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アンシャープ

「末永史尚『アンシャープ』」展の会場(大阪市西区京町堀1-17-8 京ビル4F GALLERY ZERO)でその作品を見てから家に帰り、早速水平器(レベル)の画像を検索した。するとこういうものが見付かった。



Fig.01


この水平器を模式図にしてみる。



Fig.02


しかし実際には、「この状態」では気泡管内の気泡はこうなる筈である。



Fig.03


明らかに Amazon のものは、「水平」状態で撮影された写真を、「重力」の及ばない場所――即ちモニタ画面上――で45度右に傾けたものだ。



Fig.04


Fig.05


この水平器を45度ずつ回転してみるとこうなる。



Fig.06


測定面の水平、垂直、45度を確認する為の3つの気泡管を備えたこの水平器の場合、「B」と「F」は、レベルや角度を測定するという目的に於いては全く「無意味」なものだ。しかしこれらは測定面を測定対象に接したままにして、水平器の裏表を逆にする事で「有意味」なものになる。いずれにしても「重力」が支配する現実空間内に於いては、水平器の角度を0.5mm(シンワ ブルーレベル 300mm の場合)でも傾ければ1、2、3のそれぞれの気泡管の気泡の位置は、一つとして同じパターンにはならないのである。

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PhotoshopGimp 、或いは Pixelmator 等のビットマップ画像の編集アプリケーションを使用した者にとって、「アンシャープ」という語からすぐさま思い起こされるのは、それらに備えられている「アンシャープマスク」というフィルタ機能だろう。


1930年代にドイツで生まれたとも言われる銀塩写真の暗室ワーク(参考:1944年3月11日に米イーストマン・コダック社が出願したパテント――ここでは「発明者」が John A. C. Yule であるとされている)である「アンシャープマスキング」メソッドは、一旦「ぼかし」の過程が挿入される為に「アンシャープ」の語が冠せられている。しかしその目的とするところは飽くまでも「シャープネス」の向上だ。「ぼかし(アンシャープ)」の過程を経なければ「シャープ」にはならない。


デジタル画像処理では―― Photoshop CC2015 の場合――「フィルター(Filer)」→「シャープ(Sharpen)」→「アンシャープマスク...(Unsharp Mask...)」の順番で「アンシャープ・マスキング(USM)」メソッドをパネルの形で呼び出し、そこで「量(Amount)」と「半径(Radius)」と「しきい値(Threshold)」の3つのパラメータを操作する事で、目的とする「シャープネス」を得るという手順を(通常は)踏む。


「アンシャープマスキング」は以下の様にシミュレートする事が出来る(以下 Photoshop CC2015 での操作例)。


1.画像を「ファイル(File)」→「開く...(Open...)」。それから「レイヤー(Layer)」→「レイヤーを複製...(Duplicate Layers...)」を2回行う。これにより「背景のコピー(Background copy)」と「背景のコピー2(Background copy 2)」レイヤーが出来る(レイヤー構造をインクルードしていない画像の場合)。



Fig.07


2.「背景のコピー2(Background copy 2)」レイヤーに、「フィルター(Filter)」→「ぼかし(Blur)」→「ぼかし(ガウス)...(Gaussian Blur...)」を適用する(作例では半径15pixel)。



Fig.08


3.ぼかしを掛けた「背景のコピー2(Background copy 2)」レイヤーの描画モードを「通常(Normal)」から「減算(Exclusion)」に変更し、そのまま「背景のコピー2(Background copy 2)」レイヤーが選択されている状態で、「レイヤー(Layer)」→「下のレイヤーと結合(Merge Down)」で「背景のコピー2(Background copy 2)」を「背景のコピー(Background copy)」と一体化させる。



Fig.09


4.一体化した「背景のコピー(Background copy)」レイヤーの描画モードを「スクリーン(Screen)」に変更する事で「アンシャープマスキング」の操作が完了する。画像の「シャープネス」が向上している事を「背景のコピー(Background copy)」レイヤーの表示をオン/オフする事で確かめる事が出来る。



Fig.10


「アンシャープマスキング」処理で、実際に何が行われているのかについての説明は、gimp.org によるこのドキュメントを参考にすれば良いだろう。


http://docs.gimp.org/ja/plug-in-unsharp-mask.html


「アンシャープマスキング」による「シャープ」は「現象」的にはこうなっている(Before/After)。



Fig.11


これが gimp.org のドキュメントの最後に記されている「黒目効果」である。「減算が負の値を生み、 コントラストのある部分に沿って補色のすじができたり、 明るめの星雲を背景に見える星のまわりに黒い暈 (ハロー) ができる」(gimp.org)。その様にして、元々コントラストが高めのところには相対的に目立つ「輪郭(線)」が「できる」事で、画像はより「シャープ」に「見える」事になる。


「シャープ」である事。それは所与的なものではない。「シャープ」は「シャープ」自体としては存在しない。「シャープ」は意識を介し、それが「シャープ」であると認める事なのである。

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「ぼかし」というのは緩やかな「平均」化であり、それは所謂「エントロピー増大」の様なものだ。上掲「アンシャープマスキング」のシミュレートの「2(Fig.08)」に於いては、「水平器」という「内部」と、その「外部」である「背景」を、「秩序」的な形で弁別する為に機能していた「色」が混じり合い、「内部」と「外部」が不分明なものになる事で、「画像」は「無秩序」の方向に向かう。


「ぼかし」をこの水平器の元画像全体に行き渡らせ、全ての画素の持つ情報を「平均」化(コーヒーフレッシュが混ざり切ったコーヒーの状態)してみる。これは Photoshop CC2015 の「フィルター(Filter)」→「ぼかし(Blur)」の中にある「平均(Average)」によって得られる。「平均」は「ぼかし」なのである。



FIg.12


流石にこの「平均」状態では、これを見せられただけで、元画像が水平器であるとは誰も判らないだろう。確かに人の官能というのは不思議なもので、醤油と味醂と酒と砂糖と塩と生姜と鰹節と昆布と水が(相対的に)「平均」化した液体を舌に乗せ、そこから「醤油」や「生姜」や「昆布」の味を弁別したりする能力が、多かれ少なかれ備わってはいる。それは、それぞれの味に関する記憶のデータベースと照らし合わせ、その差分から「平均」化された液体の中で不分明だった「醤油」や「生姜」の輪郭を浮かび上がらせる事で、それらを弁別可能なものとして認識する。即ちこれもまた、記憶をコンタクトプリントする事によって得られる「アンシャープマスキング」なのである。


しかし画像の場合は、参照するデータベースの項目が、味に比べて相対的に多過ぎる為に、この完全なる「ぼけ」にコンタクトプリントすべきものを見つけ出す事は事実上不可能だ。多くは青空や海中等の記憶をそこに重ねられてしまうだろう。

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愛知県美術館のAPMOA Projectで開催した個展「ミュージアムピース」は美術館に備わっているもの〜例えばコレクションの絵画を飾る額縁、スポットライト、キャプション〜をモチーフとした作品によって構成された展覧会でした。
あのとき意識していたのは、観る人と作品との関わり方が展示室の中で完結したものではなく、前後の展示室の展示、あるいは過去に同展示室で行われた展示との関わりによって影響を受けること、それを利用した作品の質もあり得るのではないか、ということでした。近代以降、美術作品は前後の経験から切り離された真空状態で成立しているかのように扱われすぎていたのではないか。
それと同時に、あまりにも場に依存した作品は時間的、空間的広がりを欠くものです。場を基点としつつも創りだしたものはどの場においても効果があるものであってほしい。そのための操作や判断の要は、ものを構成しているトピックは鮮明にしつつ、姿からは個別の要素を不鮮明(アンシャープ)にすることです。
本展によって「ミュージアムピース」の作品との新しい出会い方を用意しつつギャラリーでの鑑賞体験に何かを付け足す機会となればと考えています。


「suenaga fuminaoのブログ」
http://kachifu.hatenablog.com/entry/2015/07/03/205246


GALLERY ZERO の「アンシャープ」展に出品されているのは、2014年に愛知県美術館で行われた「APMoA Project, ARCH vol. 11 末永史尚『ミュージアムピース』」に出品されたピクチャーフレーム作品4点(旧作2点、新作2点)、CDケース作品3点(新作)、段ボール箱作品1点(新作)、そして水平器作品が2点(新作)である。


http://gallery-zero.jimdo.com/artists/%E6%9C%AB%E6%B0%B8%E5%8F%B2%E5%B0%9A-suenaga-fuminao/%E6%9C%AB%E6%B0%B8-suenaga-2015/


この「アンシャープ」展の作者は、自らの「創りだしたもの」に対する説明として、「ものを構成しているトピックは鮮明にしつつ、姿からは個別の要素を不鮮明(アンシャープ)にすること」と書いている。一方「アンシャープマスキング」メソッドをプロセス順に書けば、「個別の要素を不鮮明(アンシャープ)にしたものを通すことで、ものを構成しているトピックを鮮明にする」である。即ちプロセス的には全く別のものである。


これらの作品が創られる過程としては、何よりも先に「トピック」の「鮮明」化が行われる。「トピック」とは「項目」であり、従って極めて言語的なものである。先程の例でも上げた様に、その中でもまず「内部」と「外部」という二項目の「トピック」が弁別されるのだが、これは「支持体」がそのままその役目を担う。合板や木枠は鋸によって、ピクチャーフレーム(+絵画)、CDケース、段ボール箱、水平器が備えている大きさを、「秩序」のフィールドとする事で、「内部」として顕現する。


その次に来るプロセスは「内部」に於ける「トピック」の「画定」になる。当然これもまた言語を介して行われる人為である。「トピック」は「トピック」として既にそこに存在しているものではない。「トピック」は「見分け」の機制によって生じる。それは「支持体」という連続的な広がりを持つ「陸地」の内部に、「明確(シャープ)」な領域としての近代的「国境」――古来の「国境」は、城壁で「シャープ」にされてもいた「国家」の周囲に、常に「ぼかし(Blur)」が掛かった “frontier(辺境)"が存在していた――を画定して切り分けて行く様なものだ。(近代的)「国境」は「山脈」や「河川」や「森林」や「湖沼」や「海洋」等によって「画定」される場合もあれば、「条約」や「幾何」や「人種」や「民族」や「宗教」等の理由で「画定」される場合もある。いずれにしても、この作者の作品の戦略的な立ち位置としては、常に「ボーダー/バウンダリーの絵画」 なのである。


「国境」が定められれば、そこから「平均」が導き出される。例えば「国境」によって「日本国」が定められての後に「日本人」という「平均」が導き出される様に、その「国境」内の色は「平均」――多くの場合、実際には「平均」ではない。「日本人」という「平均」がそうなっていない様に――によって「単色」化される。


先の水平器の画像の場合、人間の多くが認めるこの水平器画像「内部」に於ける「国境」はこうなりもするだろう。



Fig.13


「西サイドキャップ国」、「アルミ角パイプ国」、「垂直気泡管国」、「水平気泡管国」、「45度気泡管国」、「東サイドキャップ国」、「北西サイドキャップ国」、「北西アルミ角パイプ国」、「北水平気泡管国」、「北東アルミ角パイプ国」、「北東サイドキャップ国」。


それぞれの「国」の「平均」を求めるとこうなる。



Fig.14


しかし「国境」を作成するマッピングの方法論にはこういうものもあるだろう。



Fig.15


所謂モザイクフィルタであるが、これもまた「ぼかし」且つ「平均」である。これは、アメリカの幾つかの州や、アフリカの幾つかの国や、朝鮮半島の二つの国の間の様に、「緯度」と「経度」――即ち「ビット」――でマッピングされた「国境」と言える。従ってこういう「県境」もあり得る。



Fig.16


であれば、凡そ「ビットマップ画像」というものは、ピクセルという「国境」単位で区分けられ、それぞれが「平均/アンシャープ」化されたものであると言えるだろう。それが「遠目」に「シャープ」に見える事があったとしても。


近代的「国境」の「内部」には、「分裂」や「独立」の意志が常に胚胎する事を我々の歴史は教えてくれる。「垂直気泡管国」も「水平気泡管国」も「45度気泡管国」もまた、その「国境」の「内部」は「不穏」に満ちている。

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「平均(Average)」は「ぼかし(Blur)」であった。仮に「平均」が可逆的なものであるとして(実際にはそういう事は無い)、例えば「アンシャープ」展に於ける「段ボール箱」作品の「段ボール」部分を、どんどん「鮮明」にして「個別の要素」を明らかにして行った時(=「平均」以前に戻して行った時)、そこには「宅急便の送り状」や「われもの注意」や「高原レタス」が現れて来るのかもしれない。しかし一方で、そこに「DHLの送り状」や「THIS SIDE UP」や「Amazon.com」が現れて来るという可能性を否定する事は出来ない。あの「段ボール箱」作品の茶色という「平均」は、世界中のあらゆる(取り敢えず茶色系の)段ボール箱の上で生じ得るあらゆるパターンへと繋がっている。作者だけが知っているかもしれない「正解」は、そうした繋がりの可能的な一つでしか無い。


愛知県美術館に於ける「ピクチャーフレーム」作品の場合は、その「平均」以前の「必然(正解)」が、「前後の展示室の展示、あるいは過去に同展示室で行われた展示」を辿る事で、対応関係的に特定可能に思わせてしまうものだった。歩かせる事。目をキョロキョロとさせる事。クエストゲーム。それは確かに「展示室の中で完結した」ものでは無かったものの、その一方で「美術館の中で完結した」ものではあった。


今回の大阪の展示では、「シャープ(モチーフ)」と「アンシャープ(作品)」の「同定」化が事実上不可能である為に、その3枚の「ピクチャーフレーム」に入る「アンシャープ」化された「ペインティング」は、段ボール上の「高原レタス」や「Amazon.com」の様に、「蓋然」という「ぼかし(決定不能)」の状態に留まり続ける。「ピクチャーフレーム」にはあらゆる「ペインティング」が額装され得るものの、しかしそれはその時々に於いて常に一つなのである。

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展覧会に於ける「絵画」作品は、それが洞窟ならぬ展示室の壁面に掛けられる際には、建築のフォーマットである「水平/垂直」を受け入れる事が、美術の展示室に迎え入れられる条件ともなる。それ故に展示関係者の必需品の一つは水平器になる――場合によってはレーザー墨出器の出番ともなる。


但し展示作業に水平器を使用しない方が、良い結果を生む場合もある。例えば展示室の床面の水平が、そこにボールを置けば何もしなくても転がって行ってしまう位に著しく出ていない場合、意図的に作品の水平を外した方が、床面との関係で「水平」に見えるという事もあるからだ。その場合は、作品両端の床面からの距離を一定にしたり、官能評価(見た目)で「水平」を決定する事もある。但しそれはレアなケースだろう。


多くの場合、平面作品のセッティング作業では、平面作品の上縁、或いは下縁に、水平器が上掲 Fig.06 の “A"、或いは “E" の向きで当てられ、建築へのフィッティングが進められる。「水平器」作品の展示作業はどうだったのだろう。この様な状態になっていたのであろうか。



Fig.17


こうした方法によってセッティング作業が進められていたと仮定すると、機能する水平器(以下〈水平器〉)と「水平器」作品が重ねられ、「水平器」作品を実際に水平に調整した時、〈水平器〉中央の気泡管の気泡は二つの標線の中間に位置する事になる。では「水平器」作品の「平均」化された中央の気泡管の気泡は、一体どこに位置しているのであろうか。それは隣接する〈水平器〉と同じ中央なのだろうか。或いはそことは別の位置にあるのだろうか。


気泡管が「平均」化される時、その「平均」の色の値は気泡の位置に左右されない。Fig.06 のどの角度にあっても、気泡管の「平均」は全て同じ「単色」になる。



Fig.18


「アンシャープ」から「シャープ」が不可逆の関係にある以上、「アンシャープ」化された気泡の位置を確定する事は不可能だ。しかし多くの者は、「水平器」作品が水平の状態にある時、その中央の気泡管の気泡の位置が中央にある事を、その「平均」の中に「見る」のである。


今回の展示では、「水平器」作品は「水平」状態(厳密にはそうではないかもしれない)にのみセッティングされていた。この同じ作品を「垂直」にした場合、果たして「水平器」作品の中の気泡の位置は「変化」するだろうか。それとも Amazon の「45度に傾けられた水平状態の写真」の様に、気泡の位置が張り付いたままにあるだろうか。そしてそれを見る者は、Fig.06 の “C" や “G" の様な垂直気泡管の状態をそこに「見る」だろうか。


それ故に「平均」の中の気泡の位置は決定不能である。或いは「平均」の中の気泡は永遠に動き続ける。無重力=zero gravity、且つ真空=vacuum という、その「内部」的な論理としては「重力」の軛から逃れられている筈の「絵画」作品の展示に於いて、「重力」という「外部」的な論理が働いてしまう展示室という現実空間が、この決定不能性をもたらしていると言えるだろう。仮に「観る人と作品との関わり方」が、この GALLERY ZERO の展示室内で「完結」していたとしても、その展示室自体が「絵画」の「外部」である「重力」の「内部」にある為に、この展示作品としての「水平器」作品(印刷物やモニタ上に映し出された同作品は、その意味で全く「別物」である)に於いては、歩き回らずともその「完結」が永遠に遅延させられるのである。


「絵画」という「無重力/真空」の論理が、実在物の形で「重力/空気」の場所で展示されるというのは、或る意味で矛盾である。その矛盾は、「絵画」が「無重力/真空」である限り、解消される事は永遠に無い。「絵画」の「内部」は「外部」との「平均」を拒む。仮に「水平器」作品に「本物」の気泡がダイナミックに動き回る気泡管を埋める事で、「絵画」を「重力」に従属させてしまえば、「平均」を拒む「決定不能」というダイナミズムは一瞬にして失われてしまう。


「国境」内の「平均」は常に分子が動き回る「不穏」なものなのである。