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高松次郎 制作の軌跡

国立国際美術館(大阪)の「高松次郎 制作の軌跡」展(2015年4月7日〜7月5日:以下「制作の軌跡」展)の評判が良い。


http://www.nmao.go.jp/exhibition/index.html (時限URL)


少なくとも「現代美術」に多少なりとも関わっている人間、或いは「現代美術」に多少なりとも造詣が深いという自意識を持つ人間、そして何よりも「展覧会」を見たい人間(以下「クラスタ」)の間ではそういう声が多い。確かに同展は「『良い』展覧会」には違いない。しかしその多くは、東京国立近代美術館(東京:以下「東近美」)で行われていた「高松次郎ミステリーズ」展(2014年12月2日〜2015年3月1日:以下「ミステリーズ」展)に対比させる形で「良い」としている印象も無いでは無い。それら「クラスタ」による「ミステリーズ」展に対する反発の大きなものの一つになっていると思われるのは、「影ラボ」や「高松の脳内世界を一望する『ステージ』」を含む会場構成にもあるのだろう。


東京国立近代美術館で開催された高松次郎(1936-1998)の回顧展「高松次郎ミステリーズ」の会場構成。


この展覧会では、3人のキュレーター(桝田倫広・蔵屋美香・保坂健二朗)がそれぞれ初期・中期・後期の3章を分担した。各章ごとにスタイルの異なる作品群を、関連性を追って丁寧に見せながらも、全体としてはひとつの大きな広場を散策するような、おおらかな展示空間が求められた。


展覧会の導入部となる、「影ラボ」と名付けた細長い展示空間は、体験型のインスタレーションの場とした。異なる光源で影が二重に見えたり、回転する椅子の影が投影されたりと、4つのテーマで高松の中期の作品のポイントを体感的に知ることができる。


影ラボを抜けるとメインとなる展示室にたどり着く。もともとこの展示室には、断面形状の異なる6本の柱が林立している。そこで、この6本の柱を、構造体としての存在を消しつつも、展示空間全体の風景を構成するヴォリュームとして扱えないかと考えた。近接する柱と同じ断面形状の疑似柱5本と展示什器を新たにつくり、既存柱の存在を紛らわせる計画とした。大小の白いヴォリュームが点在することで、次の展示エリアが見え隠れし、一体の展示空間の中に適度な分節を与えている。


3章の最後には、展示室の中央にある大きなステージにたどり着く。1章のエリアから視界に入っていた中央の白いヴォリューム内部は、高松のアトリエを偲ばせる木質系の表情があらわになっている。中央のステージからはこれまで見てきた作品群を俯瞰することができ、腰壁に配された高松の言説とともに、これまでバラバラに見えていた作品間の関連性に気づかされる。ステージ上は休憩のためのスペースで、晩年のスケッチから再現した形のクッションに腰を下ろして図録を読むことができる。このステージの大きさは、ちょうど高松が制作活動を行っていたアトリエと同等の大きさで出来ており、高松の制作の空間を象徴的に重ね合わせている。


約200点に及ぶ作品群を通じて高松の思考を追体験しながら、その背後にある関連性を読み解いていくようなミステリーを空間で演出したいと考えた。


株式会社トラフ建築設計事務所
http://torafu.com/works/takamatsujiro


本来ならキュレーションの一部である筈の「展覧会」の会場構成は、「ミステリーズ」展に於いては株式会社トラフ建築設計事務所への丸投げ(「トラフさんの自由にやって下さい」)だったのだろうかと疑わせる文章である。実際にそうではないのなら、同展のキュレーターはこの文章に対して「誤解を生む表現」として抗議をするべきかもしれない。この文章では、キュレーターが会場構成に於いて何も仕事をしていない様に読めてしまうからだ。


仮に、同社の公式サイトで自社の「WORKS」(=作品)として公開/宣伝されている同展の会場構成が、同社とキュレーターの間の議論の積み重ねに依らない、或いは同社の主導によるもの(同社の作品)であったとすれば、現れとしての「ミステリーズ」展は、「高松次郎」の展覧会として見るべきものではなく、「高松次郎」を使った株式会社トラフ建築設計事務所のプレゼンテーションの場と捉えるべきなのだろうか。それならそれでそうであると明示して(例えば「TORAFU ARCHITECTS MEETS JIRO TAKAMATSU」等と)くれれば、「ミステリーズ」展を「『高松次郎』の『展覧会』」であると思ってしまう多くの過ちを防げる。従ってこれもまた仮定の話として、「高松次郎」の仕事を見せる事よりも、同社の仕事を同社の作品(「WORKS」)として見せる事の比重が大きかったのであれば、確かにそれを「展覧会」の為の施設で行う必然性は皆無と言える。その様なものとしての「ミステリーズ」展に大阪巡回があるとすれば、それはインテックス大阪(例)で良いだろう。


“god's eye view" から「俯瞰」をすれば「バラバラに見えていた作品間の関連性」は見えるかもしれない。しかしそれは一方で「地上」で起きている事を矮小化してしまう危険性がある。「ミステリーズ」展の「ステージ」は、「高松次郎」を「猿山」に落とし込むという荒業である。それによってその「行動」を「動物園の観客」同様「俯瞰」的な形で「理解」可能なものとした。「影ラボ」の様な行動体験(どうぶつになってみよう)型の展示という周到の軽率/軽率の周到もある。こうして「ミステリーズ」展という名の動物園展示は、「俯瞰」による「理解」と引き換えに、「高松次郎」を「ミステリー」譚として外在化し、「消費」の対象とする事に「成功」した。しかしそれも仕方の無い事ではある。“god's eye view" に取り囲まれる建築模型による検討が設計の核となる様な発想は、しばしば「人間」を「動物」的な関数として扱うものだからだ。


「ひとりの芸術家の営みが円環的になっている(“the work of a single artist forms a circle" 保坂健二朗氏)」という一つの解が導かれたとしても、それをあそこまでリテラルな形で実線化し、或いはリテラルに俯瞰可能なものとして示してしまうのは、「小さな親切大きなお世話(white elephant)」でしかない。それは「イメージ (image)」の鎖に繋がれたスペクタクル消費としての「絵画」の発想であり、例えば「真っ直ぐな性格」を直線定規を使って描画してしまう少年漫画と同質のコメディと言える。

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「制作の軌跡」展は――結果的にではあるだろうが――それ自体が「高松次郎」作品の「平面上の空間」(以下「高松作品『平面上の空間』」)の構造を体現している様にも思える。


取り敢えず「高松作品『平面上の空間』」の「正面」からの見た目に基づく形で、その「平面」を直交座標系のそれと仮定するならば、同展には地下3階会場入口付近に架けられた1960年の「不安な英雄」という点(X0,X0)から、地下2階の1997年の「一人の男の三つの影」という点(Xn,Yn)で構成される「高松次郎」と呼ばれる限定的な「平面」上に、複数の弧線や直線=制作の軌跡が引かれていると見る事も可能ではある。そして「高松作品『平面上の空間』」の線=軌跡が時系列的な「順序」で(も)追って行ける事が可能であるのと同様、「制作の軌跡」展では「1) 1960-1963 点」「2) 1964-1966 影」「3) 1967-1968 遠近法」「4) 1969-1971 単体」「5) 1972-1973 単体から複合体へ」「6) 1974-1977 複合体と平面上の空間」「7) 1977-1982 平面上の空間, 空間, 柱と空間」「8) 1983-1997 形」という8本の弧線や直線=制作の軌跡が、時系列的な「順序」で追って行ける様に――地下3階から見始める様にと捥り嬢から指示される事もあって(それを無視して「遡行」的に見たとしても良いのだが)――ドローされている。


一人の作家をクロノロジカルに扱おうとする場合、それは(X0,Y0)と(Xn,Yn)を結ぶ一本線的なものとしてイメージされもする。だからこそ起点と終点を繋ぎ合わせて「リング」にしたり、或いは少しだけひねくれる事で「メビウスの輪」にする事が可能になると思われてもしまう訳だが、実際には芸術家の制作の軌跡/人生に限らず人の一生というものは、線=軌跡が様々なパターン(直線/弧線)を描いて行きつ戻りつ、時にはそれが軌跡の最中で互いに「交差」する事もある奥行きを持った座標系=「平面」とは考えられないだろうか。


「高松作品『平面上の空間』」の「交差」が恐らくそうである様に、「交差」は「接触」によって生じているものでは無い。それらは「コンステレーション(constellation)」として、互いに何万光年の距離を保ちながら、或る視点から見れば見た目上「交差」している――立体交差(multilevel crossing)の様に――ものである。そしてその「交差」では、時系列的――それはしばしば「作品展開」という形で解釈される――に考えれば、解釈し難い事態がしばしば起きる事が、この「制作の軌跡」というリテラルな時系列に愚直な「展覧会」は、例えば「『形』の時代」に「影」――それは「高松次郎」の「作品展開」を見せようとする展覧会では寧ろ隠されるものかもしれない――という「交差」を愚直に挟んでしまう事で示されている。


「制作の軌跡」展は「地上」で起きている事を「地上」の法則に則って見せている。「天上」の法則に観客を連れ去る事をしないし、「高松次郎」の「脳内世界」にあったとされる「天上」の法則を「俯瞰」させるという奇術も行わない。「制作の軌跡」展では観客は「地上」を歩くしか無い。世界の謎を解き明かすかの様に示される「聖なる言葉」もここには存在しない。「天上」は「地上」の「高松次郎」と同じ位置から見なければならない。

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それにしても「高松次郎」の「展覧会」を見るとはどういう事なのだろうか。物故してしまった「高松次郎」という一人の芸術家を良く理解する為にという事は当然あり得る。「高松次郎」が思弁したものが、実際の作品にどの様に「反映」されているのかの検証を行うという「謎解き」の愉悦もあるかもしれない。しかしその「高松次郎」とは一体何だろうか。換言すれば、「高松次郎」はそれを見る者の前に、どの様なものとして現れるものなのだろうか。


「制作の軌跡」展で個人的に最も感じ入ったものの一つは、地下2階のホールにインストールされた「複合体」(1972年8月)だった。「高松塾」時代のものであり、またその活動の一環にこれはある。



耐火レンガ(JIS R 2101規格の並形――230 × 114 × 65 mmのもの)を2個使用した「作品」だ。仮に「ミステリーズ」展にこれが出品されていたら、実際にどの様に展示されたかは判らない。しかし大きな可能性としては、それは株式会社東京スタデオによって新たに作られた、丁寧な仕上げの白いパネル壁と白いパネル床の間に設置されたのではないかと想像出来る。その場合、「展覧会」の「出品作品リスト」の素材記述としては「レンガ」という事になり、併せて作品寸法も「34.4 × 11.4 × 6.5 cm」の様な形で記されるだろう(出品されていた同年の「複合体(椅子とレンガ)」の素材が「椅子、レンガ」とされ、且つ「70.0 × 56.0 × 62.0 cm」と記されている様に)。



或る意味でこの「作品」を出品するのは非常に「簡単」だ。耐火レンガが二つだけあれば良いのだ。敢えて言えば、それは1972年のオリジナルの耐火レンガでなくても良い。セッティングだって「容易」だ(「糊付け」位はするかもしれないが)。出品作品点数(注)が不足気味だった感もある「ミステリーズ」展がこれを出す決定をし、株式会社東京スタデオが一辺辺り三尺程度のパネル工作を行えば、確実に一点分のスペースは「楽々稼げた」かもしれない。しかし結果的にこの「作品」は「ミステリーズ」展には出なかった。


(注)「初期の〈点〉や〈紐〉、中期の〈影〉や〈単体〉〈複合体〉、そして後期の〈平面上の空間〉や〈形〉など、3つの時期の代表作45点に加え、151点の関連するドローイング」(「ミステリーズ」展)。一方「制作の軌跡」展は「絵画・立体作品・版画約90点、ドローイング約280点、書籍・雑誌・絵本約40点、そして記録写真約40点」である。


一方、この二つ煉瓦の「複合体」が出品された「制作の軌跡」展では、その「出品作品リスト」の作品素材の記述は「引き戸、煉瓦、床」である。作品寸法は記されていない。何故に「煉瓦」だけでは無いのかと言うと、高松次郎旧邸から実際のアトリエの「引き戸」と「床」が、国立国際美術館に(引き剥がされて)「移築」され、そこにあの1972年の写真と同様に「引き戸」と「床」の間で、この「複合体」が形成されているからである。


ここでは「引き戸」と「床」は、「煉瓦」と同程度に「複合体」に不可欠な要素として認識されている。言わばそれは、現象的にはパルテノンのペディメント(pediment)に施された「彫刻」を、エンタブラチュア(entablature)、コロネード(colonnade)、スタイロベート(stylobate)ごと持って来る様なものであり、「彫刻」はそうした全体系の中のものとして存在しているとする様なものだ。確かにそれでは作品寸法を表記出来る訳が無い。コロネード(colonnade:独 Säulengänge) は、カントがパレルガ(parerga=parergon の複数形)の例としてリストアップしているものの一つだが、いずれにしてもパレルガとは「作用」であり、従ってそれは計量に馴染まない。


一方、想像される白パネル壁と白パネル床の間にインストールされた「複合体」は、大英博物館(British Museum)中のエルギン・マーブル(Elgin Marbles)の様なものになるのだろうか。サイズという形で境界画定される「彫刻」として完結した「複合体」は、トマス・ブルース(第7代エルギン伯爵)がイギリスに持って来たのと「同じ」ものになるのかもしれない。


しかしそういった事もまた、自分にとってはどうでも良い。寧ろこの「複合体」の展示で重要な気がするのは、その「気安さ」にある。つまりこの「複合体」を自分の家でやってみようと思えば、誰でも出来そうに観客が思わせられるところにそれはある。壁面と床面は世界中に幾らでもある。住居空間に耐火レンガでは些か非日常感が勝ち過ぎて大仰になるだろうから、ティッシュの空き箱や厚めの本が丁度良いだろう。或いは「積み木」が現役の家庭ではそれを使用するのも良いだろうし、引っ越しのダンボールが片付かない家庭ではそのダンボールを使うという手もある。


食卓の椅子の一本の足の下に厚めの本を挟んでみる。それは「高松次郎」の「複合体(椅子とレンガ)」と全く「同じ」ものだ。何も「違い」は無い(煉瓦と本の差異や、椅子の形の差異を無意味なまでに問題にしないのであれば)。しかもそれは展示の為にだけ存在しているものでは無いから、誰からも咎められる事無くその上に座る事すら出来てしまう。その上で座りながら椅子の上で身体をグラグラと動かしてみて、安定/不安定の間を行ったり来たりも出来る。実際1972年の「高松次郎」は「複合体(椅子とレンガ)」に座ってみたかもしれない。であれば、尚更「複合体(椅子とレンガ)」について多くを「知り」たい「観客」はそれをするべきである。



その上で、それをしてみた者がそれをした事で、「高松次郎」が「作品」に「思弁」的に「込めた」ものと周囲が判断したもの(しばしばそれは「教化」の形で観客の愚鈍化に利用される事もある)、或いは「高松次郎」自身の「主観」で意識されていたものとは全く別のものを、それに対して見られるかもしれない。敢えて言えば、「観客」はその様な形で「高松次郎」を「反復」的に「越え」なければならないし、実際に「高松次郎」を「越え」てしまう存在なのである。それが幼児であったとしても(或いは幼児であるからこそ「高松次郎」を軽々「越え」られるとも)。「高松次郎」は「ジャンピング・ボード」として有効なのであり、それ故にそれは一般的に「アーティスト」と呼び習わされている「反復」の原点(X0,Y0)なのである。


「高松次郎」の資質の現れは、その優れた仕事の多くが誰もが出来そうなところにある。「小ささ」もそうかもしれない。そしてこれは勿論「複合体」に限った話では無い。仮に国立国際美術館の「高松次郎」の前に何分間か居続けられ、且つそれから思惟を巡らす事の出来る者ならば、自分の家で起こっている「高松次郎」にも同様に接する事が可能な筈だ。「高松次郎」の「代表作」の一般的な了解が「影」シリーズであるにしても、その投影像の「消失点」であるところのものは常に「小さい」。だからこそ「影ラボ」は、東京国立近代美術館の様な展示の為の空間を必要とはしない。そうした非日常的な空間とは別の場所で、「影ラボ」は何気に行われれば良いし、寧ろそこでこそ行われるべきである。「高松次郎ならぬ者」が「観客」である事を離れた場所で「影」を見る。「高松次郎ならぬ者」が愚鈍化を免れていれば、そこに衒学好きの「高松次郎」という「主観」が、「影」と関連付けたものとは異なる(ピッタリとは重ならない)何かを見られる。


「大作」を作るのは「アーティスト」の領分だ。二つ煉瓦の「複合体」や「複合体(椅子とレンガ)」と、東京画廊の個展(1976年11月)やドクメンタ6(1977年7月)に於ける鉄製の「複合体」は、その意味で不連続なものだ。「ミステリーズ」展のカタログで、保坂健二朗氏が「ドローイング(works on paper)」と「絵画(oil on canvas)」の間に引いた分割線(p.225)も、それに繋がる様な気がする。


「アーティスト」としての「高松次郎」の「代表作」には、美術に於ける価値評価の伝統的な形式に則り「大作」が据えられている。「影」の「大作」、「遠近法」の「大作」、「単体」の「大作」、「複合体」の「大作」、「平面上の空間」の「大作」、或いは「形」の「大作」…。しかしこの「制作の軌跡」展を見ても、或いは「ミステリーズ」展を会場の「雑音」を掻き消して注意深く見てみても、「大作」になる以前にその殆どは「完結」してしまっていて、「大作」はそれらの「書き出し(Export)」によって生まれている様にも思える。それらは、電話で会話をしながら傍らのメモ紙に描いた図像/図式を、恰もそのまま「大作」化したかの印象すらある。勿論「高松次郎」には「大作」を作るに十分な理由/事情があったに違いない。しかし敢えて「大作」を作らなくても良い者もいる。それは「アーティスト」ならぬ者だ。それは或る意味で「大作」を求められる「アーティスト」よりも自由な存在ではある。


「ミステリーズ」展でも「制作の軌跡」展でも、「高松次郎」の「アトリエ」はそれぞれ別の形を伴って現れていた。「高松次郎」=「アトリエの人」という事だろうか。その「高松次郎」の「アトリエ」は、「立体」作品も作る「アーティスト」の制作空間としては狭い。しかし「狭い空間」から生まれた「高松次郎」の「作品」と「高松次郎ならぬ者」が繋がる共有のトポスは、美術館ではなくこうした「狭い空間」に於いてである様な気がする。「作品」を外在的なものとして見せる(「観客」を発生させる)事に最適化された「広い空間」は、世界にはそれ程の数は無いが、「狭い空間」ならば、「地域性」の違いを越えて幾らでも存在する。


「広い空間」がそれ自体「暴力」の産物でもあるというのは、都市デザインを見ても判るだろう。「狭い空間」を次々と潰し、「広い空間」に東京を作り変えて行く前回の夏季オリンピック市川崑の「東京オリンピック」の冒頭シーンを思い出したい)のカウンターとして、あの「東京ミキサー計画」は確かに存在していた。そうした機運の中にあった「高松次郎」の時代は、「狭さ」や「小ささ」を、「広さ」や「大きさ」によって乗り越えようとする社会的な欲望が加速化した時代ではあった。「日本万国博覧会」の「遠近法の日曜広場」と、「人間と物質」展の「16の杉の単体」は「同じ年」(1970年)のものだ。その一見「背反」的にも見えるそれぞれを、「高松次郎ならぬ者」はどう捉えるべきだろうか。いずれにしても、「高松次郎」の「大作」は、その「機運」への反転として「広さ」や「大きさ」を、「狭さ」や「小ささ」で乗り越えようとしたものの様にも見えなくはない。


“Der liebe Gott steckt im Detail" (Aby Warburg)。それは一般に「神は細部に宿り給う」とも訳されるが、しかしそれは実際には「宿る」ではなく、「生起する/通り過ぎる」(passieren) なのではないかという気もする。「高松次郎は細部(小ささ/狭さ)に生起する/を通り過ぎる」。そしてその時にこそ、「高松次郎」は闇雲な神格化(例えば「ミステリー」の答えが収斂する実体的な点)からようやく開放され、晴れて「虚点」としての「不在」となるのである。

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「高松次郎」から約20年遅れで生まれ生きて来た人間からすれば、「高松次郎」は「『ハイレッド・センター』の人」という「伝説」上の存在であると同時に、「『平面上の空間』の人」という同時代を生きた存在でもあった。70年代後半から80年代に掛けての「高松次郎」は、自分とその周囲の同じ様な利害を有する者の多くにとって「無視して良い存在」として見えていた事を、ここで告白しなければならない。「高松次郎」は老いた(40代なのに!!)、駄目になった、才能を使い果たした、時代が見えていない、無意味になった……等々。


「高松次郎」がその生を閉じたのと同じ様な年齢で見る「制作の軌跡」展は、「高松次郎」に対して全く違ったものが見えた。それは「媒質」的なものとしての「高松次郎」だった。それでようやく「高松次郎」が自分の中で「反復」可能になったのである。