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共にいることの可能性、その試み

それを見てから2ヶ月が経った。それについて書くのに2ヶ月を有した。書いては消し、書いては消しの日々が続いた。

2ヶ月前の事。「共にいること」がタイトルに含まれている眼前のその「展示」を、何処かで遠い過去に繋がったものの様に見ていた。まるで「幽霊船」に乗り込んでしまった者の様に。

常陸太田市西山研修所」で行われた出来事を、21km離れた「水戸芸術館」に移動させたそれは、2015年のパラソフィア「京都市美術館」に於ける「バスケット・ボール」や「クリスト」の様な「同一」の「地点」で重なり合う「サイト・スペシフィック」とは異なるものだ。「事件」が起きた「地点」と、今ここで見て「地点」は異なるにも拘らず、それでもそこは「同一」の「場所」だ。だからこそ「幽霊船」なのである。

その2ヶ月の間に(も)、「共にいること」に関する出来事が、この惑星上で様々に起きた。

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「共にいること」を志向した「近代」的な「理念」の一つの到達点からの「離脱」。「近代」の「哲学」や「芸術」といった「近代」の「理念」が夢見る「近代の終わり」とは全く異なる、極めて事実的な「近代の終わり」。「近代」の「哲学」や「芸術」は、こうした「近代の終わり」を、自らの「近代」の「美学」に照らし合わせて「醜悪」なものとして嫌悪する。しかしこの惑星に住んでいるのは、「理想」的な「近代」の人間ばかりではないという現実がある。

「共にいること」の困難。勿論それは「近代」に始まったものではない。「近代」から遡る事二千年以上前の兵法書孫子」の「第十一章 九地篇」には、その困難を乗り越える方法論として「例示」された、後に「呉越同舟」として知られる箇所がある。

夫呉人與越人相惡也 當其同舟而濟遇風 其相救也 如左右手

 

夫れ呉人と越人との相悪(にく)むや、其の舟を同じくして済(わた)りて風に遭うに当たりては、其の相救うや左右の手の如し。

 

いったい、呉の人と越の人とはたがいに憎みあう仲ではあるが、同じ舟に乗りあわせて川を渡るとき、大風に襲われたなら、彼らはちょうど左右の手のように助けあうものである。(町田三郎訳)

 21世紀の迷えるビジネスマン向けに書かれた書物にも引かれる「理論書」の「孫子」ではあるが、しかし人類史に於ける「同舟」には「共にいること」のマネジメントに当初から失敗した1816年の「メデューズ号」の様に「殺人」や「食人」にまで至ったケースもある。

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「共にいること」が極めて困難になっている、「グローバル」にエスカレートした「相惡」が「同舟」した「宇宙船地球号」という「船」――救助船は永遠に来ない――とは比べるべくも無い、6日間の「同舟」の後に全ての「乗員」が消えた「幽霊船」に乗り込む為に水戸まで向かった。

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ウルトラQ」第12話「鳥を見た」の「幽霊船」


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水戸芸術館には東京駅八重洲口から高速バス「みと号」で行く事にした。往復ツインチケット3,900円。JRの片道運賃2,268円+特急料金1,550円=3,818円=往復7,636円の約半額で済むし、おまけに水戸芸術館最寄りのバス停(「泉町一丁目」)で降りられる。

この日の「みと号」下り線の始発(午前7時40分「東京駅八重洲南口」発→午前9時27分「泉町一丁目」着)に乗客は自分を含めて3人だった。全席「自由席」の「乗合」である同バスでは、「行きずり」のそれぞれが数列の間隔を置き、全員が窓際に自身の席を取っている――後に「共にいることの可能性、その試み」という「船名」の「幽霊船」の内で見る事になる「『常陸太田市西山研修所』行きバス車内」の映像の様に。2時間弱の「みと号」の車内は、「行きずり」の関係=「共に乗る」(≠「共に暮らす」)のまま、降車地に到着するまで「共同体」を構築しなかった。恐らくそれは「非常口」が開かれる様な事態には至らなかったからかもしれない。

臆病な自分は、常にこうした最悪のケースを想定してしまう。高速バスでシートベルトを装着するのは当然として、海岸近くにいれば高台に効率良く行けるルートを常に探してしまい、近所の交差点であっても信号が変わるのを待つ時には、大型トラックが突っ込んで来ても――ハンドルの切り角等を考えながら――安全だろうと思える場所に退避し、横断歩道を渡る時は周囲の車の挙動を常に監視している様な人間なのだ。

水戸芸術館の開館時間数分前に、水戸京成百貨店前の「泉町一丁目」バス停で降車する。「平日」の水戸の町は、既にそれぞれの生業の時間に入り始めていた。バス停から10数メートル東方向(JR水戸駅方向)に歩き、「日本旅行」の看板のある、交差点名を付されていない十字路を左折して「一方通行路」を逆行する。

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左に「医療法人 弘仁会 志村病院」を見て進む。正面奥のT字路正面には、ここから太平洋に開かれた那珂湊漁港まで15キロという地にあって、そのネタの殆どを店から115km離れた東京の築地から仕入れるという「江戸前」の「可志満寿司」。その「可志満寿司」の西に隣接する側には、水戸芸術館がここに出現する(1990年)までは「水戸市立五軒小学校」(注1)の「プール」があった場所だ。

(注1)明治6(1873)年5月6日創立。1985年4月1日に現在地(同市金町3丁目2−25)に移転。校地の「狭隘」化を理由に移転してから31年経過した現在、同小全体の児童数は300人を切っている(294人/2015年度)。

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その「プール」の奥の「木造校舎」の跡地には、現在「水戸芸術館タワー」が建っている。今から32年前に「科学万博つくば'85」のキャラクター「コスモ星丸」を従えて、「未来」に身を包んだ石川美晴嬢(17歳)/鈴木祥仁氏(24歳)のアイドル・デュオ「オーロラ」が、デビュー曲「青い宇宙(コスモス)」を歌った嘗ての「五軒小学校」の「グラウンド」を通り、嘗ての「講堂」の方角に向かう。

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恐らく同館の設計は、旧五軒小学校のレイアウトを意図的に踏襲している。水戸芸術館敷地南西側の同館「正面入口」(嘗ての「校門」)のストーンサークルには同小の校章が埋め込まれ「水戸市立五軒小学校跡」の文字が刻まれている。同小に「学んだ人」の中には、横山大観、中村彝、辻永、五百城文哉といった近代日本美術の名前も見える。

この水戸芸術館もやがて「時代」と伴に「水戸芸術館跡」になる事があるだろう。水戸市立五軒小学校は、創立から――「発展」的な形での移転を経て――「學事獎勵ニ關スル被仰出書」から始まる日本の近代的学校制度と共に143年存続している。余程の事が無い限りは、10年後も曲がりなりにも近代的学校制度は存続し、この地に公立小学校も存在しているだろう。一方、水戸芸術館がその開館から143年目になるのは、今から117年後の2133年になる。その時、水戸芸術館がその名称の中に入れている「芸術」は、我々の知る「芸術」として生き残っているだろうか。

1000年後には一面の野原になっているかもしれないそこに、「水戸芸術館跡」である事を記す石の造作が残っているとして、殆ど消え掛かった彫られた文字を見た1000年前の「歴史」に詳しくない1000年後の「住人」達は思うかもしれない。「この『芸術』というのは一体何の事だろう」。果たして1000年後の「市井」の「住人」達――それは全く「日本人」ではないかもしれない――に対して「芸術」なるものが何であるかを説明出来る言葉を、20世紀の延長上にある/あった時代の「芸術」の人は持っている/持っていただろうか。

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日本動物薬品株式会社
(英名:JAPAN PET DESIGN CO.,LTD.。以下「ニチドウ」)という企業がある。観賞魚を飼育した経験を持つ者には、「グリーンF」「グリーンFゴールド」「メチレンブルー」等といった「観賞魚用治療薬」を製造販売しているメーカーとして、極めて馴染み深い名称だ。

江戸時代の金魚売りに起源を持つ、動物飼育観察に関する商品開発に長けたニチドウが、2005年に発売したのが、「アリ伝説」(THE LEGEND of ANTS)という子供向け――パッケージには「KiDs」の表記がある――のアリの飼育/観察セット(2005年 JPPMA AWARD 最優秀賞受賞)である。

『アリ伝説』はアリの巣を立体的に観察できる「アリの巣観察セット」です。アリは地面に巣穴を掘って集団で生活しますので、その生活の様子を観察したり、巣穴をどのように掘っているのかを調べることは、なかなかできませんでした。本品はアリの巣穴の材料となる「アリゲルの素」と専用のアリケースがセットになっています。「アリゲルの素」と水を合わせて電子レンジにかけることで、簡単に不思議なゲルが完成します。あとは、公園などでアリを採取してアリケースの中に入れるだけで、アリたちが巣を作り始めます。3Dの空間に広がる不思議な世界をお楽しみ下さい。

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「アリ伝説」という名称から、先般他界したボクシングの「伝説」のヘビー級世界チャンピオンの名にあやかった商品であるかの様に思えたりするかもしれないが、実際には平成12年(2000年)発売の「エビ伝説」――トリオプス(所謂「カブトエビ」)飼育観察セット――が、同社の「伝説」シリーズの嚆矢であるという。

同社の「伝説」シリーズ(注2)には、「エビ伝説」や「アリ伝説」の他にも、アルテミア・サリーナ(「シーモンキー」「ブラインシュリンプ」)飼育観察キットの「ジュラ伝説」、ホウネンエビ(「豊年蝦」「オバケエビ」)飼育観察キットの「ディノ伝説」等がある。

(注2)現在ニチドウから製造されている飼育/観察セットの商品名からは「伝説」が外されている。

ニチドウによる各セットの商品紹介文では、「エビ伝説」「ジュラ伝説」「ディノ伝説」をそれぞれ「カブトエビの飼育セット」「アルテミア・サリーナの飼育セット」「ホウネンエビの飼育セット」としているのに対し、唯一「アリ伝説」だけは「アリの飼育セット」ではなく「アリの巣観察セット」と書かれている。

「アリ伝説」は、他の「伝説」の様に閉じられたた空間内に任意の動物を入れ、それを「飼育」させるところに商品企画の主眼が置かれているのではなく、「社会性昆虫(Social insects)」としてのアリの「協働作業(Cooperative work)」の一つである営巣行為とその結果を「観察」させる目的で設計されている。

「アリの巣観察セット」である「アリ伝説」を、「アリ伝説」として機能させるのに不可欠なアリの入手は、カップ麺の加薬の如き袋入りで「添付」されたクリプトビオシス(耐久卵)を孵化させる他の「伝説」と違い、野生アリの「捕獲」によって確保されねばならない。その「捕獲」に際しての注意書きにはこうある。

●アリケースの中に入れるアリは、一つの行列からつかまえましょう。同じ種類のアリでも、ちがう行列からつかまえたアリ同士は、ケンカしてしまいますので注意してください。

どちらか一方が命を落とし兼ねないアリとアリの「ケンカ」を見る目的で無い限り、「アリ伝説」に於ける「観察」者、及び「アリ伝説」の企画者が「期待」している「協働」の構築は、既に存在している「一つの行列」(共同体)を利用するところから始めなければならない。アリに極めて詳しい者以外の目には、全く同じに見えるかもしれないクロオオアリとクロヤマアリは、しかしこの「アリ伝説」の飼育ケースという、アリにとって非日常的な閉ざされた狭い空間内では同居する事は出来ない。また同じクロヤマアリでも関東種と関西種では「ケンカ」に明け暮れてしまう為に、「観察」者が期待する様な「協働」の構築には至らない。関東と関西のクロヤマアリが、ディズニー映画「ズーラシア」の住人の如くに何世代も掛けて「近代」的に「進化」すれば、或いは両者に於ける「協働」が可能になるかもしれないが、しかし現下に於いて理想的な「協働」の「観察」の為には、「アリ伝説」の「参加」者であるアリの「参加」資格は厳密にされねばならない。であるが故にニチドウは「一つの行列」単位でアリを捕獲する為の「アリキャッチャー」を別売している。

「観察」者はケースからアリが脱走しない様に、蓋の空気穴にテープを貼る――これは説明書でも「空気穴をセロテープなどでふさいで逃げられないようにしましょう」と推奨されている。それ以前に「観察」ケースの中に入れられる際に、蓋の隙間から逃走して「参加」自体を拒否するアリもいる。その一方で数日間をケースの中で過ごす事になったアリの中には、一定割合で「協働」に全く関わらない者もいるという。

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田中功起
新作
「移動と共同体について(仮)」
撮影 参加者募集

 

田中功起展にて発表する映像作品の制作のため、6日間の滞在型ワークショップの参加者を募集します。ワークショップの様子はすべて映像・写真等で記録され、田中功起の作品として、水戸芸術館現代美術ギャラリーでの展覧会をはじめ、世界各地にて展示・上映される予定です。

 

日時・会場
オリエンテーションオリエンテーション:9月5日(土)13:30 〜 16:30 水戸芸術館 *現地集合・現地ワークショップ1回目:10月30日(金)16:00 〜 11月1日 (日)17:30 2泊3日
ワークショップ2回目:12月4日(金)19:00 〜 6日(日)17:30
*ワークショップはすべて水戸芸術館集合・解散
*各ワークショップ初日(10月30日/12月4日)のプログラムは夜のみ。
*各ワークショップの集合時間は変更の可能性があります。
宿泊先/ワークショップ/撮影現場:西山研修所(常陸太田)

 

募集内容
参加人数:7名程度  *作家による選考があります。

参加において: ・全プログラムに参加できること
        ・田中功起の作品に登場することに同意できること。
        ・国内での、もしくは国外からの「移住」を経験していること。
        *外国からの場合は親世代の移住(本人は二世)でもかまいません。
         留学など海外在住経験も含みます。

参加費:無料  *宿泊・食事支給
*託児の手配を検討しています。託児を利用されたい場合は、応募用紙に明記ください。
*採用された方のみにご連絡します。

 

 震災(注3)以降の日本において、一時的に人びとが災害に対処し助け合う共同体が生まれましたが、その感覚の多くは消え去ってしまったように思います。そしてそのあとに残されたのはばらばらになってしまった人びとの考えであり、あるいは考えつづけることに疲れてしまった人びとの思いでした。それを見透かすように現れた強い意見や他者をさげすむ意見が社会に溢れ、ぼくは、日本が急速に変化しているように感じています。ここで行いたいのは、そうした社会において、異なる私たちが、異なる意見を持つ者たちが、そのままで共にある可能性を探ることです。

 募集するのは、移住/移動の経験をする者。かならずしも多国間の「移住」を意味しません。震災以後、子どもの健康を気遣って自主的に地元を離れた方もいるでしょうから。

 6日間の共同生活とその中で行われるワークショップ(朗読、料理、夢、陶芸、社会運動、農業など)を通して、生活に関わるベーシックな問題を再考し、一時的な共同体の制作を行います。

 

田中功起 2015年7月

 

http://www11.arttowermito.or.jp/dir_download/tanaka_ws.pdf

(注3)ここでの「震災」は、2011年3月11日午後2時46分に発生した所謂「東日本大震災」を指していると思われる。

 仮に「震災以降の日本」を超えたスケールで、「異なる私たちが、異なる意見を持つ者たちが、そのままで共にある」事が、以前にも増して困難になっているとして、その一つには「ここから出て行け」(注4)という言葉を発する者(天与的に定住の権利を有すると自らを認める者の一部)と、発せられる者(移住/移動の経験をする者の一部)の間に起きる摩擦によって引き起こされるものもあるだろう。

(注4)「日本から出て行け」「イギリスから出て行け」「ヨーロッパから出て行け」「アメリカから出て行け」等々。

「移住/移動の経験をする者」こそが、この「試み」に於いて選ばれなければならない理由は、この「募集要項」には明記されてはいない。一方で「『移住/移動の経験をする者』ならぬ者」が、この「生活に関わるベーシックな問題を再考」する「一時的な共同体の制作」に於いて、「参加」資格を有する事が出来ない理由も書かれてはいない。しかし今日的に喫緊の課題としては、「移住/移動の経験をする者」と「『移住/移動の経験をする者』ならぬ者」との間にこそ、「共にいることの可能性」が探られなくてはならないだろう。

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「山の中での非日常的な」場所である「常陸太田市西山研修所」で、田中功起作品「共にいることの可能性、その試み」は「制作」された。

県立西山自然公園に隣接した研修所で、昭和13(1938)年(注5)に当市出身の実業家・梅津福次郎が江戸時代の学問所・三昧堂檀林の跡地に設立した、茨城県西山修養道場がその始まりです。主に青年団や教育関係者などの研修と就学に利用されていたが、昭和20(1945)年、戦時中に高まった軍国主義的色彩を排除し、民主主義の普及を図るため「文化研究所」と改称。その後、平成25年4月に「常陸太田市西山研修所」に改められました。現在は、団体による自然散策や創作活動、スポーツ合宿など、幅広い用途で活用されているほか、小中学生を対象とした自然体験、大人を対象としたパソコン教室など、生涯学習の推進を目的とした主催事業も実施しています。
敷地内は、樹齢300年を越える杉の木など、緑豊かな環境に囲まれており、佐竹氏や水戸徳川家に関する史跡も多くあります。丘の上から望む太平洋や那須連山などの絶景も素晴らしく、心地よい自然の中で常陸太田の歴史を学ぶことができます。

 

「西山研修所」常陸太田市観光物産協会
http://www.kanko-hitachiota.com/page/page000078.html

 

(注5)正しくは昭和12(1937)年11月16日に設立。

常陸太田市西山研修所」の前身である「西山修養道場」(場長:稲垣國三郎=「返還」に至るまでの沖縄/琉球近現代史に詳しい者なら誰でも知っている名前だ)設立2年後の昭和14(1939)年5月に、「大日本靑年團本部」が出版した「靑年収容特殊施設」から引く。

三、建設趣旨
 國家興隆の本は國民精神の剛健に在り。卽ち國民の中堅層たる靑年男女は固より、之が指導階級たる學校敎職員、其の他、一般人士をして、國家の使命と各自の責務とを確認し、其の精神の修練に自奮自勵、切磋琢磨の功を積ましめ、以て國本を鞏固に培養するは現下喫緊の事に屬す。之が爲に、特に修養場を設け、集團的に、組織的に、繼續的に統制强化を圖るは、其の趣旨の徹底上最も必要とする所なり。
 本縣に於ては、其の必要を痛感すること多年、特に現代の世局に鑑み、愈々之が創設を決意し、昭和十年度の縣會に諮りて滿場一致の協賛を得、義公(徳川光圀公)に緣り多き大田西山の地を相して、之を建設するに至れり。
 期する處、思想善導、民風振興の殿堂となし、以て皇國の進運に寄與貢献するところあらしめんとするにあり。

軍国主義的色彩」に覆われていた「西山研修道場」でも、道場生は朗読をし、発声し、動き回り、会話をし、社会について考え、協働作業を行い、話し合っていた。「講師」は「壇上より指導する立場に立つにあらず、共に修養せんとして努力する同行者なり。講話知識の體得よりも互に信念を語らんとするものなり」とされていた。

勿論「西山研修道場」で「朗読」するのは、ジョルジョ・アガンペン(Giorgio Agamben)の「到来する共同体(La comunità che viene)」ではなく、國旗揭揚、宮城遙拜、皇大神宮遙拜、君が代齊唱と共にされる明治天皇の「教育(ニ関スル)勅語」であったりした。社会問題を「考える」時間――「西山研修道場」の道場生活日課には、思想問題、時事問題常識、研究、懇談等の時間が一日数時間ある――は、「平塚らいてう」「ブルーストッキングス・ソサイエティ」「ジャンヌ・ドロワンの選挙立候補」「ハルハウス」「富山の女一揆米騒動」「日本生活協同組合連合会」「第五福竜丸事件をうけての原水爆禁止署名運動」「グリーナムコモン基地の包囲行動」「小平市住民投票におけるどんぐりの会」「3.11以降の脱原発社会運動」ではなく、「日本精神國體究明」だった。

仮に1937年から1945年までの任意の時間に於いて、「共にいることの可能性、その試み」の様な「作品」が「西山研修道場」で「制作」されたとして、その「成果」が2016年の「共にいることの可能性、その試み」の様な形に結実して「藝術館」で発表されたとする。

「西山研修道場」の「修行」に「参加」した「道場生」(靑年團や敎育関係者)は、「團體の種別を問はず入場式退場式を行ふ」事が義務付けられ、それらの式典及び毎日の朝礼では、「一同敬禮」「宮城遙拜」「皇大神宮遙拜」「君が代齊唱」「敎育勅語捧讀」等が必ず組み入れられている。その様な時勢に於いて、妄想の中のその「西山研修道場」に於ける「修行」のドキュメンテーションでは、「共に修養せんとして努力する同行者」である「講師」が、「道場生」(「参加」者)に持たせる横断幕には、どの様な「社会問題」がプリントされているだろうか。館内案内誘導係=被雇用者は、どの様な書物を持ち歩く事を、雇用者側から「お願い」されているだろうか。

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その中で、その「修行」に「能動的」に「参加」した「道場生」の中の一人が、「講師」がセレクトした「社会問題」を口に出して読む事を、セレクトする者としての「講師」の主体と自分の主体が異なる事を理由に拒絶する。しかしやがてその「道場生」は「台本を読む様に読めばそれを読む事が出来てしまう」事に気付いてしまう。自らの意志に沿わなくても、「場の力」によって声を発し頭を垂れる事は「出来て」しまう。

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強制収容所で宮城遥拝するオランダ人女性捕虜

強制収容所のオランダ人女性捕虜が宮城に揃って遥拝する――写真には写っていない日本軍兵士からの「お願い」による――「参加」のフィギュールを、何かしらの「成功」に向かっているものと見るか、それともそれが「参加」である/「参加」でしかないが故に不可避的な「失敗」を抱え込まざるを得ないと見るか。

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「幽霊船」に乗り込む。その「幽霊船」の「入口」には、「本展の入口は二つあり、左右どちらからでもご入場いただけます。作品の鑑賞順序もとくに決まっていません」と書かれてある。しかし「幽霊船」に乗り込むのに左舷も右舷も無いだろう。

その「幽霊船」には「船内」に遺棄されたもの――自分達が作ったものなのに、誰一人として持って帰らなかったものを含む――が多く置かれていた。「共にいること」の「6日目」には、定刻通りに「救助船」(大型バス)が来て、首尾良く「脱出」出来る事が「漂流者」の誰にも判っている「試み」であり、だからこそ「試み」ならぬ「メデューズ号」にも「督乗丸」にもならなかった/なれなかったとも言える。

スキルの高いムービーカメラが「記録」し、それにスキルの高い編集の手が加わった「無人島0円生活」の如きTV番組を見る様に、「水戸芸術館」に漂って来た「幽霊船」に残されたモニタから流れる「6日間」の「船内」の映像を見ていた。

TV番組のテクニック的なスキルが高いのは当然であるから、その様な「条件」を褒めても――同業者、或いは同業者的視点を持った者が同業者的に褒めるというケースはあり得るが――意味が無い。TV番組を「見る」秘訣は、カメラは何を映していないのか、編集は何を切り落としたのか、インタビュアーは何を質問していないのか、解説者は何を語っていないのか、スタジオ・セットは何を見せないようにしているのか、そして彼等には何が見えていないのかを想像する視点を常に持つ事である。「宮城遥拝するオランダ人女性捕虜」の写真の外に何があるのかを考える事。「アリ伝説」を「観察」可能とする視点はどこにあるのかを想像する事。それが「写真」や「映像」に飲み込まれない為の「高台」への唯一の避難方法になる。

スキルの高いムービーカメラの人は、この「共にいることの可能性、その試み」の告知に使用される事が多かった「常陸太田市西山研修所」の「新館・食堂」での食事風景を、かなり「引き」のポジションから撮っている。

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ここで行われた方法論で必然的に出てきたものは実際に行なわれたワークショップの話であって、それ以外の、社会で起きている出来事に関してはどうも語りえないという限界があった。
この状況において語り得る、または必然的に語られた感があるのは、ここで起こったこと。それを越えて抽象化することの限界。地域共同体、国家については語れない、しかし、ここでの共同体については語り得た。(藤井光)

「それ以外」をフレームに収めようとする「試み」。それは「編集」で失われる事は無かった。

 「作品」とは遺棄された「残余」だ。観者はその「残余」から、「作品」の名によって失われたものを、再度一つ一つ手繰り寄せ直さなければならない。「幽霊船」を探索する者の様に。「作品」という「幽霊船」の中で「理念」が少しでも示された箇所があれば、他ならぬその「理念」から零れ落ちるものの手掛かりを、観者は「作品」中に発見しなければならない。

宇宙船地球号」の現在が、大きくあろうとする「理念」と「理念」のぶつかり合いの状態にあるならば、尚更「理念」と「理念」の間にあるものをこそ、今日的な「美学」は模索しなければならないし、その中では自分の信じる「理念」を一切合切捨て去らねばならない局面があるかもしれない。いずれにしても、複数の「理念」が真正面から激突する時代にあって尚、「良いキュレーション」というものがあるとするならば、それは唯一観者の「高台」への避難路を完全に塞がない事が意識的に出来るか否かに掛かっている。

「6日間」で終了する事が誰にも判っている「共にあること」の小さな「おままごと」は、しかしその「小ささ」故に、そのレベルで重要である。益々「グローバル」化する「相惡」に対抗出来るのは、「ローカル」でもなければ「地域」でもない。その「小ささ」は徹底的に突き詰めに突き詰められた「小ささ」であらねばならない。そのヒントの一つは、恐らく一回目の料理と二回目の料理の大いなる差にある。