ヤンキー人類学(前)

初めて福山駅に降りた。福山駅の新幹線ホーム(3階)は相対式ホーム2面上下2線であり、その2線の内側に上下通過線2線が通る。のぞみ101号(下り)に乗車した為に、途中駅で乗り換える事無く福山駅に到着した。



対面する上りホームの窓越しに福山城の天守閣や伏見櫓(重要文化財)等が間近に見える。福山駅に隣接する形で福山城の本丸が位置しているのは、1891(明治24)年に開業した福山駅(開業時「山陽鉄道」)自体が、嘗ての福山城の三の丸や埋め立てられた内堀等の上に位置している事による。1873(明治6)年の「廃城令(全国城郭存廃ノ処分並兵営地等撰定方)」によって廃城となった福山城は、福山藩が「朝敵」と見做された事もあって、大部分の施設が明治政府から民間に払い下げられた結果、本丸以外の敷地が宅地や農地等に転用され、建物の多くは建築資材として解体・売却された。明治以来続く民の実利主義による侵略に、現在に至るも福山城は常に脅かされている。


現在の天守閣は、福山市制50周年記念事業に合わせて月見櫓、御湯殿と共に1966(昭和41)年に建てられた。1622年(元和8年)に完成し、1933(昭和8)年に「国宝」指定されたオリジナルの天守閣は、1945(昭和20)年8月8日の米軍の福山大空襲によって石垣以外の全てが失われた。現在の福山城の天守閣もまた、「城郭復興ブーム」に乗って「復元」された多くの城郭建築同様、鉄筋コンクリート(RC)製である。昭和時代に失われた建築である為に、写真を含めたオリジナルの福山城の資料は決して少なくは無い。しかし現在目にする天守閣や月見櫓等は、一種の戦後復興記念展望モニュメントとして建てられたものであり、その建築的な復元性が高いとは言えない。昭和福山城天守閣は、徹底的な「模擬(如何物)」である大阪城天守閣や、全くの「ファンタジー(如何物)」である熱海城程では無いものの、現代日本人が思い描く「日本斯く在るべし=日本の伝統」に基づいて、日本各地の様々な城のディテールを継ぎ接ぎして作られている。


戦災で焼けた福山城のオリジナルの完璧な復元では、現代日本人が信じるところの「形式としての『日本の伝統』」に何処かしら欠けると見做されたのだろう。アンシンメトリカルだったオリジナルの窓配置は、現代日本人の無意識的な美意識に広く受け入れられ易いシンメトリカルなものに変えられる。窓枠の銅板や北面全体に貼られていた鉄板や望楼部の突上戸や海鼠塀等も、現代日本人の美意識に沿わないものとして除去される。鯱は現代日本人の城に寄せる期待感から、オリジナルの地味なものからより見栄えのする大き目のものが「復元」されて取り付けられている。謂わば昭和福山城は(もまた)「SD(スーパー・ディフォルメ)城」=「城のキャラクター」=「ファンシーな城」である。


その甲斐あってか、東京ディズニーランドの「城のキャラクター」であるシンデレラ城が、そのゲストに「ヨーロッパの伝統」を感じさせる以上に、「城のキャラクター」としての昭和福山城天守閣は、それを見る者に「日本の伝統」なるものを大いに感じさせてくれる。それら両者の間に大きな違いがあるとすれば、シンデレラ城に於ける「ヨーロッパの伝統」が、飽くまでも「ファンタジーに留まるもの」として広く認知されている一方で、昭和福山城の「日本の伝統」は、「本物(マジ)」として広く認知されているところだろう。


「想像」的なものが「本物(マジ)」と見做されるというのは、例えば「大日本帝國ハ萬世一系ノ天皇之ヲ統治ス」「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」の大日本帝国憲法が公布された1889(明治22)年第56回式年遷宮以降の「伊勢神宮内宮」が、それ以前の正殿と宝殿が横一列で並ぶ徳川将軍時代の「伊勢神宮内宮」よりも「古式」で「正統」な「日本の伝統」とされて現在に至る様なものかもしれない。「伊勢神宮」の建前からすれば、隣り合っている「オリジナル」と瓜二つでなければならない「式年遷宮」であるが、この第56回式年遷宮時には、現実に隣り合っていた第55回式年遷宮(1969年=明治2年)までの内宮デザインの忠実なコピーとなる事を政治的判断によって覆され、明治時代に新たに想像的に作り上げた「伝統」を「始原」とする事で、その「伝統」を「本物(マジ)=始原」の側にあるとした。現在の伊勢神宮は、明治期に意図的に行われた「コピーエラー」の延長線上にある「日本の伝統」=「日本の模擬」である。ブルーノ・タウト伊勢神宮建築に対する「稲妻に打たれたような衝撃をうけた」発言は、その明治政府による「伝統」操作以降のものになる。「唯一神明造」と「高床式倉庫」を比較してみれば、前者に大陸文化の影響が色濃く反映している事を見るのは容易だ。昭和福山城にも見られる、こうした「提示する事で隠す」事によって成立可能な「始原のもどき」は、ギリシャ神殿から遡行的に想像された「始原の小屋(primitive hut)」にも似るのである。



長いエスカレーターで新幹線ホーム階の3階から1階まで降りると、降り口で福山の男女が出迎えてくれた。



それは福山市に本社を持つ「コーコス信岡」の作業着の広告と、福山市内に数多くの作品が建立されている同市出身彫刻家の陶山定人氏(文化勲章芸術院会員、日展参与、相模原芸術協会会長:故人)による裸婦像(タイトル「岬」)だった。労働者の作業服の広告は、非常ベルと山陽新幹線便利帳の幟に侵食された「芸術」よりも、遥かに良い位置と待遇を与えられている。この様な「無意識過剰」による「無体」極まりない扱いが「ブロンズ像」にされるのであれば、いっその事この場所に「芸術」は必要無いのではないかとも思われるが、それでも駅には「芸術」という「飾り」が必要なのだ。何故ならば事実上日本の無意識に於ける「芸術」は「飾り」以上のものでは無く、また多くの日本の「芸術」が「飾り」の役目を果たそうとするからである。であれば、例えば「日本の公共空間」を一台の「携帯電話」とするならば、そこに於ける「芸術」は「スワロフスキー」の様なものと見る事も可能だ。日本の「芸術」関係者の「夢」は、「日本の空間」が「芸術」=「飾り」でみっしりと覆い尽くされる「デコ電」状態が実現化する事なのかもしれない。彼等が「芸術先進国・欧米」に見るものは、町並みに於けるその現象的「デコ」性をこそ評価してのものなのだろうか。「芸術から見えるもの」<「芸術をデコること」。パブリックアート=パプリックデコ。「美しいものの集積はそれだけで美しい」とする無邪気な感性。「福山駅」の「芸術」もまた、携帯電話の「空白」を埋める「スワロフスキー」の「一粒」の様に、駅空間の「空白」を埋める「一粒」でしかないのだろう。ここに至っては、近代日本の公共空間の成り立ちはデコ電の成り立ちと相同であるという等式が成立する。


福山駅南口に出る。「鞆の浦わさみんバス」というものをみた。


このたび、福山・鞆の浦の観光 PR 並びに岩佐美咲さん(AKB48)の演歌「鞆の浦慕情」を PR するラッピングバス『鞆の浦わさみんバス』が完成し 2 月 18 日にお披露目をしたところです。


鞆の浦わさみんバス』の運行および記念切符販売のご案内 :鞆鉄道
http://www.tomotetsu.co.jp/tomotetsu/wasaminbus.pdf



因みに「エフピコRiM」で5月28日(今日)に開催予定だった福山・鞆の浦応援特別大使岩佐美咲(AKB48)嬢「握手会」を含めたイベントは、例の事件の余波で開催延期になっている。


「わさみんバス」に乗車すると、地元女子高生の会話が耳に入って来た。話題は AKB48 とジャニーズだった。そこに登場する固有名詞は NMB48関ジャニといった、広島県福山市から相対的に近い 238.6キロ(営業キロ)の「大阪」のものではなく、福山から遥かに遠い 791.2キロ(営業キロ)先の「東京」のものだった。相対的に「女子」は「男子」よりも「東京」を意識するのだろう。所謂「若者の地元志向」には恐らく性差がある。「エフピコRiM(福山そごう→福山LOTZ→)」「アイネスフクヤマ」「サファ福山」「ポートプラザ日化」等のショッピングモールは、福山の「女子」の地元引き止めの為にこそあるのだろう。


やがて「わさみんバス」は、「日東第一形勝」の「崖の上のポニョ」の「坂本龍馬」の「埋立架橋問題」の鞆の浦に近付く。




「安国寺下」から歩く事にした。バスを降りると傍らにこうした「柵の奥の歌碑」があった。



10分程歩いて目的地の「鞆の津ミュージアム」に到着する。



「鞆の津ミュージアム」は「日本財団」の助成を受けているらしい。「日本財団(旧「日本船舶振興会」)」と言えば、自分の様な年回りの人間にはすぐに思い出されるテレビCMがある。



そして「日本財団」で忘れてはならないのは、船の科学館箕面市箕面及び全国の競艇場競艇関係の施設に建立されている「孝子像」である。「日本財団」創立者の故笹川良一氏が59歳の時、82歳の母親テルを背負って、金毘羅参りの785段の石段を登っている様子を表した「親孝行」の像である。「母背負い 宮のきざはしかぞえても かぞえつくせぬ母の恩愛(笹川良一)」。


「鞆の津ミュージアム」で「孝子像」を探したもののそれは存在しなかった。少しがっかりした。「ヤンキー人類学」の展覧会に、或る意味で「鞆の津ミュージアム」に最も関係の深い「孝子像」が存在しないのは画竜点睛を欠く。何故ならばこの展覧会のトークイベント(6/15)に登場する斎藤環氏によれば、「現場主義、行動主義、『いまここ』主義、個別主義、家族主義、そしてすべてを貫く『愛と信頼』主義」(斎藤環「ヤンキー化する日本」)が「ヤンキー」を特徴付ける一つとされるからであり、CM中の笹川良一氏による「親を大切にしよう(家族主義)」「町を綺麗にしよう(地元LOVE)」「体を鍛えよう(行動主義)」、そして「世界は一家、人類は皆兄弟」や「孝子像」は斎藤環的に典型的な「ヤンキー」事例であるからだ。


ここで斎藤環氏の著作「世界が土曜の夜なら ヤンキーと精神分析」の帯から引く。


たとえば坂本龍馬白洲次郎、B'z、金八先生EXILE橋下徹YOSAKOIソーラン、ラーメン屋の作務衣、キラキラネーム。キティちゃん、ドン・キホーテ、純白の羽織袴、ジャージ。リアル、地元、絆、母性。現実志向、行動主義。アゲと気合、そしてバッドテイスト。光り物とふわふわ、ポエムが大好き――。


ヤンキーは、好きですか?


ヤンキーそれは、日本のマジョリティ。


ここまで目にしてきた福山に、そのヒントが幾らでも転がっている気がした。「ヤンキー」は「バサラ」的なものを必ずしも必要としない。


不安を抱えつつ「鞆の津ミュージアム」の玄関を入った。


【続く】