夜景

ここ暫く病院に寝泊まりしていた。


病室から出れば、自分たちのいる病室の、向かいの入り口が開け放たれた空の病室の窓から、「外」の世界の夜景が見えた。付近には「夜景が見える」事を売りにするレストランやホテルやマンションが多く存在する。病院の窓外に広がる夜景は、それらから見えるものと全く遜色ないものだろう。しかし「夜景が見える」事を売り文句にする病院は少ない。どころか殆ど存在しない。


レストランやホテルやマンションの夜景が「売り」になるのは、畢竟そこから見える夜景がポジティブな意味を持つと思われているからだろう。見れば必ず気分が落ち込んでしまう夜景を売りにするという事はまず考えられない。それがポジティブであるのは、例えば夜景がロマンティックを想起させるが故にだろうか。それともそれが、一種のライト・アート、ヒーリング・アート的意味を持つが故にだろうか。或いはまた、俯瞰の視点を手中にした事による全能感の獲得故にだろうか。


病院から見える夜景。それは極めて稀にロマンティックなものかもしれないし、一種のライト・アート、ヒーリング・アート的意味を持ったり、全能感の獲得であるかもしれない。しかしその一方で、病院内の人によっては、病院の窓外の夜景に対して、「必ずあそこに帰る」事を決意させるものかもしれないし、また場合によっては「あそことは別な場所にいる」自分を否応無く再認識させられる事になるのかもしれない。


それら夜景に対する思いは、それぞれ病院内に留まらざるを得ない人の持つ、様々なレイヤー、様々なフェイズによって異なるものだろう。しかしそれでも共通すると思われるのは、この夜景を見ている自分自身の現状を、最終的には肯定的なものとして捉えてはならないという事になるのかもしれない。何時かはここから出なければならない。どういった形であれ、ここから出なければならない。病院はそこに留まってはならない場所だ。ならばやはり病院の夜景を、留まりたい事が条件である売りにする事は出来ない。


真夜中。病院の窓外の夜景をぼうっと見ていた。雨混じり。眼下の幹線道路を行き交う車のヘッドライトとテールライト。それが濡れたアスファルト路面に反射する。視線の角度を上げると、遠くに見える繁華街。ライトアップされた観光名所。暗鬱であるとも、暗鬱でないとも言えない景色。


やがて電子音と共に明滅する赤い光が近付いて来る。新しくここに運ばれてくる人。あの向こう側の夜景の場所から運ばれてくる人。夜景の場所には、治療と看護を必要とする人達が常に存在している。病院はそうした人達を産出する特別な場所ではない。そうした人達が、あの夜景の場所から、病院という一つ場所に集約されているだけだ。病院には治療と看護を必要とする人達、病院外にはそれ以外の人達という事ではない。


救急搬送場所に施された、カーテンによる厳重な目張り。見てはならないもの。それを確認すると、回転する赤い光が単調なリズムを刻む夜景を見る事を止めた。そして或る知己の人物の事を思い出していた。

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或る日の事、突然その人は子息を失った。やがて周囲はその人に対して反目した。反目の切っ掛けとなったのはその人が、子息の死を周囲に知らせなかったからだ。子息の死を知っているのは、その人の1親等以下と子息の友人知人に限られていた。


死を周囲に知らせてくれないと困る。常識を弁えていない。変わり者。反目の理由は大筋で共通していた。悲しみは、周囲と共有する事が常識とされる。「悲しむ周囲」と、「悲しみ」を「分かち合う」為にも、「悲しむ周囲」が「悔み」や「弔い」の言葉を遺族に掛ける為にも、それは公開されなければならない。公開されなければ、周囲の「誠実」は果たされない。しかしその人はそれをしなかった。人生の嬉しい事も、悲しい事も、その人は周囲との共有を拒んできた。周囲の「誠実」を拒み続けるその度に反目をされた。その人は恐らく「変わった人」なのだ。


その人が今どうしているのか知らない。本人もその家族も知らせる事をしない。病院にいるのかいないのか。逐一その人の近況を知ろうとする事をもその人は拒んでいるだろう。

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その病院には、そこかしこに美術作品が設置されている。その多くは油彩画の大作だ。どれも悪い絵ではない。しかし、例えば巷間美術愛好者と呼ばれる人達を100%満足させる物ばかりであるかどうかは判らない。ここに設置された作品を全て集め、ギャラリーや美術館で展覧会仕立てにしたとして、果たしてそれが美術界で話題の展覧会になるかどうかもまた判らない。


それ以前に、患者の多くは、それら美術作品に対して関心が無い様にも見える。関心を表す行動が、どの様なものであるかは様々だろうが、例えば美術館やギャラリーで、関心ある美術作品に対する様には、立ち止まるでもなく、注視するでもない。仮に美術館やギャラリーでそうした行動を取れば、それは関心の埓外にあると見えるだろう。


展示されている作品の力量不足によって、患者の関心を止められないとする見方もまたあり得るかもしれない。そうした見方をする人は、ここにあるよりも、もっと良い絵があると言うかもしれない。そして、美術界で現在最も力量があるとされる作品を持ち込めば、患者の作品に対する関心は、今よりも格段に集められるに違いないと思うかもしれない。


ナースステーションの脇の大きな油彩画の代わりに、その時々の美術雑誌で特集を組まれる様な作品を、想像の中で入れ替えてみた。そしてギャラリーや美術館の様に、短期間の内にそれらを頻繁に取り替えてみる。何かが大きく変わった感もあり、何も変わっていない感もある。それでも、病院の患者を立ち止まらせる力量を持った作品があったとして、しかし広く患者を美術作品の前に立ち止まらせるという事の意味は何になるのだろう。それは病院患者の、美術に対する理解の浸透という事になるのだろうか。


ここにある作品の殆どは、恐らく病院に飾られる事を企図して描かれたものではないと想像される。何かの展覧会等に向けて描かれたものが、様々な経緯でこの場所に集められたのだろう。従って、それらは「患者の事を思って」とか、「激励の思いを込めて」とか、「病気とは何であるかを考察して」とか、「命の大切さを訴えて」とか、「癒しを与える事を意図して」等といった、「分かち合う」事を志向する「誠実」からは描かれてはいない。それらの絵と、病院とは徹底して無関係だ。そしてそれらは、多くの患者の関心の外にある様に見える。多くの作品が、病院の中の人にとってそうした関心の外にあるのは、果たして彼等との関係を持とうとする「分かち合う」事を志向する「誠実」が欠如しているが故にだろうか。

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病院と美術という組み合わせに対する試みは、今までにも幾らか存在した。例えば美術愛好者でもある開業医が、自らの医院の待合で美術家に展覧会をさせるというケースがある。或いはまた、病院主導か美術家主導かの違いはあるものの、病院そのものを展覧会会場にするというケースもある。


もう随分と前の話になる。ある病院を会場に若い人達が集まって、現代美術のグループ展を開いていた。会期は10日余り。病院から10日で去っていく作品。公開時間は、病院の診療時間と重なっていた。少なからぬ美術愛好者が、美術と病院の関係を見に病院を訪れた。そしてその傍らには、常に診察を待つ患者がいた。美術愛好家にとっては、それは固有名詞を持つ誰其ではなく、一律的な「病院の患者」として、病院を問題とした美術作品の背景として埋れていたのかもしれない。


「病を考える」作家、「命を考える」作家、「病院の設備を異化する」作家、「患者を癒そうとする」作家…。それぞれの若い作家は、「分かち合う」事を志向する「誠実」をそれぞれ備えていた。全ての作品はそれぞれの形で「誠実」だった。


こうした若い人による「誠実」な展覧会が、今こうして寝泊まりしている病院で再現されたとしたら、一体どう見えるものだろうかと次に想像してみた。真夜中の病院。そこに「病を考える」作品、「命を考える」作品、「病院の設備を異化する」作品、「患者を癒そうとする」作品…。暫く想像するものの、そうした「誠実」を受け止めるにも、一定の条件が必要である様な気がして、想像するのを止めてしまった。

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父親が他界した時、まだその人の墓は無かった。墓が完成するその時まで、都営霊園の納骨堂に一時収蔵という形を採った。ドーム状の建物。そこにロッカー式の墓地がある。30年更新5,200基の長期収蔵施設と、7,500体収容の一時収蔵施設。その敷地内は一切の宗教行為が禁じられている。口に出して宗教的詠唱をする事も、花を手向ける事も出来ない。それらは敷地境界となっている納骨堂周囲を囲む回廊に設置された祭壇で執り行なわれる決まりとなっている。


線香と花をバッグに収めてから回廊を回り、事務棟の様な建物からそのドーム内に入っていく。職員から墓参に関するレクチャーが行われる。ドーム内中央には御影石製の三角錐のモニュメント。そして周囲の壁面内に遺骨は入っている。同行した母親が、遺骨の収まった「エリア」を、壁面のモザイク画の模様によって職員から説明される。遺骨のピンポイントな場所を知る事は出来ない。「この中央にあるモニュメントを挟んで、そのエリアと反対側に回って、モニュメント越しにお参り下さい」。レクチャーはそれで終わった。


モニュメントは或る現代美術家の作だ。巨大な三角錐から水が流れている。あらゆる宗教観を廃したのは都営ならではの政教分離の考えもあるだろう。三角錐のモニュメントと、それを挟む参拝の方法論は、都のアイディアにせよ、美術家のアイディアにせよ、そうした「制約」を「現代」的に上手く「躱して(かわして)」いると感じられた。


http://www.e-art-studio.co.jp/pu/mtm_data.html


上昇性を表す三角錐と、その先にある天井部の採光部。そして壁面のモザイク画による「花畑」。それらは象徴的なまでに象徴的だ。そうした象徴空間内にあって、美術作品「波動の光景」「波の円錐」の造形性を問う事は無意味に思われた。


矢庭にベンチで隣に座っていた母親が堪り兼ねた様に立ち上がった。「監視」の職員が出払ったのを見計らったのだ。彼女は座っていた場所から、反対側の遺骨のあるとされるエリアの壁に向かっていく。モニュメントや天井の採光部が彼女の背中側に回る。「誠実」なコンセプトの外側に彼女は回る。


「お父さん。また来るからね」


そう言って母親は、その象徴空間から逃げる様に立ち去った。

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病院に留まる人の、病院の美術作品に対する関心は低い。その一事を以て、病院に美術作品は無くても良いと考えるのは早計かもしれない。一方で、病院には美術作品が絶対に必要不可欠である。そう考えるのもまた早計かもしれない。それら病院の美術作品に対する思いは、夜景同様、それぞれ病院内に留まらざるを得ない人の持つ、様々なレイヤー、様々なフェイズによって異なるものだろう。


一般的な絵画は、その矩形の形から言っても、垂直壁面に設置される事でも、窓の進化形(退化形)とも言える。それはまた、夜景の進化形(退化形)かもしれない。夜景は少しも「誠実」ではない。病院にいる人達を励まそうとする夜景、慰めようとする夜景、一緒になって嘆こうとする夜景、同情しようとする夜景…。そんな夜景があったとしたら。例えば病院から見える景色の中に「がんばってください」「あきらめないでください」「みまもっています」「いのちはたいせつ」といった様な、それぞれに「誠実」であろうとするネオンサインが林立していて、それしか病院の中の人に見えなかったとしたらどうだろうか。


夜景は少しも「誠実」ではない。だからこそ病院に窓があるのだと言える。仮に或る日を境に、窓のあった病院から一斉に窓が無くなってしまったとしたら、その時に初めて病院の夜景が持っていた意味が見えてくるのかもしれない。そして、或る日を境に、そこにあった病院美術が忽然と無くなってしまったとしたら、そこで初めて、病院内の人の何人かは、そこに病院美術と自分との関わりを自覚化する事もあるだろう。


無くなってみて初めて判る価値。そうしたものが掛け替えの無さという事なのかもしれない。それまでに掛け替えの無いものとして思われていた、或いは思わされていたものを、或る日どうでも良いものと見えてしまう様な多くの掛け替えの無さは、それに気付くのに、常に引き返し様の無い遅延として現れる。まるで気付かない事が、掛け替えの無さの条件であるかの様に。