理由

まだ、美大の大学院生だった頃の「Lゼミ」での話。


生活臭に乏しい町。この町の住人は、デパートの外商で物を買っているという噂があった。その町の一角にある流行らない喫茶店で、その日のゼミは行われていた。


「君たちが美術を志したのは、どういう理由からなのか」


当時、既に現代美術界の「有名人」だった美術家の「教授」が出した「お題」はこういうものだった。大学院生達は次々に答えた。


「私は、美術を通して人と人との『出会い』を仲介する様な、そんな作品を作りたくて…」
「僕は、ある物体が他の物体と『出会い』、そうする事で、新たな意味の創出を観客に見せる事が…」
「私は、絵の中の諸要素が、他の要素との関係性で、画面内が『出会い』のフィールドとなって提示される事を…」


学生の「回答」には、やたらに「出会い」という言葉が多い。「教授」は、満足そうにそれら一つ一つに「感想」を述べていた。美術を志すには、何を措いても「哲学的(ここでは「ハイデガー」的)」であらねばならない。ここでは、そうした「空気」が「場」を支配していた。一人一人は、その「場」に於いて、「関係項」的に規定された。

しかし余りに「場の空気」を読み過ぎな「出会い」の出現数の多さに少し辟易し、自分の発言順が回って来るまでに予め用意していた「回答」を破棄し、ここは現状打破と笑いの両方を取ろうと、生来の天邪鬼が疼き出した。


順番がやってきた。


「私、早生まれだったんですよ。小学校の低学年なんか、遅生まれと早生まれでは、体格なんて全然違うのに、体育ではハンディも貰えずに機械的に優劣決められるんですよね。それが成績にも反映されるし、体は小さいから、いじめられるしで、結局得意なのは絵しかなかったから、このクラスの中でサバイバルしていく為には、『絵の人』として、周囲から認知されていないとダメだと思って。だから『図工』の時間は必死でしたよ」


と半分「幅を持たせる」意味で「回答」した。


「そういう事から美術を始める人もいるでしょうね」


30数年後に個人美術館が建つ事になる「教授」はそうスルーした。


「美術」には「理由」が必要だ。その「理由」は、必ず作者によって予め「用意」されねばならず、且つそれは「作品」を「作品論」的に規定する。「美術」は、常にその「理由」こそを「問題」にする。作者によってプレゼンテーションされた「理由」の「根拠」が「薄弱」であり、そうであるが「故」に、単にそれが「現象」的であったり、「快楽」的であると思われるものは、「美術」の「資格」に乏しい。


「理由」が「成分」としてインクルードされてこそ「美術」は「美術」たり得る。それは「本当」だろうか。