料理

【幕間】


嘗て「料理界のドラクロア」と称されてTV出演した料理人がいた。彼の作る料理のどこが「ドラクロア」なのかは最後まで判らなかったが、それを別にしても、彼は一生掛かっても「ドラクロア」になる事は叶わないだろう。それは彼が料理人だからであり、彼の作るものが料理だからだ。


料理人の作る料理が、画家の描く絵画と異なるのは、そこに「著作権」が存在しないところにある。「思想又は感情を創作的に表現したものであつて、文芸、学術、美術又は音楽の範囲に属するもの」が著作権法に於ける「著作物」を規定している。料理はそこには含まれてはいない。但し、料理に「思想又は感情を創作的に表現」が原理的に欠けているのかどうかは判らない。


料理を盛る器には、場合によって「著作権」が存在する。何故ならばそれは「美術」だからだ。しかしその上に乗る「主役」である「料理」に、それは適用されない。従って料理人は「著作権料」で食べていく訳にも行かないので、常に「料理」を「作り続け」て「売らなければ」ならない。


料理のレシピに著作権が適用される場合もある。但し、その対象は、レシピの「文章表現」であったり「写真」に対してであったりだ。料理自体には著作権的な意味での「創作性」は認められない。仮に料理人が安定した収入を得ようとするなら、料理それ自体を売るのではなく、売れ筋なレシピ本を売るべきだろう。


「私の中華料理少しウソある。でもそれいいウソ。美味しいウソ(陳建民)」。


仮に陳建民氏がそれらを考案したとして、日本風にアレンジした「麻婆豆腐」「乾焼蝦仁」「回鍋肉」「担担麺」等に仮に「著作権」が存在し、それがミッキー某なるキャラクター程に「手厚い保護」がされていれば、未だにそれらのメニューは「四川飯店」の内部に留まるものであっただろう。著作権の最大の功績は、著作権の対象から料理を外したところにある。


しかしその一方で、こうした料理人は著作権を主張したくなるかもしれない。



全く同じものが、どこかの街の料理屋で出されていたら、果たしてこの「思想又は感情を創作的に表現」したいプログレッシブな料理人はどう思うだろうか。


(昨年8月のツイートに加筆修正)


【続く】