オヘヤ

桂米助」というよりは、「ヨネスケ」の方が通りが良いだろうと思われる。そして紋付袴の「落語家」(落語芸術協会理事)というよりは、大きな杓文字を持った「突撃!隣の晩ごはん」の「タレント」(古舘プロジェクト所属 1989年から)としての顔の方が通りが良いだろうとも。四半世紀前の、所謂「F1ブーム」の頃には、ロータスから日本初のフルタイム参戦を果たしたF1ドライバーである中嶋悟に風貌が似ているとも言われたヨネスケだが、今ではヨネスケは知っていても中嶋悟は知らない若い世代も多いに違いない。


そのヨネスケの「突撃!隣の晩ごはん」は、1985年に、岸部四郎時代の朝のワイドショー番組「ルックルックこんにちは」で始まり、その後多くの日本テレビ系列の番組を転々とした後、2011年3月に中山秀征の「DON!」と同時に一旦終了したものの、ヨネスケが所属する古舘プロジェクトが「強い」テレビ朝日系列の朝の情報番組「やじうまテレビ!」で、今年の4月から木曜レギュラー枠として復活している。ヨネスケが、夕食時の全国各地の一般家庭を「アポなし」で訪れて、その夕食の様子を撮影するという内容は広く馴染みのものであり、従ってこれといった捕捉説明はいらないだろう。


Wikipedia でその「突撃!隣の晩ごはん」を調べていたら、「エピソード」の欄に興味深い記述があった。


暴力団組長の自宅とは知らずに訪問してしまったこともあったという。しかしその組長は話の分かる人で、コーナーの趣旨を理解してくれていたので、トラブルには至らなかった(しかし、「放送しないでくれ」と頼まれたためにボツに)。


ソースが今一つ明らかではないので、これが事実かどうかは確認が出来ないものの、仮にこれが事実だとして、しかしその「道を極めた人」は、何を「恐れる」が故に、ロケ隊に「放送しないでくれ」と頼み込んだのだろうか。通常「道を極めた人」の組長の住居ともなれば、一方で要塞としての性格も求められる。従ってその多くは、中の様子を伺う事が困難な高く分厚い塀や、高性能の防犯カメラ等々で、その「セキュリティ」を上げに上げる筈である。しかし一介のタレントであるヨネスケの「アポなし」訪問が可能だったという事は、結果的に「セキュリティ」的にはかなり大雑把なものだったという事であるから、その「緩さ」が広く公開されるのを嫌ったという事なのだろうか。それとも全く別の理由があるのだろうか。


「道を極めた人」もまた、一種の「イメージ商売」だと言える。「商売=稼業」である以上、「道を極めた人」というのも一種の「労働」形態である。その「労働」に於いて共有されるイメージ、即ち「道を極めた人」の社会(=労働空間=公共空間)的イメージの基本路線は、所謂強面(こわもて)である。ヨネスケ一行が、その「道を極めた人」の食卓に何を見たかは判らないが、しかし世間は「道を極めた人」に対する強面のイメージを強固に持っており、また「道を極めた人」の多くもまたそうした強面イメージをこそ利用する「商売」の人であり、従って「道を極めた人」と「堅気」の双方共に、「道を極めた人」の食卓もまた、どこかでそうした公共的に共有された強面イメージの延長上に存在している事を「期待する」ところがあったりもするだろう。


例えば「道を極めた人」の食卓に、その「シマ」にある超一流寿司店から呼び寄せた職人がその場で握る最高級の寿司がずらりと並び、強面の若い衆がそれを囲んで野卑にパク付いているという図は、極めてテレビ的に「あり得る(あって欲しい)」図であり、「道を極めた人」に対する「お茶の間」の社会通念を満足させるものだろう。その一方で、組長自ら簡素な「一汁一菜」のみというのも、これもまた極めてテレビ的に「あり得る(あって欲しい)」図である。バックに「誠」や「天照大神」等と書かれた書が掲げられ、その前に刀掛に剥き身の日本刀が横たえられ、SEに「尺八」の「ムライキ」か何かを被せ、加藤精三のナレーションを入れて、一丁上がり的にお手軽に仕立てたくなる様な渋い図であり、これもまた「道を極める」の「道」に対する「お茶の間」の社会通念を満足させるものだ。多くの映画やテレビドラマが描く「道を極めた人」の生活環境は、こうした社会通念から演繹された定型のイメージが常に与えられている。


しかしヨネスケが見た「道を極めた人」の食卓が、例えばマクドナルドの「ハッピーセット」だったらどうだろうか。美容と健康の為の「ビーガン料理」だったらどうだろうか。プラスチックトレイに閉店直前の「半額」シールが貼られたスーパーの惣菜一つだけだったり、「じゃがりこ」で作ったポテトサラダだったり、「シーチキン缶詰」がメインディッシュであったり、飯に水を掛けただけの「水茶漬け」(後二者は「突撃!隣の晩ごはん」で実際にオンエアされた)だったらどうだろうか。或いは高級寿司がズラリと並んではいるが、そこには「緑茶」ではなく「ハーブティー」が並んでいたらどうだろうか。


勿論、誰が何を食べようが一向に構わない訳だが、しかし「道を極めた人」という社会的記号、「道を極めた人」という「商売」からすれば、それは余りプラスにはならないだろう。「堅気」の多くは「道を極めた人」が「強面」であるからこそ、彼等を怖れ/畏れて「金を払う」のであるから、その「強面」イメージが揺らいでしまう様なものは、その「商売」上好ましくはない。一方「突撃!隣の晩ごはん」が「アポなし」で狙うのは、ブルジョワ革命以降に誕生した「私的存在の生活の場」なのであり、決して「道を極めた人」に代表される「商売」上の「社会的存在の説明(プレゼンテーション)の場」ではないのだ。


 ルイ=フィリップの治世に、私人が歴史の舞台に登場する。新しい選挙法ができて民主的な仕組が拡大された時期は、議会におけるギゾー(19世紀、仏の政治家)が仕組んだ腐敗の時期と重なっている。この議会に守られて、支配階級は、彼らの商売を営みながら、歴史を作り上げていく。支配階級がルイ=フィリップの支配を支援するのは、それが商売をしている私人としての彼らの支配にもつながるからなのである。七月革命によって、ブルジョワジーは一七八九年の目標を実現したのである(マルクス)。
 私人の生活の場はここで初めて労働の場所と切り離され、生活はまず室内で為されるようになる。帳場はその補完物にすぎない。帳場に座って世の動きを考える私人は、室内に溢れるさまざまな幻想に安らぎを求める。この要求は、彼が事業上の考慮を社会的な考慮にまで広げることなど考えていないだけに、ますます切実なものになる。そして、自己の私的な環境を作り上げるに際しては、彼はこのどちらの考慮をも排除するために、幻想に満ちた室内が出来上がってくる。私人にとってはこれが宇宙なのであって、彼はそこに異郷と過去を蒐集する。彼のサロンは、世界劇場の桟敷席なのである。


ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論」より「パリーー一九世紀の首都 IV ルイ=フィリップあるいは室内」


「突撃!隣の晩ごはん」が「アポなし」に至ったのは、次の様な理由によるとされている。


アポなしロケでいくきっかけは第1回の放送にと予め新宿の老夫婦の家にアポを取った上で訪問したが、老夫婦が「いらっしゃいませ」と三つ指を付いて迎えた上、その食卓には普段食べているとは思えない豪華な料理が並んでいた事からである。結果その放送はボツになった。


Wikipedia「突撃!隣の晩ごはん」


伝わるところによると、老夫婦の住む新宿区戸山の団地にアポを入れて訪問。団地のドアを開けると着物を着た奥さんが三つ指を付いてヨネスケを迎え入れる。居間にはスーツ姿の緊張した面持ちのご亭主がいて、テーブルには、真っ白なクロスの上が掛けられ、その上に天麩羅、鰻、刺身が乗っていたという。天麩羅、鰻、刺身は、現代日本に於いては、外国人を含むゲストを迎える言わば三種の神器(但し「迎賓館」では「フランス料理」が唯一無二)とも言えるメニューであり、このいずれか、或いは全てを揃えておけば、ホストの社会的面子は十分に保たれるというものだ。


しかもそれらのメニューは、「まとも」なものを家庭で作るには厄介なものばかりであるが故に、その道の専門家に頼むというのが自然な流れになる。従って、その味に「間違い」というものは基本的には存在しない。何故ならば「その道の専門家=公共の人」が作った上で、尚且つ市場で売り、その市場に残り続けているものは、既に社会的淘汰を経てきた公共性を有しているものと言えるからだ。「間違い」なものは、予め市場によって淘汰されているというのが、市場原理の一応の道理ではある。そうした専門家による天麩羅、鰻、刺身は、それだけで私的な食の対極にある、社会性を象徴する公共的な食ですらある。老夫婦は、放送に公共性を感じたが故に、公共的な食の形を以って「テレビの人達」に「もてなし」をしたまでの話だが、その「突撃!隣の晩ごはん」は、煮物や味噌汁等といった私的な食の偏差を、公共の電波を使って「公共」が愉しむ企画だ。だからこそ「アポなし」をする事で、ターゲットとなる食卓に公共的仮面を被る暇を与えないのである。

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19世紀(ベンヤミンによれば「ルイ=フィリップの治世(1830年 - 1848年)」)の大都市に於けるブルジョワ市民の私的空間と公共空間の分割が、「室内」という全く新しい私的空間を生む。「室内」は、労働の場や街路やパサージュといった公共空間と切り離された場所であり、労働で疲弊した私人の孤独な魂を、美しく変容させる「憩い」の場所になる。


 室内は芸術の避難場所であり、この室内の真の居住者は蒐集家である。彼は物の美しき変容を自らの仕事とする。彼には、物を所有することによって物から商品としての性格を拭い取るというシジフォスの永久に続く仕事が課せられている。しかし、彼が物に与えるのは使用価値ではなく、骨董価値だけである。蒐集家が夢想するのは、異郷の世界や過去の世界ばかりではなく、同時に、より良き世界である。より良き世界では、人間に必要なものは今の日常生活の場合と同様に与えられるわけではないが、物が有用であるという苦役からは解放されている。
 室内は単に私人の宇宙であるばかりではなく、またその保護ケースでもある。住むということは、痕跡を留めることである。室内ではその痕跡が強調される。覆いやカバー類、容器やケース類がふんだんに考案され、そこに日常ありきたりの実用品の痕跡が残る。居住者の痕跡も室内に残る。この痕跡を追跡する推理小説も生まれてくる。『家具の哲学』と幾篇もの推理短篇でポーは室内の最初の観相家であることを実証している。最初の推理小説の犯人は、上流紳士でもなければ無頼漢でもなく、市民層の私人である。


ヴァルター・ベンヤミン 「パサージュ論」より「パリーー一九世紀の首都 IV ルイ=フィリップあるいは室内」


都築響一氏の「TOKYO STYLE」は、そうした「ルイ=フィリップの治世」に誕生したブルジョワ市民の末裔であるところの、1990年代日本の「若者」が住まう「室内」のドキュメントであり、その続編とも言える「賃貸宇宙」もまた2000年代のそれである。


こうしたものに対して、「柳田国男」や「ナム・ジュン・パイク」や「世阿弥」や「千利休」を見たりする事も、全くの不可能事ではないとは言えるものの、しかしこうした「予め見たかったものを、恰も見い出したかの様に語る」アプローチは、その対象が発するメッセージの多くを見逃す危険性が常に存在する。「室内」という、人類史に於ける特異的存在の発生は、それが現実的に全世界的なものとなっているが故に、特定文化圏に留まるものではなく、寧ろ世界規模で全面化された近代的「労働」観と、それによってもたらされた「階層」という社会科学の対象となるべき話であろう。だからこそ、こうした「室内」の蒐集=記録が、全世界で様々に行われている訳である。


例えば "James Mollison" の "Where Children Sleep" はその一つであろうし、また最近になって発表されたロシアのニュースサイト、Bigpicture.ru の "Девушки и их комнаты(女の子と自室)” もまた「室内」の蒐集=記録である。これらと例えば都築響一氏の仕事との影響関係を詮索してもそれこそ詮無い話であり、況してや「柳田国男」や「ナム・ジュン・パイク」や「世阿弥」や「千利休」は、ここでは全くお呼びではない。


この内 "Where Children Sleep" に関しては、果たしてそれが近代的な「室内」であるかどうか、即ち近代的私人(としての子供)という存在が、そこで発生しているかどうかが判然としないものが幾つかあったりする。日本人やアメリカ人等のそれは、「子供部屋」という近代的な「室内」であるが、一方「寝場所」としか言えないものは、果たして近代的「室内」と同等に扱って良いのかどうかは判らない。


とは言え、都築響一氏に関してだけ言えば、その "TOKYO STYLE(1993年)” の仕事には、少なからずこの「衝撃的」な「室内」写真が影響していただろうと想像する事は可能だし、恐らく実際にそのイメージがどこかにあっただろう。



この写真がどういうものであるかは、1980年代の最後の年に発覚したこの写真に関わりのある事件をライブで知っている者にとっては、馴染みの深いものだろう。1988年から1989年に掛けて、東京都北西部および埼玉県南西部で発生した、幼女を対象とした一連の事件、「オタク」という語が広く知られる切っ掛けになった、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の「犯人」の「室内」である。


趣味で蒐集したビデオテープに埋め尽くされた「犯人(私人)」の「室内」は、それだけで報道的インパクトのあるものだった。警察の証拠保全が行われる前に、「犯人」の父親に促される儘に「私人」の「室内」に入った報道陣は、そこから「オタク」の「公的」なイメージを作る為に「室内」を再構築する。読売の元社会部記者がその当時を回顧している。


(略)


忘れられないのは、平成元年の「宮崎勤事件」です。
幼女4人の連続誘拐殺人。
オウム以前の、戦後最大の事件かもしれません。

ビデオテープで埋まった宮崎勤の部屋の映像を覚えている方も多いと思います。
実は、事件後あの部屋に初めて入ったのは私です。
宮崎勤が逮捕されたという一報で、
五日市町の彼の自宅に急行しました。

なんと、まだ警察官も来ていなくて、
3−4人の他社の記者が彼の両親を取り囲んで話していました。
そのうち、だれかが彼の部屋を見せてほしい、と言ったところ、
彼の父親はどうぞ、どうぞ。
母屋から彼の部屋には幅30センチほどの板が通路代わりに渡されていました。
幅が狭いので一人ずつ渡ることになり、
5,6人の記者でじゃんけん。
で、私が一番になった、というわけです。

部屋に一歩入ったときのことは忘れられません。
窓がなくて薄暗く、
四方の壁面がすべてビデオテープで埋め尽くされていたのです。
テレビとビデオデッキが3−4台あったと記憶しています。
そんな部屋は見たことありません。
まさに「理解不能」でした。

おそらく、あの部屋の映像を覚えておられる方は、
あのビデオはみんな、アダルトとか盗撮とかロリータとかそんな類のものだと思っているのではないでしょうか。
実は違うのです。
大慌てで、ビデオのタイトルを写したのですが、
ほとんどは「男どあほう甲子園」とか「ドカベン」といった、
ごく普通のアニメばかりでした。
その中に、おぞましい映像が入ったビデオも含まれていたのですが、
少なくともそれはごく一部だったのです。

なぜ、そういうイメージが伝わってしまったか、
については理由があります。
部屋の隅には、数十冊の雑誌の山がありました。
どんな雑誌かももちろん確認しました。
大半は、「GORO」「スコラ」です。
20代の男性としては、ごくごく普通でしょう。

その中に「若奥様の生下着」という漫画が1冊ありました。
ある民放のカメラクルーがそれを抜き取って、
一番上に重ねて撮影したのです。
それで、あの雑誌の山が全部、さらにビデオもほとんどがそういう類のものだという、
誤ったイメージが流れてしまったのです。

ま、犯した犯罪からすれば、そのくらいは誤解されても仕方がないかもしれませんが、
それでもやっぱり、事実とは違ったのです。


(略)


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「理解不能」を「理解可能」にする。「私」を「公」にする。しかし「TOKYO STYLE」にしても、「賃貸宇宙」にしても、また "Where Children Sleep" にしても、 "Девушки и их комнаты " にしても、凡そ「室内」には「理解」を超える過剰が常に存在する。換言すれば、「室内」は常に「理解不能」である。「五日市町の彼の自宅」に入った「民放のカメラクルー」は、埋もれていたものを最前面に積み直す事で、「理解可能」をいとも簡単に実現した。それは「突撃!隣の晩ごはん」で、カメラを一旦止めて、一番不味そうな料理をフレームの前面に置き直す様なものだ。これらの写真集(そのどれもが「突撃!隣の晩ごはん」の様な「アポなし」取材ではなく、撮影者と対象者に、それぞれ「反省」する時間を十分に与えている)には、そうした「理解可能」にする為の一切の操作が行われていない事を期待する者である。

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「室内」は住人の「内面」の「表現」と言えるだろうか。いやそうではあるまい。


ヘッセルは、「夢見心地な悪趣味の時代」という言い方をしている。たしかにこの時代はまったく夢に合わせて作られており、夢をもとにして家具調度がしつらえられていた。ゴシック風、ペルシャ風、ルネサンス風などとさまざまに様式が交代した。つまり、市民風の食堂の室内にはチェザーレ・ボルジアの宴の間が入り込んできて、婦人の居室からはゴシックの聖堂がたち現われ、主人の書斎は虹色に輝きながらペルシャの主張の居室へと姿を変える、という具合である。


ヴァルター・ベンヤミン「パサージュ論」より「室内,痕跡」


20年程前に、或る自動車雑誌で、しかし自動車とは全く関係無く、現代日本の「室内」のデザインレポート的な記事が載った事があった。確か筆者はデザイン評論家の人であったと記憶する。俎上に上げられたのは、ごく普通の生活者のそれである。それは「デザイン」的には「理解不能」な部屋であった。そのディテールは覚えていない為に、その記事を当方で最構成すると、例えば和風をイメージさせるデザインの照明器具の下に、バウハウス風にデザインされた家具があり、その横にあるテレビは、日本の家電メーカーが考える未来風デザインであり、その手前の湯沸かしポットの側面には、ロココ風にデザインされた花柄がプリントされていて、尚且つそれらの混乱した調度を詰め込んだ部屋は、「六畳間」という日本建築のモジュールに則っている。


しかしそうしたデザインの「混乱」、即ちデザインの「理解不能」は、誰の「室内」にも存在しているものだ。どんなに注意深く調度のデザインに気を配ってセレクトしても尚、そうした「混乱」による「破綻」から「室内」が逃れる事は不可能だ。何故ならば「室内」は、「内面」の単なる「意識」的な「表現」ではなく、また単なる「無意識」の「表出」でもないからだ。「室内」が「蒐集」の結果であれば、「室内」はそこに住む住人を常に逸脱する「過剰」にならざるを得ない。「室内」を構成する「蒐集」とは、当然意志的に「集めたもの」を意味するものであるに違いは無いが、しかし一方で「集まってしまったもの」をも意味する。和風な照明と、バウハウスな家具と、未来なテレビと、ロココな電気ポットは、勿論それらを購入したという点で、意志的に「集めたもの」ではあっても、端からデザインの混乱を意図して「集めた」訳ではない。それらは「集めたもの」である一方で「集まってしまったもの」でもある。「集めたもの/集まってしまったもの」の混乱的総体が個室の「室内」であり、それらの「集めたもの/集まってしまったもの」は、私人である個人に居心地の良さ=安らぎを与えるものであると幻想され、そうした「集めたもの/集まってしまったもの」の中に身を潜める事を「住む」と言い、そうした「住む」事に、私人は病的に拘るのである。

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お‐たく【御宅】


一〘名〙
1 相手または第三者を敬って、その家•住居をいう語。「先生の—にうかがう」
2 相手または第三者の家庭を敬っていう語。「—は人数が多いからにぎやかでしょうね」
3 相手の夫を敬っていう語。「—はどちらへお勤めですの」
4 相手の属している会社•団体などの敬称。「—の景気はどうですか」
5 ある事に過度に熱中していること。また、熱中している人。「アニメ—」


補説 5は「オタク」と書くことが多い。1980年代半ばから使われ始めた言葉か。初めは仲間内で相手に対して「おたく」と呼びかけていたところからという。特定の分野だけに詳しく、そのほかの知識や社会性に欠ける人物をいうことが多い。


二〘代〙同等の、あまり親しくない相手を、軽い敬意を込めていう語。「私より—のほうが適任でしょう」


類語 あなた•汝/家•家庭


大辞泉
http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/jn2/31429/m0u/%E3%81%8A%E3%81%9F%E3%81%8F/


「オタク」の原義は「御宅」であり、それは他人の「住居」「家庭」「会社・団体」を意味していた。即ちそれらは「公的」存在を示している。しかし「オタク」が「私人」の「室内」から発生したものだとすれば、そして「公的」なものにそれ程「関心」が無いとすれば、それは「オタク」ではなく「オヘヤ」とするべきだろう。


「室内」という「オヘヤ」の存在こそが「オタク」の条件なのである。