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はならぁと こあ「人の集い」

我が国は2008年をピ―クに人口減少局面に入った。合計特殊出生率は、ここ数年若干持ち直しているものの1.43と低水準であり、2050年には人口が1億人を割り込み、約9700万人になると推計されている。また、これに伴って、人口の地域的な偏在が加速する。我が国の約38万km2の国土を縦横1kmのメッシュで分割すると、現在、そのうちの約18万メッシュ(約18万km2)に人が居住していることになるが、2050年には、このうちの6割の地域で人口が半減以下になり、さらにその1/3(全体の約2割)では人が住まなくなると推計される。

 

国土交通省「国土のグランドデザイン2050」

http://www.mlit.go.jp/common/001047113.pdf

 

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沿線自治体の補助金がその運営を支えている「第三セクター」の非電化路線(軌道幅1067ミリ)に6年前に乗って以来、久々に単線(軌道幅1067ミリ)の鉄路に乗った。生まれて初めての近畿日本鉄道吉野線。二両から四両編成の路線で、一日で最も運転本数の多い朝夕の「通勤・通学時間帯」に、一時間辺り上下線各数本の列車が運行される(注1)。

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(注1)JST同時間帯の東京の山手線――事実上の複々線――は、2016年時点で乗車率250%オ―バ―で1分から2分間隔で11両編成の列車が運行される。

自分が生まれ育ったところは「東京都」だが、半世紀以上前に通っていた町立小学校――二年生になって市立小学校(至現在)になる――の前を走る私鉄の路線もまた、軌道幅1067ミリの単線だった。駅間で電車が停まり、対向列車を待つ。その状況は21世紀の現在も全く変わっていない。半世紀前には運転手と車掌の二人体制だったものが、寧ろ今では乗務する「ひと」を減らしたワンマン運転に変わっている。

「東京都」を走るこの路線を、将来複線化する意味も無いだろう。何故ならば、その沿線の「東京都」の一帯は、2014年に発表された国土交通省の「国土のグランドデザイン2050」的な表現を借りれば、2010年/2050年比較で「0%以上50%未満減少」地域の中にすっぽりと入り込んでいるからだ。果たして「ひと」が減るばかりの「東京都」を通る鉄路を、これから複線化する様な経営者はいるだろうか。寧ろやがてはこれを廃線にしてコミュニティ・バス路線への切り替えをこそ視野に入れるべき過疎化の「東京都」ではないか。

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この一帯の「東京都」は、元々が畑作の農家ばかりであったところに、昭和30年(1955年)前後に他所から集まって来た「入植」者達によって急速に膨らんで作り上げられた町だ。「入植」者達の幾人かは店を構えた。畑と畑の間に新たに何軒もの八百屋が出来、魚屋が出来、肉屋が出来た。

その「東京都」が現在の町の形になってから60年以上になる。20年程前から「入植」者の第一世代は鬼籍に入る年齢になった。「入植」第一世代で最も若年だった「星野六子」ですら――生きていれば――75歳だ。昭和の20代から30代に掛けての「入植者」の強健な足で徒歩数分――80代になった足では徒歩10分強――の圏内にあった数十の「家族」経営の店を継ぐ者は誰一人としていない。「入植」第二世代の多くは――店の二代目になると見込まれていた者も含め――この「東京都」を離れて行った。その結果、全ての八百屋が消え、全ての魚屋が消え、全ての肉屋が消え、その代わりに80代の足で片道20分強を要する築50年のス―パ―が残った。

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現在「入植」第二世代で、駐車場等の転用も儘ならない空き家、或いは植物にすっかり覆われてしまった空き地の増えたこの界隈に残っているのは、第一世代と同居する60歳前後の独身者ばかりになった。

彼等から第三世代は生まれない。極めて近い将来、同じ家に二世代の年金生活者だけが住むという図が普通になるだろう。「老人」ばかりになったこの「東京都」に、新たに入って来ようという「現役」世代がいないが故に、小中学校の下校時間になっても子供の声は一向に聞こえない。半世紀以上前に自分が通っていた幼稚園は、21世紀に入って「ベネッセの有料老人ホ―ム」になった。自分が卒業した市立小学校の現在の生徒数は、その当時の1/4になった。2050年を待たずにひたすら進行して行く「0%以上50%未満減少」の「東京都」。

小学校のクラス数が増え続け、サザエさんが放映開始(1969年)した頃の「家族」観を反映した「二世帯住宅」として建てられたヘ―ベルハウス(例)が、肝心のその「二世帯」目――フグ田家(例)――が住む事も無く、建てて30年で――その物理的な耐用年数の到来を前に――「老人」となった第一世代が持て余す広さになり、やがてそのヘ―ベルハウス(例)は「ひと」が「もの」の増殖――「ひと」がその増殖に加担する――に敗北する「ゴミ屋敷」(注2)にもなって行くという「東京都」である。

(注2)この「東京都」への「入植」第一世代が若かった頃の経済成長時に、それを持つ事が「憧れ」であった耐久消費財、所謂「三種の神器」の「冷蔵庫」や「自動車」も、「老人」となった彼等が現在「所有」するそれらの内部は、往々にして通電したままやナンバ―プレ―トが付いたまま/タイヤのエアが抜け切ったままの「ゴミ屋敷」と化す。

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国土交通省「国土のグランドデザイン2050」の予測によれば、2050年になっても東京都で人口増加しているのは――目立ったところでは江東区中央区の全域、港区の一部、八王子市南東部位のものである。その中の港区にある六本木は、縮小し続ける東京都にあって例外的に人口増加が見込まれている地域だが、果たして2050年の六本木にも「六本木クロッシング」や「六本木ア―トナイト」は残っているだろうか。しかし、21世紀初頭の日本人が呼び習わしているところの所謂「アート」は、2050年には最早六本木位にしか残っていないという可能性も考えられなくはない。

 現在、多くの地方都市は、人口減少や少子・高齢化、過疎化等の問題を抱えており、そしてこれらに起因する社会・人口構造の変化や郊外型大規模ショッピングセンタ―の台頭等により、中心市街地の空洞化が加速するなど地域の活力が減退している。
 国も中心市街地活性化のための助成など対策を講じて支援しているところであるが、地域の活力を再び取り戻すため、地域の特性や環境にマッチしたさまざまな方策により地域再生地域活性化をめざす積極的な取り組みが全国各地の都市で展開されている。
そうしたなか、現代ア―トが地域活性化のシ―ズとして着目されるようになった。ヨ―ロッパでは 1980 年代より産業構造の転換をきっかけに多くの都市で芸術文化の持つ創造性に注目し、芸術文化と各都市の既存資源を組み合わせた都市再生戦略が組まれるようになり、バルセロナやボロ―ニャのように芸術文化のまちとしての地位を確立した都市も多い。そして、わが国でも横浜市金沢市等が、芸術文化による都市再生を標榜する「クリエイティブシティ(創造都市)」としての構想をいち早く掲げ、都市戦略を策定・実践し、地域活性化に向けた積極的な取り組みを進めている。

 

日本政策投資銀行「現代ア―トと地域活性化」(PDF)
http://www.dbj.jp/pdf/investigate/area/kyusyu/pdf_all/kyusyu1009_01.pdf

 これは藤田直哉氏編著の「地域ア―ト」でも紹介されている日本政策投資銀行の2010年のレポ―ト「現代ア―トと地域活性化」の冒頭部である。その最初のセンテンスに書かれている様に、「地域の活力」が「減退」する主因は、「人口減少や少子・高齢化、過疎化」にある事に誤りは無い。そして非情の予測である「国土のグランドデザイン2050」が描く2050年には、その様な「人口減少や少子・高齢化、過疎化」は、21世紀初頭の様な「地方都市」に限った話ではなくなる。

仮に「現代ア―トが地域活性化のシ―ズ」として有効視されるのであれば、2050年には「首都圏」を含む日本のあらゆる場所が「地域活性化」の「種」を切実に望む事になるだろう。近い将来、その「種」は日本全国に遍く撒かれる事になるのかもしれない。しかし果たして「地域活性化」を求めて止まない地――(例)2050年の「東京都」――に住む者が、他の「地域活性化」を求めて止まない地――(例)2050年の「瀬戸内」――に出掛けて行って「互助」的に金を落とすものだろうか。いずれにせよ、その様な「活力」創出の「地域活性化」策では、「人口減少や少子・高齢化、過疎化」を止める根本的な手段には到底ならないだろう。「関係性の美学(例)」と「人口減少や少子・高齢化、過疎化」は凡そ別位相にあるからだ。

有りがちな人類滅亡のシナリオの様に、人類間の大規模な相互殺戮が起こらずとも、微生物を含めた未知の不明生物が前触れ無く出現せずとも、人間の能力を超えた電子計算機が人間に対して叛乱を起こさずとも、地球環境が人類の生息に適さないまでに激変せずとも、そうした創作物映えするトピックを一切経由せずに、「結婚」や「出産」を経験した者がそれらを良きものとして口にする事が最大級のハラスメントの一つになった日本列島では――人類全体の頭数が増える一方で――僅か30数年1世代で――あの「太平洋戦争」を含む「15年戦争」の戦没者とほぼ同数の――300万人の人間がだらだらと知らぬ間に減り、後に残るのは「老人」ばかりになって行くというのは、疑い無きものとされてきたものを疑う事を良しとする(注3)という、「先進国」的な「ひと」の「習慣」の必然的結果の一つでしかない。リアルな「ロスト・ヒュ―マン」とは、まさしく現在進行形の「習慣」の中にこそあるものなのである。

(注3)当然の事ながら「ア―ト」もその「習慣」の内にある。

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以下の「はならぁと」の「こあ」、「人の集い」に関する記述は、それが始まって間も無い10月初旬段階での話になる。「捩子ぴじん」氏のパフォーマンスも見ていない。複数の「人の集い」に関する報告例を見たところでは、「バ―ジョン・アップ」はその終了の日(10月31日)までに様々にされていた様だ。それらの報告例を見る限りに於いて、始まって間も無い時点で自分が体験したものと異なっているところもある。

但し「機会」というものは、誰に対しても「均しい」ものには決してならない。そして「機会」が、商取引に於ける公平性の如き「均しい」ものになど決してならないというところに、「人の集い」が指し示すものの一つはあるだろう。

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初めての近鉄吉野線の、壺阪山という初めての駅を降りる。ICカード対応自動改札機を自分を含めた3人が通る。読み取り部にチケットが溜まった PASMO をタッチする。

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同駅は「はならぁと 2016」の「こあ」=「人の集い」の「降車駅」であると「はならぁと」公式サイトには書かれている。

これから赴く場所は、「国土のグランドデザイン2050」では「50%以上100%未満減少」の地域とされている。1970年に9,413人だった当地の人口は、2016年には7,083人という事らしい。これから数十年で「東京都」ですら起きる事が、ここでは始まって既に久しい。「全国の年齢別人口分布」で目立つ「団塊ジュニア」のピ―クはここには無い。或る意味で、ここは「都市部」の「未来」を数十年先取りしている「最先端」の地なのである。

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Wikipedia「高取町」のスクリ―ンショット

さても「人の集い」の会場に向かうにはどうすれば良いのか。しかしこの日、駅構内にも駅周辺にもそれらしき案内は皆無だ。駅舎の中のパンフレット・ラックにも「はならぁと」のものは無かった。

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駅舎を出てすぐ左に「町家のかかし巡り」を案内する「かかし」がいた。ただしそれは農作物を荒らす「カラス」等の「害獣避け」を目的とした生活の中のものではなく、既に「かかし」という概念を拡張した等身大の「人形」だった。しかし恰もそこに「人間」がいると一瞬錯覚させる――一方は「害獣」に対して、一方は「ひと」に対して――という点のみで言えば、両者は恐らく同じものである。

いずれにしても高取の地元にあっては、「はならぁと」<<<<「町家のかかし巡り」という扱いなのだろうと判断し、仕方が無いので、スマ―トフォンを出して「はならぁと」の公式サイトを表示し、自らの進むべき方向を探ろうと思ったその時、案内「かかし」の右手奥、駐車場のフェンスに「町家のかかし巡り」の看板が括り付けられている事に気付いた。そして同時に、その看板の中央に「奈良・町家の芸術祭 はならぁと 同時開催!」の文字を発見する。

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察するところがあった。

急いで案内「かかし」まで戻る。そして「かかし」の前のテ―ブルに用意されていた「町家のかかし巡り」のマップ(B4サイズ/片面印刷)を一枚取る。手に取って「ああ、やはり」と思った。その「町家のかかし巡り」のマップは「はならぁと」のマップを兼ねていた。「町家のかかし巡り」のマップの中に、「牛の居る所」や「じいちゃん・ばあちゃんの館」等に混じって、フェンスの看板には記されていなかった「はならぁと作品展示」の位置が書かれている。

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「はならぁと」の「こあ」は、「町家のかかし巡り」の「同時開催」の位置にある。或いはその位置にある事を装っている。「敵」――「余所者」ーー認定で終わってしまう事を避ける為のその政治的戦略――全方位的に成功しているか否かは別にして――こそが「はならぁと」の「こあ」に於けるキュレ―ションの「こあ」の一つを形成している。壺阪山駅の改札を通った瞬間に、キュレ―ションとキュレ―ションが戦う場の中に既にいたのだ。

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内側と外側が反転した「驚異の部屋」と化した駅前食堂(双葉食堂)を抜けて国道169号を渡る。幾つかのシャッタ―の閉じられたままの建物を過ぎる。土佐街道の「入口」/「出口」――古地図には存在していないセンタ―ラインが引かれた道の「入口」/「出口」でもある――には、「土佐街道周辺景観住民協定 土佐街道まちなみ作法 七つの心得」なる立て札があった。「この協定は住民の自主的なル―ルであり、法的規制ではありません」と書かれている。その立て札が立つ交差点の周辺をぐるりと見渡してみて、テ―マパ―ク内のデザイン規制にまでは至らないその「協定」の拘束力を確認する。

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高取城跡に向かって上り坂になっている元城下町土佐街道の「入口」/「出口」にある「協定」の向かいの「牛の居る所」には、その日――印象として――平均70歳の一群で溢れていた。聞けば「町家の案山子めぐり」バスツア―の人達であるという。そこから土佐街道の道一杯に広がって、互いの顔を見合わせておしゃべりに興じつつ「散策」を始める時速2キロメ―トルで道一杯に進む一群を、2頭の30代と思しき牧羊犬(ツア―コンダクタ―)が率いていて、「は〜い、クルマが通りますよ〜。端に寄って下さ〜い」とバウワウ吠えている。

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2015年10月11日の朝日新聞記事によれば、今年で8回目となった「町家のかかし巡り」は2009年に始まっているらしい。

60歳以上の会員を中心につくる「天の川実行委員会」が、地域の活性化につなげようと活動している(略)実行委員会は、春には民家にひな人形を飾る「町家の雛(ひな)めぐり」を開催している。07年以降、土佐街道沿いには新たに6軒の飲食店などができ、活気が戻ってきた。代表の野村幸治さん(73)は「定年になった人の時間を有効活用して町を活気づけたい。町がにぎやかになれば、お年寄りも元気がもらえる」と話している。(朝日新聞 2015年10月11日)

60歳以上が作り、平均70歳が見に来る――10月1日から同月31日までの――「地域活性」。確かにこの日の土佐街道は「にぎやか」だった。高取にやって来たゲストの平均70歳の一群は――それぞれ自身の懐旧譚を口に――とても楽しそうに振る舞って――互いに楽しさを交換可能なものとしてプレゼンテ―ションし合って――いて、また当然の事ながらホストの60歳以上もとても楽しそうだ。不透明的な「未来」に向けての話ではなく、透明的なものと信じ込んでいる「過去」に向けての話ばかりが飛び交う、「お年寄り」で「にぎやか」な町の風景。しかしそれは既に、日本の何処でも見られる普通の光景だ。

「お年寄り」がここにバスを仕立ててまでやって来るのは、「幸福」で「愉快」で「無邪気」(公式ガイドブック:遠藤水城氏のテクストから)なものを、それとして再確認しに来るからだ。「幸福」や「愉快」や「無邪気」(それらを合わせたものとして、以後それを「心地の良さ」とする)とされるものは、他ならぬそれを求める者自身の「心地の良さ」観に基いて認識される。即ち「心地の良さ」は、「条件と限界」(遠藤水城氏)、即ち “requirement"(要件=環境)の内にある。「見たいものをしか見ない」というのが「心地の良さ」の正体だ。

「お年寄り」が「心地の良さ」を求めて物見遊山でこの地にやって来なければならないのは、彼等自身の「心地の良さ」それ自体が「条件と限界」= “requirement" の内にあるが故に、「心地の良さ」の「条件」の成立が困難なものになり、その「限界」が露呈してしまった21世紀の日本の彼等の日々の生活の中で、すっかり非日常になってしまっているからだ。

やがて「50%以上100%未満減少」という、或る意味で「心地の良さ」の対極状態になる事が事実上決定的なもの=宿命になってしまっているこの町――「町家」という「ひと」が住む(最低限「資産として所有する」でも良い)場所の保全には、人口流入を含むこの地の「ひと」の「世代交代」が極めて現実的な絶対条件となる――を、些かの厚みも持たない開店祝の花輪の如き――花輪の花はそこには根付かない。宴が終わればそれは捨てられる――「にぎやか」によって「活気づけたい」60歳以上の「お年寄り」の「心地の良さ」観は、この催しに集う平均70歳の「お年寄り」も多く共有する。

この「町家のかかし巡り」が、キュレ―ションされたものである事は言を俟たない。そこに集っている「かかし」は、60歳以上の高取町の「善男善女」による「オ―ディション」を「無事」に通過しているものばかりだ。この土佐街道、この高取町、或いは隣の「神武天皇陵」――「天皇制」の近代的「整備」と並行して行われた明治以降の「京都御苑」「伊勢神宮」「熱田神宮」「皇居」等の「整備」同様、大正年間に現在見られる様な「清浄」な空間/景観に「整備」される事で「聖蹟」となった(注4)――がある橿原市、或いはまた奈良県近畿地方や日本全国や世界全体の歴史を少しでも浚ってみれば、「心地の良さ」が条件である「町家のかかし巡り」に集う権利を持たされていない多くの「かかし」の存在を想像する事は十分に可能だ。

(注4)参考「吾等は、窮天極地、此山の尊厳を持續して、以て天壊無窮に、日東大帝國開創の記念としたいと思ふ。驚く可し。神地、聖蹟、この畝傍山は、甚しく、無上、極點の汚辱を受けて居る。知るや、知らずや、政府も、人民も、平氣な顔で澄まして居る。事覽はこうである。畝傍山の一角、しかも神武御陵に面した山脚に、御陵に面して、新平民の墓がある、それが古いのでは無い、今現に埋葬しつゝある、しかもそれが土葬で、新平民の醜骸はそのまま此神山に埋められ、靈土の中に、爛れ、腐れ、そして千萬世に白骨を残すのである。土臺、神山と、御陵との間に、新平民の一團を住まはせるのが、不都合此上なきに、之に許して、神山の一部を埋葬地となすは、事こゝに到りて言語道斷なり。聖蹟圖志には、此穢多村、戸数百二十と記す、五十餘年にして、今やほとんど倍數に達す。こんな速度で進行したら、今に靈山と、御陵の間は、穢多の家で充填され、そして醜骸は、をひ\/霊山の全部を浸蝕する。」後藤秀穂「皇陵史稿」(1913・大正2年)

「町家のかかし巡り」には、「お年寄り」の資産を虎視眈々と狙う「振り込め詐欺」の「かかし」はいない様だ。「デイケア」の介護士の「かかし」も探したものの見付からなかった。「アニヲタ」の「かかし」もここにはいない。もしかしたら「同性愛」者の「かかし」もいないかもしれない。19世紀の「開国」以降――現在までに――近隣の国から来た「外国人」の「かかし」はどうだろう。しかしそうした「現実」的な存在は、「心地の良さ」を何よりも尊ぶ「天の川実行委員会」のキュレ―ションによって「見えない」ものとされている。

会期中に41歳になった――2050年には75歳になる――キュレ―タ―がキュレ―ションした「人の集い」――その参加作家の全ても2050年には(存命であれば)「老人」である――は、この「心地の良さ」に基づいてキュレ―ションする「お年寄り」達と、敢えて同居する事を選択した。その結果、所謂「地域ア―ト」に期待されもする「地域活性化」の役目を、「地元」の「町家のかかし巡り」に全面的に委ねる事で、「地域アート」とされるものが、「地域」に於ける「にぎやか」を「創出」しなければならないという軛から逃れられてもいる。

豪壮だった山城が嘗て聳えていた方向に向かう、名目的には明治6年の高取城の廃城まで「城下町」だった土佐街道のだらだら坂を登って行く。「町家のかかし巡り」の「かかし」の数は、今回250体とも言われている。その一方で町中で出会う「生きている」地元住民はそれよりも遥かに少なく思える。

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「はならぁと」のフライヤ―、及び公式ガイドブックの表紙のイラストは、この地(注5)に生活の根を下ろしていない事が一目瞭然の、極めて幅の狭い年齢層(20代〜30代前半)のツ―リスト――前掲70代のツアー客ばかりの土佐街道の画像とのギャップを見よ――、及び「はならぁと」の関係者だけが「この世」の存在として描かれていて、そうした彼等を迎える筈の「この世」に現実的に生きている地元住民(60代〜70代が人口構成のピ―ク)の代わりに、恐らく死者であろう「この世」ならぬものが出迎えたりすれ違ったりしている。

(注5)イラストが使用している「町並み」は、「高取土佐町並み」(「こあ」)ではなく、橿原市(2050年に対2010年比で0%以上50%未満減少)の「今井町」(「ぷらす」)のもの。

「この世」の地元住民のボリュ―ムを遥かに凌駕する様にも見える、過去の「心地の良さ」をセレクトして再現した懐旧の対象としての「かかし」。「町家のかかし巡り」の「かかし」は、嘗てこの地に住んでいて、今は不在となった者達の極めて一面的な象りだ。その不在の象りを挟んで、60歳以上のホストと70歳のゲストが、それぞれの己が内に留まる既知の「心地の良さ」を相補的に確かめ合う。

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恐らく嘗ては飲食店であっただろうと想像される――建物の中にカウンタ―がインスト―ルされている――「遺跡」の前では、「かかし」が神輿を囲んで祭り支度だ。その「遺跡」と「かかし」の組み合わせを見て、その対極にあるだろうポンペイの「石膏像」を想起した。肉体が脱型されて空ろになった火山灰の型に、石膏を流し込んで「人像」として見せているあのポンペイ遺跡の「石膏像」である。

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ポンペイの遺跡の「石膏像」と、高取の店の遺跡の前の「かかし」の違い。それは「ひと」を巡る「環境」を多弁なまでに示すものと、それを敢えて欠落させたものとの違いだろう。「かかし」は「環境」を忘却する為にこそ存在する。仮に「町家のかかし巡り」に「我が子を守る母親」の「かかし」があったとしても、それはポンペイの「石膏像」のそれの様には決して見えない。その「かかし」は、「心地の良さ」に満ちた母子間の「愛情」の部分だけを生暖かくクロ―ズアップさせるに留まるだろう。「ひと」と「もの」との関係に永遠に立ち入る事が出来ない「人像」のイマ―ジュが、ここで「かかし」と呼ばれるものなのだ。

デュオニソスから超能力を授けられたミダス王の如く、「かかし」が触れるものの全ては「かかし」になってしまう。それは恐るべき “Kakashi touch" だ。「町家のかかし巡り」では、「人像」をした「かかし」に触れられた犬や牛もまた「かかし」化する。それどころか薬屋の薬箱も子供の自転車も井戸もベンチも座布団も麺棒も町並みですらもが、全て「かかし」になってしまう。私(「かかし」)が触れるものは、全て「心地の良いもの」になれ。こうして10月の土佐街道は、「環境」(「もの」の世界)と共にある「ひと」が後景化し、それに代わって全てが「かかし」的なものになったのである。

明治期に払い下げられた高取城藩主下屋敷の表門が移築された皮膚科医院をの前を通り過ぎて暫く行くと、最初の「はならぁと作品展示」(「島崎ろでぃ―」)がされている「下土佐公民館別館」が見えて来た。3年前の2013年のストリ―トビュ―を見ると、そこは街道に面した塀の殆どが取り払われる事で「関係性」/「交流」(注6)/「交渉」(以下「リレ―ショナル」)の空間となった「公民館」(コミュニティ・スペ―ス)ではなく、まだそれらを可能にする条件としての「ひと」の生活拠点である「民家」(プライベ―ト・スペ―ス)だった。「協定」からは遠い「町家」を否定した作りである。

(注6)「はならぁと」と同時期、岡山市では「岡山芸術交流 2016」が行われていた。同「交流」会場周辺の人口は、2050年には「0%以上50%未満減少」とされている。「駐車場」であったところに何か「異物」が落ちて来たとしても、2050年にはその「異質性」を「異質性」として認識する「ひと」自体がそこにいなくなっているかもしれない。

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果たしてこの先も、「主体」の量的ボリュ―ムが縮小する一方の――であればこその――この地には、「リレ―ショナル」の空間と、「リレ―ショナル」の技術ばかりが増え続け、そればかりが恒久的に残り続けて行くのだろうか。私が触れるものは全て「リレ―ショナル」を体現するものになれ。しかしあのミダス王は、金を価値付ける条件を失った金ばかりになってしまった世界を呪ったのである。

「はならぁと」のインフォメ―ション拠点でもあるそこで、「公式」の「町家のかかし巡り」のマップに「似せた」――しかしそれが「本物」では無い事が、直ちに判明する様には作られている――輪転B4サイズ(B4の「公式」より若干大きい)の「町家のかかし巡り」マップが置かれていた。キュレ―ションの存在を感じるそれを手に取ってみると、輪転B4サイズだと思われたものは、実際には輪転B3サイズを二つ折りしたものだった。折りを広げると、マップの下に Takuya Matsumi 氏の photo が現れた。そしてその裏側が、「日本シリ―ズ第1戦」の謎掛けを伴った「人の集い」のポスタ―になっている。

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そしてもう1枚のマップが、折り畳み机の上にあった。それは「はならぁと こあ 展覧会『人の集い』 会場案内図」とされるものである。これで「はならぁと」の「こあ」のマップは計3枚になる。

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その3枚目のマップには「動線」が記されていた。即ち「はならぁと」の「こあ」は「何処から見ても良い」ものではないという事を示している。空間的な布置関係として、①の次に見たくなるだろう⑤は、しかし②、③、④を経て最後に見なければならない事が、ここでは明確に示されている。このクロスした「動線」にキュレ―ションの存在がある。⑤のみが建物の中にまで矢印が入り込んでいるところにキュレ―ションの存在がある。同マップ裏面の「会場図」で、⑤のみに動線が示され、且つ「終点」の位置までが明記されているところにキュレ―ションの存在がある。

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そうしたキュレ―ションを敢えて無視して見て回る事も勿論可能だ。「終点」まで足を伸ばさなくても良いかもしれない。事実「町家のかかし巡り」目当てに訪れ、「同時開催」の「はならぁと」に接した70歳の全員がキュレ―ションを無視している。しかしそれは、この細長い街道上で編集されたものの編集が示す何かを読む機会を失ってしまう事になる。ペ―ジの順序を守る事にした。

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①会場。「町家のかかし巡り」も「町家の芸術祭」も、「下土佐公民館別館」の内縁から先に上がり込む事を禁じていた。畳敷きの部屋の中央には座布団に座った「町家のかかし巡り」の車座があった。その車座の「かかし」越しに「2015.06.22 新基地建設反対運動(沖縄・辺野古)」と題された「島崎ろでぃ―」撮影のコンクリ―トの上の車座の「写真」が見える。座っている/座っている。

「写真」を見ると、反射的に身構えてしまう自分がいる。ミダス王となった「かかし」同様、「写真」に触れられた者の多くは「写真」の脳になってしまい、前後左右や先後から切り離された「写真」をこそ唯一的な原点として物事を考える様にされてしまうからだ。それもまた裏返った「心地の良さ」になってしまう。だからこそ全ての「写真」は、「写真」の外にある「間」こそを見なければならない。

全てを「心地の良さ」に回収しようとする「かかし」と、「心地の良さ」への回収を拒む「写真」の「間」にあるものを見る。そこには「かかし」と「写真」が、それぞれの「良心」に基づいて捨てた、14ギガパ―セクに至るまでの全方向的な前後左右や、全てのものの始まりから終わりに至るまでの先後がある。「間」だけがその前後左右先後に通じている。

「町家のかかし巡り」と「町家の芸術祭」の「間」にあるものを見る為の「町家の芸術祭」という自己言及の形がこの「同時開催」にある。「町家の芸術祭」の入口にある、「かかし」と「写真」の極めて違和的な同居は、「町家の芸術祭」で見るべき「間」を見る為の、エレメンタリ―なトレ―ニングの場なのだろう。

「下土佐公民館別館」の前景の「かかし」に見入っていた70歳の2人が、後景の「写真」を訝しげに思ったのだろう。「はならぁと」インフォメ―ションに詰めている「受付嬢」に、それが何であるかを尋ねていた。「受付嬢」はそれを「美術」であると説明した。それを聞いた瞬間に、70歳の中で前景と後景が切り離され、「間」へ到る道が閉ざされてしまった事が見て取れた。更なるスキルが必要だと感じた。

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軒先で〈1ケ〉¥80のコロッケや、〈¥5ケ入り〉¥150のチキンナゲットや、〈ワンカップ〉200円のハリケ―ンポテトが売られている会場②だ。その日は若干汗ばむ気候であった為に、そこで¥100のサンガリア「一休茶屋 あなたのお茶 500ml」を買った。大学の学園祭の模擬店辺りでも売られている様な揚げ物三兄弟には手が出なかった。唐揚げやフライドポテトやポテトチップスを喜んで食べる様な年回りではない。串こんにゃくやしし汁やくず餅や柿の葉寿司といった、この「地」の「力」を幾許かでも感じられる――そこが「海」や「山」と繋がりもする「石垣克子」の軒先であるだけに――ものが欲しかったが、しかしそれは無い物ねだりというものだろう。

外観は「町家」ではある。しかしここはシャッタ―が備え付けられた「西川ガレ―ジ」だ。

沖縄生まれで沖縄在住の作家の②会場は、沖縄を写した東京都杉並区在住の写真家の①会場とは異なり、「かかし」の数がぐっと少なくなる。ベビ―カ―を押した上下デニム・ペアルックの若い蚤の夫婦の一家の「かかし」だけがそこにいる。「石垣克子」を眺めているという図だ。

何処かから運ばれて来て、そこに立たされた形でインスト―ルされている「かかし」。懸命に具象的な「個」であろうと欲する「かかし」。「へのへのもへじ」の顔や、「藁束」や「竹竿」の身体を捨てた「かかし」。されど「彫刻」であるが故に「不気味の谷」にまでには決して到れない「かかし」。「サンゴコルク人」の対極にある「かかし」。

その後ろ姿が、一瞬実在の「観客」に見えてしまうのならば、それは実在する「現代美術」の「観客」の多くもまた、何処かで「へのへのもへじ」や「藁束」/「竹竿」である事を捨てた「かかし」になってしまっているからだろう。実在する「観客」と同じ様に作品を見ている「かかし」なのではなく――事態は全く逆で――「かかし」と同じ様に作品を見ている実在の「観客」なのだ。何処かから運ばれて来て、そこに立たされた形でインスト―ルされている「現代美術」の「観客」。「美術」ばかりを「かかし」と同じポ―ズで「観察」する者。それは恐らく「石垣克子」に描かれた「黄色い人」から遥かに遠い存在とも言える。この「かかし」と一緒にセルフィ―写真を撮れば、「観客」は決して「黄色い人」の様には写らず、「かかし」と見分けの付かない「彫刻」になってしまうだろう。

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一点の「石垣克子」の上に蜘蛛が佇んでいた。恐らく先住者なのだろう。蜘蛛は蜘蛛の眼で「石垣克子」を見ている。その眼を通して世界と関わって来た蜘蛛だ。「人の集い」の会期が終われば「石垣克子」は沖縄に――手厚く梱包されて――帰る。そして蜘蛛はこの地に留まる。

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⑤を素通りする。丸ポストのあるT字路に差し掛かった。近世の街道と現代の二車線道路がぶつかる交差点だ。

T字路には「ギネス ワールドレコーズ 高取城」というトリッキーな看板――それが示す矢印の先には「高取城跡」は無い――と共にトリッキーな「かかし」達がいて、「かかし巡り」の人々を一瞬だけ混乱させもする。そこに一本の立て札があった。

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土佐町由来

 六世紀の始め(原文ママ)頃、大和朝廷の都造りの労役で、故里土佐国を離れこの地に召し出されたものの、任務を終え帰郷するときには朝廷の援助なく帰郷がかなわず、この地に住み着いたところから土佐と名付けられたと思われる。

 故郷を離れて生きて行く生活を余儀なくされた人達のたった一つの自由な意志は故里の名を今の場所につけることであった。(略)

 

望郷の想ひむなしく役夫らのせめて準う土佐てふその名

海の見える土佐の国から、海と全く無縁の――従って「柿の葉寿司」が当地の名産となっている――この山間の地に「税制」によって強制的に集められた人々の無念を偲ばせもする伝承だ。高取には「土佐」の他にも「薩摩」や「吉備」の地名もある。

この山間の地から遥かに遠い地の人々を徴発出来るまでには「権力」となっていた6世紀の「朝廷」が定め、「雇役」の民が築いた「都」や「古墳」。

草枕 旅の宿どりに 誰が夫か 国忘れたる 家持たまくに」(柿本人麻呂

往還が自弁という「理不尽」な「雇役」(注7)が終わり、それぞれの故里へ帰る道々には、志半ばで病死した者の死体が転がっていたのだろう。「文化」は「文化」であろうとする時、しばしば血塗られたものになる。「古墳」の多さを誇る事は、同時に「無念」の多さを誇る事でもある。「日本の歴史」は「都の歴史」や「古墳の歴史」の側にあるだけではない。

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(注7)「崇高」なるものへの「奉仕」である飛鳥・奈良時代「雇役」から更に給与支払いを省けば、同じく「崇高」なるものへの「奉仕」である2020年東京オリンピック・ボランティアの待遇になる。

しかし土佐の人々の生活を破綻させてまで造った「飛鳥」の「都」は、造られて程無くして他所に遷都される事になる。やがてここが嘗ての「都」であった事を示すものは跡形も無くなる。その「都」がどの様なものであったのかを、21世紀人の誰も想像する事は出来ない。

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街の駅「城跡」(KISEKI)が「町家のかかし巡り」のメイン会場になる。ジブリのキャラクタ―造形のガイドラインから絶妙に外れ――従って「町家のかかし巡り」のインフォメ―ションには “© Studio Ghibli" が入れられていない――、「心地の良さ」ばかりとなってしまった「トトロの世界」が、元「JA上土佐支店」の農機具倉庫の中に展開されている。

その元JAの隣が、毎年11月23日に行われる「たかとり城まつり」の「日本百名城写真展」会場になる元「高取町商工会館支所」(現:天の川実行委員会 事務所)の建物――「町家」からは程遠い――であり、そこが今回の「はならぁと『こあ』」の③会場になっている。

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ほぼ2015年11月23日の「日本百名城写真展」の儘にされていると思われる室内には、「高取町観光ガイド・エリアガイド」の Facebook にある【町家のかかし達 Making】動画で見られる、椅子に座って「日本百名城写真展」を見る「かかし」達はいなかった。①会場の13体/13人の「かかし」、②会場の3体/3人の「かかし」、そして③に至って遂に「かかし」は0体/0人となった。「かかし」に代わって出待ちのひいなちゃん(脱魂状態)がそこにいた。

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その代わりに、そこでは――死体や幽霊や神をも含めた――如何なる者でもあり得る「ひと」が柔道をしていたりした。

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一方これは、北米大陸オハイオ州)のフォ―ト・エンシェント文化(紀元900年〜1550年頃)の人が描いた「ひと」だ(レオ・ペトログリフ)。

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この最大で1000余年前の「ひと」が、「懐旧」を可能にする時間と「高取」という空間の中に押し込められた「かかし」の横にいたら、それは単に「1000余年前」の「北米大陸」の人が描いた「プレヒストリカル」な「プリミティブ」を表象するイメ―ジになってしまうかもしれない。しかし「本山ゆかり」の「画用紙(柔道)」の左右どちらかの「ひと」と、このフォ―ト・エンシェントの「ひと」が入れ替わったとしても、「AD2010」年代の人が描いた「ひと」と「AD900」年の人が描いた「ひと」は、容易に柔道が出来るのである。それは絵柄の共通性以上のものが、最大限の可能性/可塑性を持つ形象としてあるそれらの「ひと」と「ひと」との「間」にあるからだ。「ひと」が可能性としての「ひと」として集まる事。恐らくそれが「人の集い」というものなのであり、或いはその様にしか「ひと」は集えない。

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2015年11月23日のまま時間が停止している「日本百名城写真展」を見る。壁面の百名城には、近代日本国家の宝となって絶えずメンテナンスされ続けている城がある。近代日本市民の宝として再びこの世界に往時の姿をシミュレ―トして現れた城もある。その中に植物の時間の中にある天空の城、高取城があった。

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明治6年の廃城決定の瞬間から、難攻不落とも言われた城を、植物が極めて静かに攻め立てている。元城主植村氏によって撮影された廃城後10数年経過した高取城の写真には、既にその予兆が見えている。

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飛行石の存在が無くても、多かれ少なかれ高取城は植物によって覆われ、その物理的破壊力で石積みは崩壊して行くだろう。この世(此岸)とあの世(彼岸)の――少なくとも――2つの “n" の境界上にある高取城跡。

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「在りし日の高取城」という大判CG出力がラティスの上に展示されていた。

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高度500メ―トルのヘリコプタ―から、20万発/秒のレ―ザ―を照射する事で高取城の地形を計測。そのデ―タに基づいて赤色立体地図が作られた(PDF)。「ひと」の手を離れてから100数十年程度では、「ひと」によって平坦化された地形への浸食作用の影響はまだ少ない。

平成27年7月8日、奈良県橿原考古学研究所アジア航測株式会社は、上空からレ―ザ―光を照射し、樹木に覆われて見えない日本一の山城高城城の現在の姿を初めて視覚的に明らかにした。

「日本百名城写真展」キャプション

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植物(生物)は根こそぎ剥ぎ取られ、火星の如き惑星の表面――豊富な水の存在が生み出した地形ではある――が現れた。

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それを元に「たかとり観光ボランティアガイドの会」と奈良産業大学(現・奈良学園大学)の産学協同「高取城CG再現プロジェクト」が、古写真や縄張図等の資料と照らし合わせて「ペ―パ―クラフト」の如き空箱群を出現させた。

この一見したところでは正確なものに見える、しかし逞しい想像力でその大部分が構成されている、「確からしさ」のテクスチャを貼られた空箱で構成された「再現」イメ―ジからは、「ひと」の存在が除外されている。そこに「ひと」が常住していたからこそ、辛うじて植物の侵攻や侵食を食い止められていた城であるというのに。

高取城高取城である為の外せない条件である「ひと」を、無人の「在りし日の高取城」CGに加えるとする。それはどの様に表現されるのが良いだろうか。例えば「たかとり城まつり」のコスプレ時代行列にも通じる、意味と価値ですっかり重くなった――それは甲冑の重さではない――武者のイメ―ジをそこに配置すれば良いのだろうか。しかしあらゆる可能性を捨て、「確からしさ」という同一性へ常に向かおうとする不安障害は、――多かれ少なかれ――「捏造」に陥る不安に脅かされる「再現」を吐き出すに留まってしまう。

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平戸城」17世紀

逆説めいてはいるが、そうした不正確であり続けるしかない「確からしさ」――例えば2016年日本の「確か」なイメ―ジを誰が描く事が出来るだろうか――を可能な限り避けられるものは、同一性に至り付く事が凡そ不可能である様な可塑性の中にある表現法――棒人間の様な――こそが最適解の一つになるだろう。ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネ―ジは、その「描けてしまう」という――しばしばそれは悲劇的でもある――能力を放棄して、棒人間をこそ自らの想像上の古代ロ―マの中に描くべきだったのだ。

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④会場は「野口家」というらしい。①会場と同様の形式で「町家」を否定した作りの建物だ。

2013年のストリ―トビュ―との異同は、今から3年前には存在していた可憐な花壇――「野口家」の存在を伺わせる――が、2016年の「はならぁと」の日々にあってはすっかり取り払われてしまっている――代わりに「はならぁと」のタテカンがそこにある――ところと、僅か3年で劇的に変わってしまったカ―テンに対する趣味である。「動線」はここが「折り返し地点」になっている。

土佐街道にすっかり開け放たれて、「リレーショナル」の空間となった「野口家」には、4体/4人の「かかし」と、①に続いて再度登場の「島崎ろでぃ―」による「2015.08.30 安保関連法案反対行動(国会前)」が同居していた。

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脳内で戯れに「かかし」の「4体」を「4人」の姿にすっかり変身させて、「2015.08.30 安保関連法案反対行動(国会前)」の「写真」の中に放り込んで座らせてみた。彼等はその「写真」の中の何処かにいる筈なのだが、何処にいるのか判らなくなった。

それから今度は「2015.08.30 安保関連法案反対行動(国会前)」の「写真」の中の人達を「かかし」にして、「野口家」の土間に座らせてみた。瞳孔の開き切った――ボタンの眼――全員の顔を東北東の方向に向ける。置き薬屋の薬箱の代わりにラウドスピ―カ―、手には「アベ政治を許さない」。向こうの方では「鉄柵決壊」していて、道路交通法に言うところの歩道と車道の区別を無くしている。ネコバスではない大型車両「かかし」の車列の前には、機動隊員の「かかし」もいる。これだけの数の「かかし」がいれば、カラスは田圃の米を狙うのを永久に止めるだろうか。

「反対運動」を象った「かかし」で溢れ返った「野口家」の土間には、空気を震わせるラップもジャンベも聞こえない。静かだ。その静かさは、国会前の大群衆の中にも確実に存在していた「間」で感じた、底の無い「音」がする静かさに似ていた。

無数にある「間」を見る。耳を澄ませば「間」の「音」がする。

今日の少なからぬ「現代美術」は、「作品」自体が「物神」的「価値」を持つ――「作品」と呼ばれる有形物を売らなければならないという強迫はここから始まる――「極点」になってはならないという理念を多かれ少なかれ持つ。その理念に於いては、「作品」という異物の出現――世界の「間」をこじ開ける「作用」の出現――にこそ「価値」は生じる。即ちそれは、本来的には大道芸人――メディウムを売る人――の帽子に投げ込むコインの様な類いの「価値」である。果たしてここでコインを投げるべき対象は何になるのだろう。

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④から100メ―トルばかりを戻る/進む。2013年のストリ―トビュ―では「工房いろは」「地域の居間」となっている建物の前まで来ると、物見の存在を感じた。玄関に立つ「はならぁと」スタッフのものではない視線。ボタンの眼の「かかし」でもない――「かかし」にはそうした力は無い。見上げると2階の格子窓に視線の送り手がいた。

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この日最初で最後の鰻の寝床(総二階)に入る。

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格子戸を潜ってすぐ左の部屋に動く「もの」があった。その隣の部屋に続く襖が開け放たれ、その隣の部屋にも動く「もの」があった。

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「ひと」が座った高さの「もの」。「首」を振りながら、「背」の側にある空気を「腹」の側に吐き出す「もの」。空気の流れを作り出している――「呼吸」している――が故に、これまでに見て来た累々たる「かかし」の様には死んでいない「もの」。「気」(空気)を発してそこにいる「もの」。この地が「50%以上100%未満減少」に到達する2050年の5年前の2045年には、人間の知能を超えているかもしれない「もの」。それ故に、2045年には「ひと」にとって「意識」を持った「隣人」になるかもしれない「もの」。

空気の流れの「間」にあるその「もの」は、何かを見ている様にも見える。最初の部屋の「もの」は、訪問者の方を向いてはいるが、その「眼」は訪問者の頭の上の辺りを「見て」いる様だ。「首」を振るその「視界」には引き戸も入っているかもしれない。次の部屋の「もの」は、その最初の部屋にいる「もの」に「目配せ」しつつ、襖絵も「鑑賞」している様だ。その隣の部屋にも「もの」がいるが、それはホワイトボ―ド上の「集い〈スケッチ〉」と題された絵を「見て」いる。

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一瞬この「集い〈スケッチ〉」は誰が描いたものだろうかと思った。2045年の「勝利」を待ち切れなかった「もの」達が集い――「『もの』の集い」――、これまでにその「眼」で見て来たものを、気儘に寄せ描きしたのではないかという妄想がよぎった。或いは「もの」達に成り代わった「雨宮庸介」が描いたのだろうか。いずれにしても、この絵には描かれていないものがある。それは「ひと」と呼ばれるものだ。ここには「『ひと』ではない諸々」しか描かれていない。或いは画面右側に描かれた「かかし」が、「もの」にとっては「ひと」なのだろうか。

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中庭の木々や石灯籠を「気」を発して「見て」いる「もの」がある。こんなにも自分の周囲の広がりへ、積極的に自分を解き解して関わろうとする「人の集い」を見に来た「観客」は恐らくいない。繰り返しになるが、「観客」とは「観察」するばかりの者の事を言う。「観察」――見たものを自己同一的と思い做された己が意識に仕舞い込んでしまう事――の眼であるから、それはボタンの眼で十分だと言える。②会場の「石垣克子」を「観察」するデニム上下の「観客」が典型的な例だ。

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「美術」と呼ばれるものの多くもまた、「ひと」を「観客」という「かかし」にしてしまう。ならば「ひと」が「かかし」にならない様にするにはどうすれば良いのか。

「座れ」と言っている緋毛氈に座ると、目の前には見事な「花」が咲いていた。

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座敷に座った「もの」が、リボン様のものが描かれた「木炭デッサンによる322枚からなる作品『併走論』」を「見て」いる。その「視線」の先には、もう一人別の「もの」がいる。「集い(スケッチ)」にも描かれていた「もの」だ。

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この「もの」だけが、ガードにリボンを結び付けて、「木炭デッサンによる322枚からなる作品『併走論』」のリボンと呼応しようと働き掛けている。或いは、この「もの」が「もの」達の「気」を描いたものが「木炭デッサンによる322枚からなる作品『併走論』」なのだろうか。いずれにしても、「観客」であろうとすればする程、ここでは「ひと」は疎外感に苛まれる事になる。「観客」はリボンを「観察」対象としてしか見ない。リボンの様に生きる事には躊躇するばかりの存在であるからだ。

奥へと進む。「集い(スケッチ)」に描かれていたものがそこかしこにある。

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階段を登る。

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「もの」がいた。

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「もの」は畳の上の何かを「見て」いる。

蔓。

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蔓が来た方向を見る。

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窓の隙間から蔓は部屋の中に入り込んでいる。植物に覆われた高取城が頭をよぎる。

蔓が向かっている方向を見る。

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襖。数千年前――紀元前2000〜1000年のエジプトとも言われる――の「ひと」がそれを考案し、奈良時代に日本に渡来した文様の様式である唐草文様。「ひと」の生活の中に、植物の持つ旺盛な生命力を生活の中に取り込みたいという、数千年来の「ひと」の望みが形になったもの。伸び行く蔓とそれを「見て」いる「もの」を「間」に挟んで、窓外の植物と唐草文様の襖の植物が向かい合う。

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今、この34年後の「50%以上100%未満減少」の地の町家の二階で、唐草文様という――時に相互に敵対視しもする世界の複数の信仰が、共にデザイン技法として使用するところの――「ひと」の望みは、この様な形で植物からアプローチされる事でその結実の在り方の一つを得た。

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後は「ひと」がその植物からのアプローチにどう応えるかだ。間もなく現実化する「50%以上100%未満減少」の時代、或いはまた「技術的特異点」の時代、即ち「ひと」が世界の「最前列」から退く――「神は死んだ」の完全なる完成――時代に於いて、「『ひと』ではない諸々」との共存は如何にして可能になるのだろうか。

「ひと」が世界の「最前列」から退いたその時には、「関係性」と呼ばれるものは、「ひと」と「ひと」の「間」に無媒介的に存在するものではなくなる。「ひと」と「ひと」の「間」には、必ず「『ひと』ではない諸々」が存在する。その時「人の集い」は、「ひと」/「ひと」ではなく、「ひと」/「『ひと』ではない諸々」/「ひと」の形で実現する。そこでは「『ひと』ではない諸々」と「『ひと』ではない諸々」の「間」にあるものだけが、辛うじて「ひと」と呼ばれるのである。

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諸星大二郎「生物都市」

階段を降りる。

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「併走論」の前にある卓の下の唐草の上を通り、かそけき楓と桜に心和み、稲の実りへの尊びの仕草に一礼し、再び見事な花を目出、ガラスの上の唐草の横を通り、「ひと」が意志的に植物を招き入れた空間である裏庭に出る。

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ここが「人の集い」の「終点」。そこから来し方を振り返ると、「公式ガイドブック」の裏表紙の風景があった。

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「もの」達が首を振って、「『ひと』ではない諸々」と「ひと」に「気」を送っていた家の屋根の上には、鯱の代わりに蔓があった。

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「ひと」が誰もいなくなり、取り壊される直前の高取城を想像した。

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我々の周りから「ひと」はいなくなる。それは現在進行形で現実化している。その一方で、この惑星のレベルでは「人口」が爆発的に増える。しかし極めて実際的に言えば、「アート」というのは、これから先「ひと」がいなくなる文化圏――恐らくこの惑星全体の数%以下――に特有の思考の産物なのだ。即ち「アート」という信憑は、極めて「条件」的でしかないものであり、従ってその「条件」が満たされるべき「限界」の中にある。

他方、増え続ける「人口」の方はと言えば、彼等は「アート」という思考の形式=「条件と限界」を全く必要としない。彼等は「アート」から遥かに「遅れて」いるかもしれない一方で、「アート」よりも遥かに「進んで」いるかもしれない人々だ。

「条件」を満たした「ひと」の「専制」の持続こそを前提にしていたこれまでの「アート」という思考の形式は、それを信憑していた文化圏の人々が、他ならぬ「ひと」を減らす事――少子化――を現実的なものとして「選択」した時から、世界からの「退場」を余儀なくされていた。「ひと」がいなくなったところに、「ひと」の「専制」を依然として信憑する様な「アート」(創造)だけが残り続けるのは、極めて悪い冗談でしかない。

「ひと」の同一性を前提とする「作者」なるものは、「解体」する対象――その「解体」のプロセスが「物語」になり、その「物語」が「作者」なる存在を何処かで依然として信憑する人々の間で「消費」の対象となってしまう様な――ではなく、単純に一切の「物語」を生まない、事実的に「解消」されるしかないものなのだ。

だからこそ「アート」の「解体」ならぬ「解消」という身も蓋も無い「現実」からスタートして、改めて「アート」の人々は――これまでの「ひと」に対する一切の信憑を拭い去った、新たな共存的世界の条件下に於いての「ひと」である事を含めて――「アート」という思考の形式を、全くのゼロベースで構築し直さなければならない必要性に直面する事を避けられない。当然「ひと」の「専制」を前提とした、これまでに書かれた「アート」に関する思考の所産を寄る辺とする事は出来ない。現在起きている事態は、「ひと」と「『ひと』ではない諸々」との「間」の「関係性」の全面的なリセットによる、「ひと」という存在自体の全き刷新なのだ。

現在「アート」と呼ばれるものそれ自体が、「ひと」に対する反動的なまでの思い込みに「条件」付けられている事に関して無頓着な人々が、多かれ少なかれ例外無く「自分の経歴の充実化」という「自己同一性の堅固化」に日々勤しんでいる「間」にも、「アート」の「条件」である「ひと」は、「アート」を置き去りにして、日々「解き解れた」ものへとシフトして行くのである。

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帰りは土佐街道を通らないルートにした。土佐街道を遡行して帰れば、①で「かかし」と一緒に記念撮影が出来たらしいのだが、しかしチェキに写るのはボタンの眼をした「かかし」の顔でしかない事が容易に想像出来た。「公式ガイドブック」に掲載された「こあ」のキュレーターですら「かかし」の顔になってしまっている。何をどうしようとも「黄色い人」の様にも、「棒人間」の様にも、「首」を振る「もの」の様にも写る事が出来ないチェキの中の無様な自分を見る事で、油断をすればボタンの眼になってしまう――「美術」の「観客」になってしまう――自分を自覚し、それを以て日々の反省の糧とするのも悪くは無いものの、しかしこれ以上「かかし」に付き合う事も無いだろうと思ってのルート選択だ。こうして、石材屋のショールームを思わせる土佐恵比寿神社の前を通るルートを外れて、壺阪山駅に向かう事になった。

21世紀の産業道路である国道169号を通る。そこで何かの遺構を発見した。「飛鳥」時代のものではない事は確かだが、何を目的に作られたものかは判らない。

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この「ひと」の作ったものを植物が覆っている。この植物の中に、「ひと」にとって「くすり」になる草はあるだろうか。「『ひと』ではない諸々」の中に「ひと」にとっての「くすり」を発見する事。「ひと」が「くすり」を通じて「『ひと』ではない諸々」の持つ能力に自らの生死や判断を委ねる事。嘗て「ひと」はその様にして生きて行く存在だった。

その後、「ひと」の「脳」は「『ひと』ではない諸々」を遮断し、自らを個別的なものとして思い込む様になる。世界から疎外されたその様な「脳」が「創造」という概念を生み、それを元にして「アート」が生まれた。しかし恐らく「ひと」は、早晩孤独な「脳」を持つ以前のものに再び還って行く事になるのだろう。

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再び「くすりの町」のゲートを潜り、単線の鉄路で高取町を後にした。