受賞

【幕間】


4月22日。「武蔵野美術大学美術館 図書館」で「平成24年度卒業制作・修了制作優秀作品展」を見ての帰り、職場に向かう車中のカーラジオをTBSラジオにチューニングした。鷹の台を出て30分程経過したところで、「永六輔の誰かとどこかで」が始まった。1967年から始まる同番組の通算12,515回目のこの日は、永六輔氏が「何回もしている話」であった。


ある年の事、永六輔氏(4月10日生)、さだまさし氏(4月10日生)、野坂昭如氏等が、淀川長治氏(4月10日生)の誕生会を開く企画を立てた。早速開催の旨を淀川氏に告げると、途端に氏は烈火の如く怒ったという。永氏は、何故に淀川氏を怒らせてしまったのか、些かの見当も付かなかった。当惑するばかりの永氏に対し、淀川氏は言った。


そもそも自分の生まれた日に一番大変な思いをしたのは自分の母親でしょう。だから私は自分の誕生日には何があっても自分を生んでくれた母親に、感謝を込めて精一杯尽くすことにしているんです。その恩を忘れて友人とパーティーなんか開いている人の気が知れないし、そういう感性しか持ち合わせていない人とは付き合いたくありませんね。

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ここにまた立つチャンスをくれた映画祭と審査員のみなさんに感謝します。一足先に帰った福山さんはじめキャストのみなさん、来られなかったスタッフのみんなとこの賞を分かち合いたいと思います。また非常に個人的な話ですが、今回の父と子供の話を描くにあたり、僕を子供にしてくれたもう亡くなった父親と母親、そして僕を父親にしてくれた妻と娘に感謝します。


第66回カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞を受賞した是枝裕和監督の受賞時のスピーチ


受賞作「そして父になる」(10月5日公開予定)は、「6年間育てた息子が病院内で取り違えられた他人の子供だったことが分かり、究極の選択を迫られる2つの家族の物語(日本経済新聞)」である。「家族の肖像に世界が共感 是枝監督、個人の体験を普遍的に」と題された共同通信の記事の「足元」という章には、この様な事が記されている。


 18日の記者会見。是枝監督は「自分が親を亡くし、子どもを持ち、家族の中で自分の立ち位置が変わってきた。最も身近なテーマとして今向き合うべきではないかと思った」と語った。


 作品の出発点を自分の身の回りに置くようになったのは08年の「歩いても 歩いても」から。亡くなった自分の母親に向けて撮った作品は「小さい」「ドメスティック」と評された一方、世界中で「あれは俺の母親だ」と共感を呼んだ。「内に閉じずに、むしろ広がった。まず自分の足元を掘り下げようと」


共同通信
http://www.47news.jp/47topics/e/241782.php


「作品の出発点を自分の身の回りに置くようになった」是枝作品が、「『小さい』『ドメスティック』と評された」という一件は、一年前の「美術界」のこの侃々諤々を想起させるところがある。


第55回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館についてのtweet
http://togetter.com/li/303380?page=1

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受賞できてとてもうれしく思います。この賞は、この日本館のプロジェクトに関わったすべての人たちのものです。ぼくらがこの展示を通して目指したことは、人びとの協働が生み出す可能性へのささやかな提案です。それがたとえはかない理想だとしても、ぼくらは少しだけ楽観的な態度でもって、この社会に、この世界に働きかけていくべきだと思います。


田中功起


第55回ヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展「日本館、特別表彰受賞」受賞コメント
http://2013.veneziabiennale-japanpavilion.jp/archives/pdf/20130601ja.pdf


この日本語のコメントの人称表現は「ぼくら」である。英語のリリースでは、当然の事ながらそこは "we" になっている。2013年2月3日にリリースされた「田中功起+蔵屋美香『「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts」のためのステートメント』(田中功起によって書き換えられたキュレーター・ステートメント、Japanese for now)」の人称表現「ぼくら」や「ぼくたち」は「削除」され、結果的に人称表現の無い文章になっている。そして、2012年5月17日にリリースされた「First Press release from the Japan Foundation "Artist and Curator selected for the Japan Pavilion at the 55th International Art Exhibition - la Biennale di Venezia" (English) 」は、2013年2月3日リリースの「書き換えられたキュレーター・ステートメント」の内容に沿ったものになっている。当然の事ながら、その英文には、幾つかの "we" の語を認める事が出来る。


いずれにしても、日本語の「ぼくら」や「ぼくたち」と、英語の "we" とでは、その包摂する範囲に対するニュアンスが多少なりとも異なる。「ぼく」は日本語に於いては、基本的に "male" の謙称である。単純に言えば、"we" を発する可能的な主体、即ち "male" + "female" + "other" は、「ぼくら」や「ぼくたち」を発する主体である "male" よりも「広範」である。何故に「田中功起」氏は、この受賞コメントで「わたしたち」ではなく、より限定的な「ぼくら」を選んだのだろうか。「田中功起蔵屋美香『「abstract speaking - sharing uncertainty and collective acts」のためのステートメント』(田中功起によって書き換えられたキュレーター・ステートメント、Japanese for now)]」、即ち "male(「田中功起」" + "female(「蔵屋美香」)" のステートメントの人称が(「削除」されたとはいえ)何故に「ぼくら」や「ぼくたち」であったのだろうか。恐らくそれは、そうでなければならなかったのだと想像される。


自分が注目するのはやはり田中の作品の「かたち」である。公式サイトにアップされた共同ステートメントなどを読むと、最初のステートメント発表後にツイッター上で起こった議論なども含め、この作品が実現に到るまでのプロセス(作者の思考の軌跡)もまた作品として昇華されていることが窺える。


つまりここでは空間的な制限だけでなく、時間的、あるいは人称的な制限も従来の常識からは遥かに拡張されているように思われるのである。そして、それ自体が今回の作品のコンセプトを体現しているであろうことは想像に難くない。


興味深いのはここまで主体の人称を解体し開かれたプラットフォームとして構築された作品においても、作者である田中が未だ古典的な「作者」としての役割を担うことである。彼は自分の一言で、彼のプロジェクトに参加した人々全員の経験の意味を奪うことができる位置にいるからだ。


田中の作品は確実に「作品」(今回はおそらく「展覧会」も)の新しいかたちを提示している。そのなかにおける「作者」のあり方は、自分の関心事において、非常に興味深く見えるのである。


あらためてヴェネチア・ビエンナーレ日本館の公式ページを見てみると、やはりキュレーター・ステートメントの作者による書き直しは大きいのかなと思う。それを掲示することによって、以下の複数の効果を示せるように思われるからだ。


1)作品の決定主体が作者にあることを示す(と同時に、協働作業の可能性のひとつも示す)。2)作者の思考の系譜を示す(時間的なスパンの広がりと、その重要さも示す)。3)作品が微妙なバランスで成立していることを示す。


このうち作品が微妙なバランスで成立していることを示していることは、意外に重要なのだと思われる。なぜならばそれは、とかく理念に偏り対立に走りがちな震災後の日本社会に向けてのひとつのサジェッションにもなっているからだ。


そしてその「微妙なバランスで成立している」ことをなによりも実感させるのが実際の展示なのだと思われるが、いくら作品や展覧会のかたちが拡張されようとも、こればかりは現地に赴かなければ確認できない。そしてもちろん、自分は行けないのだけれど。。。


水野亮氏の連ツイ 『田中功起作品は「作品」の新しいかたちを提示している』から
http://togetter.com/li/513645


「自分の一言で、彼のプロジェクトに参加した人々全員の経験の意味を奪うことができる位置にいる」のは、「是枝裕和」氏を始めとする映画の「監督」も同じだろう。寧ろ「映画」こそ、そうした「協働」の蓄積が「美術」よりも遥かに分厚い。確かに一本の映画は「監督作品」として扱われる。常識的には「作品の決定主体」は「監督」にあるとされる。「羅生門」は「黒澤明作品」でありこそすれ、「橋本忍作品」や「宮川一夫作品」等ではない。しかしまた、「映画」が「協働」の産物である事も、広く常識として共有されている。一本の映画作品が、「監督」の「ビジョン」通りに100%実現化していないというのも常識だろう。全ての「キャスト」や「スタッフ」は、一本の映画の中の何処かで、必ずと言って良い程「監督」を「裏切って」いる。彼等が「監督」という個人の「想像を越えた」ところ、或いは「想像を越えた」と「監督」が認識出来ないかたちで仕事をするからこそ、始めて「映画」は「映画」として成立する「ボディ」を持つ。


是枝裕和」氏の受賞コメント「福山さんはじめキャストのみなさん、来られなかったスタッフのみんなとこの賞を分かち合いたいと思います」と、「田中功起」氏の受賞コメント「この賞は、この日本館のプロジェクトに関わったすべての人たちのものです」は、構造的に似通っている。但し「映画」の人間がそれを発するのと、「美術」の人間がそれを発するのでは、それの持つ意味が異なる。「協働」が例外的なものとされる「美術」では、「協働」自体が「問題」化される。「関わったすべての人たちのもの」である「協働」的な「プロジェクト」が、「『日本館』の『受賞』」という形で幕を下ろしたのは、飽くまでもその「問題」の着地の仕方としての意味でのみ、極めて「妥当」なものの様にも思える。仮に「田中功起氏」という個人に何らかの「賞」が与えられていたら、果たしてその受賞コメントはどの様なものになっただろうか。


上掲 togetter 「第55回ヴェネチア・ビエンナーレ美術展日本館についてのtweet」に於いて、一年前に「問題」化されていたものの一つは「日本」だった。その多くは、様々な理由から「日本代表」として、この人選に難色を示すものであった。しかし果たして、今更ながら「日本」を「代表」するという事は如何なる事だったのだろうか。


今回の「プロジェクトに関わったすべての人たち」の「日本人」比率は、例年に比べても少ないという印象がある。"piano" 、 "haircut" 、"potterry" 、或いは "going up to a city building taller than 16.7m" 等の作品に「関わって」いるのは、ほぼ「外人」である。他方「首都圏」という一地方に住む人間にとって、「日本」を表象するかに見えている画面中の光景は、「首都圏」以外の人間(例えばその一つに「近親者や家財を失った人びとや、原発事故により生活圏から離れざるを得ない人びと(共同ステートメント)」も含まれるだろう)からすれば、自分達が所属し見知っている「日本」とは多少なりとも、或いは全く異なる「外国」に見える。そうなると、果たして「日本」という「共有」は、何処に存在するのかという話になって来る。その様な事を踏まえた上で尚、今回の出品作が所謂「オールジャパン」や「挙国一致」的なそれではなく、現実的に「外人」もまた主要素になっている「日本代表」のそれであるとすれば、それはステートメントの言葉を借りて「経験共有のためのプラットフォーム」としての「日本」という事になるのだろう。

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カンヌ国際映画祭コンペティション部門審査員賞を是枝裕和氏が受賞した事で、それまでの日本映画を「代表」していたものの時代は完全に終わり、日本映画の新しい時代の幕開けが始まった、日本映画の主役は交代し、是枝的な表現が映画界に台頭して来る、などという事を言う者は恐らくいない。


それでも仮にその様な事を言う者がいたとすれば、いきなり「完全に終わり」の側に放り込まれた側の映画人はもとより、当の是枝氏からも反論は出るだろう。その反論は、田中功起氏のこのコメントに似たものになるかもしれない。


(略)日本国内でのつまらない世代間、代理闘争にこの事実を使ったり、巻き込まないでください。ぼくら、アーティストはいつもそうしたつまらない断絶をうながず発言に左右されてきました。(略)

https://twitter.com/kktnk/status/341092226614558721


ぼくらは連綿とつながってきているわけで、勝手にそれを切りはなさいでください。もちろん日本だけでなく、海外の美術の歴史ともつながっています。せっかく、海外でも日本の戦後美術への関心が高まっているわけで、ぼくらは単線的な歴史観をすて、複数の時代のアーティストが同時にさまざまな活動を

https://twitter.com/kktnk/status/341094607565778945


展開する、そんな時代に生きています。(略)。勝手にぼくらの繋がりを切り離さないでください。

https://twitter.com/kktnk/status/341095419687878656


繋がりを切り離す事で、目の前にあるものを理解する。それは、母親との繋がりを忘れ、自分の誕生を連綿から切り離されたものとして友人と祝う、淀川長治氏が「付き合いたくない」とする感性に似たものかもしれない。恐らくその様な構えは「経験共有のためのプラットフォーム」から、最も遠いところにあるだろう。

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(6月8日加筆)


「カテゴライズ」する「欲望」の元では、「田中功起」氏の仕事は「ライト・コンセプチュアル・アート」という事になるのだそうだ。「カテゴライズ」であるから、当然そこでは他の「アーティスト」の仕事も、「カテゴリー」内の「事例」的なものとして、些か乱暴に「コレクション」される事になる。


但し往々にして「カテゴライズ」する「欲望」は、「カテゴライズ」する対象そのものを実際には見ていなかったりする。或いは見ていたとしても、「カテゴライズ」という「眼鏡」を掛けてのものになるため、そこには「眼鏡レンズ」の「収差」の影響を免れない。そして「収差」が一旦肉体化され、それが「欲望」の一部と化してしまえば、それが「収差」であるとは感じられなくなる。


田中功起」氏は、そうした「収差」的な「欲望」の在り方に対して余程「頭に来た」のだろう。そして間を置いて、以下の様なツィートをした。


少しポジティブなことも。なぜ「協働」ということが選ぶ基準になりえたのか。確かに少しベタかもしれないです。でも、こんなにもばらばらになってしまった世界を前にして、もういちどなにかを共にはじめられるかもっていう、ちょっと恥ずかしいぐらいの前向きさを審査員たちももっていたからだろうと。


https://twitter.com/kktnk/status/343144032911904768


「恥ずかしいぐらいの前向きさ」という、或る意味で「ベタ」な「芸術」の最大の機能的側面を、「カテゴライズ」する欲望はどの様に見るだろうか。