計画

承前


枕から。


長い間、学校の行き帰りで見掛ける、その「計画」の意味が判らなかった。小学校高学年の頃の話だ。「計画」という言葉は知っていた。小学校の「社会」の時間、「コルホーズ」や「ソフォーズ」といった、ソ連の「計画経済」政策を習っていた。「五カ年計画」も習っていた。時恰もニキータ・セルゲーエヴィチ・フルシチョフの時代だった。「第三次世界大戦」になり得た「キューバ危機」からも、それ程時間が経ってはいなかった。東側諸国の「計画経済」バリバリ現役の頃だった。当時の担任教師が、そうした「計画経済」や「五カ年計画」を、「優れたもの」と言っていたか、「劣ったもの」と言っていたかは忘れた。とにかく「計画」というのは、そうした「計画経済」や「五カ年計画」や「アポロ計画」や「所得倍増計画」の様に、「国家」や「組織」みたいなところが、何やら「大層」な事をする際に使用される、「立派」そうな言葉であると思っていた。60年代は「計画」だらけの時代だった。


そんな「立派」そうな言葉が、よりによって何故「家族」に付いているのだろう。「明るい家族計画」とは何なのか。何でこの小さな小さな自動販売機に、それが書いてあるのだろう。大体この自動販売機が売っているものは一体何なのだろう。「家族」と「計画」。小学生の頭では、それらが一向に結び付かない。「国家」(それは「日本」かもしれないし、「ソ連」かもしれないし、「アメリカ」かもしれないし、また別の国かもしれないし)や、或いはどこかの「組織」が、「家族」をどうしようとしているのだろうか。それぞれの「家族」に、密かに「国家」や「組織」から、何らかの指令が来ているのだろうか。もしかしたら自分の家にも来ているのだろうか。そして、その「計画」を守らなければ罰せられるのだろうか。「家族」の一員である自分も、その「計画」に参加しなければならないのだろうか。そもそも「家族」の一体何が「計画」されているのだろうか。何やら策動の匂いがする。その自動販売機の前を通る度にドキドキとした。しかし当然、やがて「家族計画」の「家族」と「計画」のそれぞれの意味を知るに至る。そして、小学生の時のドキドキとは、また違ったドキドキが、そこにあるとされる事をも知る。


「計画の家族」と「無計画の家族」。そのどちらが多いのかという統計が存在するのかどうかは寡聞にして知らない。少なくとも「国勢調査」にはその質問項目は無いし、「家族」に於ける「計画」と「無計画」が、画然と分けられるものかどうかも判らない。


そう言えば、つい最近聞いた「計画」には「計画停電」というのもあった。この「計画停電」には、「計画」という言葉の持つ一種の「胡散臭さ」「如何わしさ」が、遺憾無くダダ漏れしていたと言えるだろう。一体その「計画」の主体は誰なのか。一体その「計画」は何を意図しているのか。一体その「計画」は誰をどこに連れていこうとしているのか。一体「計画」の「責任」は誰が取るのか。恐らく21世紀は20世紀と異なり、「計画」の「責任」といったものが求められる事になるのだろう。その「計画」の語が、「プラン」や「ビジョン」と体良く名を変えたとしても。そもそもが「計画停電」を招来したのも、戦後の「電力供給『計画』」の産物なのではある。「計画」は、それが大規模であればある程、それによって生じた「背負うもの」が余りにもあり過ぎて、結局「後戻り」が効かないものになったりもするのだ。

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建築家は「計画」に生きる人であり、「計画」によってモチベーションが高まる人である。但し「計画」の「責任」を負う主体であるかどうかは知らない。一方絵描きは「無計画」でも出来ない事は無いし、寧ろ「無計画」をこそ重要視される事もある。例えばこのマティスの「無計画」は、絵画的には極めて「良い」ものであるとされる。


http://www.thejewishmuseum.org/site/pages/uploaded_media/cone/matisse/index.html


しかし零細事業マティスと同じ様な事を、建築家はやってはならないだろう。建築が建築家一人で建てられるものだったら、或いはそれは可能なのかもしれないが、実際には建築家は「指示」する人であり、他人を「使役」しなければ、「型枠工事」も、「部材加工」も、「高所作業」も、場合によっては釘一本満足に打てない人である可能性もある。従ってそこで「指示」する者である建築家が、「無計画」をした日には、建設現場は元より、事務現場や営業現場もまた右往左往するばかりになってしまう。と言うか、そういう「無計画」な人物は、恐らく始めから建築などやってはいけない。


森美術館メタボリズムの未来都市展:戦後日本ーー今甦る復興の夢とビジョン」展の全てもまた「建築家の『計画』」を見る展覧会であり、且つその多くが「計画倒れ」になった事を見る展覧会である。「計画」は「計画倒れ」になる可能性を常に孕む。換言すれば「失敗」する可能性を常に孕む。従って、事実上「計画倒れ」が多く展示されている当展はまた、「計画の失敗」を見る展覧会でもある。であるならば、これ(「メタボリズム」)は、優れて/劣って「失敗学」のサンプルに成り得ると言えるだろう。人はこの展覧会を見て、「成功」した暁のファンタズムをうっとりと想像して満悦するのではなく、何故これらの「計画」は現実的に「失敗」したのか、「失敗」の原因はどこにあったのかを学ぶ材料とすべきなのだろう。特に建築関係の人は。


メタボリズム」という「主義(ism)」を彷彿とさせてしまう語の代わりに、「新陳代謝計画」としてみたらどうだっただろう。「外人」に対してのプレゼンテーションの意味があるのなら、それをそのまま英訳すれば良い。「新陳代謝計画」。「計画」される「新陳代謝」。まるで「明るい家族計画」の様ではないか。「明るい新陳代謝計画」。勿論当然「計画」の外にある「新陳代謝」も存在する。事実上、戦後の都市の「新陳代謝」に些かも寄与し得なかった(或いは「無視」し得る)「メタボリズム」とは異なり、それは「新陳代謝無計画」とでも言える、都市自体が持つ「ダイナミズム(要注意ワード)」である。


20世紀には「新陳代謝無計画」による「建築」の好サンプル(極北)があった。それを「建築」と読んで良いのかどうかは判らない。それは "architecture" であると同時に "city" でもあり、且つ "area" でもあった。それは「メタボリズム」の誰もが成し得なかった「メガストラクチャー」であり、世界一の人口密度を持つ、最も実用に供した「新陳代謝」だった。



「新陳代謝無計画」の「新陳代謝」ぶりはこうだ。





その立断面構造。


http://www.deconcrete.org/wp-content/uploads/2010/03/Kowloon-Cross-section-low.jpg


これはこの場所であったからこそ可能だった「無計画」だ。勿論建築家の立場からは、これを面白いと思いこそすれ、是であるとはしないだろう。仮にこれと全く同じ構造、同じ形のものを作るにしても、それは「計画」に則って行われる筈だ。それにしても、あの「メタボリズム」展で見たどの「未来都市」でも良い。例えば、菊竹清訓の「東京湾計画1961」でも、槇文彦の「ゴルジ構造体」でも、丹下健三の「東京計画1960」でも、磯崎新の「空中都市」でも何でも良いのだが、そこにそのままあの「九龍城砦」の住人達が入居し、そして再び「九龍城砦」と同じ様に、建築家の「計画」に全くお構いなしに、それぞれがそれぞれの「新陳代謝」を「無計画」に始めたら、一体どうなるだろう。


いや、どの「建築(「計画」)」にもそうなる運命はある。「九龍城砦」を仮に「スラム」と呼ぶにしても、都市や建築に於ける「スラム」化の「歯止め」は、建築言語だけでは全くどうしようもない事だ。それが建築言語でどうにかなると考えるのなら、それは余りに可憐な認識だと言えるだろう。そしてまた、そうしたセル単位での奔放な「新陳代謝」を「許さない」とするなら、誰が何の権限でそれを不許可とするのだろうか。建築家がその権限を有しないとするなら、それを何処に仮託するのだろうか。カオスに侵食される「建築(「計画」)」。建築家はそれを、「標準的な細胞」とは別の、「癌細胞」の喩えで言うだろうか。


展覧会会場で、「再現」CGや模型の中に、あの「カオス(彼等にとってはコスモス)」な生活空間をインサートしてみた。「無計画」の種はどこにもある。少し展覧会が面白くなった。


計画案をつくることは、それを実現するためであるとすれば、その案はいつもヒロシマのように消滅する運命にさらされていると言わねばなるまい


磯崎新


【一旦了】