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シン・ゴジラ

それから、大きな声が聖所から出て、七人の御使にむかい、「さあ行って、神の激しい怒りの七つの鉢を、地に傾けよ」と言うのを聞いた。
そして、第一の者が出て行って、その鉢を地に傾けた。すると、獣の刻印を持つ人々と、その像を拝む人々とのからだに、ひどい悪性のでき物ができた。
第二の者が、その鉢を海に傾けた。すると、海は死人の血のようになって、その中の生き物がみな死んでしまった。
第三の者がその鉢を川と水の源とに傾けた。すると、みな血になった。
それから、水をつかさどる御使がこう言うのを、聞いた、「今いまし、昔いませる聖なる者よ。このようにお定めになったあなたは、正しいかたであります。
聖徒と預言者との血を流した者たちに、血をお飲ませになりましたが、それは当然のことであります」。
わたしはまた祭壇がこう言うのを聞いた、「全能者にして主なる神よ。しかり、あなたのさばきは真実で、かつ正しいさばきであります」。
第四の者が、その鉢を太陽に傾けた。すると、太陽は火で人々を焼くことを許された。
人々は、激しい炎熱で焼かれたが、これらの災害を支配する神の御名を汚し、悔い改めて神に栄光を帰することをしなかった。
第五の者が、その鉢を獣の座に傾けた。すると、獣の国は暗くなり、人々は苦痛のあまり舌をかみ、
その苦痛とでき物とのゆえに、天の神をのろった。そして、自分の行いを悔い改めなかった。

口語訳新約聖書ヨハネの黙示録」第16章 日本聖書協会

 

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第二神殿時代(イエス・キリスト/使徒ヨハネの時代でもある)のエルサレムの1/50模型(100メートル級ゴジラ時代の撮影用ミニチュアと同縮尺):イスラエル博物館

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(「ゴジラ」のこと)を問われ

円谷 あの映画で、いちばん、くろうしたのは、ゴジラの正体を、どんなかたちにしたらよいかということですね。
 まず第一に、かたちが、あまりでたらめであってはならないでしょう。大むかしの海じゅうのようなものにして、学問的なものに、あるていど、ちかづけなければならないし……。
 つぎに、こどもさんが、いちばん、こわがるものでなければならないし……。
 つぎに、そうかといって、いやな感じのするものであってはいけない…
 こういったじょうけんを、みんなそろっているゴジラを作らねばならなかったのですからたいへんです。さっそくこどもさんをあつめて、みんなの考えをききました。そしたら阿部和助さんの絵が、いちばん、こわい絵だというので、私はさっそく阿部さんの家へいって、どうしたらよいかをそうだんしました。
 二週間ほどして、ゴジラの絵をかきあげてくれたのですが、どうもきにくわない。もう一くふうあっていいのではないかというので、東宝の人たちに、ゴジラの顔を募集しました。
 この時、原ばく雲から、ヒントをえて、考えだしたかおがあって、これはおもしろい、あまりにくめないかおだというので、そのかおににせて、つくることにしたのです。

 

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「座談会 映画のかげではこんなくろうが 日本のトリック王・円谷先生をかこんでお話を聞く」
昭和31年(1956年)4月「5年の学習」

円谷 ゴジラがグーっと火を吐くと家が焼けるという設定は、華々しくっていいから、火を吐け、というんですがね、火を吐いちゃおかしいから、放射能の息を吐くということにしたんです。

 

座談会「トリック映画の楽屋裏」オール讀物 昭和30年(1955年)8月

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随分と前の話。或る日自分のDDIポケット「H"」(PHS)の振動モーターが震えた。原型制作の依頼電話だった。ハイトが2メートル50、ワイドが6メートル、ディメンションが3メートル程の原型制作に充てられるのは2日。プロジェクトが低予算なのでそれ以上の日数を原型に割けられないと相手の50代男性は言う。

「モノは何ですか?」と問うと「撮影用ゴジラの造形」と返って来た。安丸さん関係の仕事か。「その後の型取りとエフの抜きとパテ打ちとサフェまではうちでやるから、最後の塗装(工期1日)も頼む」と男性。条件の摺り合わせの後に請負契約成立。東宝映像美術の特撮関係の仕事は6年ぶりだ。

原型制作の現場に降りて来た、数回コピー機を通した資料(三面図)を見た。今時の「ゴジラ」の造形は、この手の「迫力」の方向に向かっているのか。こういう「迫力」を持つフィギュールを「格好良い」と思える人が一定数以上いるのだろう。

それにしても何時まで「ゴジラ」を作り続けるつもりなのだろうか。

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「伝統」というものは、常に「二番目」以降から始まる。「皇統」は「二代目」から始まる。そして「ゴジラ」の「伝統」は、「ゴジラ」が「既知」の存在として現れ、他の怪獣と戦う「二作目」の「ゴジラの逆襲」にこそ始まる。

円谷 (略)とにかく今度の「ゴジラの逆襲」は、二番煎じですし、やる気がなかったんです。それを直営館からどんどん言ってきて、無理無態にやらされたんでね。
横山 しかし特殊技術部としては、大いに腕が発揮出来たわけですね。
的場 所でこんどは「ゴジラの復活」ですね。(笑)
渡辺 もうやめましょうや。(笑)

 

座談会「トリック映画の楽屋裏」オール讀物 昭和30(1955)年8月
文中「円谷」=円谷英二、「横山」=横山隆一、「的場」=的場徹大映)、「渡辺」=渡辺明東宝

 1954年の「ゴジラ」(以下「ファースト」)は「シリーズ」化を想定しない一回性の作品として制作されたものだった。しかし同作品の予想外の興行的な成功――それはアメリカ市場での予想外の成功(注1)を大いに含む――が、成功の記憶を「永遠」化したまま「ゴジラ」を「伝統」化させる。市場的に成功してしまったアーティストが自己模倣に陥るが如く。

(注1)「この『ゴジラ』映画がアメリカで、しかもニューヨークの真ん中の堂々たる映画館で上映されたと聞き、私は大いに面映い気持ちだった。ところが、その後の報道によると、これが大変な人気で、全米の配給網に乗って各地で上映されたのだそうである。もちろん驚異的な興行収入をあげて、アメリカの業者はホクホクだったらしい。(略)今や、空想ものを扱った特殊技術映画は、外貨を獲得する花形的存在になってきた。(円谷英二)」:中央公論 昭和33(1958)年10月「トリック映画今昔談――特殊撮影技師として歩いた四十年――」

こうして「ゴジラ」は誰にも止められないものになる。「現場」の円谷英二特撮監督が「やる気がなかった」としても、特美監督である渡辺明氏が「もうやめましょうや」という気持ちであったとしても、最早「ゴジラ」は市場によって制御不能になり暴走するばかりになる。製作の誰もがそれを何処かで持て余しつつも、終結を決断出来ない戦争の様に、誰もそれを止める事は出来ない。その意味でも「ゴジラ」は確かに怪物だ。

2017年に公開予定のアニメゴジラ(「GODZILLA」)までの「ファースト」を除く国内29作、海外2作の「ゴジラ」映画は、「シン・ゴジラ」的な表現を借りれば、「ゴジラ」(1954年)は好きにした、君らも好きにしろである。「ゴジラ」という確立した「ブランド」の傘の下、62年間の多くの「君ら」はそれぞれに「ゴジラ」を「好き」にして来た。

これまでに「ゴジラ」映画を引き受けた少なからぬクリエーターが、「ゴジラ」映画の中に「ゴジラ」映画を終わらせようとする要素を入れて来た。或る時には「これが最終作」と言わんばかりに明示的に、また或る時には「もうやめましょうや」と呟く様に黙示的に。

シン・ゴジラ」の前作である「ゴジラ FINAL WARS」(2004)の製作報告会見から。

ついに50年の歴史に終止符が! 「ゴジラ FINAL WARS」製作報告会見

 

【 マスコミによる質疑応答 】

 

Q:50周年記念作をシリーズの最終作にする事はいつ頃から考えていましたか?

 

富山プロデューサー:
去年の早い時期から50周年の「ゴジラ」をどうするか、東宝の皆さんと相談はしていました。その中で3本ほど具体的な企画を作り上げたのですが、本当に新しい「ゴジラ」映画、つまり誰も知らない「ゴジラ」映画は、今現在では作れないという結論に達しました。

 

となれば、現在持っている映画技術を注ぎ込んだオールスター映画にして、楽しいものを作り切る事。それが50周年に相応しいだろうという最終的な結論に昨年の8月に至りました。

 

http://www2.toho-movie.jp/movie-topic/0403/01godzilla_sh.html

「本当に新しい『ゴジラ』映画、つまり誰も知らない『ゴジラ』映画は、今現在では作れない」。その「FINAL〜」の前作の「ゴジラ×モスラ×メカゴジラ 東京SOS」(2003年)の記者会見でも、富山省吾氏は同作をして「ゴジラ・シリーズのゴール」と言っていた。しかし「作れない」(=終結させたい)にも拘わらず「ゴジラ」映画は作られてしまう。「終戦」の決断は済し崩し的に遅延される。「新作」が公開される度に「これまでに見た事もない」的な惹句を付されつつ。

「本当に新しい『ゴジラ』映画」でも「誰も知らない『ゴジラ』映画」でもないと、「製作報告会見」という公式の場でプロデューサーに事実上アナウンスされた「ゴジラ FINAL WARS」の公開直前、「ゴジラ」は「日本人」として早川雪洲マコ岩松に続く3番目(注2)のハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムとなり、21世紀初頭の代表的なブラウザの一つの名称にも――捩られて――使用される程にメジャーな国際的ブランド/ポップ・アイコンになった。そして永くポップ・アイコンであった為に、同様に永くポップ・アイコンの道を歩むミッキーマウス同様、崩す事の出来ない「伝統」に「ゴジラ」が匿われ「キャラクター」化した結果、その制作現場は「ガイドライン」こそが最重要視される事になる。

(注2)「ゴジラ」に続く「日本人」のハリウッド・ウォーク・オブ・フェイムは三船敏郎

ゴジラ」映画に於ける最もアンコントローラブルなものは「キャラクター」としての「ゴジラ」だ。「ゴジラ」は「『ゴジラ』以外」や「『ゴジラ』以上」になる事は出来ない。況してや「『ゴジラ』以下」などにしてしまったら「炎上」は必至だ。従って「ゴジラ」が「ゴジラ」の姿形を伴って画面に登場する限り、必然的にそれは「本当に新しい『ゴジラ』映画」になる事は出来ない。「アダム」と「ラミエル」と「タブリス」が等しく「使徒」である様には「ゴジラ」はなれないのだ。

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毎朝新聞「政府ゴジラ対策に本腰」「災害対策本部設置さる」「船舶の被害甚大」「既に十七隻に及ぶ」

 

女 「嫌ね、原子マグロだ放射能雨だ、この上今度はゴジラと来たわ。東京湾にでも上がり込んできたら一体どうなるの?」
男1「まず真っ先に君なんか狙われる口だね」
女 「んー、嫌なこった。せっかく長崎の原爆から命拾いしてきた大切な体なんだもの」
男2「そろそろ疎開先でも探すとするかな」
女 「あたしにもどこか探しといてよ」
男1「あーあまた疎開か。嫌だなぁ」

 

1954年「ゴジラ

「戦時中に教材映画、戦意高揚映画に加担した」として、連合国(UN)軍最高司令官総司令部の公職追放によって東宝から追放されていた円谷英二が、日本独立後の公職追放解除に伴い東宝に復帰した際に企画部に提出していたプロットは、「海から現れた化け物のようなクジラが東京を襲う」(1952年)や「インド洋で大蛸が日本の捕鯨船を襲う」(1953年)であったという。

1954年の春にプロデューサーの田中友幸が「G作品」の企画を立てた時には、後の「ファースト」本編で、東京の「在来線」に乗る「長崎の原爆から命拾い」して来た若い踊り子(後に東京湾上の遊覧船で被災)に、「原子マグロだ放射能雨だ、この上今度はゴジラと来たわ」と語らせる事からも判る様に、ビキニ環礁での核実験や第五福竜丸の被爆事件が社会問題になっていた。

田中の「ビキニ環礁海底に眠る恐竜が、水爆実験の影響で目を覚まし、日本を襲う」というこの企画の仮タイトルは「海底二万哩から来た大怪獣」だった。その前年の1953年6月、アメリカではレイ・ブラッドベリの「霧笛」 (“The Fog Horn")を原作とする、「北極海海底に眠る恐竜が、核実験の影響で目を覚まし、ニューヨークを襲う」という “The Beast from 20,000 Fathoms"(「海底二万尋から来た野獣」:邦題「原子怪獣現わる」)――特撮をレイ・ハリーハウゼンが担当した――が公開されていた(日本では「ゴジラ」公開の直後に大映が配給)(注3)

(注3)“The Beast from 20,000 Fathoms" の監督ユージーン・ルーリーは、その後「ファースト」と同じ「着ぐるみ」の「ゴルゴ」(1961年)を製作している。公開時のポスターには “LIKE NOTHING YOU'VE EVER SEEN BEFORE" と書かれていた。

「G作品」に加わった円谷は、怪物に年来の構想にあった「大蛸」を主張し、田中の主張する「恐竜」とは対立したが、田中の「風潮によりマッチする」が会社に採用される事で、「太古の恐竜」が「ゴジラ」のフィギュールの基本に決定される。

或る意味で「強大な力による人類文明破壊」を描写する事こそが「ゴジラ」(「ファースト」)という映画の根幹にある。その「強大な力」=「ゴジラ」のフィギュールが、「クジラ」や「大蛸」等ではなく「恐竜」型であるのは極めて蓋然的なものでしかない。呑川を遡上しながらプレジャーボートを蹴散らす「クジラ」や「大蛸」という映画があり得たかもしれないのだ。何よりも先に「人類文明破壊」を映画にしたいという欲望があった。「太古の恐竜」のフィギュールを持つ「ゴジラ」は、その欲望に遅れてやって来た存在なのである。

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世界大戦争」(東宝:1961年)から東京が溶解するシーン。

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2016年の国内歴代シリーズ第29作の「シン・ゴジラ」まで、凡そ「ゴジラGODZILLA」のタイトルを冠した中で、最も「ゴジラファン」や「怪獣映画ファン」の不興を一手に買っていると言えるのが、その「国際的ブランド」の「ガイドライン」を可能な限り無視したローランド・エメリッヒの1998年の “Godzilla"、所謂「ハリウッド版ゴジラ」第一作(トライスター・ピクチャーズ版)だろう。

1996年某日、「インデペンデンス・デイ」の日本に於けるディストリビューターでもある東宝から、エメリッヒの元に電話が掛かって来る。当時のエメリッヒは、後のマイケル・ベイの「アルマゲドン」(1998年)やミミ・レダーの「ディープ・インパクト」(1998年)の様な、巨大隕石の地球衝突による「グラウンドゼロ」を撮りたいと思っていた。それまで「ハリウッド版ゴジラ」の監督にほぼ決定していたゴジラ・フリークでもあるヤン・デ・ボン(注4)が、1億5000万ドル(諸説あり)の高製作費を理由に降板させられた結果、エメリッヒに「白羽の矢」(或いは「御鉢」)が「当たった」(或いは「回って来た」)のである。

(注4)ヤン・デ・ボンの「ゴジラ」のデザインは、スタン・ウィンストンが担当したが、それは「伝統」に比較的「忠実」なものだった。

2014年のレジェンダリー・ピクチャーズ版、ギャレス・エドワーズ監督の「ハリウッド版ゴジラ」第二作 “Godzilla" 公開に合わせた “Empire Magazine" 誌の、エメリッヒへのインタビュー記事から引く。

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[...} “We got approached with Godzilla," he remembers, “and Dean(注5)was really in favor. I said, 'Are you crazy? Have you seen a Godzilla film? How does the monster look? They put a guy in there.'"
With no great fealty to Toho's famous monster, and no expectation of pitching successfully, Emmerich had asked designer Patrick Tatopoulos to create a sleek, fast-moving Gojira when the Japanese studio handed him its 75-page dossier of 'dos' and 'don'ts'. The monster had to be the spawn of nuclear testing. It must have three rows of dorsal fins on its spine and four claws on each of its scaly appendages. It couldn't eat people. Most troubling of all, it couldn't die at the end.
Whatever ideas Toho's top brass had for the film's end -- and a quiet retirement in a Brooklyn brownstone seemed unlikely -- they had had the chance to volunteer them before Emmerich and Devlin had called their bluff with their newly streamlined beast. “When we unveiled the new Godzilla, these 12 Japanese guys looked at it and said, 'Okay, we'll give you our decision tomorrow. '“Sure enough, the phone rang. “I was so sure they would say no, but they said, 'Okay, you make new Godzilla; we keep old Godzilla.' I thought, 'Oh shit!'“

 

(注5)Dean Devlin

 東宝の、及び一般名詞の “Godzilla" と、自身の “Gojira" が注意深く区別されたこの記事で、エメリッヒは「盟友」であるディーン・デヴリンが東宝からのオファーに乗り気である事に対し「正気か?君はゴジラ映画を見た事があるだろ?あのモンスターの形がどう見えているんだ?奴らは人間をそれに入れてしまっているんだぜ」と言っている。

しかしディーン・デヴリンはデヴリンで、「ファースト」の隠し様も無い「インスパイア」元であるレイ・ハリーハウゼンの “The Beast from 20,000 Fathoms" のリメイクを考えていたものの、それをレイ・ハリーハウゼンの同作のリメイクとせず、「世界」的なポップ・アイコンである「ゴジラ」のリメイクであるとすれば、資金の調達が桁違いに容易になる事を知っていたともされる(注6)

(注6)「『ハリーハウゼンのリメイクじゃ資金が出ない。だから『ゴジラ』のリメイクってことにした』と大胆発言したのは製作のデブリン。劇中のTVに「深海と水爆〜」が流れ、ゴジラがビルの間を走る姿は『原子怪獣〜』だ」:「DVD&ブルーレイでーた」2013年8月号

いずれにせよ、直前まで「ゴジラ」などより遥かに大きな質量の巨大隕石がもたらす、ハルマゲドン的な破壊規模の映画で頭が一杯だった彼等がリスペクトしていたのは、「ゴジラ」に先行する真の「オリジナル」である “The Beast from 20,000 Fathoms" や “It Came from Beneath the Sea"(「水爆と深海の怪物」1955年)であり、 “God-" が冠せられた「キャラクター」ではなかった。そしてエメリッヒが自らの「ゴジラ」に与えた設定もまた「怪獣がいない世界」(注7)だった。

(注7)“The filmmakers decided early on that this is a world in which no one has ever heard of Godzilla.”。エメリッヒ「ゴジラ」の口からは、“The Beast from 20,000 Fathoms" の “The Beast" 同様、「伝統」の放射能を含んだ熱光線は出ない。「伝統」に拘泥する「ゴジラ」フリークがエメリッヒ「ゴジラ」に与えた呼び名は “GINO"("Godzilla in Name Only," =「名前だけゴジラ」)だ。それは「伝統」的ではないアート作品が「名前だけアート」と評される様なものだろうか。

東宝からエメリッヒやクリーチャー・デザイナーのパトリック・タトプロスに渡された75ページの「ガイドライン」の「ゴジラは人間を食べられない」(“It couldn't eat people")は、 “The Beast from 20,000 Fathoms" で「リドサウルス」上陸後、警官が食べられてしまったシーンを「リメイク」する事へ釘を差したと思える(注8)。そしてエメリッヒ「ゴジラ」は後の「ゴジラ FINAL WARS」で、“God-" を抜かれた “Zilla" と「改名」され、日本人顔のX星人の「やっぱりマグロ食ってる様なのは駄目だな」という当て擦りに繋がる。

(注8)東宝怪獣には、食人性である事が明確に描かれたガイラ(「フランケンシュタインの怪獣 サンダ対ガイラ」1966年)がいる。

エメリッヒは “12 Japanese guys"(日本の12人)から「オッケー、貴方は新しいゴジラを作ってくれ。我々は古いゴジラを守っていくから」との「承認」を受けるものの、公開後の「炎上」に対して「『承認』を出した者」の「責任」が問われる事は無い。「シェー」や「加山雄三」を通した者の責任が問われなかった様に。

このエメリッヒを含む、トライスター・ピクチャーズ関係者と東宝との間の遣り取りとその後を、数百人のカメオ出演によって繋げて行けば、十分に一本の映画に出来るだろう。そして庵野秀明氏と東宝との間の遣り取りとその後で、もう一本映画が出来る筈だ。岡本喜八ならばそれが出来ただろう。

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2016年の「シン・ゴジラ」は、「ファースト」のオマージュであるとされている。しかし少なくとも第3形態が東京湾に去るまでの「前半」は、「ファースト」と重なるところはほぼ皆無だ。確かにそこまでに「ゴジラ」フリークを微笑ませる様なディテールは幾つか散りばめられているものの、仮に放射熱線を吐かない魚の目の第3形態までのままでエンディングまで引っ張って行ったとしたら、如何な庵野秀明氏と言えど、エメリッヒと同様のブーイングを少なからぬ「ゴジラ」フリークから浴びせられただろう。

日本の行政や官僚のカリカチュア的な描写や、「クローバーフィールド/HAKAISHA」を思わせるモバイルフォンによる撮影等は、この「前半」に集中している。まるで第4形態が登場する「後半」では出来ない事を「前半」に集中して持って来ている様な印象すらある。

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これはハリーハウゼンの “It Came from Beneath the Sea" の、モンスターのサンフランシスコ初登場シーンだ(注9)。この直後にサンフランシスコ湾を南北に横断するゴールデンゲートブリッジをこの「巨大水生生物」が破壊するのだが、これは「シン・ゴジラ」を見た者なら、誰もがその時点で水生生物(第1形態)だった「巨大不明生物」が東京湾を東西に横断するアクアラインを破壊して、東京湾に初登場するシーンを思い浮かべるだろう。

(注9)この状態しか見えていない段階で、それを閣僚の一人が「尻尾」と認識するのは、些かサービスの過ぎるフライングと言えるだろう。因みに “It Came from Beneath the Sea" のこれは「足」である。同様に「肺魚」段階での「巨大生物の上陸はありません」首相記者会見の手話通訳嬢の、「見ようによってはお化けの手にも見える」ものの存在を前提とした表現もまたフライングと言えるかもしれない。

第2形態が呑川を遡上し、陸上に上がって道路一杯の乗り捨てられた車を破壊しながら進むシーンは、「ファースト」よりもより “The Beast from 20,000 Fathoms" に近い印象がある。

もしかしたら、第3形態までの同映画は、1954年の「円谷英二」を飛び越えた「レイ・ハリーハウゼン」へのオマージュなのではないか――「レイ・ハリーハウゼン」が日本よりも「身近」な国では、そう受け取られるかもしれない。そしてそれは、或る意味でエメリッヒ「ゴジラ」と同じである。

但し庵野秀明氏がローランド・エメリッヒと異なるのは、後半部に相対的に「ゴジラ」に見える「着ぐるみ」の第4形態(注10)を持って来た事だ。それが「シン・ゴジラ」の大いなる強みであり、同時に大いなる弱みでもある。

(注10)エメリッヒもモーション・キャプチャを試してみた。しかしそれが人間の動きの限界を越えられない――即ちそれは彼が最も嫌悪した「着ぐるみ」にしかならない――事に即座に気付き、彼はそれを導入する事を止めた。そして恐らく「シン・ゴジラ」でも、「巨大なオタマジャクシ」の第1形態や「両生類」の第2形態までは、その「中」に狂言役者は入っていないだろう。

後に大カタストロフが起きる新橋4丁目交差点付近にカメラを向けた空撮に乗せて、「Early morning from Tokyo (short)/報道1」が流れたところから、もう一つの別の映画が始まる。敢えて言えば、ここからが「ゴジラ」映画になるとも言える。「前半」は「巨大不明生物」であったものが、「後半」になってそれが「呉爾羅」から “Godzilla"(ガッジーラ) を経由して「ゴジラ」と「命名」されるという「儀式」によって。第2形態や第3形態に「ゴジラ」フリークが感じた違和感は、第4形態が江ノ島に現れる事によって「回収」される。

そんな庵野だが、山内によると「最初から(本作について)快諾していただいたわけではない」という。「怪獣映画のすばらしさと完成度は、最初の『ゴジラ』に集約されていると思う。お断りした理由は、怪獣映画はあれがあれば十分じゃないかと思ったから(注11)。でも引き受けた以上は、あの衝撃にわずかでいいから近づけたいと思って。それならば最初の『ゴジラ』と同じ設定で、怪獣がいない世界に初めてゴジラが現れるという設定で脚本を書こうと思いました」」とオファーを受けた当時を振り返る庵野は、「怪獣が出てくる映画の面白いところは、現代の社会に異物というか、違うものが現れる面白さですから」と魅力を語っていた。

 

シネマファン「庵野秀明エヴァファンに謝罪!『ゴジラ』完成報告で」

http://www.cinematoday.jp/page/N0084601

 

(注11)ハリウッド版「ゴジラ」第1作の製作時も、スティーブン・スピルバーグジェームス・キャメロン等に監督オファーを出したものの、彼等にも同様の理由で断られている。エメリッヒは――全く「ゴジラ愛」が無い為にではあるものの――4回オファーを断っている。庵野秀明氏を含む誰もが、「ゴジラ」に関しては「もうやめましょうや」というスタンスだったのだ。恐らく「ゴジラ」映画を今度こそ決定的に終わらせる為に「シン・ゴジラ」は作られたのだろう。ラストの尻尾の先からの続編があるとしても、それは最早「ゴジラ」映画にはならない。

 「ファースト」は「怪獣がいない世界」だった。しかし「太平洋戦争」は、その「強大な力による人類文明破壊」の「体験者」が生き残っている(注12)という形でスクリーンの中に確実に存在していた(注13)。「長崎」(恐らく「広島」も)が存在し「核実験」も存在する世界である事は、作品中に台詞としても設定としても明示されていた。災厄を映すテレビジョンの画面は、否応無しにその僅か9年前の「太平洋戦争」の記憶を呼び覚ます。「野戦病院」のシーンでは被災者の子供に「ガイガーカウンター」が当てられる。20代後半から30代半ばに掛けて、自身の人生の8年間が兵役に費やされた「ファースト」の本多猪四郎監督は、「戦後の暗い気分をアナーキーに壊しまくってくれる和製『キングコング』のような大怪獣映画」を目指したという。

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(注12)「ファースト」の製作スタッフ全てが「太平洋戦争」の「生き残り」だった。円谷英二東京大空襲防空壕の中で「ファースト」の元になるアイディアを思い付いたという。

(注13)「太平洋戦争」は芹沢大助が隻眼である理由でもあり、また銀座の母子の「お父ちゃま」も「太平洋戦争」によって命を落としたと想像される。前述の在来線/遊覧船の男女も含め、スクリーン中の「9歳以上」の全てが「太平洋戦争」の「生き残り」だ。そして観客の多くもまた「太平洋戦争」という「強大な力による人類文明破壊」の直接の「体験者」だったのである。

シン・ゴジラ」も――「ファースト」に比べて圧倒的に不利な条件下にあるが――(取り敢えず)「怪獣がいない世界」だった。「太平洋戦争」は、官僚の楽観主義を矢口蘭堂が旧日本軍に絡める形で諌めたり、日本が米国の「属国」である事でその存在を伺わせられたりはする。「東日本大震災」及び「フクイチ」が存在している世界なのかどうかは今一つ判らないが、それらが存在しないと市井の人々が持つ「線量計」の数値がネット上に投稿される――そもそも市井の人が「線量計」を持っているという事態――というシーンの説明が付き難い事は確かだ。しかし台詞的にはそれらには一切触れられていないし、またスクリーン中の(そして製作陣の)誰一人として「生き残り」感と共に生きている者はいない。

「太平洋戦争」や「東日本大震災」や「フクイチ」の「体験者」が登場しない「シン・ゴジラ」。70数年前の「英霊」を重ね合わせようにも、それが事実上現実的とは言えない「シン・ゴジラ」。「放射能」によって妻を失い、それに対して何の対応もしなかった日本に恨みを抱くというフォーカスの暈された設定。核実験の「犠牲者」ではなく、放射性廃棄物を摂取し続け独自に進化した生物。「東日本大震災」や「フクイチ」の「体験」に於ける「当事者」性の非対称。

ゴジラ」が「ゴジラ」として「生き難い」時代ではあるのだ。

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絵画・彫刻・書道 協力

絵画 片岡球子「めでたき富士」

東京美術倶楽部 / ギャラリー広田美術 / 小山登美夫ギャラリー
アートジョイ パートナー作家 仲山計介 山田りえ 小松謙一 久保孝久 上野憲一

彫刻 高野眞吾「或る自由の容」(2003)・「雷神」(2009)

書道 石飛博光


シン・ゴジラ」エンドロールから

シン・ゴジラ」の首相官邸のシーンで一瞬だけ映る一際大きな「絵画」――片岡球子「めでたき富士」――の存在に、少なからぬ美術クラスタはその公開直後に反応した。

この図柄の「めでたき富士」(1991年)は、リトグラフや木版等の複製も多く販売されたりはしているが、この映画に登場しているそれは、エンドロールのクレジットの「協力」にも名が上がっている「東京美術倶楽部 東美ミュージアム」蔵の紙本・彩色作品だろう。2014年3月11日(火)〜5月11日(日)に掛けて東京・広尾の山種美術館で行われていた「富士と桜と春の花」展に、「東京美術倶楽部 東美ミュージアム」から貸し出されていたものと額装が同一だ。

因みに同映画の中で、その「めでたき富士」(注14)の手前に置かれている馬の小像や花が生けてある壺等についての言及、及びその特定はまだネット上には見当たらない。しかし同作品が光ディスク化やネット配信に至った暁には、それらの言及/特定は時間の問題になるに違いない。劇場公開しか寄る辺が無い為に脳内メモリに頼るしか無い段階で、既に映画の後半に登場する立川広域防災基地内災害対策本部予備施設の里見佑介内閣総理大臣臨時代理のデスクに置かれた、屋台の「にんにくラーメンチャーシュー抜き」よりも遥かにシンプルなラーメンを出前した店(立川市上砂川)ですら特定(推定)されるのであるから。

(注14)新橋から放たれた「内閣総辞職ビーム」により、それは跡形も無く焼失したと想像される。それを貸し出した御成門の「東京美術倶楽部」も無事ではなかっただろう。

「ギャラリー広田美術」と「小山登美夫ギャラリー」の「協力」が何処にあるのかは良く解らなかった――クレジットにも具体的な作家名や作品名は上がっていない――し、また彼等はその「協力」を「弊社」の「宣伝」に使用する事は無いだろう。

「アートジョイ パートナー作家」のものも、劇場で映画を見ている最中に発見する事は叶わなかったが、「アートジョイ」のブログにアップロードされている作品が何処かに出ていたのだろうか。同様に、「日展準会員、日本彫刻会会員」の「高野眞吾」氏の、「或る自由の容」「雷神」2作品を上映中に特定する時間も無かった。

石飛博光」氏の「協力」は、警察庁長官官房長の後ろに「人皆知有用之用 而莫知無用之用也(人みな有用の用を知りて、無用の用を知るなきなり)」として掲げられているのが判った。

2016年8月8日の「玉音放送」=「象徴としてのお務めについての天皇陛下お言葉」では、NHKの字幕フォントの特定(DFP超極太楷書体)、後方向かって右側の鉢の特定(島田達三「柿釉象嵌大鉢」)、後方向かって左側の水石の特定(滋賀県瀬田川産虎石)、コンデンサマイクの特定(AKG C747 V11)、ビデオカメラの特定(SONY PXW-X70)が競う様にして行われた2016年の夏だった。

それはまた、マーシャル・マクルーハンの「グーテンベルクの銀河系」に紹介されたあの有名なエピソード、ロンドン大学アフリカ研究所のジョン・ウィルソン教授によって書かれた論文を思い出させる。

次に生じた現象は証拠資料としてたいへんに興味深いものだった。この衛生監視員である男はアフリカ原住民の部落内にある一般家庭で溜り水を除去するにはどうしたよいかを教示するため、ごく緩りとしたテンポで撮った映画を作ったのだった。まず水溜りを干し、空きかんをひとつひとつ拾って片づける、といった場面がつづく映画ができあがった。われわれはそのフィルムを映し、そのあとで彼等がなにを見たかを尋ねた。すると彼等はいっせいに鶏がいた、と答えた。ところが、映画を映して見せたわれわれのほうは鶏の存在に全く気付かなかったのである! そこでわれわれは用心深くフィルムのひと齣ひと齣をまわして問題の鶏を探しはじめた。はたせるかな、場面の隅を横切って走る一羽の鶏が見つかった。だれかが鶏をおどかしたらしく驚いて逃げる鶏の姿が画面の下方右手に見られた。それだけだった。フィルムを製作した男が見てほしいと思ったものはいっさい彼等の眼にとまらず、われわれが詳細に調べてみるまえには全く気付かなかったような事項を彼等は認めていたのである。

 

マーシャル マクルーハングーテンベルクの銀河系」森 常治訳

 それをマクルーハンは「非文字社会のひとびとが、なぜ写真や絵を三次元的に、もしくは、透視図法的にみられないか」という切り口で分析する。

文字使用は人間にイメージのやや前方に焦点を合わせる力を与え、それによってイメージもしくは絵の全体像を瞬間的に概観することが可能となる。非文字型文化の社会のなかに生きるひとびとはこのような後天的に獲得された習性をもたないし、そのためにわれわれが見るようには事物を見ない。むしろ彼等は対象物やイメージをわれわれが印刷された頁上に文字を追うように、断片から断片をおって走査する。かくて彼等は対象を離れたところから客観視する視座をもたない。彼等はまったく対象と「共に」あり、対象のなかに感情移入によってのめり込む。眼は見通すために使われるのではなく、いわば触知するために用いられる。聴覚と触覚からの分離に基礎を置くユークリッド空間は彼等には無縁な存在なのだ。

2016年の日本人は、或る意味でジョン・ウィルソンの「アフリカ原住民」の様に、映像を「三次元/透視図法」的に見ない「非文字社会」に再突入している。「片岡球子を見た」は「鶏を見た」だ。セットの椅子に「内閣府」等の備品ステッカーまで貼るという「シン・ゴジラ」のディテールへの極端なまでの「拘り」は、「非文字社会」となった日本への当然過ぎる対応とも言える。

「空きかんの水を捨てて生活環境を衛生的なものにしましょう」だけでは到底映画は作れない。そもそもが「空きかんの水を捨てて生活環境を衛生的なものにしましょう」をメッセージ的に打ち出す事も出来ない。だからこそ「鶏」的なものを過剰なまでに入れて「どうにでも解釈可能」(=「三次元/透視図法」の放棄)な「開かれた」映画にならざるを得ない。仮に「この事を伝えたいが為にこれを作った」が製作の側に存在したとしても、それは「鶏」をしか見ない(注15)観客の前では「敗北」するしかない。「どうにでも解釈可能」という在り方は、映画の今日的な「必然」なのである。

(注15)「ゴジラ」の「デザイン」を評する様な見方もそこには含まれる。

シン・ゴジラ」は「文字」が「文字」の「外部」に翻弄される映画ではあった。「文字」(「法律」)の裂け目に「巨大不明生物」は存在していた。官僚の早口に象徴される矢継ぎ早の多量の「文字」は、「巨大不明生物」の「意味」を「特定」する事すら叶わなかった。但し「文字」の「外部」への「対応」は極めて「奇跡」的な形で進行している。巨災対に「奇跡」が次々と降り、東京駅での攻防も「奇跡」の連続だ。口元が緩む程の「奇跡」。

「畏れ」の対象は「ゴジラ」という「文字」の「外部」だけではなく、寧ろこの「奇跡」という「文字」の「外部」にこそ恐らくある。勝ち続けるパチンコ(注16)の様に、あれ程にも「奇跡」が立て続けに起きたというのに、誰もその「大勝ち」の連続に「畏れ」を感じていなさそうだ。「文字」の「外部」というものは、常に平衡状態(「大勝ち」の後の「大負け」)を求める。「大勝ち」の中に既に「大負け」はある。「ゴジラ」の出現(注17)というのはそういう事なのではないか。「奇跡」と「災禍」の裏腹の関係。黙示録。焼け野原だった東京に再びネオンサインが輝く。「もはや戦後ではない」の前夜。それは「復興」と呼ばれたりする。しかし本多猪四郎はその「復興」の風景を含めて「戦後の暗い気分」と言った。

(注16)伊福部昭の「宇宙大戦争/「宇宙大戦争」/ヤシオリ作戦」はパチンコのBGMにも最適だろう。数十年前のパチンコのBGMと言えば「軍艦マーチ」――最近では T-SQUARE の “TRUTH" ――というのが決まり事の様になっていた。棟方志功は「軍艦マーチ」を口ずさみながら版を彫っていたと言われるが、果たして「進撃」の「宇宙大戦争」を口ずさみながら制作するアーティストはいるだろうか。

(注17)都心へと向かうという「行動」が、一人の(元)人間の「意志」によってコントロールされていようがいまいが。

「平時」であれば、「文字」によって住み分けられていた「美術」(古代美術から21世紀美術まで、「日展」から「小山登美夫ギャラリー」まで、「純粋美術」から「応用美術」まで、等々)が、等しく「文字」の「外部」が放つビームや放射熱線によって破壊され「瓦礫」になる。映画に「リアリティ」を与える為のディテール――備品シールと同じ様なもの――として集められ、無残なまでに破壊される様々な「美術」。果たして「世界の終わり」の日――その「翌日」の「復興」の日ではなく――にそれでも「美術」がギリギリで可能であるとしたら、それはどの様なものになるのだろうか。焼かれても踏み潰されてもそれでも尚あるものとは。

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Hulu で「ゴジラ」映画28作中の数本を見た。小学生の時に親戚に連れられて見た何作目かの「ゴジラ」映画――その余りの子供騙し(子供はこんなものだと安く値踏みされている)振りに小学生は辟易した――は再見しなかった。Hulu で見たその数本の中には嘗て自分が関わったものも含まれていた。初めて見る映画。そのエンドロールには、自分の名前はもとより50代男性の会社の名前も無かった。