退屈の誕生


電車の中すごい。三十代以下はほとんど全員ケータイ見てる。三十代以上はほとんど目を閉じてる。ほとんど誰も現実見てない。


https://twitter.com/_Neillo_/statuses/201843513497890816


2012年11月24日現在で、「7,040 件のリツイート」で「2,545 FAVORITES」のツイートである。仮に文学的誇張と背中合わせの不正確さというものがあるとしても、それでも言い得て妙という評価をする事は可能だろうと思われる。

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KIOSKNEWDAYS(以上 JR東日本リテールネットの例)に代表される駅構内の売店(≠駅ナカ)は、鉄道利用者の為のものである。従ってそこでは、鉄道利用者が鉄道での移動に必要とするものを販売している訳である。当然の事ながら、駅売店に於ける商品レイアウトの基本は、鉄道利用者の需要度の高いものの順から、店の前面に配置していくという事になる。その駅売店の最前列に、長年に渡って不動の位置を占めているのが、新聞と雑誌だ。仮に、駅売店から新聞・雑誌が無くなったとしたら、鉄道利用者の多くは駅売店を利用する事は無いだろうし、その逆に、駅売店が新聞・雑誌以外の全商品の扱いを止めてしまっても、その売り上げは半減まではしないだろう。駅売店と新聞・雑誌の結び付きの強さから、駅売店=新聞・雑誌販売スポットという等式を導き出す事も、強ち大袈裟であるとも言えない。しかし何故に、鉄道利用者が最も欲する商品が、新聞・雑誌なのだろうか。


ギュスターヴ・フローベール(Gustave Flaubert)は、1864年に友人に宛てた手紙に、鉄道旅行に関して「私は鉄道に乗って5分もすると、うんざりして吠え始める」と記している。フランシス・J・リーバー(Francis J. Lieber)は「(鉄道旅行には)通常の会話というものが無く、皆で笑い合うという事も無く、そうした死んだ様な静けさが時々中断されるのは、誰かが時計を取り出して、イライラしながらブツブツ言う時だけなのだ」と書いている。



オノレ・ドーミエ(Honoré-Victorin Daumier)の絵だ。一等客車では、一人の婦人が新聞を読んでいる。窓際の二人は、窓外に目を向けてはいるものの、しかしその目には何も映ってはいないだろう。残りの紳士は手持ち無沙汰だ。二等客車では、窓際の一人が、やはり窓外に目を向けているが、しかし姿勢を低くして見ているその視線の先にあるのは、高速で飛び去る近景ではなく無限遠の空である。残りの二人は寝ている。もう一枚の絵では全員が寝ている。


ジョン・W・ドッズ(John Wendell. Dodds)は、その著書 "The Age of Paradox: a biography of England, 1841-1851"(1952)の中で、駅構内で書籍や新聞を供給する組織的試みが1848年まで存在しなかったと書いている。その年に W・H・スミス(W. H. Smith)が、バーミンガム線で書籍や新聞を専売する許可を得、ユーストン駅構内に最初の店を出す。一年後の1849年、パディントン駅(ロンドン駅)の駅構内書店には、千冊の書籍が置かれていたが、それらの殆どは「空想上の代用風景」である「文学」であった。ロンドンの出版者ジョージ・ロートリッジ(George Routledge)は、自身を成功に導いた鉄道利用者の為の「鉄道文庫(Railway Library)」を始め、クーパー、ジェイムス、ホーソーン、ジェイムズ・グラント、デュマ等々の小説を出版する。ジョン・マレー(John Murray)は、「鉄道用の文学(Literature for the Rail)」を出した。


1852年に、フランスの出版者ルイ・アシェット(Louis Hachette)は、イギリス発祥のこうした駅構内に於ける書籍販売システムをフランスに導入する。アシェットは、フランスの鉄道会社宛に、大規模書店を駅構内に設置する提案を送付している。駅構内に大規模書店を設立する有利な条件を、アシェットはこう記している。


(鉄道の)旅行者は、車室内に入るや否や、自分自身が無為に過ごす事を運命付けられている事を知る。退屈が旅を無味乾燥なものにする。更に悪い事には、まるで小荷物の様に機械によって輸送されている不幸な乗客にストレスが襲ってくる。ルイ・アシェット商会は、長旅による暇な時間と退屈を、娯楽と教育に変えるアイディアがある。それは、手頃な長さで適価の「鉄道文庫」である。

アシェットの最初の駅構内書店(1852年)


こうして、アシェットの言う「(鉄道)会社にアドバンテージを与え、大衆にも有利で便利なものである大規模書店」が、フランスでもスタートする事になる。1851年のイギリスの世論調査によると、市中の書店では低俗で大衆的な書物が売られていたが、駅構内の書店と貸本屋では、高級な教養書や小説、専門書や旅行案内書や児童書が売られていた。鉄道駅構内の書店で本を買うか借りるかし、その本を鉄道車輌内で読む事は、自身の教養を示したい市民階級の嗜みですらあった。だからこそ、現在に至っても駅売店の最前面は、「退屈」と「教養」の市民の為に、新聞・雑誌の定位置になっているのである。それらの普及は、鉄道の普及と全く軌を一にしているのだ。



一等客車や二等客車のそれと違い、ドーミエが描く三等客車の乗客は退屈では無さそうだ。ここでは本を読む乗客が不在だが、それは三等客車利用者や四島客車利用者の識字率の問題だけではなく、画面後方の紳士達に見られる様に、それが初対面の相手であっても、乗客同士が互いに話をする事で、鉄道輸送の無味乾燥から逃れる事が出来たからだ。しかしこうした伝統的な「退屈凌ぎ」の方法は、やがて市民階級的な新時代の「退屈凌ぎ」である「読む」や「寝る」に駆逐される。「沈黙」や「不感」を含めたそれらが、鉄道車輌内に於ける市民階級的な「車内マナー」になる。鉄道車輌は「誰も現実見てない」というよりも「誰も現実を見られない」場所なのであり、そこでは「読む」か「寝る」かしか無いのである。ツイートが「ケータイ」という語を使っているが為に、それが最近の風俗であるかの様に捉えられたりもするが、しかしそれは実際には一世紀半の「歴史」を持つ「伝統」と言って良いものだ。


鉄道車輌が、そうした全くの「特殊空間」である事を知っていたかどうかは判らないが、「誰も現実見てない」鉄道車輌内で行われた「ハイレッド・センター」の「山手線事件」事件の或る意味での「失敗」は、こうして「約束」されていた訳であり、そうした「失敗」が織り込み済みであったのならば、それは「大」の字が付く「成功」なのだろう。彼等は「誰も現実見てない特殊空間」であるミュージアムからの「オフ」を企図したものの、別の「誰も現実見てない特殊空間」に「オン」してしまったのだ。


さて、ではそういった鉄道車輌という特殊空間の中で、一体どうやったら「現実」とされるものを見る事が出来るのだろうか。そもそも「現実」とは何だろうか。


【続く】


参考文献:
Wolfgang Schivelbusch:
"The Railway Journey: The Industrialization and Perception of Time and Space"
http://www.amazon.com/Railway-Journey-Industrialization-Perception-Space/dp/0520059298