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「展評:土木」

「彫刻」の「起源」はどこにあるのだろうか。「美術史」の教科書を紐解けば、先史時代の「ヴィレンドルフのヴィーナス」辺りの「プリミティブ」な「人形(ひとがた)」等を、代表的な事例とする記述に出会う事が多い。しかしそれが「彫刻」ではなく、広く「造形」であったらどうだろう。

身の回りの事物に手を加えて、意志的な形で「形のあるものをつくりだすこと(大辞泉)」という意味での「造形」。その「史料」の「最古」の物の一つに、例えば「礫器=chopper」がある。それは、所謂「打製石器」の最も原初的な形であるとされている。



この「礫器」から「ヴィレンドルフのヴィーナス」に至る、単線的な「造形」の進化系統樹を描けるかどうかは、それを全て目撃してきた訳ではない身には想像の域を出ないだろうし、「ヴィレンドルフのヴィーナス」から「ミケランジェロダヴィデ像」に至るまで、それを描く事が可能であるかどうかもまた同断だろう。「美術史」はそうした「造形」の進化系統樹の作成が可能であるとして、先史時代からの世界各地の「史料」を、自らが信じるパースペクティブの中に再配置する事で成立するのではあるが。

いずれにしても、「人類誕生」以来、広い意味での「造形」の例は、「石器」以外にも多く存在する。その一つが、「環境」を「生活」に適合させる技術としての「土木」だろう。「土木」の成立は、恐らく所謂「建築」よりも遥かに遡ると思われる。今日でも、部材をインテグレーションして構造物を作り上げる「建築」を可能にするのは、何よりもまず「整地」という「土木」であるし、田畑の開墾、道路の建設、灌漑工事等といった、所謂「インフラ」整備は、「建築」ではなく「土木」の対象である。

途方も無く膨大なエネルギーを用いて、地球上の全ての地をニュートラルな「平面」にしてしまえば、「土木」の出番もそうは多く無いだろう。しかし実際に人類に与えられた土地のコンディションは、それこそ「山あり谷あり」の千差万別である。そうであるからこそ、そこに「土木」の出番がある。

急峻な斜面を生活の場として選択した民は、例えば「棚田」や「千枚田」という「土木」に、生活の多くを負う事になるかもしれない。そこに至るまでの道(これもまた「土木」)が急坂であれば、そこを階段状にする「土木」を行うだろう。通行の妨げになる様な山塊があれば、「土木」はそこに穴を穿って「トンネル」を作り、「トンネル」を作るまでに至らない規模の土塊には「切り通し」が設けられる。




「サンドアート」ならぬ、子供の「砂遊び」もまた、その多くは基本的に「土木遊び」である。砂場や砂浜には大抵急峻な「山」が作られ、その山には「トンネル」が穿たれ、バケツの水を湛える「池」には「川」が注がれ、その「川」には「ダム」が作られたりもする。子供は、砂場にインストールした「砂遊び」という名の「小さな『土木』」の中に、「小さな人」の存在と、その「生活」を認めているだろう。そしてその「生活」を、自らも土木技術者となって、ミミクリ(模擬:ロジェ=カイヨワ)する。

都内某所の展覧会場にあったのもまた「小さな『土木』」である。但し、一部は、単に「小さな『建築』」に見えてしまうものもある。作者 Y の中で、「土木」的であるものと「建築」的であるものとの区分けが曖昧な部分もあるだろう。しかし、より魅力的に映ずるのは「小さな『土木』」の方である。そこには「小さな棚田」があり、「小さな階段」があり、「小さなトンネル」があり、「小さな切り通し」がある。明らかに、作者 Y はその「小さな『土木』」の中で、" civil engineer " をミミクリしている。そして「観客」は、そのミミクリを反復する。

同時期に都内某所では、他の建築家の「小さな『建築』」なコンセプトモデルが展示されていた。しかしそれは、「建築家」の展覧会として当たり前の事かもしれないが、「土木」の部分は微塵も感じられなかった。多くの「小さな『建築』」は、その「建築」が建てられる場所が、予め「整地」された土地である事が前提になっている。それはまた「画家」なる「表現者」にとって「真っ白なキャンバス」が、既定的な「表現の所与」となっているのに似ている。概ね「建築」が考える " civil " は「真っ白なキャンバス」から先にある一方で、「土木(civil engineering)」の考える " civil " は「真っ白なキャンバス」以前にある。従って「土木」は、「表現以前」的であるとも「非表現」的であるとも言えるだろう。

Y の「小さな『土木』」。それは「彫刻」や「立体作品」であるというよりも、ゲームのフィールドに近い。そしてそれは、やはり「小さな " civil engineering "」としか言い様のないものなのだ。