの、一方でそれは「一つ」でしかない。所謂「造形物」に相対するに際して、「美術批評」にこうした「見誤る/見落とす」に対する自覚があるかどうか、「美術批評」では見えて来ない「造形物」がこの世界には多く存在するという認識があるかどうかが、「美術批評」自体の在り方の「美学」に関わって来る。


「彫刻家」の作品も、メールに「グループ展に参加」とある様に一点出品されていた。それを見るのに見方の「文脈」をシフトさせられた。それをしない方が良かったのだろうか。しかしやはり「美術」に組み入れないと、何も見えて来ないものではあるのは事実だ。「彫刻家」が関わった、この人達の参加した「ワークショップ」の「成果」も会場に展示されていた。多くの「美術」の関係者によって行われる「ワークショップ」がその「成果」として「認める」もの同様に、それらの "(Sandplay) Therapy" はきちんと "art" の「造形物」になっていた。


ギャラリーが閉まる17時半まで会場内にいた。暇を告げ外に出ると、商店街の空はすっかり暗くなっていた。活気のある首都圏の商店街。生きている商店街。そこを歩いている殆どは地元の人達だ。「観光資源」が地域経済を後押ししなくて良い街。数日前に行った「地域アート」の場所とは随分と違うところだと思った。


【続く】