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小品

「小さな作品」について考えている。

ウェブ評論誌「批評の庭」を主宰する小金沢智氏のツイートで、「小品」問題が語られていた。

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>たまに思い出す、びっくり発言①

>著書が何冊もある某美術評論家T・S氏のこんな主旨の発言:「手で抱えられる程度の作品は「作品」ではない。作品は大きくなくてはいけない」。数年前、名古屋でのあるシンポジウムにて。

>氏によれば小さい作品は「作品」ではないのだそうです。当時この発言を聞kた時は呆然としましたが、作品とそのサイズの関係性について考えさせられたことは事実。やたら大きい作品は、「作品です」という顔をしているようにも見えます。

>あ、T・SではなくてC・Sか。

>「作品」って難しいですね。

>あくまで僕の記憶するかぎりではありますが、その発言はポジティブというよりはネガティブな意味を伴っていました。可能性として、その言葉がネガティブなものではないこともあるのかもしれませんが、それと僕が聞いた時のそれは別物のように思えます。

http://twitter.com/kgnzwsts

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「C・S」氏が誰であるのかを詮索しても詮無い話だろう。「作品は大きくなくてはいけない」は、何時の頃からか常識的なものとされている。「大作」である事は、美術史に於ける「傑作」の条件の様にも思われている。恐らく美術館の学芸員であった人物であると思われるC・S氏の経験に基づく発言であろう。

「小品」。それは自分の中で、予てより「問題」だった。或る意味で、自分の最近作は常に「小さい」。その「小さい」ものを、空間的に広範囲に「配置」する事で、見た目「大きな」作品としている。この方法論ならば、地球全体、宇宙全体を作品化する事が出来る。自分で言うのも何だが、妄想も大概にしろではある。

妄想的な作品の一つに、ピエロ マンゾーニの「地球の台座("Socle du Monde" (base of the world))」がある。「作品」としては小さな部類に属する「地球の台座」一つで、地球規模(或いは宇宙規模)の「大作」を作るという妄想的反転。

http://www.orbit.zkm.de/?q=node/6

そうした「妄想」の系列には、缶詰のラベルを缶の内側に貼って、宇宙全体を梱包した赤瀬川原平の「宇宙の缶詰」もある。

http://www.kanshin.com/keyword/245251

「小品」は、時にそうした「妄想」が宿る媒体ともなる。一部の「小品」は、「小さい」事を逆手に取り、そこに世界の全てを織り込もうとする。一方「大作」は、その物理的な大きさ故に、却って世界の空間の一部と化してしまう嫌いも無いではない。「小さい」ものに「大きい」ものを見る「小品」の「妄想」は、何処かで交換不能である。

ここで気を付けるべきは、「『作品』ではない」を、即座にネガティブな意味に捉える事だろう。「『作品』ではない」は「『作品』以下」と同義であろうか。寧ろ「『作品』ではない」は、ポジティブな意味で「『作品』の外」であるとも言える。

「小品」。恐らく「小さい」という事だけで、それは確信的な侵犯になり得る。それが単なる大作のミニチュア、或いは部分売りでないならば。