目の端

CRT(陰極線管≒ブラウン管)技術がピークに達した2001年登場の Windows XP は、スクリーンセーバー「オン」がデフォルト設定になっている。一定時間ユーザによる入力が行われなかった場合、画面はブラックアウトし、"Windows XP" の文字と窓アイコンが、画面の方々に現れては消える。


スクリーンセーバーが存在する純粋に技術的な理由は、主に「ディスプレイの焼き付き防止」だった。





焼き付きは、表示エリアの特定の場所に周辺より輝度の高い静止画を長時間写し出すことにより発生します。明るい部分は暗い部分と比較すると発光量が多く、蛍光体の劣化が他の部分より早くなります。蛍光体が劣化することにより輝度低下を招き、周辺の劣化していない部分との輝度差が大きくなり、焼き付きとなって現れます。焼き付きは静止画を使用する限りブラウン管デイスプレイやプロジェクションデイスプレイなどでも同様に発生いたします。


(株)パイオニア
http://pioneer.jp/biz/support/knowhow/yakitsuki.html


この原理による「焼き付き」は、CRT や PDPプラズマディスプレイ)といった、色表示を蛍光体で行うレガシーなディスプレイに起きるものだが、一方で2010年代前半の一般的なディスプレイである LCD(液晶ディスプレイ)でも原理は異なるもののそれに似た現象は起きる。


ディスプレイの「焼き付き」は、「過去」に「表示」したイメージが完全に「消去」されずに、「現在」のイメージと同時に「表示」されてしまう現象だ。走査を含めたディスプレイの技術的特徴の一つは、「現在」を「表示」する為に、「過去」を恒常的に「消去」し続けなければならないところにある。即ちディスプレイの「表示」は、同時に「消去」を意味している。その「消去」という「過去」化のプロセスが「不完全」であった場合に、「過去」のイメージは「現在」のレイヤー上に「焼き付き」という形で「表示」される。ディスプレイが「内部照明式看板」的なものに留まらず、複雑な電子技術的所産にならざるを得ない最大の理由は、一つのディスプレイと一つの静止イメージが一対一対応で終わるのではなく、「動画のフレーム」を含めた複数イメージの「表示」を、一つのディスプレイで「汎用」しようとするところにある。


YouTubeニコニコ動画の出力を紙で実現するには、教科書の端のパラパラ漫画に明らかな様に、そのフレーム数と同じ枚数の紙が必要であり、フレーム出力後に紙をパラパラ捲る機構が別途必要になる。ノートパソコンの液晶ディスプレイを黒板や白板に換装し、チョークやマーカーといった筆記具と、イレーサー=消去具をツールヘッド部に取り付けた超小型プロッタで、Excel や Word や PhotoshopIllustrator の画面を MacBook Air や Let's NOTE の、液晶画面が外された後の黒板や白板に「出力」するというのは、20世紀中葉のコンピュータ黎明期に於いては極めて「未来」的なイメージになるが、21世紀のデジタル端末爛熟期に於いては「笑いを取る」か「芸術作品」である以外の実用性は乏しい。表示装置として搭載された白板上を、マーカーとイレーサーが休む事無く交互に動くスマートフォンは、ヨドバシカメラというよりはヴィレッジヴァンガードで扱うべき商品だろう。


仮にコンピュータの出力先をカンヴァスにして、プロッタのツールヘッド部に油彩筆を取り付け、Google 画像検索の結果を出力したとする。検索ワードは "kenneth noland" だ。但し使用するカンヴァスは過去に "kenneth noland" の検索結果や拡大画像を出力した所謂「古カンヴァス」である。



プロッタを制御する描画プログラムは、果たしてどの様な手順で「古い画面」の上に「新しい画面」を出力するだろうか。人間の画家なら「古カンヴァス」を「再利用」するのに、「古い画面」の上から再度下地を丹念に塗り直す者も多いだろう。それは最も容易に心理的なリセット感を画家にもたらしてくれるし、何より発色的にもその方が有利だ。しかしその一方で、「古い画面」の上にいきなり「新しい画面」を描き始められる画家もいる。「新しい画面」を描く事で「古い画面」を消して行く。ここでの「描く」は「消す」と同義である。


「末永史尚」という「プロッタ」の「描画プログラム」は後者のものに似ていたりもする。"switch point" の「目の端」展。入口入って右壁面に掛けられた "Noland" や "Newman" 等は、白色絵具を含む「オーバープリント(ノセ)」状態になっていると言える。一部に「トラッピング(ケヌキ)」や「ノックアウト(ヌキ)」的なものもあるが、多くは「オーバープリント」的だ。それらは「描く」事で「消す」形になっているが、しかし「古い画面」に載せる絵具は、実際には完全に不透明では無い為に、恰もディスプレイの「焼き付き」の様に「新しい画面(図像)」に「古い画面(下地)」が透けて見える状態になっている。そして「焼き付き」や「下地透け」もまた「視覚のどこかにありながらも意識されにくいもの」でもある。



本展に寄せて、西村智弘氏はこう書いている。


 末永が抽象表現主義の絵画を頻繁に引用することにはリスペクトの意味もあるのだろうが、一方でその絵画を無意味なものとして提示している。インターネットにアップされた図版は、絵画としての属性を剥奪された表面的な記号になっているからである。末永もまた、「内を外に引っ張りだし、外を内側に押し込」むという方法を採用しているが、このときポップアートが反抗した抽象表現主義をモチーフにしているのは、二重の転倒というべきである。カラーフォールド系の抽象表現主義を多用するのは、色面の絵画の方が作品にしやすいからであろう。しかしわたしは、ここに美術史的な必然性とアイロニーを感じてしまうのである。
 末永にとってポップアートはあくまで絵画の問題としてある。彼にとって絵画の本質は「描くこと」にあるといってよい。末永がポップアートから学んだのは、自分という根拠に頼らずに描くことができる場を確保することである。一方で引用という方法は、末永にさまざまな制約を強いることになる。自分の制御を超えた要素が画面のなかに闖入してくるからである。しかし彼の場合は、コントロールを超えた要素との葛藤のなかに「描くこと」の実践が成立している。
 末永がみずからに課す絵画のルールは、一見すると不自由にも思えるが、描くことにまとわりついている歴史的、社会的な拘束から逃れるための手段でもあるだろう。つまり彼は、制約を課すことで「描くこと」の自由さを獲得したといえる。この自由さはきわめて逆説的なものである。しかし末永は、この逆説を利用することによって純粋に「描くこと」に向き合うことができるのだ。ポップアートの重要性は、単に引用という手法を使ったことにあるのではなく、「描くこと」の意味を改めて問い直したことにある。ポップアート以後の絵画は、この点に無自覚でいられないであろう。末永は、ポップアートの成果を受け継ぎながら、「描くこと」の問題を独自な方法によって発展させている。


http://www.switch-point.com/2013/1315suenaga.html


「内を外」に「外を内」に。しかしそこで言われている「外」は、ここでは何ら「完成/デシジョン=決定」的なものではなく「暫定/インデシジョン=未定」的なものに見える。即ち、現在「表面」に見えている「外」が、やがて「古い画面」とされて「新しい画面」に置き換わってしまう事も、作家がそうするかどうかは別にして、妄想的な可能性としては考えられなくも無い。これらの「パネル画」の「パネル」は、常に画面が切り替わる事で、あらゆる「像」と繋がり得る CRT や PDPLCD の様な「ディスプレイ・パネル(表示パネル)」の一種なのかもしれない。ここでの「ペインティング」の「表面」は、サスペンディング(一時停止的)な「ディスプレイ」の「表示」である。


これもまた飽くまでも妄想である事を断った上で言うならば、床に置かれている「ダンボール箱」もまた、何時かは「塗り/消し」直されて、例えば "Brillo Soap Pads Box" として「表示」され直されるのかもしれないし、或いは元々が "Brillo Soap Pads Box" であったものが、現時点では「クラフトテープ(の様に見える色面)」で「封」をされた(様に見える)「クラフト紙ダンボール箱(の様に見える色面)」として、"switch point" の「目の端」展で「表示」されているのかもしれない。


そもそもアンディ・ウォーホル氏の "Brillo Soap Pads Box" にしても、末永史尚氏の「クラフト紙ダンボール箱」にしても、その直方体を作り上げている材料が持つ「固有色( "Brillo Soap Pads Box" の場合は "wood" の)」が「元々」存在していた訳であり、その「固有色」を一旦「消去」する事で、現在の「外」である「表示」がされているという事実がある。即ち、「固有色」も、それを「消去」した「下地色」も、「 "Brillo Soap Pads Box" 色」も、「ダンボール箱色」も、その全てが「暫定/インデシジョン」の中にある。西村智弘氏が言うところの「純粋に『描くこと』に向き合う」は、当然「描かれたもの」をのみ問題とするレイヤーに留まるものではなく、それと同時に「純粋に『消すこと』に向き合う」と切り離せないものでもあるだろう。


参考:Arthur Coleman Danto "Beyond the Brillo Box: The Visual Arts in Post-historical Perspective"
http://books.google.co.jp/books?id=oMysRzdv2Z8C&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false


「暫定/インデシジョン」的である事がよりストレートに伝わる作品は、やはり「目の端」展にも展示されている「タングラム・ペインティング」という事になるのだろう。


タングラム」は、正方形を数パーツに切り分けたピースを使用する伝統的な図形パズルであり、発祥の地とされる事もある中国では「七巧板」とも言われ、宋時代の「燕几圖」から明時代の「蝶翅几」へと至り、その後清時代の「七巧板」へと至ったとされる。


参考:「七巧板 | 中国古代益智游戏」 http://chinesepuzzles.org/zh/tangram/
   「蛋形九巧板研究及製作」 http://ching-golden.myweb.hinet.net/puzzle/ree/3.htm


一方日本には「タングラム」や「七巧板」とは切り分け方が異なる「清少納言智恵板(1742)」というものがある。Wikipedia 中国版の「七巧板」には


七巧板在明、清兩代很快就快傳往日本和歐洲。1805年,歐洲的書目中已經收有介紹中國七巧板的書籍。日本七巧板分割方式和中國的略有不同,它應該是采用蝶几樣法的中心正方形變型而成。由於日本在1742年出版了《清少納言智慧板》一書,而中國現存最早有關七巧板的書籍——《七巧圖合璧》是1813年出版的,因此日本人認為七巧板是日本人所發明。


http://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%B7%A7%E6%9D%BF


とあり、「清少納言智恵板」が「タングラム」について記述された現存する最古のものである事が記されている。その「清少納言智恵板」の序文にはこう書かれている。


清少納言の記せる古き書を見侍るに智ふかふして人の心目をよろこばしむこと多し 其中に智恵の板と名づけ図をあらわせるひとつの巻あり 是を閲するに幼稚の児女智の浅深によって万物の形を自然にこしらへもろもろの器の図はからずも作り出すこと誠に微妙のはたらき有


また樋口一葉の「たけくらべ」には、吉原の廓に住む14歳の少女美登利が次の様に語る箇所がある。


あゝ面白くない、おもしろくない、彼の人が來なければ幻燈をはじめるのも嫌、伯母さん此處の家に智惠の板は賣りませぬか、十六武藏でも何でもよい、手が暇で困ると美登利の淋しがれば、夫れよと即坐に鋏を借りて女子づれは切拔きにかゝる


ボストン美術館の収蔵品の中には、「タングラム(知恵板)」様の図形パズルに興じる二人の遊女を描いた喜多川歌麿作の浮世絵がある。


喜多川歌麿角玉屋内 誰袖 きくの しめの


日本に於ける「タングラム(知恵板)」は、「幼稚の児女」や、「(14歳の少女)美登利」や、「(遊女)きくの しめの」が興じるものである。移ろい易い彼女等の興味を繋ぎ止めるのは、「タングラム(知恵板)」の持つ「暫定/インデシジョン」という属性である。「暫定/インデシジョン」は、常に作り変えられ、組み立て直され、リフレッシングされる為に、それは他の何にでも接続する。その様な接続の可能性を持つものを「ハブ」と言う事も出来るだろう。


常に途中的であり、他へ接続する多孔を備えた絵画。「ハブ」的な絵画。


会場で「カレンダー」を購入した。そこにもまた「視覚のどこかにありながらも意識されにくいもの」と「視覚の中心に位置させる事で意識的に見られるもの」とが混在している。基本的にカレンダーは「今日以後」を「意識」する為のものであり、「今日以前」はやがて紙が捲られる事も相俟って「意識」の外に一旦置かれる。カレンダーの「意識」と「無意識」の境界も、日々更新される「暫定/インデシジョン」であろう。


「ハブ」。その言葉を反芻しつつ国分寺駅に向かう。そしてここに到着する前に見た、馬喰町と六本木の展覧会にその言葉を重ね合わせてみた。


【続く】