施錠

今でも日本の「田舎」では、施錠をしないという風習がまだ残っている。「田舎」のみならず、例えば「サザエさん」の磯野家(東京都世田谷区新町3丁目51番地)も、恐らく頻繁に施錠はしていないだろう。カメラ付きインターホンに出るサザエさんというのも、ドアスコープ(ドアじゃないし)を覗くサザエさんというのも、ドアチェーン(だからドアじゃないし)越しに応対するサザエさんというのも無かったりする。基本的に、玄関にはロックを掛けない磯野家だ。従って、結果的にサザエさんの押し売り遭遇率も高い。


磯野家に頻繁に来る押し売りは、「別荘帰り」を強調しながら凄みを効かせる為に、時に上がり框近辺に包丁などを突き立てたりもする。そんな危機一髪な目に遭っても尚、施錠をしないのであるから、磯野家は基本的にと言うか、設定的に「性善説」の人ばかりである。磯野家の人達の学習能力のベクトルは「性善説」の方向を向いている。磯野家の玄関は、家族や、知人や、いい人や、話せば分かる人や、一線を超えない人に向けて、常に開かれている。それ故にか、巷間極めて好感度の高いサザエさんであるが、それでもキャラクター採用されないものがあるとしたら、それは警察の防犯関係であろう。但し「ご近所付き合い強化〜防犯に強い街づくり〜」という方面からのオファーはあるだろうが、しかし「現実」的に包丁を持った人物に、幾度と無く易々と玄関内に入られてしまっている磯野家ではあるのだ。磯野家が地域で最初に押し売りに入られたのなら兎も角、ご近所からそうした「不審者」情報が全く寄せられておらず、また磯野家も「不審者」情報をご近所に拡散している様には見えないそんな東京都世田谷区新町3丁目なのである。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」は、ここでは機能しているのかいないのか。

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施錠をせずとも、人の侵入を拒む家というのはある。所謂「ゴミ屋敷」はその一つだろう。少なくともそれは、「窃盗」に入る気をスポイルさせる効果はある。鍵付きでなくても入る気にならない家。それはまた、英米語圏の人にとっての、日本語表記のサイトも同断であろう。たとえその大部分が、閲覧者の母国語で書かれていたとしても、そこに少しでも日本語があれば、それは自分達には関係が無いサイトであると、その人達は思ったりするという話も無いではない。Facebook なんかを考えれば、何となくそれは判る。だからこそ、FBの初期は、何とか英語で書かなくちゃと、「先端的」な日本人は、一生懸命に英語だけで書こうとしていたものだった。でなければ mixi と同じじゃないか、「世界」に繋がらないじゃないかなどと。いや、今でも「世界」と繋がろうとする人は、英語で書くのだろうが、しかしそれは、「外国人」による拙い日本語100%というサイトに、日本人が感じるモニョリ感に似たものがあるかもしれない。であれば、英米語圏の人にモニョリ感を催させる拙い英語100%もまた、鍵付きでなくても入る気にならないといった点で、同じ様なものではないかとも思えたりする。


それはさておき、要は日本語というものは、現実的にそれ自体で、「世界」からの侵入を遮断する「鍵」になるという事である。だからこそ、日本語で書かれるものは、事実上国内向けのものになる。例えば Twitter で、「世界」に繋がるからと、その全てを英語で書こうという人は、「国際派」の人であろうと最早少数派であろう。基本的に、日本語で書かれたものには、日本人しかフォローをせず、従ってそこでの呟きは、日本人に対してのものになるし、「繋がる」のはもう日本人だけでいいんじゃね、という事もあるだろう。


国外向けと国内向け。それが全く変わらない人もいるだろうが、一方で、国外(「国際」)と国内の、二つのスタンダードを使い分けている「国際派」も存在している様にも思える。その中には、国外スタンダードと、国内スタンダードが矛盾しているケースもあるだろう。しかしここでも日本語は役立つ。国外スタンダードからすれば、眉を顰ざるを得ない様な事を書いたりしても、日本語なら「大丈夫」なのだ。何故ならば、国外の人間はそれを読めない、読もうとする気が無いからであるし、その発言の一々をわざわざ別の言語に訳す様な奇特な人間もいないという信憑がそこにはあるからだ。


例えば日本語の文章では、「欧米諸国では常識」「欧米では常識」などと適当に書けるが、欧米だって広うござんすである。それは翻って「アジア諸国では常識」「アジアでは常識」とか、「極東諸国では常識」「極東では常識」などと、十羽一絡げで言われる様なものであり、場合によっては、当の「欧米」にしてみれば「おいおい待ってくれよ」の一つも言いたくなるものも、そこにはあるだろうと想像される。しかしそれもまた、日本語ならば事実上「鍵付き」であるから、そうしたクレームも付き難いものの、同じものが「欧米語」で書かれていたら、その辺りの「大雑把」さに対する説明は必ず求められる事だろう。


他にも例えば、「中国」の「人権」感覚と、「日本」の「人権」感覚と、「欧米(この際大雑把)」の「人権」感覚はそれぞれに異なる。仮に「欧米」を拠点に活動する「国際派」であるとするならば、如何な中国人であっても、「中国」の「人権」感覚をスタンダードとした発言をする訳にはいかないだろう。それはまた、日本人も同断であると思われる。「日本」の「人権」感覚をスタンダードとする発言を、「欧米」からは「見えない」日本語で書きさえすれば、「大丈夫」であるという事が事実上あるかのもしれないが。


日本の、日本語で書かれた雑誌もまた、21世紀の今般は「国際ステージ」の一線から外れたものであると言わねばならないだろう。嘗て日本が「世界第2位」の「経済大国」であった頃、もしかしたら、日本が世界一になるのではないか、21世紀は日本の世紀などと言われていたりした頃、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などと言われていた頃、日本の美術雑誌は、それでもそれなりに「国際」的な関心の内側にあったと言えるだろう。


もう随分と前の話だが、某国で展覧会をした際のシンポジウムの席での話。そのシンポジウムには日本側の作家、キュレーター、そして当時の美術手帖の編集長が出席。一方某国側の出席者は、、美術家、美術評論家、ジャーナリストといった面々であったと記憶する。会場には彼の国の国営放送のカメラと大新聞の記者も入っていたかもしれない。日本側と某国側は見事に対称的なものだった。日本側は「お喋り」をするスタンスでシンポジウムに望んだが、某国側はそれを「真剣勝負」というスタンスで捉えていた。


何よりも違ったのは、テーブルに積まれた資料の量だ。日本側はあっても数センチだが、某国側は数十センチもの量があり、しかもそれが二山か三山ある。そして「真剣勝負」は開始された。日本のアーティストに辛辣な質問が寄せられたのはままある事として、その「真剣勝負」の核を成したのは、日本の評論家とジャーナリズムに向けてのものだった。曰く「この美術手帖の、何年何月号の何ページで言っている事と、この別の号で言っている事とは矛盾している。そこのところを論理的に説明して欲しい」「あなたは以前こういう事を美術手帖、何年何月号の何ページで書いている。しかしそれは全く今の発言と矛盾するのではないか」等々。突っ込む某国、のらりくらりとかわす日本。


恐らく「美術手帖」が国外で、その隅から隅まで「研究」されているとは、日本人の誰もが思っていなかっただろう。海外で「広く」読まれる「美術手帖」などというのは、編集人ですら頭に無かったと思われる。しかしそれもまた昔の話だ。今でもその国が「美術手帖」を「研究」の対象としているかどうかは定かではない。そこには再び、日本語、及び日本という特殊性の鍵が掛かっているのかもしれない。そして鍵が掛かればこそ、そこで「安心」が得られるのかもしれない。