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模範

承前


久し振りにメーラーの中に溜まりに溜まった「アート関係者約1000人による、情報交換・意見交換のメーリングリスト」aw-ml(の件名部分)に目を通していた。全くそれは何の気なしの気紛れであった。と言うか、「約1000人」だったんだと、今コピペしてみて少なからず驚いた。アクティブな投稿者数から想像して20人位だと思い込んでいたからだ。


ここでもまた、「クローズな環境」で盛り上がる「住人」の問題がありそうな気もするのだが、それはさておき、タッチパッドを繰っている間、ああそう言えば、311直後投稿数が多かったあの美術作家氏は、最近一体どうしているのだろうと、少しだけその消息が気になった。


すると5/21日付で「3,11をアートにしました/チャリーティ作品4部作」という件名を持つメールが目に入った。「3,11」と、カンマで区切られている日付が新鮮だ。「チャリーティ(charity/tʃǽrəti/)」もまた新鮮な表現である。


メールの本文中にあるリンクをクリックする前に、この作家の「3,11をアート」にした「チャリーティ作品」とはどういうものであろうかと数秒間想像してみた。その場合重要になるのは、「通常作品」をチャリーティに出す事を「チャリーティ作品」としているのか、それともチャリーティ用の作品が「3,11」をテーマにオリジナルで作られ、それを「チャリーティ作品」としているかである。しかし件名に「3,11をアートにしました」とある事から、それは後者の意味での「チャリーティ作品」であろうと結論付けた。頭の中に「チャリーティ作品」の像が朧げに結ばれた。


クリック。


当方の貧弱な予想を遙かに超えるものであった。何故か訳も判らず謝りたい気になってきた。


ここにメール本文をコピペする。実際の作品の画像はリンク先を参照して頂きたい。可能であればそれらに入札されても良いだろう。チャリーティであるから、その売り上げによる収益の全額は、東日本大震災義援金として寄付され「役に立つ」のである。この場合「役に立つ」事はとても「良い事」である。

みなさま


3.11をアート作品にしました。
チャリーティ作品4部作ですが、全部アップできました。


http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-07-1
http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-09
http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-13-2
http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-19-1



今の所、4点入札がありました。
http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-10
http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-16
http://hikosaka5.blog.so-net.ne.jp/2011-05-21-1


最初のリンクをクリックすると、いきなりサザンオールスターズがあの曲で出迎えてくれる。予想外の予想内である。或いは別の言い方をすると、想定外の想定内である。Aという集合の外のその内側であるから、集合論的に言えばそれは「外」である。きっと。


スクロールする。4点の作品が見える。適当な言葉が見付からないが、どれもが「スペクタキュラス」である。そしてその間に作家のコンセプトが書かれている。個人的に「重要」であると思われるところを抜いて引く。


(前略)


この作品はネットに流れている報道写真を素材にして、そのプロポーションやレンズのゆがみ、画像のコントラストや色彩を、大幅に変更操作する事で改竄を行い、鑑賞芸術作品に転化した、シュミレーショニズムの作品です。


(略)


3.11という日本の全歴史においても、世界史においても、大きな大転換になった大災害を、芸術作品として記憶し、記録しようとする試みです。
事実の記録としての報道写真を、芸術作品へと転化する事で、東日本大震災で亡くなられた多くの方々の無念の思いを悼むアイオーンとするものです。


この作品制作に関する著作権侵害等の責任のすべては彦坂尚嘉が負っています。
表現というものは、事実と芸術性の二重性を持っていると彦坂尚嘉は考えます。事実というのはこの場合、報道写真が持つミメーシス性ですが、それだけでは不十分であって、それを芸術へと転化するマニピュレーションは、人類の文化創造において重要だと信じます。したがって今回のような報道写真の芸術作品への転換と言う操作的な芸術制作行為は、今回の惨劇の重要性に鑑みて、正当性をもつものと思った次第です。そしてこれらの作品の販売によって得た
収益の全額を東日本大震災義援金として寄付することで、亡くなられた多くの方々を追悼するものです。


(後略)


少し前に「変更操作する事で改竄を行い、鑑賞芸術作品に転化した、シュミレーショニズム(注:simulationism/sìmjuléiʃəni`zm)の作品」を巡るストラグルについて書いたばかりである気もするが、それもまたさておき、最後の「亡くなられた多くの方々を追悼するものです」の後に、そのまま「黙礼」と続けたくなる気持ちも湧いてくる「『芸術』的」な文章である。


2番目、3番目、4番目のリンクを辿って行けば、それぞれに手塚治虫(或いはストラヴィンスキー)が、ピンクフロイド(或いはクラフトワーク)が、滝廉太郎(或いはスコーピオンズエミネム)が、火炎や原子力や廃墟等の繋がりで出迎えてくれ、想定外の想定内が畳み掛ける様に姿を表す様(さま)に、膝から崩れ落ちそうになる程に「感動」出来たりする。


恐らくこの数々の「チャリーティ作品」もまた、「この災禍に対してアートに何が出来るか」という「『アート』の『根本』」に関する「重大」な問いへの「模範解答」の一つであるだろう。しかもそれは「役に立つ」とても「良い事」なのだ。


【続く】