國府理「水中エンジン」redux

ラテン語の “reducere"(to lead back)から生まれたという “redux" は、様々に日本語訳可能な単語だ。

例えば「続編」としての “redux" がある。「前作」の主人公の「その後」を描くジョン・アップダイクの “Rabbit Redux" (邦題「帰ってきたウサギ」)などは、さしずめその様な意味での “redux" だろう。一方、フランシス・コッポラの “Apocalypse Now Redux” の様に、「地獄の黙示録 特別完全版」と訳される “redux" がある。1979年の公開時にカットされ「未公開」となった49分を挿入し、「作者」コッポラによって2001年に「再解釈/再編集」されたものだ。勿論「リマスター」や「レストア」を意味する “redux" もある。

“Brought back; revived." というのがオックスフォード英語辞典による “redux" の説明(注1)になるが、読者の前に「その後」として再登場するという「続編」にしても、「恢復」を意味する「特別完全版」にしても、「リマスター」や「レストア」といった「復元」にしても、総じて「帰ってきた」と訳す事は確かに可能ではあるだろう。

(注1)オックスフォード英語辞典は “redux" という単語の “Origin" が “Late 19th century" としているが、実際にはそれよりも遥かに早く(例:1662年の “Astraea Redux")出現している。

「國府理『水中エンジン』redux」。遠藤水城氏による「日本シリーズ」の「第3戦」とされている。それを「帰ってきた國府理『水中エンジン』」と訳せるとして、その「帰ってきた」は一義的には「再制作」を意味するものではあるだろう。しかし恐らく「帰ってきた」はそれに留まらない。

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日本シリーズ第1戦」のタイトルが「人の集い」、「日本シリーズ第2戦」のタイトルが「裏声で歌へ」、そして「日本シリーズ第3戦」が「國府理『水中エンジン』 redux」だ。その「作家名『作品名』 帰ってきた」というタイトルを最初に見た時に、前2戦に比べて随分と「趣(おもむき)」の異なるタイトルだと感じた。

「第1戦」の「出展作家」が「5名」、「第2戦」の「出展作家」が「6名」(「小山市立乙女中学校合唱コンクール」と「戦争柄着物」もそれぞれ「1名」としてカウント)という「グループ展」であったのに対して、「第3戦」は「出展作家」が「1名」の「個展」だった。やはり前2戦に比べて「趣」が異なる印象を持った。

「奈良・町家の芸術祭 はならぁと 2016」の「こあ」として開催された「日本シリーズ第1戦 人の集い」の藤田直哉氏とのシンポジウム(2017年3月19日「奈良町にぎわいの家」)に於いて、遠藤水城氏は同展の第一義を「案山子が見るための展覧会」としていた(注2)。そして「案山子が作品を見て救われようとしているという図」を「見にきた人」――「危機の中」にある人――が「救われるかもしれない」ものであるともしていた。

遠藤:ところで、あんまり元気のない人、危機状態にある人は、案山子を見て元気になるという体力すらもはや無いわけです。それについて考える時に、今回この「人の集い」は分断を発生させてしまったなという反省はあります。案山子を見て救われる人と救われない人がいる。賛否両論あることの原因はここにあると思っています。思おうとしています。階級問題が最終的に発生しているのです。

(注2)「奈良・町家の芸術祭 はならぁと2016 ドキュメントブック」掲載の書き起こしに基く。

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「宗教者」、或いは「宗教に生きる人」ならば、己が「信仰」するところのものに対して、通常は「救われるかもしれない」という言い回しはしない。彼等は「救われる」で止める事こそが「正しい」態度であると思っている。「全ての者はこの『信仰』によって必ずや『救われる』」。これが全ての「宗教」の「正しさ」の全てだ。彼等にとって「救われない」というケースは――「原理」的にも「権利」的にも――最終的にはあり得ない。そうした態度(attitude)こそが、彼等自身のかたち(form)を作り上げている。

しかし「救われる」と「救われない」は「確率」的にしか現れないという見方もあり得る。異なる諸宗教/諸原理が世界に多数存在しているという現実は、そうした見方を強力なまでに後押ししてしまうだろう。A教によって「救われる」者は、B教によっては「救われない」。B教によって「救われる」者は、A教によっては「救われない」。駅前で小冊子を入れたラックを立て、その傍らに立ち続けて「奉仕」をする人の目には、己が「信仰」するところのものに一切興味を示さずに、「真理」が収められているラックの前をそそくさと通り過ぎる人々が、「救われる」事自体に「目覚め」ない「危機の中」にある者に見えてもいるだろう。

仮に特定の「信仰」に於いて、「救われる」(乃至は「救われている」)者が「優位」にあり、「救われない」(乃至は「救われていない」)者が「劣位」にあるとするならば、確かにそこには「階級問題」が存在する。駅前に立つ人には、彼等の中で共有されている「階級問題」が存在する。しかしそうした「階級問題」が「分断」の蝶番によって容易に反転してしまう事を、我々は何度も――テレビ画面を通してすら――目撃して来た21世紀なのである。

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「救われるかもしれない」という「確率」的な表現は、本来的な「美術」が「宗教」と直ちには異なるもの――「宗教美術」に於いてすら――であるという認識に基いている。本来的な「美術」にとって最も重要なものは、「救われる」と「救われない」に「分断」される「以前」にこそある。即ち「ラックの横に立って小冊子を掲げる人」と「その前をそそくさと通り過ぎる人」が「分断」――世界に無数に存在する「分断」の一つでしかない――される「以前」にこそ、本来的な「美術」の「場所」はある。

日本シリーズ第2戦 裏声で歌へ」に於いても、comos-tv の「インタビューズ」で、遠藤氏は「分断」――「純粋な鑑賞者」/「背後の文脈を執拗に読み取ろうとする鑑賞者」が発生してしまった事を認めていた。「純粋な鑑賞者」=「救われる鑑賞者」/「背後の文脈を執拗に読み取ろうとする鑑賞者」=「救われない鑑賞者」(救われまいと努力してしまう鑑賞者)とする事も可能「かもしれない」。

日本シリーズ第3戦」の「國府理『水中エンジン』 redux」に於いては、こうした「分断」をこそ寧ろ積極的にこの「展覧会/プロジェクト」に設定し、その「克服」を示唆するところから始まっていた様にも思える。そしてその「分断」は、「作者」である國府理氏も指摘していたものだ。「水中エンジン」――「作者」の死後に「1号機」と称される事にもなる――が最初に展示された「アートスペース虹」の個展(2012年5月22日〜6月3日)に於いて発せられた、作者自身によるステートメントにはこの様に書かれている。

 「熱源」(ねつげん)とは、周囲に対し高い温度を持った地点、エネルギーの供給ポイントを指す。英語ではホットスポットと訳されることがある。そしてこの展示プランは、とりもなおさず、先の地震における原子力発電所事故に着想を得たものである。(略)そこに起こっている事象は社会的な意味においても「熱源」であると言えるのかもしれないが、そこに立ち現れてくるのは悲しくも文字通りの温度差である。そして事象の深刻さは対流を繰り返して拡散し平均化されていく。

 

国府 理 展 「水中エンジン」ステートメント
http://www.art-space-niji.com/2012/sche06.html

 ここで「温度差」とされているものの一つは、紛れも無く福島第一原発事故の「当事者性」を巡って生まれた数多くの「分断」を指しているだろう。日本に於ける SNS が、無数の「分断」を再生産するばかりの装置になり、それに「ブースト」が掛かったのは「震災以後」と言える。「(「分断」という)事象の深刻さは対流を繰り返して拡散し平均化されていく」事で「微分」化し、その様に「微分」化された「分断」に「固執」する「美学」が「対話」から人々を遠ざける。

がんばろうKOBE」(1995年)の頃とは全く異なる「がんばろう!東北」(2011年)の時代。そこには「純粋」に「がんばろう!東北」で生き続けなければならない存在と、「背後の文脈を執拗に読み取ろうとする」事で、「がんばろう!東北」のスローガンを場合によっては苦々しいものとすら見てしまう存在がある。「分断」は固定化される。そして固定化された「分断」が全ての始まりになる。遠藤氏は「國府理 水中エンジン redux」クロージングパーティー・第1部トーク遠藤水城、プロジェクトの全貌を語る」に於いて、「震災以後」を「ある種の息苦しさ」と表していた。(7分50秒前後〜)

「分断」の固定化は「震災以降」の日本だけのものではない。ここ10年に限っても、世界各地で起きている事柄の多くは、「分断」の固定化/固定化された「分断」から始まっていると言っても良い。嘗ての「分断」は「垂直」方向にあった。しかし現在は寧ろ「水平」方向にある

「分断」に加担しない/「分断」から始まらない「未来」の「政治」があり得る事を「美術」は今こそ示さねばならない。「分断」によって引き起こされたものの渦中にある2017年のヨーロッパの「三大芸術祭」は、多かれ少なかれそこから始まっていた筈なのだ。

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ところで “redux" =「帰ってきた」というフレーズから真っ先に思い浮かべたのは、「帰ってきたウルトラマン」だった。

帰ってきたウルトラマン」は円谷特技プロダクションの巨大変身ヒーローものの第3作である。第2作の「ウルトラセブン」終了から3年のブランクを経て制作された本作の当初の企画では、初代「ウルトラマン」が地球を去ってから30年後に、再び地球に文字通り「帰ってきた」――アップダイクの「帰ってきたウサギ」の如く――という設定だった。しかし武田薬品工業の一社提供枠から外れ、ロッテ、ヤマハ発動機、キューピーマヨネーズ等の複数スポンサー体制となった同作は、スポンサーサイドからの商品展開を見据えた申し入れによって、「初代」の「ウルトラマン」とは「別人」の「ウルトラマン(注3)とされる事になる。

(注3)後年(1984年)、この「ウルトラマン」(「帰ってきたウルトラマン」の「ウルトラマン」)に「ウルトラマンジャック」という固有名詞が与えられる。

帰ってきたウルトラマン」は、「円谷プロ」の巨大変身ヒーローものの歴史上、極めて重要な「断絶」の後に位置する「作品」だ。所謂「ウルトラマンシリーズ」の第1作、第2作である「ウルトラマン」(1966年7月17日〜1967年4月9日)「ウルトラセブン」(1967年10月1日〜1968年9月8日)の「監修」を行っていたのは「円谷英二」(1970年死去)であり、それらの「ウルトラヒーロー」「怪獣」「メカ」のデザインの多くを「手掛けて」いたのは「成田亨」(1968年東宝退社)だった。

1971年4月2日から1972年3月31日まで放映された「帰ってきたウルトラマン」は、「オリジナル」の「ウルトラマン」制作スタッフに於いて「重要」な位置を占めていた「円谷英二」と「成田亨」が「不在」の中で制作された。勿論こうした物言いは極めて転倒的なものでしかない。「帰ってきたウルトラマン」とその「世界観」は、それが「設定」に基いた「キャラクター」となってしまったものである以上、最早「円谷英二」にも「成田亨」にも帰せらるものではないからだ。その意味で「帰ってきたウルトラマン」は、「『円谷英二』の『ウルトラマン』」、或いは「『成田亨』の『ウルトラマン』」の「復元」でもなければ「再制作」でも何でもない。しかしそれでもそれは「ウルトラマン」なのである。

帰ってきたウルトラマン」を、初代「ウルトラマン」の「続編」= “redux" にすると考えていたのは「円谷英二」であり、「帰ってきたウルトラマン」というタイトルもまた、生前の「円谷英二」が積極的に「承認」したものとされている。しかし「特撮の神様」として「伝説」となった「円谷英二」が「不在」の中、当時のスポンサーサイドの極めて現実的な「都合」によって、「円谷英二」の「設定」はすっかり捨て去られる事になる。

円谷英二」のコンセプトから大きく「外れ」た、初代「ウルトラマン」とは「別人」とされた「ウルトラマンジャック」が登場する「帰ってきたウルトラマン」に、同作の企画段階で故人になった「円谷英二」の「意」を「汲む」形――「故人の意志を尊重」してという表現がしばしばされる――で「帰ってきたウルトラマン」というタイトルを「残した」のは、当然の事ながら「遺族」を含めて「円谷英二」とは「他人」の関係にある者によるものである。しかし敢えて言えば、ここで「故人の意志を尊重」なる言い回しで表現される行為は、2017年前半の「流行語」で言えば「忖度」という一語に尽きるものではあるのだ。「意志」を推量する対象が全く不在であるという完璧な上にも完璧な「忖度」がここにある。

「キャラクター」ビジネス上の理由によって初代「ウルトラマン」とは「別人」であると視聴者に認識されなければならないという要請がある一方で、「帰ってきたウルトラマン」である以上、それは「ウルトラマン」という同一性の内部になければならない。初代「ウルトラマン」の所謂「Cタイプ」、或いは「ゾフィー」の原型やマスクから直接「型取り」されたと言われる事すらある「ウルトラマンジャック」のマスクは、その意味で既に制作現場を去ってしまった「成田亨」のデザインに「忠実」である。しかし同時に「別人」である為に、ボディのパターンデザインは初代「ウルトラマン」のイメージを残しつつも微妙に変更され、更に差異を際立たせる為にパターンは二重線化された。その辺りは「成田亨」を「逸脱」している。

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こうして「ウルトラマン」は「忠実」と「逸脱」を「反復」しつつ「ファミリー」を形成するまでに至る。しかし「反復」されるのは制作者の間だけの話ではない。巨大ヒーロー対怪獣(それは「ウルトラマン」シリーズでなくても良い)のバトルを想定した遊びは、現在に至るも子供達の間で「反復」されている。或いは「DAICON FILM」による自主制作8ミリ映画「帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令」の様な「反復」の形もある。

この再制作プロジェクトはそのような「構造的欠陥」、「incompletion」な状態を積極的に引き受けるものです。しかし逆説的に、それはオルタナティヴな共有システムと記録システムの可能性へと繋がっています。美術館において共有が「展覧会」に、記録が「収蔵」に集約されるとしたならば、「水中エンジン」の「反復」はどこか別の方向へと進んでいく。共有されざるものの共有と、記録されざるものの記録の方へ。個人/故人の神話化や完成作品の永続化から離れ、ただありふれた、思い立ったかのように繰り返される追悼のようなものに。

 

【國府 理 「水中エンジン」 redux】ステートメント遠藤水城
http://www.art-space-niji.com/2017/sche07.html

 「ウルトラマン」に於ける「共有」が、例えば2012年7月10日~10月8日に東京都現代美術館で開催され、その後各地を巡回した「館長 庵野秀明 特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の様な「展覧会」に、その「記録」がそれら「出品物」の「収蔵」にある筈も無いのは明らかだ。「ウルトラマン」に於いて、「オルタナティヴな共有システムと記録システム」や「共有されざるものの共有と、記録されざるものの記録」や「個人/故人の神話化や完成作品の永続化から離れ、ただありふれた、思い立ったかのように繰り返される追悼のようなもの」の最たるものは、「ウルトラマンごっこ」――子供達のそれは「追悼」の意味すら欠いている――にこそある。「ゴジラごっこ」が「シンゴジラ」を生んだ様に。

「水中エンジン」の「反復」は偏に「水中エンジンごっこ」でなければならない。あらゆる人間が、それぞれの固有性を以って必要とする「水中エンジンごっこ」。或いは敢えてここで間口を拡げて言えば、「当事者」と「非当事者」を分かつ「分断」を飛び越える「必然性」でしかない「ごっこ」こそが、「美術」が「反復」= “redux" される条件の最たるものなのだ。勿論それは「水中エンジン」に限った話ではない。

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余談。

7月の前半に「アートスペース虹」へ行った。するとそこにはEK23の「磔」という仕打ちがあった。人類を「陥罪」から「救う」為に「犠牲」になったEK23という事なのだろうか。ミケランジェロに頼めば、EK23とそれを降ろす人々を、全て大理石で見事に彫り上げてくれるだろうか。

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この後このEK23は「埋葬」されるという。そして14年後に掘り起こされて、再び人々の前に吊るされて「帰って」くるらしい。「磔」の周囲にあるモニタ映像の中に、「磔」にされる前の「水中エンジン」を認めて「アートスペース虹」を出た。

展示替えとなった7月末、ようやく「水中エンジン」が実際に動いているところを見た。栃木から始まった「執念」がようやく「実」を結んだのである。5度目の正直だ。

機械的トラブルは無かったものの、御近所トラブルはあった。御近所に住まわれている紳士が「水中エンジン」のエキパイ終端に取り付けられた安物のブロアの音が耳障りだと「抗議」してきたのである。

確かにその極めてローコストのモーターが立てる所謂「金属音」は、ガラスを爪で引っ掻くが如き神経逆撫でのそれではある。「窓を閉めていても気になって仕方がない」と「抗議」の紳士は穏やかに言うと、そのまま蹴上駅方面に「帰って」行った。

「御近所の方」の筈なのに、エキパイが向けられた東山駅方向と逆方向で、しかもその方向の「御近所」には民家的なものは見当たらない。「あれれ」と思い、好奇心の虫が湧いた。紳士はウェスティン都ホテル京都を素通りし、そのまま蹴上駅方面に向かう。謎は深まる。

紳士が蹴上交差点の横断歩道を渡っているのが見えた。その横断歩道から「アートスペース虹」まで約150メートル。はてさて150メートル以上も届く「不快な音」はあるだろうかと思っていたら、横断歩道を渡り切った紳士は、対面する歩道を再び「アートスペース虹」方向に「帰って」きた。そして「水中エンジン」の正面を通り過ぎたところで、ようやく紳士はエキパイの排気口が向けられた御自宅に帰還されたのである。延べ約300メートルの道のりであった。

確かに「アートスペース虹」前の4車線道路の「渡り難さ」と言ったら極めて酷いものではある。「通常」の遵法精神――即ちそれは「通常」の脱法精神でもある――の持ち主ならば、横断歩道の無い4車線道路を、車の切れ目を狙ってスタスタと渡ってしまうであろう。「クイズ100人に聞きました」ならば95人は「渡る」と答える様な事例だ。しかし流石に紳士である。彼は100人中5人の遵法の人だった。

それにしても蹴上駅方面に行かずとも、逆の東山駅方面へ80メートル行ったところに横断歩道はある。それならば紳士の家に着くまでに往復で160メートルだ。「遵法」的且つ「合理」的に考えれば、こちらを選ぶのが「正しい」。しかし紳士は家に帰るのに、「合理」性を捨てて敢えて「遠回り」をした。紳士には「不合理」に至らしめる「何か」があったのだろう。

私は以前に「拡散するということ」をテーマにCO2Cubeというバルーンに自身所有の自動車の排気ガスを貯蔵する作品を展開したことがあったが、そのバルーンの膨らみ方や一箇所に留めたそのガスの匂いは、拡散することによって認識を曖昧にさせて初めて成立する営みがあることを実感させるものだった。そして今回の原子力発電所での事故について、あたかも人が、自動車の故障が起きて初めてボンネットフードを開けて、そのエンジンユニットの複雑さに気付くというような感覚を想像した。それは人間の臓器に対する認識のように、容姿への関心とは裏腹な、その営みの重要性への認識の希薄さにも似ている。
私はこの展示において、科学的、工業的なシステムにとどまらず、さまざまな連関によって凝集している核心と呼ぶべきものと、それを源とする拡散の様子を想像するための模式を提示できないかと考えている。

 

国府 理 展 「水中エンジン」ステートメント

「拡散すること」で周辺住民の「認識を曖昧に」させる事が可能であるとの関係者の甘い見通しの元に「想定内」視されていた安物ブロアの音は、しかし結果的に「想定外」の事態を引き起こした。件の「原発事故」に於ける関係から言えば、「被害」に遭った紳士の方が「当事者」側とされるだろう。

こうした事から始まってしまうかもしれないつまらない「分断」――例:「アート嫌悪症」――を発生させない為には、工夫の存在を一切悟られない技術の開発と投入が一層に求められるのだ。