生の建築―秘密基地

仕事場を整理していたら古いポジフィルムが出てきた。今から15年程前の夏に撮影したものだ。コントラストの高さがポジの絵だ。レンズがキヤノン FD の赤帯で、フィルムが当時のフジの RDP2 なので余計にコントラストが高い。




航空自衛隊のT-33である。第二次世界大戦中に開発が始まった米軍初の実用ジェット戦闘機、ロッキード F-80 (P-80) を複座に改造したジェット練習機であり、入間川河川敷墜落事故が起きた1999年までは空自の現役機であった。F-80 は第二次世界大戦には間に合わず、直後の朝鮮戦争で実戦配備されるも、直線翼の同機は後退翼を持つ中国軍 MIG-15 に機動性で劣り、開戦直後にミグ同様の後退翼を持つノースアメリカン F-86 セイバーに主力戦闘機の地位を譲っている。


画像手前は、W 社(現在は T 社) という会社の倉庫の屋根だ。機体の相対高度は 5〜6 メートル程だろう。画像の機首の数十メートル先には県道が通っている。15年前にはこの県道を通る者が毎日この機を目撃していた。別角度から見るとこうなっている。




Google Maps の航空写真ではこうだ。



この「家」に T-33 は2機存在している。313号機はサブ機だろう。主力機110号機の機体は支柱で支えられており、それを軸にモーターで360度回転する仕掛けになっている。主力機の主翼には梯子が掛けられている。画像左手には母屋とも基地とも呼べる建物が存在し、そこからカタパルトが伸びてロケット砲が顔を出し、出撃のサウンドイフェクトが流れたりもする。T-33 の機体には、文字や人の名前がびっしりと書かれ、主翼端のウイング・チップ・タンク(増槽)には、魚のグラフィックが描かれ、主翼下フラップの部分には「堪忍」と大書されている。



T-33をここに設えた人物(現在72歳)は、この界隈で「仙人」と呼ばれていたらしい。110号機のキャノピー下のインテークダクトの前にも小さく「仙人」と書かれている。その「仙人」を、仮に「シュヴァル」氏としておく。フランスの郵便配達夫、フェルディナン・シュヴァル氏は、配達中に拾った石で彼の理想宮を築いたが、この「シュヴァル」氏の理想宮は、ジェット機やマイクロバスやトラックやカーブミラーなどが材料だ。



但し物をただ蒐集してただ積み上げただけの偏執的ブリコラージュ建築でない事は、支柱の上にジェット機を設えてモーターで回すという大工事を行なっている事によっても明らかだ。この「シュヴァル」氏は、重機を扱う人でもある。大小様々な大きさのアルミサッシで構成された母屋の壁面デザイン、トラック荷台をそのまま流用した二階のフロア、屋上に林立するトラック荷台のガードフレーム、そして実際の住居であるテントを被ったマイクロバスなどは、見た者の言葉を失わせるに十分であるが、他方どこかで特撮モノに登場する秘密基地めいたデザインでもある。ガードフレームはレーダー装置に見えなくもないし、実際にレーダーなのかもしれない。 今しがた秘密基地と書いたが、この「シュヴァル」氏の理想宮は、あの子供の頃の「秘密基地」に通ずるものなのだろう。それらの「秘密基地」もまた、その多くはブリコラージュ建築と言えるものの、しかしそれらは些かも偏執的ではない。





「シュヴァル」氏は梯子を伝って、この「理想宮/秘密基地」の象徴的アイコンであるT-33のコクピットに座る事もあった。キャノピー下には乗り込みの為の足場板が増設され、機首下にはガトリング砲が装備されている。


5年前、この「理想宮/秘密基地」を再訪してみた。10年の間に木々は育ち、「シュヴァル」氏の「理想宮/秘密基地」は県道からは見えなくなった。正面に回ると T-33 の痛みは予想以上に激しかった。313号機は見えなくなり、110号機の機体後部は欠損していた。そして今、その理想宮は解体されて存在しない。


建築史的に重要だとされる「名建築」ですら「絶滅危惧建築」の危機を免れ得ないケースも存在する。況してやアンドレ・ブルトンもアンドレ・マルローもいない「シュヴァル」氏の「理想宮」の様な「秘密基地」なら尚更だろう。何時の日にか「秘密基地」から子供は心離れ、「秘密基地」の存在をそこで過ごした時間と共に忘却し、やがてそれは失われる。フランスの重要建造物となった、フェルディナン・シュヴァル氏の「生の建築」は「幸運」だったのだろうか。


それにしても「秘密基地」に「戦闘機」。似合い過ぎである。