宇宙

1980年代の日本に於いて「宇宙」と言えば、専ら「カール・セーガン」だった。「本国」アメリカでもそうだったのかもしれない。恐らくそうだったのだろう。1980年代の日本に於ける「宇宙」が、「糸川英夫」に代表されてしまう様に。1990年代の日本に於ける「宇宙」が、「毛利衛」に代表されてしまう様に。

カール・セーガン」のテレビ番組「COSMOS」は、当時の日本人にも親しいものだった。「カール・セーガン」の吹き替えは、水戸黄門の格さん(横内正)だった。テレビ放映と同時に、同タイトルの書籍が刊行され、当時のベストセラー本にもなった。

それは、地球外生命の存在を前提に、或る意味で「地球外生命」としての「地球生命」という、一種の「コペルニクス的転回」風味がふんだんに散りばめられた書であるとも言えたが、しかし近現代の資本主義経済下にあっては、こうした「コペルニクス的転回」ですら、単に「消費」の対象でしかないとも言えた。

「宇宙の真理」について書かれたこの本は、刊行後数ヶ月ですっかり世間に飽きられ、半年後には古書店のワゴンセールで「一山幾ら」で売られる書物になった。1年後には「そんな番組や本があったよね」とすら回顧されない対象になった。結局この惑星では、「宇宙の真理」などよりも、「資本主義」の方が圧倒的に「力」を持つのである。

その「カール・セーガン」が人生の絶頂期にあった1980年前後、彼はアメリカ無人惑星探査機計画に関係していた。

セーガンは太陽系を解明するために打ち上げられた無人惑星探査機計画の大半に参与した。セーガンは、地球外の知的生命によって発見されれば解読されることを前提に、変形しない普遍的なメッセージを太陽系外に飛んで行く探査機に搭載することを考案した。その最初の試みがパイオニア探査機の金属板であった。セーガンはそのデザインをフランク・ドレイクらとの共同で改訂し続け、その集大成が、彼が鋳造に加わったボイジャーのゴールデンレコードで、ボイジャー1号ボイジャー2号に積まれた。

Wikipedia
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半永久的に変形しないとされる金属板に刻された「普遍的」メッセージと、半永久的に物質属性が変化しないとされる「ゴールデンレコード」。しかしそのボイジャー打ち上げ直後に、地球上では「アナログレコード」という技術の命脈がほぼ絶たれてしまう。地球外生命が、彼等の手持ちの技術で、ターンテーブルと、アームと、カートリッジと、フォノアンプを復元してくれるのを待つしか無いが、しかし他の恒星系に到着するのは、今から数万年後であったりするのだ。

しかしそうした事よりも、この「地球外生命」向けの「普遍的」メッセージにこそ、考察すべき対象の多くがあると言えるだろう。

【続く】