引込線2015

台風の影響による大雨の日に「引込線2015」の会場に行った。


車を「旧所沢市立第2学校給食センター」奥の駐車スペースに止めると、フェンスを隔てた畑ではこの雨にも拘らず、農機で土を掘り起こし始めているところだった。ファンタズムに陥り易い自分は、駐車スペースからその農機を操っている人の位置へと飛び、自分もまた畑仕事をし始めていた。ほんの少しだけ手を休め、ふと顔を上げると暇そうな男が車の脇に立ってこちらを見ている。嫌な視線だ。それを一瞥し再び農作業に戻る。同時に暇そうな男の元に魂が帰って来た。雨は降り続く。


給食配送車の荷台高さから決定されているヤード/フロアの高さまでコンクリート階段で上る。それは嘗てここで働いていた人達も、その一日の仕事の始まりに登る階段だったのだろう。その受付で記帳して「展覧会を見に来た人」になる。展覧会に於ける記帳というのは、それ自体が通過儀礼だ。


1階のトイレの周囲の展示物から見始めて、そのまま1階の展示物をぐるりと回り、それから2階に向かう。階段の壁に掛かっている作品を首を不自然に曲げて見ながら階段を登り切ると、果たして2階の廊下で行われる筈のパフォーマンスは行われていなかった。「パフォーマー」はこの日はここに来ないらしい。廊下の壁際には「物」が置かれていた。



2階の部屋毎の展示物を、街中の所謂「ギャラリー」で行われている展覧会程度に時間を掛けて見る。1階に設置されているものを含め、この「旧所沢市立第2学校給食センター」にある作品の幾つかは、再度何処かの「ギャラリー」や「美術館」で見られるかもしれないという印象を持った。参加作家の中には既にそのスケジュールを「ToDo」項目に入れている者もいるかもしれない。


それらを見終わった後、「展覧会を見に来た人」という衣装を脱ぎ捨て、「パフォーマー」不在の2階の廊下の窓から階下をぼうっと眺めていた。ピントを外した目で見るここからの眺めは悪く無い。呆けていたその時間は、映像作品を除く全ての作品の前に立っていた時間よりも遥かに長いものだった。たった今、下の階で「展覧会を見に来た人」のマナーを守って凝視して来た「作品」の数々が、その前に立って見ていたのとは全く異なる「風景」として見えている。



末永史尚氏の手によるもの、白川昌生氏の手によるもの、多田佳那子氏の手によるもの、五月女哲平氏の手によるもの、保坂毅氏の手によるもの、中山正樹氏の手によるもの…。それらが互いのテリトリーを侵さずに、それぞれの棲息の場に収まっている。互いに互いを食い合う事も、互いが互いを飲み込む事も無い、不活性で平和な環境。2階の廊下窓から見えたのは「深海」だった。


現実の深海魚が、高水圧で低水温、その個体維持の為に得られるエネルギー源は浅海で生じたものの僅かな沈降物(余剰としてのマリンスノー)という、「極限」極まり無い様にしか思えない環境――人間の尺度からすれば「何でわざわざこんな環境に棲むのだろうか」という思いを払拭出来ない――に棲むに至った理由は、深海魚でない身にとっては判らないし、当の深海魚に聞いてみたところでやはり答えは得られないだろう。


それでも敢えて当の魚を代弁しようとする人間による「説」はあるもので、その最も伝統的なものは、生存競争の激しい浅海に居場所を確保出来ずにドロップアウトした魚種が、極めて消極的ではあっても「安定」的な環境とも言える深海に落ち着ける様に撤退的な形で進化したというものである。人間界に於いてはこの「説」はどうやら「時代遅れ」らしいのだが、しかしそれが「誤り」なのかどうかは、当の魚ならぬ、況してや神ならぬ人間なので判らない。


現実の深海魚に対して「ここは快適な場所ですか?」というインタビューを試みたとして、底生性の現生魚類なら「ここしか知らない」に通じる様な、また深海から中層まで(浅海に深海魚が行くには、自身深海の環境に適応し過ぎた為に、そこに行く事自体が不可能だ)を行ったり来たりの遊泳性の魚類なら「悪くないっすよ」に通じる様な答えが帰ってくるかもしれない。


では、この「旧所沢市立第2学校給食センター」という「深海」に集まっている者のそれぞれは、「ここは快適な場所ですか?」という質問にはどう答えるだろう。ここは彼等にとって「約束の地」なのだろうか、それとも何かの「帰結の地」なのだろうか。美しい魂がここに彼等を集らせたのだろうか、それとも何らかの事情がそうさせたのだろうか。そもそもこの場所は、彼等に受け入れられているのだろうか。いずれにしても、彼等がここで生まれた者ではない事は確かだ。


正直なところを言えば、こうした場所に於ける「発表」行為を「挑戦」の形で評価したくはない。仮に「挑戦」をこそ真っ先に評価されたい「発表」行為があるとしたら、それに対しては何も言う事は無い。そうした「挑戦」は、どう転んでも「発表」と「場所」の関係の凡庸な「感想」、翻って「発表」と「場所」それぞれの凡庸な「観念」をしか導き出せない気がする。


雨の音しか聞こえない「海底」の、嘗ては人が過ごす事の無かった暗鬱な一角(ここが稼働していた頃は、そこには処理された「死体」があったと想像される)から、遠い声で繰り返される映像を伴わない「これはわたしのちではありません」が、「これはわたしの地ではありません」に聞こえて来た。それは時々「これはわたしたちの地ではありません」になり、「これはあなたの地ではありません」になる。やがてその声から「整形」された「表面」が剥がれて行き、「これはわたしの地ではありません」は「切実」なものの様にも感じられる「声音」になって行った。


ほんの一瞬「これはわたしの地ではありません」や「これはわたしたちの地ではありません」が、あの「難民」の人達の口から出ているという妄想が頭を過ぎった。同時に「これはあなたの地ではありません」が「難民」の人達が向かう先の人達の口から出てきている妄想も。「難民」の人達が「落ち着く」先々で、実際これからこの様な会話の「レッスン」が行われて行く事だろう。


「これはわたしの地ではありません」は、元々は「これはわたしの血ではありません」だった。考えてもみれば、このセンテンスを発しなければならないシチュエーションというのは、警察の取り調べや刑事事件の裁判位しか思い付かない。知らない言葉が飛び交う取調室や法廷で、「これはわたしの血ではありません」をその言葉で言わねばならなくなる事。それもまた「レッスン」だ。そして妄想は消えた。


改めて「海底」を見る。ここにいるのは「逃げて来た人」なのだろうか。それとも「拓きに来た人」なのだろうか。質問の核心は恐らくそこだ。そして非情にも、質問の相手は孤独な魚ではなく社会性を営む人間なので、その質問はその人達に向けられると同時に、それを見る人達(畑を耕す人含む)にも向けられる。「あの人達どう見える?」。

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一旦「海底」に背を向け、再び2階の「展示室」に入る。それらの部屋には「外部」に向けた窓がある。


機能する事を止めてしまったこの建物の2階の窓から見えるのは、左から所沢市役所 障害者福祉施設かしの木学園、所沢市立松原学園、三菱食品・キャリテック中富集配センター、所沢市民武道館、埼玉西協同病院、まばらに建つ住宅、所沢聖地霊園の敷地を囲う樹々といったところだ。家々を囲む防風林が常緑樹や竹ではなく欅であるところからして、紛れも無く関西とは全く異なる関東平野の郊外の典型的な風景である。その時、隣地の畑の土の掘り起こしは半分以上終わっていた。それらをテート・モダンのカフェから臨むテムズ川越しのシティ・オブ・ロンドンを見る様に暫く眺めていた。



セントポール大聖堂を正面に見る、“overlooking the riverside" が売りの Tate Modern Café は、それ自体が美術館展示とは独立した形で存在するロンドンの人気観光スポットだ。寧ろこのカフェが無ければ、テート・モダンの魅力は半減してしまうかもしれない。それはテート・モダンに限らず、ここ20〜30年に新設・改装された美術館には、魅力的な眺望を持つレストランやカフェが必ずと言って良い程に設けられていて、寧ろ今日的な意味で良い美術館の条件の一つとして「眺めの良いレストラン/カフェ」の設置が上げられそうですらある。


「緑豊かな皇居を望む立地」の L'art et Mikuni(国立東京近代美術館)、「ガラス越しの夜景が幻想的な空間を演出」の BRASSERIE PAUL BOCUSE Le Musee(国立新美術館)、「豊かな緑と外光が注ぎ込む心地よい空間」の MUSEUM TERRACE(東京都美術館)、「四季折々の風景を楽しめる最高の空間」の LE JARDIN(世田谷美術館)、「中庭に面したガラス張り」の Cafe d'Art(原美術館)、「都心とは思えない豊かな緑が目に飛び込んできます」の NEZUCAFÉ(根津美術館)、「緑を眺めながらのティータイムをお楽しみください」の カフェテリア TARO(岡本太郎美術館)、「一色海岸を望む絶好の眺望」の ORANGE BLEUE(神奈川県立近代美術館葉山館)、「平家池を見下ろす最高の場所」の PINACOTECA(神奈川県立近代美術館鎌倉館)、「イタリア語の『美しい眺め』という店名どおり、窓からの景色を楽しみながらお食事ができるレストラン」の Belvedere(川村記念美術館)……。首都圏の主要美術館の飲食施設とその売り文句はこうなっている。因みにパリの「ポンピドーセンター」の “Georges" のプレザンタシオンも “surplombant la capitale(首都を見下ろせる)" だ。


原美術館の Cafe d'Art の説明文にはこうも書かれている。「アートで心が満たされたら、カフェ ダールでゆったりとしたひとときをどうぞ」。これは「アート」と「カフェ」に於ける質的な「相乗効果」を意味するものであろうか。しかし仮に「心が満たされた」と「ゆったりとした」が、量的な多寡の関係にあるものとしたらどうだろう。即ち「心が満たされた」という「お腹一杯、もう入りません」的なインプットの飽和(注)状態を、「ゆったり」という飽和に達しない状態――新たなインプットの場所を確保する為の――に「戻す」場所が、美術館に併設されている「眺めの良いレストラン/カフェ」の「ガストロ(胃袋)」的な「消化」機能であるとしたら。


(注1)ほうわ【飽和】(名)スル ① 最大限度まで満たすこと。また,最大限度まで満たされていること。「大都市の人口は―状態に達している」 ② ある条件下で,一定量に達すると外部から増大させる要因が働いても,それ以上には増えない状態。(スーパー大辞林


たった今見て来た展覧会を、購入したばかりのカタログを手に反芻する施設が美術館内に必要であるとしても、それは四方を壁に囲まれた穴蔵バーの様な場所――方丈なホワイトキューブでも良い――でも良いのである。恐らくその方が「アートで心が満たされた」パンパンの状態をそのままの形でキープし易いだろう。何故ならば釈迦の悟りを邪魔するマーラ(注2)の如くに魅力的に迫って来る――取り敢えず「アート」とは直接の関係が無い――「眺望」に気を取られなくて済む(現実的に言って「感動」の半分以上は「眺めの良いレストラン/カフェ」の「眺望」に持って行かれるだろう)からだ。であるにも拘らず「眺めの良いレストラン/カフェ」が、今般の美術館にとって必須条件の様にされるのは何故か。


(注2)尤も「アート」が「マーラ」の側にあり、「眺望」が「悟り」の側にあるとする事も出来る。

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例えば所沢市の「学校給食の調理員」の仕事があったとして、それが契約社員(月給17万5000円)の場合は、勤務時間が朝の7時から夕方16時までの実働8時間、パート採用(時給830円)の場合は、朝の9時から15時までの実働5.5時間であったとしよう(以上、給与や労働時間等の数字は例)。


午前6時台に外階段を上がってタイムカードを押し、朝の7時からその日の献立の仕込みに入る。11時前後の各学校への配送作業が終わると数十分の昼休み――食事はその日の献立が支給されるので、近隣の日高屋松屋マクドナルドに行く必要は無い――になり、以後はその日の片付け作業や食器の洗浄、翌日の献立の仕込みの時間となり、午後の何処かで10分程度の休憩を挟んだ後に終業となる(以上、作業内容やタイムテーブルは例)。


稼働していた頃の「所沢市立第2学校給食センター」で働く人に自らを同一化してみれば判る事だが、この建物の1階部分と2階部分は、全く性格の異なる空間である。それを極々簡単に書けば、1階は「労働」の空間で、2階は(一時的にではあっても)「労働」から開放される空間という事になる。


所沢市立第2学校給食センター」の1階にも窓は存在するが、それは採光目的以外のものでは無く、従って「所沢市立第2学校給食センター」の仕事に従事する者が、この建物の1階では「労働」で「心を満たされた」状態をキープさせられる――「労働」以外に目を向けさせない――様に設計されているのである。それは近代以降の生産現場に共通する特長だ。


一方「休憩」や「昼休み」の時間には、2階の部屋で――「休憩」や「昼休み」に1階に留まり続けるのは、衛生面からも推奨されないだろう――過ごす事になる。そこにある窓は、1階の採光目的の窓とは大きく性格を異にする。それは――飽くまでもその窓の持つ意味の方向性としては――美術館に於ける「眺めの良いレストラン/カフェ」の窓と「同じ」ものである。「労働時間」内に「労働」で「心を満たされた」飽和状態にあるここで働く労働者に、「四季折々」の畑や欅等といった「外部」に建物を開く事で(極めて相対的ではあるが)「ゆったりとしたひととき」を過ごさせる様に設計されているのだ。


こうした「職場」内に於ける空間特性の「メリハリ」というものは、「作品の制作(work)」とは別レイヤーにある、現金収入を得る為の「労働(labor)」で禄を食まなければ生存出来ないほぼ全ての現代美術アーティストが、常日頃から親しんでいるものであろう。


仮にその「労働」の場所が、例えば例年の「引込線」展にも大いに関係の深い「武蔵野美術大学」の「鷹の台キャンパス」であったとして、同キャンパスの「鷹の台ホール」A棟2階の「食堂」、「12号館」地下1階の「食堂」、同館の「談話室MAU」、「4号館」1階の「エミュウ」前の「カフェテラス」等は、「授業」や「制作」の場からは「質」的に切り離されている場所である。


そこもまた「所沢市立第2学校給食センター」の2階フロア同様、「労働」で「心を満たされた」飽和状態にある「美術大学」の賃労働者に(も)、「ゆったりとしたひととき」を過ごさせる空間なのであり、一つの「サイト」に於いて特性的な「メリハリ」を付ける事は、これもまた近代以降の生産環境に於ける「職場」空間の設計上の必須要件である。

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所謂「サイトスペシフィック・アート」の「サイト」は何を意味するのだろうか。例えば「引込線2015」の会場の「場所」は、――「学習」すれば判る様に――確かに「給食センター」の「跡地」ではある。もう少し深く「学習」すれば、当地の郷土史を紐解いて得たもの――例えば「織物の町」であったり「基地の町」であったり――を「サイトスペシフィック・アート」の縁とするかもしれない。一方で現在のそこは「所沢市」の「中富」――決して「日吉町」ではない――であり、その中でも前述した窓から見えるものや、団地や大型ショッピングセンターや老人保健施設や斎場や大型霊園や浄水場等に周囲を囲まれた場所でもある。


しかし何よりもこの「所沢市立第2学校給食センター」と名指された一つの「場所」には、前述した様に特性的に無視し得ない振幅が存在する。「美術館の展示室」と「美術館のレストラン」が、同じ「美術館」の建物の中にあるにも拘らず全く異なる特性の空間である様に、「『労働』する身体」として自らを内面的に律しなければならない1階と、「『労働』する身体」を1レベル分だけ脱ぐ(但し「拘束」はされる)事を許す空間である2階が、同じ「所沢市立第2学校給食センター」という一つの建物に同居している。「労働」を軸にするだけでも、これだけの特性の幅があるのだ。そして現実的には、一つの「場所」は、常に様々なレベルの特性の差異が層になった形で束ねられている複雑性を有している。センサー感度をマックスにして見て行けば、この「所沢市立第2学校給食センター」にも多数の空間特性を読む事が出来るだろう。


その意味で、それぞれの特性を持つ空間に於けるそれぞれの1メートルは異なるものなのである。「造形」の目からすれば、それらは全く同じに見えるかもしれないが、ここで働いていた人が「給食」労働に向き合わされ立たせられていた2平米の床と、「給食」労働を一時忘れ寝転がれていたりもしただろう2平米の床は全く異なるものだ。そうした空間的特性の差異にこそ「サイト」の本質は宿り、であればこそそれは一般的に「場所」とされている空間的な局所性に「サイト」は縛られるものではない。


些か詭弁めくが(ここまでもずっと詭弁だったが)、その意味で逆説的な形で「所沢市立第2学校給食センター(稼働時)」の2階と “Tate Modern Café" は、「空間的位相」の「場所」として「同じ」である。「特定の場所」はそれ故に個別的に閉じておらず、空間的にも時間的にも常に開かれている。それは延いては同じ位相にある他のあらゆる「特定の場所」とも――それはそれぞれ自分達の家の中に於ける「特定の場所」にも――繋がる。だからこそそれは「普遍」なのである。「普遍」は決して1メートルがどこでも「同じ」という意味ではない。


美術館に「眺めの良いレストラン/カフェ」がある事で、美術館もまた様々な空間特性が束ねられている複雑性を有する様になった。それは生活の全体系から導き出されたのかもしれない。その全体系の中で「アート」はどの様に「ある」べきか。或いはどの様に「ある」ものが「アート」と呼ばれるものか。それは物理的に「アート」が「ある」事とは必ずしも一致しないのである。


美術館の「展示室」とは空間的特性が異なる美術館の「眺めの良いレストラン/カフェ」に、「リクリット・ティラヴァーニャ」や「ユナイテッド・ブラザーズ」等の「料理」が入り込む余地は無い。それらは「展示室」の中で「『アート』から降りる」的な振る舞いを見せる馴れ合いの演技をしてさえいれば良いのだ。「眺めの良いレストラン/カフェ」の様に、それらの「料理」が数十年間毎日の様に黙々と供され続けるという事は無い。それは「展示室」から始まる「事件」を「成立」させようとする意志に基づくものであり、「事件」の「成立」を「展示室」の関係者が確認したと同時に終わってしまう「展示室の料理」だからだ。


美術館の「眺めの良いレストラン/カフェ」は、美術館の中にあっても「アート」とは確実に一線を画した上で、料理以外の何物でもないものを料理以外の何物でもないものとして供し続けるというのが、その最大の存在理由なのである。その窓から見えるもの――「生活」や「天体」等――が「アート」と直接的には無関係である様に。ここに「展示室」から越境して「アート」が入って来る事は、広義の「アート」の為にもレストラン/カフェの全力を上げて阻止すべき事なのだ。そうでないと、狭義の「アート」によって、生活全体のエクスペリエンスは確実に痩せ細ったものに変えられてしまうだろう。

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2度目に「引込線2015」に行った時は花曇りだった。畑には誰もいなかったが、畝は出来ていた。今回の訪問は見逃していた2階廊下の「パフォーマンス」を見る事が目的だった。


痩身の60歳のおじさんが、廊下に置かれていたステンレス製の物を集め、その内「ランプシェード」とおじさんが呼ぶ、収得によって彼の手になった物がその顔に被せられた。それからステンレス製の調理器具をそこにSカンで吊るして行く。その姿はまるでミツバチで顔面に髭を作って行く養蜂家の様である。それらを吊るす間、おじさんは喋りっ放しだ。その内容は他愛も無いと言えば他愛無い。


それからその蜂髭おじさんならぬステンレス髭おじさんは、その視界をステンレスで極端に狭められた目で歩き始め、テレビ回転台の上に立つ。そしてテレビ回転台に関するやはり雑談めいた他愛の無い話をしながら、手を広げて自らの体を腰や膝を使って回転させる。そして一回転すると「はいこんな感じです」といった感じの、何とも締まらない締めの言葉で「行為のような演技をすることに間違いないだろう」を「終了」させる。


その後は他愛の無いエピソードが雑談的に語られる。「パフォーマンス」で使用していたステンレスのおたまが、家の台所から無断拝借した物である事。家人がそのおたまが台所から消えた事でちょっとした騒ぎになった事。その無断拝借が、Facebook か何かに誰かがアップロードした映像によって、家人にバレてしまった事。仕方が無いので本日限りを以って、このおたまはこの会場から姿を消さざるを得なくなった事。それが笑いを取ろうとする様な語り口ではなく、淡々とした報告の形でおじさんの口から発せられている。それは「美術」の「パフォーマンス」と言うよりは、何処か「テーブルマジック」の様なものの様に思えた。


雑談も尽きてダラダラとした形で「行為のような演技をすることに間違いないだろう」は今度こそ「終了」し、おじさんはその舞台道具を片付ける。再びそれらは廊下の壁際に置かれるものの、その置き方に審美性が関係している訳では全く無さそうだ。それは単に剥き出しの「収納」場所であり、何処までもが「必要」でしかないインストールなのである。おじさんに聞くと、本来は廊下の奥のシャワールームにそれらを「隠す」形で「収納」していたが、それを一々奥から出すのが面倒臭いので、この廊下に置くようになったとの事であった。


他の殆どのオブジェクティブな作品は、その置かれ方に多かれ少なかれ審美性が関わっている。まるでここで審美性を発揮しなければ、彼等の「アーティスト」としてのアイデンティティは崩壊し、生きてはいられない様な強迫性すら見えて来る。その中にあって、この廊下の壁際に集められているものだけは別だ(注3)。「必要」だけがそこにあるのである。


(注3)但し他の「参加作家」が「必要」で作り上げた「収納」としては、「プラットフォーム(配送車に積み込む給食の搬出口)」及び利部志穂氏の「離れ」を「作品」の展示空間とする為に移動したこの「遺構」の備品(スタイロ板や車椅子等)がそれに当たる。


その「必要」は、この「所沢市立第2学校給食センター」の数々の備品にも、その「必要」に於いて唯一呼応している様に思えた。「必要」によって運ばれ、「必要」によってインストールされた回転鍋や食器洗浄機や収納庫や数々のパイピング類。本来的な「サイト・スペシフィック」というのは、こうした肩の力(強迫観念)が抜けたところで実現されるものかもしれない。

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身も蓋も無く言えば、参加者の「やる気」に殆どを依存した展覧会である以上、次回の「引込線」展があるのかどうかは判らない。あったとしてもこの会場が使われるのかどうかも判らない。


その上で言うならば、仮想的な次回展のこの会場の2階は「美術」とは全く関係の無い「ラウンジ」としても良いのではないか(Wi-Fi ゲートは欲しい)と思った。その上で飲食が供されるのであれば(実際には難しいだろうが)、それは「アート」とは一線を画したものであるべきであろう。そこに無理矢理「アート」を入れ込む必要は無いし、そこに「アート」を入れ込まないメリットをこそ採るべきかもしれない。


そこで他愛の無い「テーブルマジック」等が行われるのも、会話によって「疑似恋愛」が成立してしまうのも悪くはない話ではないか。