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職業

誤解を恐れずに言えば、「漁撈」はそれ自体が「ギャンブル」的であると言える。決まった時間に「出社」して、何にせよ、単位時間辺りの「インカム」が入ってくる状態を「定期収入」と呼ぶならば、出漁しても少しも網に魚が掛からなかったり、その出漁すら天候次第で、可能になったりならなかったりする「漁撈」は、それ自体が「不定期収入」的である。


例えば、農林水産省が行う漁業版「国勢調査」、「漁業センサス」の最新調査2008年版には、「漁獲物・収獲物の販売金額をみると、「100万円未満」の漁業経営体は3万4,214経営体(全漁業経営体数に占める割合29.7%)で最も多く、次いで「100万円から300万円未満」が2万3,140経営体(20.1%)となっている」とある。漁撈の民の半数が「年収」300万以下という事になる。


2008年漁業センサス結果の概要(平成20年11月1日現在)
http://www.maff.go.jp/j/tokei/sokuhou/gyogyou_census08/index.html


兼業を選択せざるを得ない漁撈の民に向かって、「年収300万円以下は、漁民と名乗ってはならない。辞めれば良いのに」などと、「賃労働」が世の全てであるかの様にサラリーマン感覚で言えば、即座に「失礼千万」と猛反発が帰ってくる事だろう。漁撈の民程ではないが、その平均所得が「200万円」とも言われている農業従事者もまた、「お天道様次第」等々で「ギャンブル」的であるとも言える。


参考:
2010年世界農林業センサス結果の概要(暫定値)(平成22年2月1日現在)
http://166.119.78.61/j/tokei/sokuhou/census10_zantei/index.html


一方で「お店」の人もまた、「人の移り気」や「景気動向」に収入が左右される点で「ギャンブル」的だ。それはまた「会社経営」にしたところで同断である。


結局そうした「リスク」を(比較的)回避出来るのは「賃労働者」という事になるが、その「雇用主」はと言えば、多かれ少なかれ、様々な意味で「Salto mortaleとんぼ返り=命がけの跳躍」的な、「ギャンブル」的な世界に足を突っ込まねばならない。「雇用主」の「ギャンブル」が「当たって」いればこそ、「賃労働者」はそこに自分自身を「商品」として「売り」、その「労働能力」という「商品」を消費して、「雇用主」が生産活動をした事によって得られた「利益」の一部を、「賃金」として受け取る事が可能になる。しかし一方で、「雇用主」の「ギャンブル」が「当たらなく」なれば、「賃労働者」は、自らが「所有」する「労働能力」を、「雇用主」に対して「商品」として「売る」事が困難になる。「労働能力」もまた、「ギャンブル」の掛金である事を免れないのは、昨今の雇用状況を見てみれば、即座に判明する事だ。

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アーティスト宮島達男氏が「アート」と「職業」についてツィートしていた。短い「全文」を引用する。

1.この国でアーティストがどう生きるべきかリアルに考える。はっきり言って、絵で飯は喰えない。皆分かっているのに、その幻想の旗を降ろさない。なぜか。
tatsuomiyajima
2010-10-30 17:39:00


2.幻想の原因は美大というよりも、美大の先生方がその幻想を信じているからでしょう。そして、その夢を若い連中に語る。まるで、それを捨ててしまったら、アーテイストではないと思い込んでいるからではないか。ここには、アーテイストという生き方の誤解があるように思う。@ tomy_to_me
tatsuomiyajima
2010-10-31 08:28:10


3. この幻想「プロのアーテイスト=絵で飯を喰う人」という図式は誤解ではないか。アートは職業になじまない。むしろ、アーテイストは生き方である。自分の生活は別途、自分で支え、自らの想いを納得のゆくまでカタチにし、他者へ伝えようとする人間。生き方。それは素晴らしい生き方だと思う。
tatsuomiyajima
2010-10-31 10:09:58


4. そうした生き方と思い定めれば、自由になれる。うまいへた。評価されたされない。売れた売れない。人と比べない。楽しいから描いていた頃。そして見てくれた人に喜んでもらえたことが幸せだったあの頃。人の評価でなく、自分が良いと本当に思えるものができたときの喜び。それが本当の自由。
tatsuomiyajima


http://togetter.com/li/64485

大部分の「食えない」農林業経営体や漁業経営体が選択する(せざるを得ない)、「兼業農家」や「兼業漁家」の如く、これもまた「食えない」アーティストが選択する「兼業アーティスト」の勧めにも読めるものの、そもそも「アーティスト」が「生き方」であると言うのであれば、それは「アーティスト」の接尾辞部分の「イスト」が、「職業」を表すそれではなく、「リアリスト」や「フェミニスト」等に於ける「イスト」に近いものであるという事なのだろう。


一方で「(現状)食えている」アーティストからすれば、この一連のツィートは、如何にも「甘っちょろく」感じられるかもしれない。しかし、「(現状)食えている」事それ自体が、「ギャンブル」的とも「浮薄」的とも言える「奇跡」の上に成立しているのは、他の「職業」と全く同じだ。「(現状)食えている」事を前庭に成される発言は、「商売」という綱渡りを行う者の下で、常に口を開けて待っている「食えない」状態に陥った時には、只々「空回り」するしかないだろう。それは「失敗した成功者」の「語録」の如きものになる。


「職業」は、それ自体が「ギャンブル」的だ。それは「一定」ならぬものであり、足を踏み外せないものであり、それでも足を踏み外してしまうものだ。「『アート』は『職業』ではない」という立場も、「『アート』は『職業』である」という立場も、その意味で、共に同根位相の裏表なのだと思えてならない。