中止

【幕間】


時系列的に。


岩手県立美術館 盛岡市本宮字松幅12−3
http://www.ima.or.jp/
3月13日現在、閲覧可能
「当館は3月17日[木]まで臨時休館、3月18日[金]より通常通り開館」(ホームページより)
「人的被害なし」(全国美術館会議HPより)


http://blog.goo.ne.jp/uchikonotemae/e/46775cb6c311123cce7b0719d0b1e189


岩手県立美術館岩手県盛岡市)では彫刻数点が倒れた。


朝日新聞
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY201103230294.html


美術館友の会からのお知らせ


美術館友の会では、平成23年度の企画展開催中止に伴い、それにかかる友の会会員特典の保証ができかねるため、会員募集を休止することとなりました。


平成22年度会員及び平成23年度会員加入手続きをすでに完了された方には、会費を返金させていただくと共に常設展鑑賞にご利用いただける「平成23年度友の会会員証」を無料で送付させていただきます(ただし、ショップ・レストランでの会員特典はありません)。


前年度にもましてご来館いただき、岩手県ゆかりの作家による所蔵作品をより身近に親しむ機会を持っていただければと切にお願い申し上げます。


岩手県立美術館ニュース(2011年03月16日 12:46)←?
http://www.ima.or.jp/2011/03/201146_1.html


東北地方太平洋沖地震の発生に伴う当館の対応について


このたびの東北地方太平洋沖地震により被害を受けられた方々に、心よりお見舞い申し上げます。当館では岩手県地震災害復興対策に関連して、平成23年度の企画展等の計画について見直しを行い、次の通り決定しましたのでお知らせいたします。


◆平成23年度の展覧会および催事について
平成23年度に予定していた企画展・企画展関連イベント(講演会・ワークショップ)はすべて中止いたします。
常設展に関しては、従来どおり開催いたします。詳しくはこちら をご覧ください
その他、イベント開催情報については、当館ウェブサイト・広報印刷物・メールマガジン等にて随時ご案内いたしますのでご確認ください。


ライブラリー・ショップ・レストランなどは従来どおりご利用いただけます。
なお、節電等のため、グランド・ギャラリー等の照明を大幅に控えるほか、館内の空調設定温度を下げております。ご来館の方々にはご不便ご迷惑をおかけしますが何卒ご理解ご協力をお願いいたします。


岩手県立美術館ニュース(2011年03月26日 13:43)
http://www.ima.or.jp/2011/03/2011326.html


大災害と美術館  (学芸普及課長 大野正勝)


2011.4


 平成23年3月11日の地震津波による未曾有の大災害。映像でしか知らない戦後の市街地のように街がまるごと無くなってしまったような光景。にわかには信じ難い。さらに福島県では追い討ちをかけるように原発事故による放射線被害も甚大なものになっている。寒さに震える被災地の方々は、温かな食事と安全な仮設住宅、正しい情報と治安、今後の見通しを必要としている。そして多くの人たちが、不幸にも亡くなったり行方不明になってしまった肉親や知人に対する気持ちとどのように向き合ったらいいのか、簡単には分からない辛い状況にある。


 多数の犠牲者や被災者が出てしまったこの苦難のなかで、美術や美術館ができることは何か、そんな問いかけが各地で始まっているが、この惨状の前では今は正直なところ場違いな感じがしてならない。当館は震災復興支援に23年度の企画展予算を全て回すことになり、一年間の全ての企画展が中止となってしまった。企画展が開催されなければ来館者はほとんど見込めない。もっとも、このような時にこれまでのような企画展を開催できたとしても、展覧会開催に対する県民の方々の受け取り方や感じ方は平常時とは違い、また置かれた立場によって様々であろう。でも黙っていてはいけない。ここは、美術館活動を行う側のいつものあり様を少し省みて、この一年間、県立の当館は何をすべきなのか考えたい。


 この災害で不幸にも亡くなられたり被災された方々に対する悲しみの気持ちや、何かしてあげられることはないだろうかという気持ちをたくさんの方々が持っている。美術館は、そうした方たちに集まってもらって、小さなコンサートだったり、短い講演だったり、映画だったり、企画展示室を使った手弁当的な展覧会だったり、思いのこもった一つひとつの何かを、一人でも多くの人たちと共有できたらいいのではないか。絶望と悲しみの只中にいる方々が数多くいらっしゃる今、この美術館でやれることのなかにも「微かな希望や力は残されているよ」って勇気づけられるものがあるかも知れない。


 県立美術館では、そんな歌やメッセージ、展示やその他いろいろなことを通じて、今だからこそ、多くの県民の方々がつながることができたらと思う。もしそこで、ご支援の志をいただけたのなら、それはまた尊いことだと思う。


 災害で亡くなられた方々へのお悔みと被災された方々へのお見舞いを心から申し上げます。


岩手県立美術館 From Staff
http://www.ima.or.jp/home/from%20staff.html


 岩手県立美術館盛岡市)は3月下旬、震災復興費のため、企画展用の予算約8千万円のカットを県から通告された。
 今年度予定していた六つの企画展は全て中止。常設展の予算は残ったが、それでは満足な展示はできない。3月18日から再開したが、企画展がないこともあり来館者は激減した。
 知恵を絞り、身近なところに声をかけた。岩手県の若手作家に呼びかけ、郷土作家の作品展示を7月から開催する予定だ。
 大野正勝学芸普及課長は「どこへ行っても被災地ムードでは、逆に被災した人が安らげないのではないか。美術館が何とか開いていることが救いになれたらいい」と話す。


朝日新聞(6月21日)
http://mytown.asahi.com/miyagi/news.php?k_id=04000481107120003


2010年7月17日–9月5日に開かれた高松市美術館での展示を皮切りに、美術館連絡協議会(美連協)2010年「美連協大賞《奨励賞》」 を受賞した森村泰昌氏の「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」の巡回展が、岩手県立美術館でも行われる筈だったが、上掲記事に見られる様に、県からの企画展予算カット通告により実現されなくなった。


本来ならば、岩手県立美術館で行われ(その他の巡回先は、ふくやま美術館:2011年4月16日-2011年6月12日、北九州市立美術館分館:2012年7月28日-2012年9月17日、高岡市美術館:2012年9月28日-2012年10月28日)た筈の「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」は、この様な展覧会であった。

http://www.art-it.asia/u/admin_ed_exrev/gP5JApKSbVBQwG9lm8vZ/


同展に関連して高松市美術館から貸し出される作品リストはここに掲載されている。

http://www.city.takamatsu.kagawa.jp/kyouiku/bunkabu/bijyutu/collection/lend.html


7月7日
岩手での個展について考える。なにか私の中で足踏みするものがある。なぜ私はこの展覧会をやるのだろう。「立てる像」をテーマにした作品を制作中だが、はたして今の方針で突き進んでいっていいのだろうか。私はいったいどこに「立つ」べきなのか。しかし時間はない。いろいろな準備が急がれる。特に7月21日から始まる岩手ロケによるビデオ作品の準備をすべきなのだが、体も頭も動かない。


森村泰昌」芸術研究所 ときどき日記 7月2日〜7日
http://www.morimura-ya.com/category/diary/


岩手県立美術館に巡回するはずであった「まねぶ美術史」展が中止になり、そのことをそのまま受け入れることができず、この巡回展に変わる別の展覧会を立ち上げたいと考えることになった。


森村泰昌」芸術研究所 ときどき日記 8月8日〜17日
http://www.morimura-ya.com/category/diary/


「巡回展に変わる別の展覧会(原文ママ)」。即ち再び中止の憂き目にあった、今回「問題」となっている個展「森村泰昌『人間風景』〜萬鉄五郎 松本竣介 舟越保武のために」である。


森村泰昌「人間風景」−萬鐵五郎、松本竣介舟越保武とともに−」展の中止について


 今秋、岩手県立美術館で開催する予定でおりました標記展覧会を中止することとなりました。大変に残念なことですが、ご報告を申し上げます。


 この展覧会で、森村氏は、岩手ゆかりの3人の美術家、萬鐵五郎、松本竣介舟越保武の代表作からテーマを得て、それぞれの時代と社会に向きあいつつ、3人ともに悩み苦しんで深い美術表現を獲得したことを森村氏自身の表現を通じて再現しなおし、美術は時代とどうつながっているかということを、この岩手の現状の中において熟考してみようと試みていました。


 森村氏の意図と情熱は、そのまま岩手県立美術館の災害復興意識と合致し、また、美術館連絡協議会をはじめとする多くの関係の方々の共感も呼び、総意でもって展覧会準備を進める力になっておりました。


 作品準備の努力は続けられ、完成まであと一歩というところまで来ていましたが、森村氏がテーマに選んだ作品の一部が、そのご遺族から使用許可を得られないという事態になりました。該当の作品も、近代日本の社会から発した深刻な問題をテーマとして苦悩の底から制作されていて、それだけに森村氏の共感も深く、また、そのために、ご遺族には、森村氏の問題提起と該当作品がもつ固有の問題提起とは一体にできない別個のものと認識され、数度の話し合いを経るも認識の一致を見ることは叶いませんでした。結果として実現に踏み出すことが不可能となり、このたびのプロジェクトを中止することに至りました。


 森村泰昌氏と美術館連絡協議会、岩手県立美術館の合議により、標記展覧会の開催中止を決定いたしたことをここにご報告申しあげます。


平成23年8月12日


岩手県立美術館
読売新聞社
美術館連絡協議会


http://www.ima.or.jp/exhibition/2011_02.html


森村氏は展覧会名を「萬鉄五郎 松本竣介 舟越保武のために」としていて、ブログ中にも「松本竣介のための作品」とある。一方、美術館のステートメントでは「萬鐵五郎、松本竣介舟越保武とともに」である。「ために」と「ともに」では、そのニュアンスも意味も大きく異なるが、恐らくどちらかが誤認しているのであろう。或いは未調整だったのだろうか。


岩手県立美術館の今年度の企画展が中止決定されたのは3月下旬。それから5ヶ月弱。「いかなる非常時でも芸術活動は続けられるべきである(美連協ニュース8月号)」と語る森村氏。そして氏の「芸術活動」は、「萬鐵五郎、松本竣介舟越保武とともに(のために)」展として復活する。巡回展と、全く「別の展覧会」となった「萬鐵五郎、松本竣介舟越保武とともに(のために)」展では、作家やスタッフ関係者に掛かる労力も大きく異なると思われる。元々の巡回展では予定に無かったであろう、岩手ゆかりの作家「萬鉄五郎」「松本竣介」「舟越保武」で、短期間の内に大規模個展に見合うコンセプトを新たに立ち上げ、映像作品混じりではあっても、美術館のスペースを埋めるだけの新作を作り、展覧会の書籍化にも漕ぎ着ける。森村氏の仕事振りを驚嘆せずにはいられない。その仕事振りを見れば、それに対して感動するかもしれない。


自然災害に発する理由から中止となった「まねぶ美術史」展と異なり、「近代日本の社会から発した深刻な問題をテーマとして苦悩の底から制作され」た作品の作者の「ご遺族から使用許可を得られない」が為に中止となった今回の展覧会。森村氏のブログでは、その「ご遺族」の姓と共に、それが「著作権者」である事が明かされている。明かされているから書くが、著作権者であるかどうかは別にして、ご遺族には、氏と同世代であり、同時代にデビューした現代彫刻家もおられる。


「『非常時の芸術』を考えるために、萬、松本、舟越の三人の芸術家をテーマにしたかった」と森村氏は語る。「非常時の芸術」と言ってすぐに思い出されるのは、例の「戦争画」だが、氏のそれは、当然、所謂「戦争画」に見られる様な「大政翼賛」的なものではないだろう。しかし想像するに「戦争画」と同様、「シリアス」に見えるものではありそうだ。殉教者達の像を選ぶにせよ、病醜の聖人を選ぶにせよ、或いは他のものにしても、それは今まさに銃殺されんとする者に扮した、マネの「皇帝マクシミリアンの処刑」の様な意味で「シリアス」なのかもしれない。果たして氏は、この「熟考」された「非常時の芸術」を経た後で、再び「平常時」に構想された巡回展「森村泰昌モリエンナーレ/まねぶ美術史」を携えて、行脚の旅に出るのであろうか。

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1985年、美術手帖の展評欄に掲載された、氏のゴッホの「耳を切った自画像」作品を良く覚えている。記憶間違いでなければ、同じ号に自分も掲載されていたから余計に印象深い。その時に思ったのは、(80年代の)東京では出てこないタイプの作家だという事と、そしてやはり「シンディ・シャーマン」の名前だった。但し「シンディ・シャーマン」は次の瞬間に頭から消えた。両者は変身対象に対するスタンスが大きく異なる。シンディ・シャーマンは、変身対象に対して基本的に無関心だ。それを主題的に語る事もしない。一方の氏は、変身対象について、主題的に言及する事で作品を成立させる。従って、変身対象は「良く知られている」に越した事はない。「良く知られている」事が重要であるのは、ブロックバスターを戴く展覧会の様でもある。

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第一次世界大戦(1914年〜1918年)」に際して、「非常時の芸術」を口にし、「非常時の芸術」を制作するデュシャンという存在を妄想してみた。そしてそのとば口で、妄想する事を止めた。


【了】