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新年

「季節を分ける」事から始まる「太陰暦の新年」とは全く異なる「太陽暦の新年」を迎えるに当たり、「太陰暦」をその「生活」からすっかり駆逐する事を選択した百数十年前に始まる「近代国家日本」で、その「国民」がやらねばならないとされている事と言ったら、それは「太陽暦の年末」の「大掃除」である。「太陽暦の旧年」中の「埃」や「垢」をこの時期に落とし、「太陽暦の旧年」をリセットする為にそれは行われる。そうした「季節」感に基づく21世紀の「大掃除」は、既に「イデオロギー」の対象と言える。


そしてまた「忘年会」である。これは「忘年」の言葉が表す通りのものであり、文字通り「太陽暦の旧年を忘れる」為にそれは行われる。恐らく「太陽暦の大掃除」も「太陽暦の忘年会」も、そして「太陽暦紅白歌合戦」や「太陽暦の『新年あけましておめでとうございます』」や「太陽暦の年賀状」に至るまで、「近代国家日本」によって推進されてきた「太陽暦」の一連の「国民」への「内面化」(大衆的「年賀状」は、当然「前島密」以降に成立した近代的「習俗」)を、百数十年前に「日本国民」となった自らが喜んで受け入れて来た構図の中にすっぽりと収まってしまう。


太陽暦の年末」に多く見られた「2013年のベスト展覧会」もまた「忘年」の一つの形かもしれない。加えて悪い事に/良い事に、「ノミネート」された「展覧会」や「作品」が、「忘年の対象」として示される事が多いという印象も無いでは無い。寧ろ個人的には、「忘年の対象」とされる事に対する「抗い」こそが見たい。