あいちトリエンナーレ 2013


名古屋市営地下鉄桜通線名古屋駅の壁面には、幅62.38メートル × 高さ2.17メートルの「高松次郎」がある。1989年制作の「高松次郎」のタイトルは、「イメージスペース・名古屋駅の人々」だ。現在は「東京三菱UFJ銀行」となった、嘗ては中京地区唯一の「都市銀行」であった「東海銀行(1941〜2002年)」の寄贈になる。



自分の血の半分は名古屋だが、名古屋に居住した事は無い。従って名古屋の住民がこの「バブル」時代の「高松次郎」をどう思っているかは判らないが、「よそ」から来た者にとっては非常に好ましい風景にも見える。その好ましさは「『高松次郎』だから」以上の理由による。


「高松次郎」は愛知県出身ではない。東京の出になる人であり、東京藝術大学卒の人であり、言わば名古屋にとっては「よそもの」である。その「よそもの」が、名古屋の「表玄関」である「名古屋駅」の壁面を独り占めしている。これが「荒川修作(愛知県名古屋市出身)」や「河原温(愛知県刈谷市出身)」であれば、その起用はまだ判らなくは無いとも言えるが、それでも仮にそのどちらであっても、「地方」の文化状況や公共デザインに多く見受けられもする、「地元」出身者の「重用」をこそ最優先するといった印象は皆無だと思われる。何故ならばその両氏は「名古屋人」や「愛知人」ではなく、現実的に言って「ニューヨーク人」だからだ。彼等はさっさと「愛知(日本)」という「地元」を見捨てて行った人達なのである。従ってその何れかに落ち着いた場合でも、名古屋市営地下鉄桜通線名古屋駅の壁面は「ニューヨーク人」という「よそもの」による作品と見られるだろう。


こうした場所に「よそもの」が存在している事は、その町が風通しの良い「都市」である事のプレゼンテーションとして非常に重要だ。「都市」的な意味での町の「レベル」を上げるには、当然「地元」の力だけでは実現不可能であり、従って「よそ」からの「人材」や「資本」の流入が不可欠となるが、それにはその町が「排他性」を持たない事が絶対条件である。「よそもの」は「地元」出身者に比べて成功のチャンスが低いとか、「よそもの」は「地元」のルールに合わせるべきであるとか、「よそもの」は「地元」の文化に同化せよとか、「よそもの」は「地元」のイニシエーションを受けろとか、「よそもの」は「地元」の刺身のツマ程度の存在であれば良いなどと、些かも思ったりしないのが「都市」というものである。


そもそも「都市」には「地元」という概念自体が存在しない。「ニューヨーク出身者」や「東京出身者」を「『地元』出身者」として優先的に「重用」する様なニューヨークや東京はあり得ない。仮にそうであれば、誰もニューヨークや東京に自らの成功を求めて行こうとしたり、ビジネスの相手として相応しい地であるとは思わないだろう。その「地」の出身者である事に、些かのメリットも与えないのが「都市」である事の最低条件だ。「地元」であるという理由でそれを「重用」し、「地元」以外のものを一切認めない「風土」ばかりであったら、「愛知」の「誇り」である「トヨタ」は、アメリカのフリーウェイ走行で、走った途端に危機的になる様な車(クラウン)を未だに作り、メッキ部品でデコレートしたそうした車を、国内(「地元」)需要向けに「高級車」と称して製造販売し続けていたに違いない。勿論「都市」を無上の価値としている訳では無い。「都市」にはなりたくない、「都市」的な「レベル」を上げたくないという選択は当然自由であるから、そうした地は「同質性(排他性)」や「自律性(閉鎖性)」を持つ代わりに、「都市」であろうとする事を捨てれば良いだけの話である。

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事実上「現代美術家」である事から離れて30年程経つ大学の同級生がいる。その人物は、2007年に「国立新美術館」で行われた「安齊重男の”私・写・録(パーソナル フォト アーカイブス)”1970−2006」展で、その仕事の幾つかが紹介されている位には「活躍」していた作家だった。


1970年代、学部生時代のその「名古屋」出身の人物の持論は「名古屋が日本で最も世界に近い」だった。曰く「東京のアーティストは、東京で一旦それなりに成功するという『予選』を突破した後に、本人にその気と余裕と才覚があれば、『決勝戦』である世界へと目を向ける。関西のアーティストは、関西でそれなりに成功するという『一次予選』を突破した後に、本人にその気と余裕と才覚があれば東京に発表ベースを移し、東京でもそれなりに成功するという『二次予選』を突破した後に、本人にその気と余裕と才覚があれば『決勝戦』である世界へと目を向ける。しかし東京も関西もそれなりに『都市』であるから、多くのアーティストは東京や関西を成功の『最終ステージ』であると見て自足してしまい、その結果、世界という『決勝戦』に中々目が向かない。しかし名古屋は違う。名古屋は極めて中途半端に『都市』である一方で、『大いなる田舎』であるから、現代美術という『都市』文化で成功する為のステージそのものが存在しない。そこに留まっていても全く意味が無い。勢いキャリア・スタートの時点から外の世界に向けて目が向く事になる。そこで見る外の世界は、東京、或いは世界という事になるが、名古屋から見れば或る意味でどちらも同じに見える。初めから世界を視野に入れているのであれば、東京での成功という中途半端を省略して、世界にダイレクトに行くという選択もされる。従って名古屋が日本で最も世界に近い」という御説であった。そしてその実例として、氏は「愛知(日本)」を捨て去った「荒川修作」と「河原温」を上げていた。

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「あいちトリエンナーレ2013」閉幕直後の2013年10月28日から29日に掛けて、「地元」の「地方新聞」である「中日新聞」に、「記者座談会」と称した記事が掲載され、関係者間で大いに話題となった。記事の末尾には「この対談は文化部・黒谷正人、宮川まどか、石屋法道、放送芸能部・長谷義隆、柳沢研二が担当しました」とあるものの、その「担当」の意味するところは今一つ不明(「担当」という日本語表現は、対談者がそれらの人物である事を必ずしも意味しない)であり、事実上この「対談」は「名無しさん@A」「名無しさん@B」「名無しさん@C」「名無しさん@D」「名無しさん@E」によるものと言え、であればそれは「対談」ではなく「放談」や「放言」と言うべきものである。


29日の「放談/放言」の結びには、「名無しさん@E」氏の発言として「よそから持ってきた現代アートなるものを集中的に縦覧させて、地元を疲弊させるだけだろう」とあるが、「よそ(strange)」であるとか「地元(native)」という言葉を不用意に用いてしまう様な「『都市』のメディア」は当然の事ながら存在しない。明らかにこの「名無しさん」による「よそ」の語にはネガティブな含意があるが、「よそ」の人間からすれば、そうした扱いを不快に思うだけだ。この記事は電子化されておらず、であればこそ「新聞紙」を購入可能な「地元」読者向けを狙っての記事であるとも言え、従って「全国」や「世界」といった「よそ」に一切気兼ねする必要の無い、そうした範囲内に収まる「公共性」の賜物であろう。


一方その記事の真下には「話題の展覧会・東西」として、「中京」地区から極めて遠く離れた「札幌」で開催されている「松井紫朗」と、「鹿児島」で開催されている「名和晃平」が紹介されている。しかしそれらはまさしく「名無しさん@E」氏が言うところの「現代アートなるもの」であろう。そうした「なるもの」というネガティブな一語で切り捨てているものを同一紙面に掲載しつつ、加えてポジティブな「話題の展覧会」との煽り文句を入れる。読者たる者が持つべきこの矛盾律への対応は、その一方は信用するに値し、もう一方は信用するに値しないとすべきなのだろうか。或いはそれは、名古屋とは無縁の「よそ」でやっていさえすれば、無矛盾という事なのかもしれない。


またその直前には、同じ「名無しさん@E」氏が「地元は日本有数の窯業や技術の産地でもある。アートと連動させる要素は探せば見つかるはず」としている。それはイタリア・ベネチアの「地元紙」が、「地元はベネチアン・グラスの産地でもある。アートと連動させる要素は探せば見つかるはず」と、「よそから持ってきた現代アートなるものを集中的に縦覧」させる「ベネチア・ビエンナーレ」に「苦言」を呈する記事を掲載する様なものかもしれない。「名無しさん@A」氏は「なぜ『愛知』で開催するかということに必然性を持たせ続けられるかが今後の鍵だろう」と発言しているが、これも「愛知」に代えて「ベネチア」や「カンヌ」を置換してみると滋味深いものに思えて来る。何故に「カンヌ映画祭」は「カンヌ」で開催されるのだろうかという「必然性」を求める問いは、果たして建設的なものとして成立するだろうか。

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「あいちトリエンナーレ2013」を見る限りに於いて名古屋は「都市」だった。そして良い意味で「大いなる田舎」だった。ボランティアの人達の構成に「偏り」が無いところも印象的だった。


約3ヶ月前の展覧であるが、幾つかの作品によって突き付けられた「問題」は、未だに自分の中に澱の様に残っている。その「問題」が、全くその作品世界と関係の無い場所で、何かの拍子にフラッシュバックしたりする。興味深いのは、その澱となっている作品の多くが、「地元」日本人の作品で無いところにある。「よそから持ってきた」ものの方が、自分にとっては「近く」感じるのだ。


「近い」が故に「遠い」という事がある。どういう例を出せば適切かは判らないが、例えば「アンパンマン」を描いた日本人の子供の絵と、「自分の近親者や友達が傷付けられている」様を描いた「内戦地」の子供の絵は、果たしてどちらが「近く」感じるかといったものだろうか。確かに「内戦地」の現実は「遠い」ものである。その一方で「アンパンマン」がどういうものであるのかは、多くの日本人なら良く知っている。従って通常「アンパンマン」の絵の方が圧倒的に「近く」感じる筈である。しかし己が人生の場面によっては、「自分の近親者や友達が傷付けられている」事の方が、圧倒的に「近く」なる事もある。しかもそれは「アンパンマン」が入って来れない「場所」まで「入って」来るのだ。


日本の美術作品が観客の中に訴求して来る「場所」というのは、比較的似通っているという印象がある。それは「アンパンマン」と「まどマギ」という「差異」の、それを見る者の中にそれぞれ訴求して来る「場所」が、「自分の近親者や友達が傷付けられている」事に比べれば似通っている様なものだ。それらの多くは、日本人が考える「美術観」や「国家観」や「政治観」を始めとした「世界観」を反映したものとして現れる為に、それを共有する者にとっては「近い」ものであるが、他方でそうした「世界観」を共有しない者には、それは全く「遠く」のものとなってしまう。


名古屋が「都市」であろうとするのなら、「あいちトリエンナーレ」には単層の「近さ」に留まらない、複層の「近さ」をもたらせる「よそ」の存在こそが必要なのである。そうした「よそ」を排除しない名古屋にのみ、「人材」や「資本」を持つ「よそ」は興味を持つ。一方「地方新聞」が思い描く様に、「あいちトリエンナーレ」から「よそ」の要素を全面排除して、瀬戸や常滑等の焼物等を前面にフィーチャーし、「地元」のリソースを遣り繰りしてどうにかするというのであれば、それはそれでそうすれば良いのである。そうした「地元」の選択を止めはしないし、「よそ」の人間であるからそれをする義理も無い。但しそうした「非・都市」的な単層の「近さ」を、「地元」の価値観だけで一方的に押し付けて来る様なイベントには全く興味が無いから、そうなった「あいちトリエンナーレ」に「よそ」の人間が足を向ける事は決して無いだろう。

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一つだけ「あいちトリエンナーレ2013」に「苦言」があるとしたら、イベントの「実際」に対する現実的な視点が、根本的に欠けているところを指摘せねばならない。自分はその日の午前7時半に名古屋入りをして、外で見られる作品を幾つか見て回ってから、午前9時半から始まる「名古屋市美術館」の展示を皮切りに、そのまま昼食抜きで19時の「クローズ」時間までフラフラになって名古屋市内を見て回ったものの、それでも全ては見られなかった。当然名古屋の中心部(例:栄)から往復するだけで2時間半以上を要する岡崎会場はパスである。見たかったものの一つである「志賀理江子」は割愛せざるを得なかった。その最大の「敗因」は、「全ての作品を丁寧に見る」という前提を守ったからだ。


勿論「全ての作品を丁寧に見る」ではなく、オリエンテーリング宜しく、「ハイ見ましたっ!スタンプ押しましたっ!映像作品の全てを見るのは無理っ!冒頭だけ見たら全編見た事にするっ!オブジェクティブ作品も写真に撮っておけば、後からそれを見て思い出せば良いっ!カタログ買ってそこへ行ったという事にするっ!インタラクティブ作品に時間は取られたくないっ!演劇はパスっ!兎に角時間が無いっ!ハイ次っ!」みたいな「はとバス観光」的な回り方をすれば、或いは事前に「これとこれはつまらなそうだから見るのを止めておくっ!」と、実際の作品を見る前から「落選者」を決めておけば、全会場を「制覇」可能だったのかもしれないが、しかしそれは果たして良い事なのだろうか。少なくとも、空間的広がりを含むこの規模を前提にするなら、チケットは何日かに渉って「再入場可」であって欲しい。でなければ、他でもない「作品」が余りにも気の毒過ぎる。果たして主催者は、一般観客と全く同じ条件で実際に回って見て、シミュレーションしてみたのだろうか。