生老病死

現在放映中のサザエさんの、東京都世田谷区新町3丁目51番地の家は、築何年なのかは判らない。そうしたものの考察は、「東京サザエさん学会」辺りに任せておけば良いものの、しかし福岡で羽振りの良かった波平氏の突然の転勤に伴う、磯野家、及びフグ田家全員の東京入りであるから、恐らく世田谷の家は「中古住宅」だと思われる。フグ田家は、福岡に残っても良かったとも思われるものの、故郷を全員で去らねばならなくなった已む無き事情があったのかもしれない(謎本風)。


磯野家は二世帯住宅であるが、先般放映された、江崎グリコ「オトナグリコ」の「25年後の磯野家」シリーズ(当然、財団法人長谷川町子美術館「公認」)に基づけば、28歳になったタラオはこの家を出ている様だ。一方で、36歳独身のカツオと34歳独身のワカメは、まだこの家にいたりする。江崎グリコの設定では、波平、フネ、サザエは存命中らしい。いずれにしても、波平・フネ夫妻から数えて三世代目は、この家には住んでいない。この家での磯野家は、二世代目のカツオとワカメでどうやら終わりそうだ。カツオとワカメのその後のこの家は、そのままの形で格安中古物件として売りに出されるのだろうか。それともユンボでガリガリと解体された後、全く新しい家になって、全く新しい別の家族を迎えるのだろうか。


生家に居続けるカツオとワカメ、外に出て自営業(たこ焼き屋)を営むタラオ。「いい年」をした「オトナグリコ」を食べる様な「オトナ」が、両親のいる生家に、独身のまま居続けるというのは、「不自然」なものであるというのが、現在の家族観の大勢だろう。第二世代は、やがて生家を出なければならない。それを、通常は「独立」と言いなされていたりもする。従って、近年の日本の「自然」な家族の在り方から言えば、凡そ住処というものは、第一世代で終わらせる事こそが妥当という事になる。住宅ローンが完済した時に、建物の寿命も尽きる。この国の住宅、そして家族の形としては、それで御の字なのだ。


こうした、所謂「核家族」を是とする家族観が一般的なものになったのは、何時の頃からかは判らないが、しかし例えば、「メタボリズム」というのは、「数世代」が同じ家に住み続けるという、今時珍しい家族観を前提にして始まっているところもあるだろうし、或いは「数世代」が住み続けられる町という、一世代で町がシャッター通りになってしまう今時としては、全く珍しい都市観を前提にして始まっているとも言え、それは畢竟、「土地に貼り付いた生活」を前提とする「農村の思考」と言えるかもしれない。恐らく現実的な「動態」というものは、それらのカウントには入っていないだろう。だから「紙の上の構想」と「紙の上の設計」で始まるものは「駄目」なのだ。


建築が、人々の家族観や都市観をリードする事が出来るという無邪気な思い込みは、例えば各地の「ニュータウン」構想にも見られるところだろう。しかし多くの「ニュータウン」は、いつまでも「ニュー世代」の「ニュー」である筈も無く、また「オールウェイズタウン」になる事も無く、数十年でそのまま「オールド世代」の「オールドタウン」になってしまう。一気に開発し、一気に入植者を受け入れるやり方は、町を構成するマスボリュームの「同世代」化を招く。住人の多くが同じ様に年令を重ね、同じ様に老いて行く。後からやってきた者の目には、そこは老人の多い町と映る。


80年代の前半に「金曜日の妻(30代半ば)」だった女性は、現在60代になっている。同じ様な年回りの子供は、フグ田タラオがそうである様に、皆一斉に「独立」して家を出ていった。ふと気付くと、山を削って作ったこの「ニュータウン」は、坂道ばかりの階段ばかりで、とてもではないが、膝や腰が痛くて歩いて出歩こうという気持ちにもならない。確かに「スロープ」はあるにはあるが、しかし「スロープ」が数十メートルもあれば、それは単に「坂道」と呼ぶべきだろう。エレベーターに乗るのに、通常の何倍も歩かされる(車椅子を移動させられる)都市設計というのも不合理極まりない。杖の人間、車椅子の人間を拒む町。嘗て若かった自分にこそ適合した町。最早車無しの生活は考えられない。一方でバスの老人パスはある。郊外型のショッピングセンターならば、夜遅くまで開いていて、品数も豊富で、しかも安い。何も、デベロッパーが無理矢理、勾配や階段だらけの駅前に作った、何もかもが中途半端な店に行く必要など無い。それで町が寂れるなどは、知った事ではない。それでなくても、もう十分に寂れているではないか。残された自分達同様、町も老いていけば良いのだ。

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時期を逸した「同時代作家」の展覧会レビューになる。会期は先週日曜日に終わった。但し、大抵の展覧会レビューというのは、掲載時には時期を逸しているものだろう。それとは別に、この人達が「同時代作家」であるのかどうかも判らない。最早彼等は、自分と「同時代」に「生きていない」からだ。


10月末に、そのメールはやってきた。駐車場の「タイムズ」を運営する「パーク24」からのものだ。


秋の風を感じるようになった、この頃。こんな時こそ、芸術に触れる
ために美術館に足を運びませんか。
今回、多摩美術大学美術館のご協力を頂き、現在同館で開催中の
『〜表現する葦〜 吉田哲也 若林砂絵子』展覧会のペアチケットを
メルマガ読者の方々にプレゼントすることとなりました。
ご応募お待ちしております。


〜表現する葦〜 吉田哲也 若林砂絵子
会期:10月29日(土)〜12月4日(日)
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美術家として急逝した多摩美術大学出身の2人。寡黙でありながら
厳しさと鋭さを持った彫刻家、吉田哲也。意欲的でありながら、
苦闘の跡が作品から垣間見える若林砂絵子。

2人の中にある美への探究は「表現する葦」のごとく、作品を現代
に残しました。きっと2人の作品を見ることで、心の奥底から共鳴
と勇気が湧きあがるはずでしょう。


それに続けて、多摩美術大学美術館周辺のタイムズのリンクが貼られている。確かに、多摩美術大学美術館の周辺はタイムズだらけだ。そのメールに心動かされた訳ではなく、以前から観覧予定をしていた展覧会を見る為に、多摩ニュータウンの中核である多摩センターに建つ多摩美術大学美術館に車で出掛け、美術館の向かいにあるタイムズ多摩センター東第1に車を止めた。元々東京国際美術館だった多摩美術大学美術館は、多摩センター駅からは結構歩かなければならないロケーションにあり、従って、駅のペデストリアンデッキから伸びる長大な「坂道」を登らねばならない。この展覧会に来る数日前、この「坂道」を重いスーツケースをゴロゴロ言わせながら歩いた事があるが、ここは「体力」に恵まれていないと辛い町だと実感した。ここもまた、ニュータウンの例に漏れず、人生の「生老病死」の内、「生」の比重が極めて高い設計と言える。そもそも「建築」や「都市計画」というのは、概ねそういうものだろう。


吉田哲也氏は享年40歳、若林砂絵子氏は享年36歳。それを「夭折」とするには異論があるだろう。Wikipedia の「夭折した著名人」には、「確認の要約」として「夭折の基準が40歳以下から30歳以下に提案なく引き下げられているが、このまま維持して良いか」と書かれている。その「芸術家」の項目には、「ジャン・ミッシェル・バスキア(27歳)」「青木繁(28歳)」「村山槐多(22歳)」等が列挙され、御丁寧にもマサッチオ(26歳)まで載っていたりするが、「夭折」というロマン主義チックな括りは、出来れば人類長命の引き金になった産業革命以降、或いは近代以降としたいところだ。但し「山田かまち(17歳)」が載っていない事には、一定の「見識」を感じたりはする。


いずれにしても、両者共に「夭折」の時期は去り、「人生の次段階」の入口がそろそろ見えてきたところでの急逝である。「人生の次段階」。その時にまた「作家の次段階」というものが立ち現れる事もある。その時、多くの作家は「作品展開」を考える。吉田氏にしても、若林氏にしても、寧ろジャクソン・ポロック(44歳)に近い年齢で他界していると言えるだろう。果たしてジャクソン・ポロックの「その後」はどうなっただろう。そしてこの二人の「その後」はどうだっただろうか。


しかし、些か「枕」が長くなり過ぎた。「本題」は次稿に委ねる事とする。


【続く】