危機

承前


ある人文科学系の研究サークル(関東地方)のMLからメールが来た。


月一回の会合を、関東地方の繁華街にある古色蒼然たる雑居ビルの一室で、関東地方在住者が集まって行われるこのサークルは、人文科学系の内でも「美術」に特化したものであると言って良いだろう。今月の「お題」は「批評の危機/危機の批評」という事らしい。格助詞「の」を挟んで、主語と目的語を反転したフレーズをスラッシュ(蝶番)で対称的に対置するという1980年代風テクニックは、それだけで意味深長に見せる事の出来る、今でもまだ使い勝手の良い、しかし少しだけオールドファッションな魔法の一つだ。当然反転された「批評」にしても「危機」にしても、それぞれに反転前とその後では意味の「ずれ」があり、その「ずれ」にこそ重要な意味深長があるとする主張を盛り込める効果もあったりするから、1980年代に青春を過ごした様な年配者にとっては、未だに重宝するテクニックなのだ。


批評は危機に陥っている。その危機(だと思われる。まさか今話題の「あの危機」ではなかろう)にあって、批評は如何にあるべきか(今「べき」と書いてしまったが、恐らくこれも「べき」なのだろうと想像する)。この「お題」からはそう読み取れたりもするが、しかしそれとは全く違う意味なのかもしれない。


メールの中核を為す説明文(数百字)は、大きく四段落(+α)で構成されている。


第一段落は、この一年間に鬼籍に入った美術評論家の名前が列挙されている。針生一郎氏、中原佑介氏、瀬木慎一氏、多木浩二氏。そしてここでタイムスケールが大きく変わり、「はるかむかし」の宮川淳氏、東野芳明氏、織田達朗氏の名前が上げられ、最後に「世代の異なる」鷹見明彦氏となっている。この段落に於ける美術評論家の名前の列挙には、「影響力のある」美術評論家が、立て続けに不在となってしまったという喪失的印象を与える意味があるのだろう。現在の美術評論家の総数は、恐らく往時とそれ程変わっていないか、「自称」を含めれば、寧ろ往時よりも遥かに増えているのかもしれないが、こと「影響力のある」で篩い分けるフィルタを通してしまうと、後には誰も残らなくなってしまうという意味なのかもしれない。ならば、ここで既に見えている「危機」は、何故に現在の美術評論家は、その影響力を、往時の「スタア評論家」達の様には行使出来なくなったのかという問いに集約される事になるかもしれない。その場合、その解答としては「世間が悪い」から「才能が無い」まで、色々と導き出される事だろう。


第二段落は、前段前半部で名を上げられた諸氏の他界が、「60年代批評」を担っていた人物の他界という「60年代批評の問題」に留まるものではなく、「50年代に出自をもつ」針生氏、東野氏、中原氏の、所謂「御三家」こそが、「日本においてプロの美術批評を確立した」人物であるからだと書かれている。現在の「批評の危機」の「危機感」の意味がこれで判っただろうか。しかし余り判らなくても、全然判らなくても、取り敢えず次に進む事にしよう。それから畳み掛ける様に、3月30日付の朝日新聞夕刊で、建畠晢氏が「『批評家時代の終焉』3旗手逝く 批評の志 継がないと」なる記事を寄せている事に触れ、これ(美術評論家の相次ぐ他界)が「『批評の終焉』を思わせずにはおかない事態」であると続く。朝日の記事では、建畠氏が「批評家の不在が批評自体の不在を意味するなら、美術の状況はいたずらに弛緩してしまいかねないだろう」と書いているものの、その「批評家の不在」が「批評家の他界」と即座に同義でない事に対しては、細心の注意が必要だと思われる。先述した様に、批評家は「建畠晢」氏を含めて決して不在なのではない。「在」であると認めるに値しない事を「不在」と言うのなら兎も角。


「美術の状況」が、「いたずらに弛緩してしまいかねない」事を防ぐ為に、「批評」が必要であるとして、ならば「批評」は、「弛緩」を許さぬ「検閲官」として「美術」に対して機能しなければならないだろう。即ちその「検閲」が影響力を行使出来る為には、「美術」はまず「批評」を恐れ(畏れ)なければならない。その「恐れ」が何に由来するのかは、色々とあるだろう。「頭の良い人から叱られちゃった」から始まり、「商売上差し支える(商売上利用出来る)」まで含めて、それは様々だ。しかし現実的には、今や「美術」は、「批評家」を単純に面倒臭え奴だと思う事はあっても、恐れ(畏れ)なく(利用しなく)なったという事はあるだろう。「批評」のもたらすゲインとロストは、「美術」にとってすら相対的にミニマムになった。批評家の言う事を聞いて、果たして「得」になるかどうかといった「そろばんずく」の対象に、批評家の発言の存在感は変わった。そして何も「得」な事は無いと結論付けられた時、「批評家」のその存在が誰にも見えないものになった。


第三段落。村上龍氏の「13才のハローワーク」に於いて「文芸評論家」を「すでに需要のない職業とみなして」いるとして、「文芸批評は、政治学、思想史、社会学文化人類学言語学など、さまざまなサイエンスのなかに分散してしまったと考えられる」と分析する。確かにそういうところはあるにせよ、ここでまた問題となるのは、一度分散してしまったものを、再度「文芸批評」という形で統合する事の意味が問われるだろう。そこには単に統合・総合するのではないという、些かお決まりの解答があるのかもしれないが、いずれにしても「文芸批評」の「危機」は、「美術批評」の「危機」とも相即し、「美術批評」の衰退は「美術批評」の「ドン(若干死語)」の退場以前に既定のものであり、美術評論家の相次ぐ死は、その衰退の進行過程に於ける「ダメ押し的兆候」であるとする。


第四段落の冒頭は次のフレーズで始まる。「批評criticismの不在は由々しき事態」。「由々しき」という言葉を久し振りに聞いたが、その「由々しき事態」は、「由々しき事態」界の兵隊の位で言うとどれ程だろうか。例えば「20mSV基準引き上げ」の「由々しき事態」とどちらが上だろうか。そうした比較は無意味であると思いつつ、しかし「批評criticismの不在」を「由々しき事態」と捉えるのは、現実的には「批評」との利害関係にある者の範囲内に留まるだろう。実際のサークルの会合では討論形式を取るらしいが、その討論のメンバーは、「美術史家」一名、「美術評論家」三名(ここに三名。人数からすれば、既に「御三家」と同じである。少しも「不在」ではないのだ)、「美大助手」一名、新聞社文化グループ担当一名という面々であるから、基本的に全員が「批評」が「必要」であると考える立場になると考えて良いだろう。そして「批評」と「状況」との親和性を高めていくといった方向に議論は進むのかもしれない。今日の批評に於ける、可能性と不可能性(可能性/不可能性)を探るという意味の事も書かれているが、その不可能性は、「超克」可能なものにその想像力を限定されるだろう。


別のブログに引用したアドルノを、再度こちらに引く。


文化批判者へと進んだ市民社会における批評家という職業のあとをたどってみるなら、その起源のなかに、たとえばバルザックもまた目撃したような、簒奪者的要素を紛れもなく見ることができるだろう。かつて職業的批評家は、まず〔文学界等の消息を伝える〕通信員だった。つまり精神的所産の市況を教えるのをこととしていた。その間に時おり事態を洞察できたとしても、それでも彼らはつねに商品流通の代理人にとどまっており、商品流通の個々の所産とでなくても、その領域そのものと一心同体だった。かつて彼らがこの代理人の役割から跳び出したときでさえ、彼らはその領域の痕跡を帯びていた。そういう彼らにまず専門家の役割が、次に審判の役割が付託されたことは経済的に不可避だったとしても、その本来の仕事を基準にすれば偶然的なことだった。彼らはまめまめしく立ち回り、競争のなかで次第に優遇された位置を与えられるようになったがーー優遇されたのは、評価されるものの運命は彼らの批評家の票に懸かっているからだがーーその彼らのまめまめしさは、彼らの判断そのものが権限のあるものであるかのような仮象を生み出した。そして彼らが巧みに隙間に滑り込み、印刷物の普及に伴って影響力を得ることによって、批評家たちは、今日彼らの職業がすでにそういうものを表向き前提している、あの、ほかならぬ権威を獲得した。彼らの横柄さは、すべての存在が他のための存在にすぎない競争社会の諸形式のなかでは、批評家自身もまた市場での成功によって評価されるという状況に由来する。したがって、それは彼が市場で成功した者であることを物語っている。かつては専門的知識は第一義的なものではなく、せいぜいのところ副産物だった。しかし次第に専門的知識が不足するようになるにつれて、それはいっそう熱心に消息通、つまり大勢順応主義によって置き換えられるようになる。批評家たちが彼らの桧舞台である芸術において遂に自分が価値判断するものをもはや理解できなくなり、みずから進んでプロパガンダの専門家や検閲官に身を落としたとき、彼らはこの職業の昔ながらのいかがわしさを身をもって体現したのである。情報と地位の優先権によって、批評家たちは自分たちの見解がまるで客観性であるかのように語ることができる。しかし、その客観性は、支配的な精神の客観性にすぎない。批評家たちは、そのヴェールをそれと一緒に編んでいるのである。


テオドール・W・アドルノ「文化批判と社会」渡辺祐邦/三原弟平(訳)ちくま学芸文庫


「批評家」もまた「有益」でありたい。しかし現在、「批評家」は「美術家」同様、或いはそれ以上に社会的な期待値が必ずしも高いものでは無い。そうした社会的期待値の低い場所では、「批評家(の主観)」が思うところの客観性が、客観性として機能しない。精々のところ、教育機関や、研究機関や、言論機関辺りの、「嘗て支配的な精神だったもの」の影響力が辛うじて及ぶ範囲でのみ、客観性の様に見えるものとしてそれは働く。一方で、主観的である事を選択すれば、批評家である事の根底が危うくなってくる。


それは確かに危機だ。批評家にとって危機であり、批評家の美術にとって危機である。それは「批評の危機/危機の批評」から「批評家の危機/危機の批評家」の問題にシフトする。そして「批評家の美術の危機/危機の批評家の美術」「批評家の美術家の危機/危機の批評家の美術家」を道連れにしようとするだろう。しかしその道行きに、同行者はいるだろうか。


その危機は、危機の世界の兵隊の位で言うとどれ位だろう。


【続く】