〈声〉

【序】


このところ「言葉」を巡る幾つかの作品を見た。その多くは、それが帰属する「場所」を含む、「言葉」の「質量」を問うものであった様に思われた。当然「質量」は「時間」と「空間」に依存する。そして「言葉」の「質量」は、「重力」にも大いに関わりがある。時に「言葉」は「重力」の場から全く解き放たれて、「浮遊」する事すら可能であると思われたりもするが、しかし完全にはそうはならない。寧ろ「重力」があるからこそ「言葉」が生まれる。


「言葉」の「質量」の形式は、「声」と「文字」に概ね集約される。例えば、今これを書いている自分の脳内では「声」が聞こえている。その「声」の「色」(=「声音」)は、「骨伝導」を含めた「自分」の「声」に似ている様でもあり、また全く似ていない様にも思えるが、確実に言えるのは、自分は「耳」を通して「聞き」慣れた「日本語」でものを考えているという事だ。或いは「耳」を通して「聞き」慣れた「日本語」が、自分が考える際の「フォーマット」になっている。「英語耳づくり」をするという触れ込みの「スピードラーニング」の全ての教材を購入すれば、或いは「ECC」や「NOVA」に駅前留学し倒せば、頭の中の「日本語」を、「英語」を始めとする「外国語」に「置換」する事が、やがて可能になるのかもしれないし、それでも可能にはならないかもしれない。しかしそうした「『日本語』による思考者」から、「『他国語』による思考者」に「置換」する事に、必要以上の意味は存在しない。


エトムント・フッサール氏なら、そうした「聞き」慣れたものを「指標」と措く事で、それを「還元」の対象とするだろうか。しかし一切の「指標」と無関係にものを「考える」というのは、それはそれで極めてハードルの高い「修練」の対象である気もする。フッサール氏的な「還元」の先にあるものは、元々「備わっていない」もの、それ自体が極めて「イデア」の産物である為に、それは何処にも存在する筈も無い「あるべき肉体」を実現する為の「ボディビル」や「フィットネス」の様な、「トレーニング」や「エクササイズ」の対象となるのかもしれない。


頭の中の「声」は、「明瞭」な「日本語」で喋っている。それは、例えば呂律が回らないといった形で、しばしば「随意」を裏切る物理的肉体としての「器官」である「口」からのものよりも、遥かに「明瞭」な「日本語」だ。果たして祖父の後半生の頭の中の「声」は、どの様なものであったのだろうか。

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父方の祖父(1905〜1987)は、国鉄西鹿島駅(現:遠州鉄道天竜浜名湖鉄道)駅長時代の昭和32年7月、東京大学医学部附属病院分院(東京都文京区目白台:医学部附属病院との組織統合により2001年閉院)に入院する。病名は喉頭癌。忌野清志郎氏や立川談志氏の命をも奪った悪性腫瘍である。祖父の場合は早期に発見された為に、「手遅れ」になる事は免れたものの、喉頭摘出手術によって声帯を切除する事になる。こうして祖父は、以後完全に「声」を失う。


嘗て有していた「声」に代えて、最終的に祖父がコミュニケーションの為の主要なツールとして選択したのは、「食道発声」による〈声〉だった。


 「食道発声」とは、頚部に開けられた「気管孔」経由の呼吸とは別に、口や鼻から空気を食道内に取り込み、それをうまく逆流させながら、食道入口部の粘膜のヒダを声帯に代わる新声門として振動させて音声を発する方法です。これは、人為的に「ゲップ」を出し、それを新しい声とする発声法であり、人工の器具を使わない、あくまでも自分自身の肉声です。


銀鈴会喉頭摘出者の無喉頭音声『食道発声の基礎知識』」
http://www.normanet.ne.jp/~afla-gin/hassei/foundation/mukoutou_1.html


漫談家(元漫才師)のコロムビア・ライト(鳥屋二郎)氏(故人)による「食道発声」の例である。



コロムビア・ライト氏の〈声〉は、祖父の〈声〉とほぼ同じだ。「食道発声」によって「喉摘者」が発する〈声〉には、「健常者」の「声」程の「多様性」というものは無い。互いの「食道発声」者の〈声〉色は、他の「食道発声」者の〈声〉色に必然的に「似る」。「ゲップ」による発声である為に、そこには「声」から判断される様な「性差」も無い。


参考:「女性らしい食道発声法http://ginreikai.or.jp/esp-speech/female.html


上掲「銀鈴会」の「食道発声の基礎知識」にはこうある。


  そこで食道内へ取り込んで「食道発声」に使用する空気のことを考えて見ましょう。人間の肺活量を見ますと…。
   ★男性………3,000cc 〜 4,500cc
   ★女性………2,000cc 〜 3,500cc
であり、通常は平静時で一分間に20回前後の呼吸を行い、一回の呼吸量は、400cc程度が普通と言われています。

  健常者の場合はこの空気を使って声を出していますが、特別に大声を出したり、歌を唄ったりする時以外は、まず必要とする空気の量に意識を払うことはありません。
ところが、喉摘者の場合は、この潤沢な肺の空気は使えないので、別途食道へ取り込む必要があります。個人差はありますが、通常は…
   ★食道のキャパシティ………100cc〜150cc
と湯のみ一杯もない容量ですが、「食道発声」では、一度に容量いっぱいを取り込むのではなく、30cc〜50cc程度の空気を、言葉と言葉の合間に、リズミカルに、そしてスムーズに取り込むことが肝要です。
この空気量を形にしますと…
   ★鶏卵 ……………… 50cc 〜 55cc
   ★ゴルフボール……… 38cc
   ★ピンポン球………… 34cc
となり、これらの大きさをイメージしながら空気の取り込みを行うのが良い方法であると言えましょう。そして例えて言うならば…
   ★健常者………………連発のマシーンガン
   ★喉摘者………………単発の空気銃
であり、「食道発声」の銃は、まず一発ごとに弾丸を確実にこめなければ撃ち出す事が出来ないことを、充分に認識する必要があります。


「健常者」が「必要とする空気の量に意識を払う」事無しに発する「声」と、「喉摘者」が「一発ごとに弾丸を確実にこめなければ撃ち出す事が出来ないことを、充分に認識」しながら発する〈声〉は自ずと異なる。それは「構文」にまで影響する。「食道発声」による〈声〉の「実際」は、果たしてどの様なものだろうか。



ここに一冊の冊子がある。日本耳鼻咽喉科学会静岡県支部機関誌「額帯鏡」第10号の別刷である。別刷タイトルは「食道発声」。そこに「論文」が二本掲載されているが、その内の一つ「私の食道発声研究」は、祖父の手になるものだ。「額帯鏡編集部」による巻頭言には「自ら食道発声を習得するために,人一倍の努力と,永年の研究を積まれ,後輩のために詳細に記述された」と書かれている。「論文」からその「実際」が伺われる部分を引く。


 発声修得の総ては五里霧中のうちに始められるのですが、手術後誰もが始めて経験することは,口先だけの話し方であります。


 口先だけの発声にしても,できる音と,できない音があります。



 以上のように口先だけの発声は,できる音と,できても類似の音と区別不明瞭な音と,そして全くできない音との組合せで話しをしようというのだから,相手方に意の通じ難いのは事実であります。ただ,家人との場合のように,その話しの内容がごく簡単で,口の開き具合などで語句の判断のできる程度の話しに限定されます。この方法は実用に供することはできませんが,後述する食道発声への有力な手がかりとなるものだと思いますので,ここに記載いたしました。


(中略)


 言語は普通の人と同じ調子で行います。食道発声で行う言語は,気管で行っている呼吸の吐く時に調子を合わせつつ口を動かして言語とするのです。つまり,気管の呼吸と食道からの発声と両者互に調子を合わせつつ話しをすすめるのです。ですから,上手に話すにはかなりの熟練を要します。また「ハヒフヘホ」の音だけはどうしても発声できません。「アイウエオ」の音になってしまうのです。いたし方ないので「ファフィフゥフェフォ」というように発音するようにしています。あるいは「貧困」といわずに「貧しい」とか,「ヘンだね」と言わずに「オカシイ」と言うようにしています。


(中略)


 空気を呑み込む量が多ければ多い程,話す語句は長くなるのですが,昨日は何語発声できた。今日は何語発声できた。というように記録する。何月何日には腰かけて発声できたに過ぎなかったが,何日からは寝ていての発声に成功した。或は歩きながらの話しにしても,ゆっくりした歩調のときには話せたが,普通の歩調のときは話せなかった。ところが練習をした結果,何日にはこうであったものが何日後にはこうなった。というように記録し,日一日,科学的研究による向上を図るのも大切だと思います。


(中略)


 食道会話は,空気を呑む,話す,空気がなくなる,又呑む,話すことの連続です。これが生理器官の正確な活動に歩調を合わせての芸当だから,兎角話しを急ぎ勝ちになる傾向が私にはありました。


(中略)


 人と会話するにしても,こちらから先に話しかけることは容易でも,ひとからの問いに対し,即座に口をついての回答はなかなかむずかしいものです。あるいはまた,電話の応答も相当の工夫がいるし,音声に高低こそなくとも,歌になっているような,歌らしい歌を歌えるまでにはかなりの努力を要します。これら総てを曲りなりにもマスターして,相手方に全然わからない境地にまで達すれば,まづまづ成功と云えると思います。


 これまでいろいろと述べて来ましたが,今まで話して来たのに,手術の結果急に話しが出来なくなったのであり,これ程不都合で,不便でもあり,また味気ないものはありません。話しのできないことは自らを卑下し,世間からは疎んじられ,延いては孤独のうちに閉じこもることになり勝ちであります。こうしたことを解消し,発声のコツを会得し,病気以前のような明朗な姿に戻ることが何よりも必要であります。


「『貧困』といわずに『貧しい』とか,『ヘンだね』と言わずに『オカシイ』と言う」。〈声〉による「話し言葉」には、常に「書き言葉」に似た「推敲」的な時間が挟まれる。


祖父の上げた「実際」の補足として、前掲コロムビア・ライト氏による「実際」も引用する。「銀鈴会」のサイトに「食道発声漫談エッセイ」として寄せられたものだ。


(1) 声が出ない。(不明)

(2) 咳、クシャミ。痰が切れない、吐き出せない。嗽(うがい)がダメ!

(3) 味、匂いが判らない。(弱く感じる程度)

(4) 大きい物を食べると食道につかえる。

(5) 口笛が吹けない。

(6) 歌が(高い音)ダメ。

(7) お風呂に入るときに肩まで浸かることが出来ない。

(8) 坂道を駈け上がると動悸が激しい。

(9) 車中で息苦しく心臓の脈が多くなる。

(10) 熱いものが食べ難い。


http://blog.livedoor.jp/shokudohassei100/archives/1504489.html

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祖父と話した事は当然ある。祖父は自分のファーストネーム「masumi」を呼ぶものの、祖父による前掲「できる音/できない音」によれば、「両唇鼻音」の「m」は、「口先だけの発声」による「食道発声」では「できない音」である為に、それは「b」に近い音に「変換」されていた。試しに今、その音素列で検索してみると、その多くは黒褐色の肌をした人に多い名前である。当然の事ながら、本来その音素列は、「本来」的な形で自分の名前を表してはいない。その「本来」とは別の音素列が、しかし自分の名前を指している事は、祖父が自分の顔を見ながら「呼び掛け」の形を取っている事で、小学生の自分にも判断が付いた。聞き取り難い音素も、その前後が比較的聞き取り易いものであれば、そこを「埋めていく」事が出来る。但し、未知の単語に関しては、そうした方法では埋めようも無かった。


「知らない言語による会話はノイズに感じる」。或る美術家が、喫茶店の隣の席に座った人達の会話を聞いて、その「煩さ」に顔を顰めてポツリと言っていた事がある。その音素列を「知らない言語」とする者には、「耳障り」な「ノイズ(N)」にしか感じられないが、それを「知っている言語」とする人達は、そこから易々と「シグナル(S)」を拾い、その「耳障り」な「ノイズ」で楽しそうに会話をしている。祖父の話す言葉が「知らない言語」ではない事は判っていたものの、一方で「聞き」慣れている「知っている言語」とは一定の距離が存在した。結局、小学生の「S/N」変換作業は完全とは言い難く、話全体の半分も判らなかったというのが現実だった。

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ある音素列がある。"wɔtaɪmɪzɪtnaʊ"。発音の一例としては、この様にも表せるものだ。この発音記号列で表される音素列から、どの様な「シグナル」が読み取れるだろうか。Aという言語を日常的に話す人に、それを聞かせてみた後に筆記して貰えば、 "What time is it now ?" が得られるかもしれない。他方、Bという言語を日常的に話す人に対して同様の事を試してみれば、「掘った芋いじるな」が得られるかもしれず、その場合文末には "?" ではなく "!" が付くだろう。或いは、Aで "From New Orleans" であるものは、Bでは「ロニオリン」であり、Aで "You ain't nothin' but a" であるものが、Bでは「湯煙夏原」になったりもする。


通常、「掘った芋いじるな」や「ロニオリン」や「湯煙夏原」は、それぞれ "What time is it now ?" , "From New Orleans" , "You ain't nothin' but a" に「修正」されなければならないとされる。しかしここでも思い出されるのは、例の "he war"(彼は戦争する/彼は存在する/…)である。可能的な「ジェイムス・ジョイス」としての「視覚健常者」である/でしかない「ジャック・デリダ」氏が、その「視覚」を有する事を前提として拘るあの文章である。そこには伝統的な「聴覚」に対する「視覚」の優位性が感じられなくも無い。少なくとも "he war" の文字列自体が見えない「視覚障害者」にとっての「声と現象」や「グラマトロジーについて」の持つ意味は、「視覚健常者」のそれとは多少なりとも異なるものだろう。いずれにしても「翻訳不可能性」というのは、こうした音素列にもまた存在するのだと思われる。

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祖父は、時々紙に字を書いて自分に示した。一見それは「筆談」の様に見えるが、振り返って考えてみれば「漢字を教える」だったのだろう。「論文」にはこう書かれている。「ヨチヨチながらも話しができたなら,以後は鉛筆と紙片はなるべく用いないという心構えが大切だと思います」。祖父にとって「筆談」は「敗北」的であった。そして確かに、あの時紙に書かれたものは、紙に書かなければならないものばかりであった。


中学生になると、祖父は「英語」を教えてくれた。「学校では習わない」タイプの「ネイティブ」な「英語」。「外人」に直接習ったというそれは、〈声〉ではなく「紙の上」で行われた。整った筆記体だった。「紙の上」に書いたのには、「発声」不可能という理由があったのかもしれない。しかし「英語」の「発声」不可能は、「日本人」の「健常者」にも別の意味で、否、同じ意味なのかもしれないが存在する。「できる音」と「できない音」はそこにもあったりする。果たして「喉摘者」の「日本人」である祖父と、英語圏の「喉摘者」の間には、どの程度の「障碍」があるのだろうか。それともそれは「健常者」が考える程には存在しないのだろうか。そこでの祖父の「英語」は「流暢」だっただろうか。

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祖父の〈声〉から100%の「シグナル」を得る事は叶わなかった。祖父の後半生の頭の中の「声」は、どの様なものであったのだろうかという事を聞く事も叶わなかった。そして今日も今日とて、様々な声帯から発せられる様々な「声」から、100%の「シグナル」を受け取れたかどうかについては、それもまた100%の自信は無い。


【続く】