油断/VOCA展2014/B-things and C-things at A-things

東京都千代田区北の丸公園1-1(気象庁露場)の気温=「東京都心の気温」が22.2度になった3月最後の土曜日に、「上野の森美術館」に足を運んだ。


Yahoo!翻訳」に「上野の森美術館」を入れてみると、その英訳は「Forest Museum of Ueno」になるが、「上野の森美術館」の「正式」英名は、民族系ホテルや結婚式場の名称をも思わせる「Ueno Royal Museum」である。因みに同翻訳サービスに、今度は「Ueno Royal Museum」を入れてみると、その日本訳は「上野国王の博物館」になるが、勿論ここは「上野の森美術館」でなければならない。一方「Google翻訳」では、「上野の森美術館」⇔「Ueno Royal Museum」という「正確」な訳になる。相対的に「正直=イノセント」な翻訳は「Yahoo!翻訳」だと思われるが、「Google翻訳」の方が「賢い=抜け目の無い」翻訳である。


千数百個のボンボリが吊るされた上野恩賜公園は、すっかり「うえの桜まつり」モードであり、そこには常ならぬ花の天蓋によって、常ならぬ状態になった人達が何万人もいた。「上野の森美術館」の入口前の「テント」には、まだ3月の身体が対応し切れない22.2度(参考値)の炎天と、1日辺り100万人の人混みを避けようと、疲れ切った顔の善男善女が「テント」の「布基礎」に何人も腰を下ろしていて、さながらそこは「野戦病院」の趣であった。


その「野戦病院」に併設している「上野国王の博物館」、もとい「上野の森美術館」では、二つの展覧会が行われていた。片一方は「一般・大学生500円 高校生以下無料」の「VOCA展2014」であり、もう一方は「入場無料」の「郄柳恵里<油断>」展だった。「入場無料」の方に最初に入った。


さりげなくさりげある作品「一面 砂利」を見ていると、「郄柳恵里」展の会場に「龍の柄が大きく刺繍された白ジャージの上下」をキメているヤンパパ(と観察され得る人)と、相対的に地味な装束のヤンママ(と観察され得る人)と、それら両親よりも遥かに地味な御子息(と観察され得る幼児)という三人連れが足早に入って来た。彼等は1分後には「郄柳恵里」展の人では無くなってはいたが、それでも「白ジャージ」氏は全ての作品を見て回っていた。その1分間の中では、「一面 砂利」の前に立つ時間が相対的に最も長く、「2m(ルールとアバウト/K)」は一瞥に終わっていた。但し「ヤンキー」とも観察され得る風体だからというそれだけの理由で、或いは滞在時間1分間というそれだけの理由で、「現代美術が理解出来る筈が無い」と思い込むのは早計というものだ。況してやそれが「現代美術が理解出来ない奴はヤンキーに決まっている(「ラッセンが好きな奴はヤンキーに決まっている」でも可)」となると、「在日認定」の様な「ヤンキー認定」となってしまうだろう。それもまた「ヤンキー」の特性とされる「反知性主義」と似たり寄ったりと言うべきものである。果たして「白ジャージ」氏一家の目には、「郄柳恵里」はどう映ったのだろうか。


1999年の「VOCA展’99」に、「ラプンツェル」と「highland hike」という「平面作品」を出品(推薦:前山裕司氏)して「VOCA奨励賞を受賞した」という「縁」によって企画された「同展覧会にゆかりのある作家の小企画展」が、この「郄柳恵里<油断>」展という事である。「現代美術の展望----新しい平面の作家たち」という 20年間変わらぬ「伝統」の「設定」と、20年間変わらぬ「伝統」の「審査員」が審査する「平面」の展覧会の「関連企画」という事で、現在「平面作家」とカテゴライズすればカテゴリー・ミステイクにすらなる「VOCA奨励賞」受賞作家「郄柳恵里」氏は、本館で行われている「VOCA展2014」に対しての「思い」を、会場に置かれたリーフレットを通して綴っている様にも思えた。


「一面」のこと


例えば、コピー用紙が落ちて床の隅でペランとなっている様子など、実によく見かける状態です。ルーズな感じであるとか、自然な感じであるとか、印象は簡単に持つことができますが、よくよく見れば、それは、それ特有の「かたち」や「機能」を持っていて、そこではいろいろなことが起きている、とも思えてくるのです。ここでは紙は紙らしくあるだけですが、たとえば、その軽さや重さやスケールや、床面の立場や壁面の立場のことなど、状況をどんどんはっきりさせなくしてくれます。ペランとした紙切れに正面から取り組んでみました。


床の面があって壁の面があって、紙も一面ではあるけれど、果たして何面であるのか。
展示台に一面の紙を展示してみると・・・。
トロ箱のなかで砂利も面を持ち・・・。


一面のことを思うについては、同時開催の平面作品の展覧会である VOCA 展のことも少々意識しました。そして、ギャラリースペースの階段部分に設置されたバリアフリー対応のスロープの「かたち」や「機能」のことも。


「一面 紙切れ」と題された作品が4点あった。その何れもが何も描かれて/書かれていない真っ白い紙だった。「3000×1382mm」「1450×1102mm」「420×297mm」「364×257mm」という大小様々な白い紙は、その内の3枚が撮影スタジオのホリゾント幕(サイクロラマ)の様に、「床の面」から「壁の面」に渉る形で「ペラン」とそれらの「面」に沿っている。「1450×1102mm」の1枚は、紙よりも小さい「展示台」の上に「展示」されている為に、「展示台」からはみ出た部分は、やはり「ペラン」と垂れ下がっている。「床の面」と「壁の面」はそれが「別々」の「面」と看做されるが故に「二面」と数える事が可能だが、果たしてそこをRで繋いでいる部分はどちらの「面」に属するのであろうか。或いはそこは「無限面」なのだろうか。しかし一方で紙はやはり「一面」である。「二面」にそれぞれ沿う「一面」という矛盾がそこにあり、また「無限面」を持つ「一面」というのも矛盾である。


注意深く見てみると、「3000×1382mm」の「一面」は、床に接した「面」が所々波打って浮き上がっており、また壁に面した「面」も同様に諸所で浮き上がっている。「420×297mm」(所謂「A3」)や「364×257mm」(所謂「B4」)にもそれが見られる。「展示台」の「1450×1102mm」では、「一面」が「展示台」から垂れ下がる直前に一度微妙に持ち上がり、それから下方向へ向かっている事が見て取れる。その「持ち上がり」部分は「展示台の水平面」に密着している様で密着していない。それらの「浮き上がり」や「持ち上がり」もまた「一面」の中の「無限面」だろうか。


仮にこの「紙」が「白紙」ではなく、そこに「絵」が描かれていたらどう見えるだろう。しかも「現代美術の展望----新しい平面の作家たち」の「VOCA展2014」の会場内にあったとしたら。たちまち「白紙」の時に見えていた殆ど全てのものは消え失せてしまうに違いない。「絵」が描かれている以外は全く「同じもの」であるにも拘わらず、「絵」になった瞬間からそれらは見えなくなる。「一面」の具体性は失われ、「絵」から遡行的に見出された「平面」の抽象性が頭をもたげる事で、「平面」になった「一面」は、痩せた概念としての「シュルファス」の対概念の、痩せた概念としての「シュポール」に成り果てる。


「一面」という言葉が入る「一面の真理」という言葉がある。それはそこ(「一面」)で言われる「真理」が相対的なものであり、或る観点を取る限りに於いてのみ「真理」であるという事を示している。「一面の真理」は、多くはその後に「〜でしかない」を繋げて「一面の真理でしかない」という使用をされる。果たして「平面の真理でしかない」という言葉はあり得るだろうか。日本語にはそれに似た意味を持つ「平面的(その表面のみを見て論じたり表現したりするさま:大辞林)」という言葉はある。


ここで思い出されるのは、あの「4'33"」に対して、他ならぬジョン・ケージ自身が述べたコメントである。


They missed the point. There’s no such thing as silence. What they thought was silence, because they didn’t know how to listen, was full of accidental sounds. You could hear the wind stirring outside during the first movement. During the second, raindrops began pattering the roof, and during the third the people themselves made all kinds of interesting sounds as they talked or walked out.


彼等は、凡そ無音とされる様なものが、そこには存在していなかったというポイントを見逃している。彼等は「ものの聞き方」というものを知らないが故に、意想外の形で満ち溢れていた音を、無音であると思い込んだのだ。第一楽章の間中、外で風がそよいでいたのを、第二楽章では雨粒が屋根を叩くのを、第三楽章では喋り出したり、席を立ったりといった、聴衆自身が発するあらゆる興味深い音を聞く事が出来たのに。(拙訳)


しばしば「音楽」は「意想外の形で満ち溢れていたもの」を覆い隠す。さしずめ「BGM」と言われるものがそれだろう。「意識操作」としての「BGM」の目的は、「BGM」が差し出すもの以外の物事に対する感覚を奪おうとするところにある。「楽しいBGM」は「楽しい」気分に、「悲しいBGM」は「悲しい」気分に、「不安なBGM」は「不安」な気分に、「感動のBGM」は「感動」の気分に人々を誘導する事を狙う。


リーフレットの作家コメントを全文引く。


展覧会によせて


「油断」は、私の制作における姿勢の一つについての言葉です。油断した状態で物事に接することが、実に多くの発見を生んでいる、ということはないでしょうか。


ちょうど一年前に開催した個展に、私は「不意打ち」というタイトルをつけました。目前の物事の居場所をどこかに落とし込もうとする間(ま)を自分に与えないように、私自身に不意打する、ということ。


今回の「油断」は、自身を不意打ちするとき、さらに、自分は油断している状態でいたい、ということです。決して、鑑賞される方々に、油断なさらず、と言っているのではありません。自身が油断している状態で不意打ちされることで(ひどい感じですが・・・)目の前のものはどうやっても名付けられないものとしていてくれる、と思っています。物事を受け入れる待機をしようとすることから、如何に逃れることができるか、といったようなことです。そして、そういった地点でこそ、発見し何かが生まれ、本質に触れることができるような感覚を覚える、といったことが起きている気がしています。


展示については、一見知っているようなものが、実は知らないものとしてあって、注意深くかつ大らかに、そこで起きている出来事に触れることができるような展示にしたいと考えました。そこにある名付けられないそのことに、どのようにして触れることができるのか、どのようにして知ることができるのか、そんなことを思っています。


郄柳恵里


「本質に触れる」というのは、「本質」なるものが既に「受け入れ」可能な形で存在していて、それに「触れる」事さえすれば良いという訳では無い。「物事を受け入れる待機をしよう」としても、実際にはそこに何がある訳でも無い。「発見」とは「言語」の働きによって意識化する事(「何かが生まれ」)であり、ここで述べられている「触れる」というのは、そうした意識化のプロセスを言う。しかしその様に「言語」の働きによって「発見」されたものは、「どうやっても名付けられない」=「言語には収まらないもの」である。


4枚の白紙を40分間以上楽しんだ。実はもう少し楽しめたのだが、「次」が控えているというスケジュール上の「事情」もあって、止む無くその場を去る事にした。一方「一面 砂利」の前に立っていた時間はそれ程は長くなく、また2つの「ルールとアバウト」や「置き石」と関わっていた時間も相対的に短いものだった。それらはこの「展示室」ではない場所で見たかった様な気もする。寧ろ「一面 砂利」などは、「黄身が白身の中心から外れてしまった目玉焼き」を見る度に思い出される様なものかもしれない。

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VOCA展2014」は33名を40分で回った。4枚の白紙に費やした時間と大体同じである。「次」が控えているのでこういう時間配分になったが、しかし「VOCA展2014」に40分というのは、「平均値」的にはかなり高めの滞在時間である様も気がする。


最早「伝統」となった 4名の「常任審査員」に加えて、2名の「非常任審査員」による「選考所感」の中には、「絵画のもつ多様性を強く印象づけられました。特に二つの領域があって、選考する際に、少々難儀しました(酒井忠康氏=「常任審査員」)」とある。「賞」と言えば、あの「日本レコード大賞」が、現在に至る長期衰退傾向を迎えた1990年から3年間、「ポップス・ロック部門」と「歌謡曲・演歌部門」という「二つの領域」に分けて、それぞれに「日本レコード大賞」を選ぶという試みがされた。確かに日本の大衆音楽の「多様」な楽曲の中から「作曲、編曲、作詩を通じて芸術性、独創性、企画性が顕著な『作品』」、「優れた歌唱によって活かされた『作品』」、「大衆の強い支持を得た上、その年度を強く反映・代表したと認められた『作品』」を選ぶのは、「少々」どころか「かなり難儀」な仕事だろう。


「日本の大衆音楽」を「二つの領域」に分けた初年度1990年の「ポップス・ロック部門」の「日本レコード大賞」は、B.B.クイーンズ「おどるポンポコリン」であり、「歌謡曲・演歌部門」の「日本レコード大賞」は堀内孝雄「恋唄綴り」だった。「おどるポンポコリン」と「恋唄綴り」のどちらが「音楽」として優れているかという選択は、その「多様性」を前にして「難儀」の上にも「難儀」であり、且つその設定自体が馬鹿馬鹿しいものとも言えるが、確かにこうした方法を取れば、そうした「難儀」の幾分かが解消される様な気分にはなれるかもしれない。但し「二つの領域」に分けた「日本レコード大賞」は、僅か3年でその「試み」を捨て、再びその年を「代表」する「日本レコード大賞」は一つになり、毎年の様に「EXILE」と「AKB48」の間でそれは争われている。こうして「日本レコード大賞」は「相も変わらぬ」ものとなった訳だが、当然「音楽」はこうした「相も変わらぬ」ものばかりではない。恐らく同賞の「相も変わらぬ」事が見えないのは、その審査関係者ばかりなのであろう。


「絵」に没入するという体験は、「音楽」に没入する体験にも似る。それはそれで楽しい事だ。「現代」になるまで「絵」というものは概ねそういうものだった。但し直前に見た「郄柳恵里」からの切り替えには予想通り苦労した。両者の「読み取り」の意味は全く異なる。ここで無理をして「郄柳恵里」の様に見る必要は全く無い。「描かれたもの・こと/書かれたもの・こと」を、時々認識の次元を変えながら「読み取り」して行った。


「多様」で分厚い33冊を1週間で読む事にも似て、「多様」で長大な33曲を1日で聞く事にも似て、「多様」で「多弁」な33名の「描かれたもの・こと/書かれたもの・こと」を40分で「読み取り」する事にすっかり疲労した。毎食前に1枚であるとか、毎食後に1枚であるとか、朝夕1枚ずつであるとか、「絵」に関してはその位が自分には「摂取量」として丁度良いのだろう。医者から処方されるパンパンに膨らんだ薬袋にも似て、真面目にそれを「飲め」ばそれ以上は「副作用」が出る。


「片岡さん」「建畠さん」「高階さん」「酒井さん」「笠原さん」「本江さん」等々の名前や「絶対300万」が「絵」の中に飛び交う、「体当たり」の「特攻機」も展示された会場を後に、「花見」の上野恩賜公園に再び出た。圧倒的な情報量の多さを持つ「花見」の「多様」を前にして、思い出されるのは「白い紙」の事ばかりだった。

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東京都現代美術館横浜美術館を経由して吉祥寺に向かった。吉祥寺駅に着いたのは16時30分だった。「関東バス」と「徒歩」を天秤に掛け、「関東バス」の到着を待つ事にした。その選択は、到着時間5分の差を以って正しかった。これで5分間だけ余計に作品が見られる。


B-things and C-things at A-things(以後「ポンチ絵」)」と題された展覧会だった。作家名は「おかざき乾じろ」であった。壁面中にびっしりと展示された「ケース」入りの「ポンチ絵」の大部分に「売約済」のピンが刺さっていた為に、自分が「売約」に参加する事は叶わなかった。


「あかさかみつけ」という言葉がギャラリー内の複数の口から聞こえた。懐かしい言葉だが「あかさかみつけ」からは30年以上の時が経っている。その「あかさかみつけ」を「図画工作」であるとした指摘が何処かでされていた様に記憶する。成程そうなのかもしれない。そこで言われている「図画工作」が、ポジティブな意味を持つ言葉なのか、ネガティブな意味を持つ言葉なのかは良く判らないが、仮に「あかさかみつけ」を「図画工作」であるという理由で切り捨てるのであれば、それはまた「郄柳恵里」を「紙を置いただけ」として切り捨てる感性にも似るだろう。果たして「図画工作」は、「図画工作」の一語で切って捨てられる程までに、それを見る価値の無いものであろうか。


今回の「ポンチ絵」は、80年代前半の「あかさかみつけ」よりも、個人的にはその直後の80年代中頃の作品に近い印象を受けもするが、それは多分に外見的相似性によるものだ。或る意味で「VOCA展2014」の対極にある「肩の力が抜けた作品」という印象を持った。使用されている「支持体」は、「丘設計事務所」と印字された「方眼紙」である。この「建築事務所」の「方眼紙」は或る日を境に大量に「手に入れた」ものだそうだが、その来歴に多くを委ねて語るべきでは無いだろう。


「郄柳恵里」は「方眼紙」を使わなかったが、「おかざき乾じろ」は「方眼紙」を使っていた。そして「郄柳恵里」には「絵」は描かれていなかったが、「おかざき乾じろ」には「絵」が描かれていた。「上野国王の博物館」を出て、ずっと気になっていた「郄柳恵里」と「VOCA展2014」の「止揚」の形の一つを、この「ポンチ絵」に見たと言っても過言では無い。


この日の終り、そして3月の東京を「ポンチ絵」にして正解だった。数件予定していた以後の展覧会巡りを全てキャンセルした。良い気持ちで東京を離れたかったからだ。