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おとなもこどもも考える ここはだれの場所?

狭義の「現代美術」の専門館として1995年にスタート(鈴木俊一都知事時代)した東京都現代美術館が、就学児の「夏休み」期間(7月〜9月)に「子供向け」(或いは「子供と大人向け」)の企画を初めて打ち出したのは、石原慎太郎都知事時代の2003年6月14日〜9月7日に掛けて開催された「ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造形物展」と言えるだろう。これは当時の同館館長が、日本テレビ会長の氏家齊一郎氏(3代目東京都現代美術館館長:2002/5/8〜2011/3/28在任)であった事から実現したと考えるに若くは無い。


初代の同館館長は、狭義の「美術」畑の嘉門安雄氏であったが、その6年後(石原慎太郎都知事時代)に石原慎太郎都知事の直接のオファーを受ける形で、「経営」畑のアサヒビール名誉会長の樋口広太郎氏が2代目館長になる。その翌年(石原慎太郎都知事時代)の同氏の病気療養による退任に伴い、やはり「経営」畑の氏家氏が「旧知」の石原慎太郎都知事の要請を受ける形で館長に就任する。同館館長の就任会見で、氏家氏は「知恵があるわけじゃないが、経営のことは少し分かる。都の財政負担を少なくし、品よくやっていきたい」と答えた。


当時の東京都現代美術館の最大の問題点の一つとされていたのが、年間入場者数20万人台に「低迷」する同館の「経営」再建であった。氏家氏のコメントはそれに応えたものである。果たして氏家齊一郎館長就任後の最初の通期年度に開催された「ジブリがいっぱい スタジオジブリ立体造型物展」(2003年)の入場者数は22万2174人だった。それは東京都現代美術館のそれまでの1年分の入場者数を、たった一つの「アニメ」の企画展が達成してしまう現実を見せ付けたのである。


それからは、嘗ての「東映アニメフェア(旧「東映まんがまつり」)」の如く、夏季休暇期に子供やその親という「購買」のマスボリュームを美術館に呼び寄せ易い、スタジオジブリによる企画(主に氏家齊一郎館長時代)が恒例化する。「日本漫画映画の全貌」(2004年)、「ハウルの動く城・大サーカス展」(2005年)、「ディズニー・アート展」(2006年)、「ジブリの絵職人 男鹿和雄展」(2007年)、「高畑・宮崎アニメの秘密がわかる。スタジオジブリ・レイアウト展」(2008年)、「メアリー・ブレア展」(2009年)、「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」(2010年)、「フレデリック・バック展」(2011年)、「館長 庵野秀明 特撮映画館 ミニチュアで見る昭和平成の技」(2012年)。それらの多くが入場者数的に同館に貢献した役割は大きい。但しフェアに言うならば、それらは必ずしも「子供向け」では無い、広義の「現代美術」に於ける資料的価値の高い企画ではあった。


「現代美術」専門館としての同館の自らの存在を問う現れと見て良いのか、ジブリ企画の最大の入場者数を誇る「借りぐらしのアリエッティ×種田陽平展」(29万5698人。2位は2012年の「館長 庵野秀明 特撮美術館 ミニチュアで見る昭和平成の技」の29万1575人)とほぼ同時期に、狭義の「現代美術」と「子供」が交差するトポスを模索する展覧会が同館で開催される。「こどものにわ」展(2010年7月24日〜10月3日)がそれであり、同展の8万3296人という入場者数は、この2010年度に於いて2番目の数字(同年度の同じ狭義の「現代美術」の展覧会である「MOTアニュアル2011 Nearest Faraway|世界の深さのはかり方」の1万6989人の約5倍)であった。現在の東京都現代美術館は、子供の夏季休暇期にその年度の入場者数の大半を「稼ぐ」体制にある。そうした数の視点に立つ限りに於いて、それは嘗ての石原=氏家体制の――結果的にではあっても――判り易い「正しさ」を表してはいるだろう。


その後、狭義の「現代美術」系の子供の夏季休暇企画は、ジブリ企画の様に決まった形で毎年開催とは行かなかったものの、それでも「オバケとパンツとお星さま」(2013)、「ワンダフル ワールド こどものワクワク、いっしょにたのしもう みる・はなす、そして発見!の美術展」(2014)と、今年の「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」を含めてここ3年は毎年開催の形にはなっていて、それらの入場者数はその年度の「MOTアニュアル」を常に大きく上回ってはいるのである。

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東京都現代美術館で開催されている「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」に行った。大人一人だけで行った。この「夏休みのこどもたちのための展覧会/An Art Exhibition for Children(同展「展覧会概要」)」に、未就学児の自分の子供と一緒に行く事は叶わなかった。但し子供と行ける条件が満たされたとして、果たしてこの展覧会に子供を連れて行くかと問われれば、それは限りなく無いのではないかとしか答えられない。何故ならば2015年の夏に、未就学児が自らの世界との関係構築の為に接しなければならないものが、美術館の外に数限りなく存在するからだ。それは単純に、子供という(取り敢えず)限定された時間的リソースを巡る優先順位の話なのである。


敢えて言えば、「子供を美術館で美術にふれさせる」は「子供を英会話スクールで英語にふれさせる」と同じレベルにある様な気がする。「美術館で美術」と「英会話スクールで英語」。「英語を身につける」というレベルで言えば、「英会話スクールで英語」という選択は決して悪いものではない。但し「英語でものを考える」までを射程に入れれば、英語で喋る雑多な人間が集まる環境の中に子供を放り込んでおくのに若くはない。勿論そうした環境に多くは「恵まれていない」日本だからこそ、「英語を身につける」為の乳幼児からビジネスマンまでの「英会話スクール」ビジネスというものが十分に成立するのである。


point1 絵本の読み聞かせを中心にレッスンを構成しています。先生とのQ&Aを繰り返しながら、絵本の世界に親しみます。


point2 英語圏の遊びや、欧米で長年親しまれている歌や踊りなどを取り入れています。様々なアクティビティを通して、異文化にふれます。


point3 アルファベットについて学びます。パズルを使って立体的に捉えることで、文字を形として認識します。


ECC KIDS
http://www.kids.ecc.jp/course/infant_thr.html



「様々なアクティビティを通して、異文化にふれ」る事で「英語を身につける」様に、「様々なアクティビティを通して、異文化にふれ」る事で「美術を身につける」。「身につく英語」と「身につく美術」。しかし「身につく英語」と「英語でものを考える」の間に大いなるレベル差がある様に、「身につく美術」と「美術でものを考える」の間にも大いなるレベル差が存在する。勿論そうした「美術」の「ネイティブスピーカー」(「美術」を生業にしているからと言って、必ずしもそれがそのまま「美術でものを考える」という事にはならない)ばかりが集まる「美術でものを考える」環境にも多くの者は「恵まれていない」からこそ、「身につく美術」の為の「美術館」という「スクール」が成立する。


(...) en tout cas d'une manière définitive et impérative à partir de la fin du XVIIe siècle, un changement considérable est intervenu dans l'état de mœurs que je viens d'analyser. On peut le saisir à partir de deux approches distinctes. L'école s'est substituée à l'apprentissage comme moyen d'éducation. ela veut dire que l'enfant a cessé d'être mélangé aux adultes et d'apprendre la vie directement à leur contact. Malgré beaucoup de réticences et de retards, il a été séparé des adultes, et maintenu à l'écart dans une manière de quarantaine, avant d'être lâché dans le monde. Cette quarantaine, c'est l'école, le collège. Commence alors un long processus d'enfermement des enfants (comme des fous, des pauvres et des prostituées) qui ne cessera plus de s'étendre jusqu'à nos jours et qu'on appelle la scolarisation.
Cette mise à part — et à la raison — des enfants doit être interprétée comme l'une des faces de la grande moralisation des hommes par les réformateurs catholiques ou protestants, d'Église, de robe ou d'État. Mais elle n'aurait pas été possible dans les faits sans la complicité sentimentale des familles, et c'est la seconde approche du phénomène que je voudrais souligner. La famille est devenue un lieu d'affection nécessaire entre les époux et entre parents et enfants, ce qu'elle n'était pas auparavant. Cette affection s'exprime surtout par la chance désormais reconnue à l'éducation.


(略)いずれにせよ十七世紀末葉以来から最終的かつ決定的な仕方でそうなるのであるが、私が分析した習俗の状態において、かなり重大な変化が生じた。二つの異なったアプローチからその変化をとらえることができよう。教育の手段として、学校が徒弟制度にとって代った。つまり、子供は大人たちのなかにまざり、大人と接触するうちで直接人生について学ぶことをやめたのである。多くの看過や遅滞にもかかわらず、子供は大人たちから分離されていき、世間に放り出されるに先立って一種の隔離状態のもとにひきはなされた。この隔離状態とは学校であり、学院である。こうして開始された子供たちを閉じ込める長期にわたり存続していく過程(ちょうど、狂人、貧民、売春婦たちの「閉じこめの過程」のような)は、今日まで停止することなく拡大をつづけ、人はそれを「学校化」とよんでいる。
 このように子供たちを隔離することは、カトリックプロテスタントの改革者たち、教会、法曹界、為政者のうちの改革者たちにより推進されていった大がかりな人間の道徳化のひとつの側面として説明されねばならない。けれどもこの隔離は、家庭内での意識の変化をともなっていないなら、現実のうちで可能であったはずはないであろう。この意識・感情の変化が、私が強調したく思っている現象への第二のアプローチなのである。家庭は夫婦のあいだ、親子のあいだに必要な感情の場となったのであるが、以前には家庭はそのようではなかった。この感情はそれ以後に教育において認められ、そこで表現されるのである。(杉山 光信・杉山 恵美子訳)


Philippe Ariès “L’enfant et la vie familiale sous l’Ancien Régime" : “Préface"
フィリップ・アリエス〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活」:「序文」


「閉じこめの過程(processus d'enfermement)」とは、1656年4月27日にルイ14世勅令により、「一般施療院(Hôpital Général)」として総合化される事になる「慈善」の精神による「救済」施設を言う。「狂人、貧民、売春婦たち」は、未だ魂が救われていない “sauver leurs âmes(自分の魂を救う)" べき、道徳的な価値付与の対象と見做される事で、社会にとって無関心/無関係の対象から外される。その結果、「自分の魂を救う」べき存在とされたそれら「狂人、貧民、売春婦たち」が、共同体外への「追放」ではなく、共同体内に於ける「監禁」(Grand Enfermement:大いなる閉じ込め)の対象として「一般施療院」行きとなる事で、「王権(pouvoir royal)」とその「臣民(sujets)」の国からそれらの人間が目の前から一掃されつつ、社会の中に隔離――下位的なものとしてインクルード――される形になる。即ちここでの「社会的救済」は「社会的抑圧」を意味するのである。


ビセートル病院/ビセートル救済院(L'hôpital de Bicêtre)


本展と同時期に東京国立近代美術館で行われている「No Museum, No Life?―これからの美術館事典 国立美術館コレクションによる展覧会」は「事典」をシミュレートした展覧会だが、その中で美術館に於ける「Education 教育」の項目はこの様に説明されている。


美術館と呼ばれる制度は、西洋近代の「啓蒙」の思想とともに誕生した。それは近代的な学校制度が整備され、「規律=訓練」としての教育(ミシェル・フーコー)をつうじた人間の主体形成が目指されるようになった時期とも重なっていた。そんな近代以後の美術館において「教育」は、その活動/機能の中核のひとつである。(以下略)



市民の価値観を変える事で「自発的」な形を伴ってその行動様式を変えさせる、即ち被抑圧者をして抑圧者の目的に「自発的服従(subjectivation/assujettissement)」させる「知/権力(savoir/pouvoir)」の諸形式(その最も古典的なものの一つが “panopticon(パノプティコン)" である)を分析したミシェル・フーコーの “Naissance de la prison, Surveiller et punir(監獄の誕生―監視と処罰)" の “discipline(規律=訓練)" という在り方を、公立美術館自身が自らの「教育(=「閉じこめの過程」)」機関としての説明に援用するという事態は、美術館自らがその様な「知/権力」の側に位置しているという、紛れも無い現実に対する誠実な告白と言えるだろう。


従って「美術館」に於ける「子供向け」の展覧会は、多重に「権力」的なものになる可能性を常に孕む。「美術館」そのものが紛れも無く「権力」であり、その中に於ける「子供向け」の展覧会は、往々にして「〈子供〉の誕生」以降に於ける、規律=訓練の装置としての「学校」という「権力」の在り方をトレースしてしまう。そして「美術」とその展示装置である「美術館」に対し、子供の関心が「自発的」に向く様に様々な工夫がされる。更には、しばしばそこには「子供向け(子供に親しみ易い)」という「権力」のかたちが覆い被さる事になるだろう。


La famille et l'école ont ensemble retiré l'enfant de la société des adultes. L'école a enfermé une enfance autrefois libre dans un régime disciplinaire de plus en plus strict, qui aboutit aux XVIIIe et XIXe siècles à la claustration totale de l'internat. La sollicitude de la famille, de l'Église, des moralistes et des administrateurs a privé l'enfant de la liberté dont il jouissait parmi les adultes. [...] Celui-ci a apparu au XVIIIe siècle au moment où la famille achevait de se réorganiser autour de l'enfant, et dressait entre elle et la société le mur de la vie privée.


家庭と学校とは一緒になって、大人たちの世界から子供を引きあげさせた。かつては自由放縦であった学校は、子供たちをしだいに厳格になっていく規律の体制のうちに閉じこめ、この傾向は十八世紀・十九世紀には寄宿生として完全に幽閉してしまうに至る。家族、教会、モラリスト、それに行政者たちの要請は、かつては大人たちのあいだで子供が享受していた自由を、子供から奪ってしまった。(略)この現象は、家族が子供を中心に再編成され、家族と社会とのあいだに私生活の壁が形成されるのが完了したまさにその時期に、出現したのである。


同書「結論(Conclusion)」


おとなもこどもも考える ここはだれの場所?


美術館へようこそ。このまっしろな空間は、わたしたちの想像の助けがあれば、どんな場所にだってなることができます。南の島の海岸。家族の居間。こどもたちの王国。わたしたちの住むまち――。今年の夏休みのこどもたちのための展覧会は、4組の作家たちが、美術館の展示室のなかに、「ここではない」場所への入口を作ります。それらは、言うなれば「社会」と「わたし」の交差点。そこに立って「ここはだれの場所?」と問いかけてみてください。答えを探すうちに、たとえば地球環境や教育、自由についてなど、わたしたちがこれからを生きるために考えるべき問題が、おのずと浮かび上がってくるはずです。
学校に行かなくていい日。美術館で、こどもたちと一緒に、私たちの場所をもう一度探してみませんか?


「おとなもこどもも考える ここはだれの場所?」展覧会概要
http://www.mot-art-museum.jp/exhibition/whoseplaceisithis.html


「学校に行かなくていい日」に、「美術館」という「学校」の中にある「展覧会」という「学校」に行こうという内容にも読める文章だ。そもそも「学校」の「夏休み」というのは、「主体(sujet)」になる為の公的な 規律=訓練から束の間開放される時間だった。我々の大人の社会は、「夏休み」の期間中に子供が「学校」の外で(相対的に)自由に行動する権利を許す。「夏休み」期間(子供に許された他の休日含む)以外の日中に子供が市中の「大人の場所」に混じっていれば、場合によっては警察(所謂「公権力」)や地域社会の「保護」対象ともなる。それは「学校」からの「脱走」と見做され、発見された子供は「学校」に送り返される。子供に許された休日(学校に行かなくていい日)以外の日中に於いては、大人と子供は別々の世界に分離されなくてはならない。そして「学校」もまた「『ここではない』場所への入口」であり「『社会』と『わたし』の交差点」なのである。「学校」。そこはだれの場所? その「交差点」にいる「わたし」。それはだれ?


「このまっしろな空間は、わたしたちの想像の助けがあれば、どんな場所にだってなることができます」と展覧会は言う。しかし子供にとって「想像の助けがあれば、どんな場所にだってなる」のは「このまっしろな空間」に限った話では無いし、またこの展覧会に於いて「まっしろな空間」というアーキテクチャのみが子供の目の前に与えられている訳では無い。それは既に「地面(アーキテクチャ)」とプリペアーされた「遊具(コンテンツ)」がセットになっている「児童公園」の形で現れている。果たして「わたしたちの想像の助けがあれば、どんな場所(コンテンツ)にだってなることができます」の「わたしたち」とは誰を指しているのだろうか。


美術館がまだ完全な形で「まっしろな空間」化されていなかった頃、一方では主権(ソヴリンティ:sovereignty)的な「美/魂」という超越的他者性を伴って、美術館は権力的な装置であり続けていたが、その一方で美術館には「想像の助けがあれば、どんな場所にだってなること」が可能な、「美術」のコンテンツとコンテンツの間に開いた裂け目が存在していた。


"At the San Francisco Museum of Art. an abstract gets close scrutiny."


小林秀雄的なレトリックを――洗練度に於いてかなり欠けるものの――使えば、「通気口に関心が向かう子供がいる、子供向けの通気口というものはない」という事になるだろうか。


しかしこうした裂け目は、モダンな美術館からは一掃されてしまう。「まっしろな空間」。それは通気口の様な「美術」の外部に通じる裂け目を塞ぐ――監視員という裂け目を塞ぐ技術は未だに確立されていない――事で、観客をして「美術」のコンテンツに「自発的」に注意を払う様に仕向ける規律=訓練の装置なのである。美術館の観客は常に、余所見をする事無く作品にのみ注視する様に「まっしろな空間」から「監視」されている。そして観客は、その様にして内面化された他律を自律であると錯覚させられ、通気口とは異なるそこにあるもの=作品を、期待や落胆といった評価の対象とするのである。


「学校」が入れ子状になっているとも言える本展のキーマンは、会田家の会田寅次郎氏(「中学2年生」)ではないかという印象を持った。彼はフィリップ・アリエスのタームで言えば「若い大人(homme jeune ≠ jeunesse)」である。


http://www.slideshare.net/kawarusosu/the-esperanto-generator


L'enfant était donc différent de l'homme, mais seulement par la taille et de par la force alors que les autres caractères restaient semblables.


子供は大人とは異なったものであるが、それは背丈や体力によって異なるというだけであって、その他の性格においては類似なものであり続けるのであった。


同書「序文(Préface)」


削除依頼(=撤去要請!)が出ている Wikipedia 日本語版の会田寅次郎氏作品「TANTATATAN」(Chim↑Pomの卯城竜太氏執筆)には、会田寅次郎氏は「小学校の一般クラスにも馴染めず」とある。それはまた 「小学校の一般クラスという規律=訓練の装置にも馴染めず」と読み直す事が可能かもしれない。確かに「小学校の一般クラス」が念頭に置く成長計画とこの人物の成長曲線は、反りが合わなそうな印象はある。


7月に一般的な話題にもなっていた会田家「檄文」(新作)を始めとして、会田家の展示物には「学校」(若しくは「教育」、或いは「規律=訓練」)をテーマにしたものが多い。それらの多くは「子供向け」の本展の為に作られたものではなく旧作である。同じく同時期に一般的な話題になっていた作品「国際会議で演説をする日本の総理大臣と名乗る男のビデオ」(会田誠氏 2014年:同年の会田寅次郎氏の「esperanto generator」と対を成す印象もある)は、規律=訓練によって幼稚園児にリセットさせられた「一国の頂点に上り詰めた」男のビデオとも言えるだろう。


何かを教えようとする「美術館」という「学校」の中の、「展覧会」という「学校」の中で、会田家の作品はそうした「学校」の諸々を直接的にも間接的にも「おちょくる」。その「美術館」という「学校」に於いても、「教師」が「生徒」に「指導」をするという非対称的な機制があるとして、その「生徒」の位置にあるのは通常「観客」だと思われていたところがある。しかし今回の展覧会では、作家もまた「生徒」として扱われ、「教師」から「指導」される事が広く明らかになった。


多くはこの「指導」に狭義の「政治」を巡る構図を読み取ったかもしれない。しかしどうやらそれは、「徒手体操で手の先がピンと伸びていないのが見苦しい」的な「美的」レベルの話だった様な印象がある。今回の「教師」役からは、その作家に対する自らの「指導」に関する明確なメッセージが伝わって来ないものの、しかしそれが伝えられる事は永遠に無いだろうとも思える。何故ならば「徒手体操で手の先がピンと伸びていないのが見苦しい」についての合理的な説明を試みようとしても、結局は「教師」の個人的な「美的趣味」に基づいている「見苦しさ」の根拠については、自家撞着の形でしか書けないだろうからだ。「私が見苦しいと思うから見苦しい」。それでは「詳細な理由や経緯」を記した公的な文書にはなり得ない。


現実の「学校」に於いて、こうした「教師」の個人的な「美的趣味」(その多くは「社会常識」を装う)によって、自家撞着的な「指導」が進められていく事は決して珍しい話では無い。事更に「良い子」では無かった子供時代を過ごしてきた者ならば、そうした「教師」(往々にして世間的には「良い先生」という評価がされていたりする)の一人や二人を、「そう言えばいたなぁ、こんな人物」と具体的に思い出す事が出来るかもしれない。所謂「青春ドラマ」では、こうしたキャラクターを「教頭」の様な形でどこかに配置するものである。

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Ōkina otomodachi
おおきな おともだち


Ōkina otomodachi (大きなお友達?) is a Japanese phrase that literally means “a big friend” or “an adult friend”. Japanese otaku use it to describe themselves as adult fans of an anime, a manga, or a TV show that is originally aimed at children. Note that a parent who watches such a show with his or her children is not considered as an ōkina otomodachi. An ōkina otomodachi is not a parent who buys anime DVDs for his or her children to watch. Ōkina otomodachi are those who buy children’s anime for themselves. Also, if the work is obviously aimed at adults, a fan of it is not an ōkina otomodachi. Hence ōkina otomodachi and otaku are different concepts.


大きなお友達(Ōkina otomodachi)は、字義的に言えば「大柄な友人(a big friend)」や「大人の友人(an adult friend)」を意味する日本語に於ける言い回しである。日本のオタクが、幼児向けのアニメ、マンガ、テレビ番組の大人のファンとしての自分達の存在を言い表す場合にこの言葉が用いられる。但し注意すべきは、自分の子供と共に、それを親として試聴する場合には、大きなお友達にはならないという事である。大きなお友達は――親としてではなく――幼児が視る為に作られたアニメの DVD を、自分自身の為に購入する人々である。また、仮にその作品が大人をターゲットとしているのであれば、そのファンは、大きなお友達ではない。従って、大きなお友達とオタクは、異なる概念である。


https://en.wikipedia.org/wiki/%C5%8Ckina_otomodachi

大きなお友達一人でこの「おとなもこどもも考える」展覧会に行くのは、やはりバツの悪いものではある。「おとなもこどもも考える」は、「おとなは考える/こどもは考える」そのままではないだろう。「おとなは考える/こどもは考える」のスラッシュの位置にあるのは、両者間の「対話」であるに違いない。


例えばこの展覧会に入場すると真っ先にこういうキャラクターが出迎えてくれる。



「さくひんにさわったり、はしったりしないでね〜」。ひらがなが読める/ひらがなをしか読めない子供がこのコーションを読める様にとのひらがな書きの採用に違いない。ここでひらがなを覚えたばかりの子供は、連き添いの大人に質問するかもしれない。「『さくひん』ってなに?」。「どうしてさわっちゃいけないの?」。「なんではしっちゃだめなの?」。ここからの子供との遣り取りが真に「対話」になるかどうかで、問いを投げ掛けられている大人の知が試されるだろう。


往々にして大人は「さくひん」について子供よりは知っていると思っている。そこで大人は聞き齧りの「さくひん」についての知識を交えた説明を、子供の「『さくひん』ってなに?」という質問に対して行うかもしれない。しかし全く同じ質問を、自分よりも智者に見える大人からされた時、その人物は子供と同じ内容の「さくひん」についての説明を行うだろうか。或いは智者ではないかもしれないし、ラディカルにそれについて考えているかどうか判らない者であっても、明らかに「美術」に関係する事で報酬を得ている様な者に対して、子供に対するのと同じ様に答えるだろうか。


子供は質問する。それは子供自身が、自分が「知らない者」である事を知っているからだ。一方で、大人は子供程には他者に対して質問をしない。「美術館」で「作品って何?」と問う大人はそれ程多くない。大人は「作品」とされるものに対して、自らを「知らない者」とは認めない。「子供向け」の表現や、「美術館」に展示するに相応しいものがどの様なものかを知っていると思って自身を疑わない=「知らない事を知らない」のが大人である。しかし「知らない事を知らない」者に対しての「対話」は困難なものになるだろう。何故ならば「対話」は「私が知る全ては私が何も知らない事である(“All I know is that I know nothing.”:ソクラテス)」と自らを認ずる事の出来る者同士で行われるものだからだ。従って規律=訓練の「学校」と、懐疑の方法論である「対話」もまた反りが悪いのである。


自分が「知らない者」である事を知っている子供でも、時々自分が「知らない者」と認めない時がある。「青は男の色で、ピンクは女の色」「男はズボンで、女はスカート」。それは恐らくトイレのカラーコーディネートやピクトグラム(「ユニバーサルデザイン」)が子供にもたらした規律=訓練の成果なのだろうが――東京都現代美術館のマイケル・リン× BISAZZA によるトイレの壁面からして「青は男の色で、ピンクは女の色」であり、入口のピクトグラムも「男はズボンで、女はスカート」という「常識」を逸脱していないところが、規律=訓練の場である「美術館」に相応しいと言えば相応しいと言えなくも無い。そして半可通な大人は、この手の「常識」の順列組み合わせ的な「新しさ」に感激したりするのである――、自分が「知らない者」である事を心得ている大人なら、ここからも子供との「対話」を築き上げて行く事が可能だろう。


大きなお友達一人で同展に行くのと、質問する事を止めない=懐疑する事を止めない子供(或いは質問する事を止めない=懐疑する事を止めない大人と一緒でも良い)と行くのとでは、その疲労度が全く異なるものになるに違いない。同展を「託児」の場所と割り切ってしまうのなら兎も角、それらの質問から「対話」を築きあげていこうとする事を少しでも試みようとするのであれば、一冊の本を書き上げる位の知的疲労を覚悟しなくてはならないかもしれない。それは近代的な「休日」の概念とは全く相容れないだろうが――しかし多かれ少なかれ、子供のいる家庭の「休日」とはそういうものである――、それ程に同展(中でも「託児」になりようの無い「会田家」)は子供の「なぜ」を触発し、「対話」を築く事の出来るスポットが満載なのである。それは「美術館」が時に「学校」の様に現れるものでもあるからだろう。

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ヨーガン レールに、子供は自らの「工作(ブリコラージュ)」や「宝物(収集/発見)」との近さと(圧倒的な)遠さを見るだろうか。


はじまるよ、びじゅつかん(おかざき乾じろ 策)の「こどもにしか入ることのできない美術館」の前(大きなお友達は奥には入れない)では、4人の12歳が何かを探しに行くこれを思い出していた。



「死体」を発見するまでのトポスもまた、子供だけの場所だった。


アルフレド&イザベル・アキリザン。棚の上に乗った様々な尺度を持つ「私の場所」。それが空間的に集合すると、高さが100メートル位あったものも、面積が1平方キロ位あったものも、全てがモジュール住宅化される。

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東京都現代美術館を出た木場公園では、大人と子供が集まってバーベキュー大会をやっていた。大人は子供に、子供は大人にべったりと付き纏う訳でも無く、良い感じでほったらかされていたのが極めて印象的であった。