かたちの発語

少し前の話。知己のN氏(3歳)がこちらに近付いて来ると、氏が折り紙で作ったものを見せてくれた。



N氏は屈託無くニコニコ笑って何も言わない。


横にいた御母堂が、それが「何」であるのかを教えて下さった。緑色が「飛行機」で、青色が「新幹線」である。「誰か」から教わった「かたち」では無い。N氏は3歳の人らしく折り紙で「一人遊び」をしていたのだろう。そして二度程「正方形」の折り紙を折ったところで、N氏はそこに「(氏の)飛行機」と「(氏の)新幹線」の「かたち」を見出した。N氏自身、そこに「飛行機」や「新幹線」の「かたち」が「現出」するとは、その時点まで「想像」してもみなかったに違いない。


そもそも3歳のN氏にとっては、そうした意味での「想像」は重要ではない。N氏の中に、折り紙を折る前から確固たる「飛行機」や「新幹線」の「イメージ」が到達的なものとして存在し、その「イメージ」に「近付け」て折り紙を折って行く事で、これらの「飛行機」や「新幹線」が生まれたという訳では無かっただろう。従ってそこには些かの「工夫」も無い。「工夫」は「イメージ」が存在する事によって初めて可能になるからだ。


加えてこの先、「より『本物』」の「かたち」に「近付け」る為に、折り紙を折って行くという事も氏はしないに違い無い。何故ならば、この「二度折っただけ」の状態こそが、3歳のN氏の「その瞬間」に於いては、最上に「飛行機」の「かたち」であり、無上に「新幹線」の「かたち」だからだ。この状態をN氏は「完成」だとは思っていないだろうし、同時に「未完」だとも思っていないだろう。それが「イメージ」に依って作られたもので無い以上、それは「完成/未完」という「イメージ」の「エコノミー」の外部にそれはある。


「他人」――3歳児同士であっても――から見れば「素っ気無い」としか言い様の無いこの「かたち」は、「イメージ」力に基づく「還元」に基づくものではない。それは一回一回の「制作」の過程で、「事件」として「生起」した「かたち」である。加えてその「かたち」から自分だけの「ものがたり」を「発現」させる能力を3歳のN氏は持っている。次に下掲画像の様なものが折れたら、N氏はそこに何の「かたち」と「ものがたり」を見出すだろうか。



「大人」が「親切」にも、下掲画像の様なものを氏の前に差し出せば(買い与えれば)、N氏はそれを目にした瞬間に、折り紙による「(氏の)飛行機」や「(氏の)新幹線」の存在を忘れてしまうかもしれないし、それらは「価値」の無いものであると思うかもしれない。



「大人」は「(氏の)飛行機」や「(氏の)新幹線」といった「個別的」な世界との関わりを忘却させる事で、いち早く幼児を「社会的存在」へと変える為に、そうした「社会的」に「承認」された「イメージ」を、「教育」的な意図を以って幼児の 差し出す(買い与える)とも言える。幼児は折り紙を二度折っただけのものは、「飛行機」や「新幹線」の「本当」の「かたち」には「遠い」と思う様になるかもしれず、「大人」が作った「玩具」が示す「本当」の「形状」に「近付け」ようと、折り紙を様々に折って試行錯誤するかもしれない。


しかし折り紙では「トミカ」や「プラレール」の様には「本当」の「形状」を作る事は出来ない。やがて幼児は、多くの「大人」がそうである様に、あれ程親しんでいた折り紙と疎遠になって行く。所謂「発達心理学」と呼ばれるものが「教えて」くれるのは、人は自らが手を動かして「自分のかたち」を「生起」させ、そこに「自分のものがたり」を「発現」させる段階から、「他人の形状」と「他人の物語」を「承認」して「自分のもの」とする段階に入るという事である。こうして嘗て幼児だった者が誰でも持っていたかもしれない、折り紙を二度折ったところに無上の「かたち」と「ものがたり」を見る能力の多くはその様にして失われて行き――「発達心理学」もその後押しをする――、それと引き換えに「形状」と「物語」の「承認」という「社会」化が達成される事で、幼児の中に「価値」の「概念」が侵入する。


N氏の「飛行機」や「新幹線」は、「市場価格」的にも「保険評価額」的にも到底「世界の宝」と言えるものでは無い。無論「美術史」的な意味でも、それは「世界の宝」でも何でも無い。幼児によるこれらの「かたち」でインテリアを構成する事は極めて一般的ではなく、またそれらをコレクションするという事も極めて一般的では無い。それらは余りに有り触れているものであるが故に、それらの対象とする「価値」を有さない。「世界の宝」となる条件が相対的な「希少性」にあり、またその「価値」も相対的な「強さ」で計られるのであれば、N氏のそれらはその真逆に存在する。しかしそんな有り触れた幼児の手の中に「かたち」が「現出」して行く、或いは「現出」の「かたち」が「生起」して行くというその事こそが「世界の奇跡」というものではないだろうか。人のどの人生も「世界の奇跡」である様に。


Do not lay up for yourselves treasures on earth, where moth and rust destroy and where thieves break in and steal; but lay up for yourselves treasures in heaven , where neither moth nor rust destroys and where thieves do not break in and steal. For where your treasure is, there your heart will be also.


あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。あなたの宝のある所には、心もあるからである。


「マタイの福音書」6:19-21

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自分が小学生だった頃、暇さえあれば右手をこの形にして、飽きもせずその手を眺めていた。



レオナルド・ダ・ヴィンチ洗礼者ヨハネ」の部分を反時計回りに90度回転


大体小学校2年からその習慣は始まり、小学校6年位までそれは続いた。飽く事無くそれを眺めていられたのは、そこに常にこういうものが見えていたからだ。



「飛行機」である。人差指の先端が「機首」で、人差指の付け根辺りから「主翼」が始まり、手の甲には「尾翼」が位置する。親指と中指が「インテーク」部を形成し、薬指の「エンジンカバー」と、小指の「エキゾーストノズル」がそれに続く。


上掲画像の「飛行機」を「雲」の様な形で描いたのは、それが明確な「形状」を結ばない「かたち」だからだ。この「雲」は「形状」を表してはいない。自分の右手に依る「飛行機」の「かたち」で決まっているのは、「機体」の前後方向と上下方向と各要素の位置関係だけ。従ってその意味でこの「再現画像」は少しも「正確」ではないし、そもそも「正確」というものが存在しない。「機首」の「形状」も、「胴体」の「形状」も、「主翼」の「形状」も、「尾翼」の「形状」も、全てがこの様では無く、且つこの様なものだ。その当時、マルサンの1/50 F-104J を組んでいたし、ハセガワの 1/72 F4 も組み立てていた。しかしそれらよりも右手の「飛行機」は自分にとって美しく、しかも常に最新鋭だった。何故ならばその「かたち」は常に「更新」されるものだからだ。


他人にこの「かたち」を伝える事は出来ないと思っている。紙に「形状」として描き起こしたとしても、それが自分が見えている「かたち」と似ても似つかないものになる事は、小学校三年生の時に既に経験済みだ。サーブ35ドラケンダッソーミラージュIII(後エンジェルインターセプター)の様にも見える描き起こしたものを友人に見せても、彼等はその描き起こされた「飛行機」と、手の「形状」を結び付ける事は出来なかった。仕方あるまい。自分でもその描き起こしは少しも「似ていない」と思っていたからだ。描き表すものとしての絵の限界をそこで知る。


何時しか、この手の形を作りそれを眺める事を頻繁にしなくなった。それでも時々思い出した様に、この「飛行機」を作って眺めたりする事はある。小さい時に比べて「雲」は薄くなった。「雲」が全く見えない時もある。それでも一瞬でも「かたち」が結んだ時は嬉しくなる。

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BankART Studio NYK には「雲」を見に行った。「かたちの発語」というタイトルは誰の発案によるものかは判らないが(調べれば判るのかもしれないが)、「雲」を見たい者にとって良いタイトルだと思われた。「世界の宝」を「世界の宝」として見せてくれる展覧会は幾らでも存在する。「『世界の宝』であるが故にそれは『世界の宝』である」という同語反復的な展覧会もある。しかしこの展覧会にそうした意味での「宝」を期待して行った訳では無い。



このポスターに写るアーティストの誰もが眉間に晦渋の皺を寄せていない。こちらを睨む事もしていない。但し出来得れば、3歳のN氏の様に「ニコニコ」と笑っている写真が望ましかった。


N氏の「ニコニコ」は、単なる「楽しい気持ち」を表すものでは無い。N氏の目の前にある世界は、N氏にとってはこの上無く「荒野」だ。母親が視界から消えれば、N氏の目の前の世界は途端に不安定なものになる。N氏がその事で泣いているのを何度も目撃した事がある。その一方で、3歳のN氏はいずれ(多かれ少なかれ)母親との密着した関係を離れなければならない事を何処かで「知って」いる。断崖絶壁を登るクライマーの様に、N氏は不安定な世界に一つ一つアンカーを打ち付けて行く。アンカーを打ち付け、自分が位置している場所が自分にとって相対的に「堅固」なものと認識された時、初めてN氏の顔の筋肉は緩む。"Gone(いない)" の世界に於ける "There(いる)" の確認 。3歳のN氏の「ニコニコ」はそれ程に悲痛だ。だからこそ「荒野」を目の前にした表現者は、アンカーを打ち付ける(即ち作品を作る)度に「ニコニコ」と笑わなければならないのである。


無論「大人」の「専門家」による「有料」の展覧会であるから、N氏の折り紙と全く同じものを期待して行った訳では無いものの、しかし或る意味で「同質」のものを見に行った。年齢順で記せば、田中信太郎氏のものでは、3階の「マケット」(「記憶の落葉」)に多く感じ入った。それによって導き出された「作品」には多かれ少なかれ「大人の事情」が反映していて、その「大人の事情」を頭の何処かで勘案しながらの展覧になったのに対して、「マケット」の部屋は N氏の「飛行機」や「新幹線」の如くに極めて「雲」だった。その「雲」を通して「向こう」が様々に見える。口元が緩んだ部屋。従って、相対的にマケットの部屋にいる時間が最も多いものになった。


3階の階段を上がると、岡崎乾二郎氏の「おかちまち#4」が「手が届きそうにもない」壁面に据え付けられていた。この作品の初出時である80年代の時もそう思ったのだが、これが壁面という或る意味でアンタッチャブルな領域に据え付けられておらず、ニコニコと笑った岡崎氏が掌の上にこれを乗せて見せてくれたら、それは一体どの様に見えるだろう。勿論これが壁面に据え付けられなければならないものである事は判っている。その上での妄想上の話である。その妄想の上で言えば、新作に至るまでそれらが掌の上にあるものであったなら、その時にはまた「別のもの」が見えるのだろう。掌の上のものが見る者の身体を包囲するという事もある。そしてそれは現実的な「掌サイズ」で無くても構わない。「巨大」である筈の「1853」や「『あっ熱っ』。知らずに匙を口に運んで子どもは叫ぶ。舌がいままで感じたこともない冷たさにびっくりして。火の熱さよりも鋭い冷たさを間違えて。この二つの感覚は同じではないのに。」や「間違えもせず、手探りもしないで、まっすぐ食卓の上に手を伸ばす。それから、また壁に手を触れないで、三度跳んだら部屋の外だったが、扉を閉めるのを忘れていた。」が、自分の掌に乗っている状態を会場で妄想していた。その時「掌の上」のものたちは、カチャカチャとルービックキューブの様な音を立ててくっついたり離れたりをしていた。そしてその度に「雲」がパフッと現れては消えた。自分の手がつくる「かたち」が楽しかった者のファンタズム。


Twitter でこういう動画を教えてもらった。



ああ子供は良くこうやって遊ぶな(笑い転げながらだけど)。最初に頭に浮かんだのはその言葉だった。そしてどうしてこういう遊びを人はしなくなるのだろうと思った。


中原浩大氏のフロア。こういったものがあった。



この画像は1999年8月13日の官報から取っているが、概ねこの様な感じの四角い白地に黒い丸という大画面のキャンバスが6枚壁面に掛かっていた。傍らの「通路」のテーブルの上には同じ様な絵柄の、色違いを含む様々なパターンが紙に出力されて置かれていた。そこに「バングラディシュ」や「パラオ」があったかどうかは記憶に無い。この官報では、この図像に於ける四角形の比率が縦2:横3の割合でなければならず、丸の中心はその四角形の中心になければならず、その直径は四角形の縦寸法の3/5でなければならないと定めているが、それ以前の定めはまた違っていたらしい。


N氏は「二度折っただけ」の中に「飛行機」や「新幹線」を見た。日本の「大人」は四角の中に丸があると、それが定めに則っていようといまいと「日章旗」を見てしまう。些か話が脱線するが、少なくない日本の「大人」は、1868年(明治元年)に使用されなくなった、唐(中国)様の9メートルの長さの黒漆塗りの棒の先に三本足の烏が描かれた直径1メートルの丸い金メッキ銅板(「日像幡」)を「日章旗」と「同じ」であるという「感性」を持つ。


それはさておき、いずれにしても日本の大多数の「大人」にとって「四角の地の中の丸という図」という図像は呪縛的に働く。日本以外の「大人」はどうだか知らない。しかし3歳のN氏なら、自らがグルグルと紙に描いた丸に「ひのまる」とは言わない気がする。但し「親切」な「大人」は、N氏にそれを「日本の旗」であると教えつつ「ああ美しい」と歌って聞かせるかもしれない。しかし遅かれ少なかれ、やがてN氏も長じれば、迷わずそれを「日章旗」と言う様になるのだろう。「イメージ」は果たしていつ生まれるのだろうか。それとも元々そこに存在しているものであろうか。


「黒丸」の隣の部屋に行く。再びN氏の事が頭に過る。



N氏はこれらに「持ち物」を見るだろうか。

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BankART Studio NYK に入ってから2時間後に1階のカウンター前に戻って来た。断崖絶壁を登らされる様な恐ろしく疲れる展覧会だった。会場内を巡る為にアンカーを打った手が痺れている。そして会場を出た。もうアンカーを打つ必要は無くなったのだろうか。