マナー

美術館には見る為、それ以前に、そこに入る為に「遵守」するべき「法則」というものがある。


大人には「分別」というものがあり、通常それは既に身に付いているとされる。しかし「元気印」の子供には、まだそうした「分別」が備わっておらず、子供と作品について語るよりも先に、そうした「法則」が「教育」されなければならない。


以前見た「こどものための」的展覧会の刷り物にもそれは書いてあったが、例外を標榜する美術館以外、大抵の美術館では「はなしてはいけない」「はしってはいけない」「あそんではいけない」「さわってはいけない」が代表的な「法則」になる。それが「はじめてのおつかい」ならぬ「はじめてのびじゅつかん」である。世間は厳しい。当然世間の一部である美術館も厳しい。美術館に於ける遵守するべき数々の「法則」を学ばせる事。それが「躾(教育)」であるとされる。


例えばこの「ママといくはじめての美術館」というブログでは、「美術館」へ行く際の子供への「躾(教育)」の「正しい」やり方の一つを教えてくれる。


美術館の展示室では、
作品に触ったり、走ったり、大声を上げたり、
飲食はできないことになっています。
子どもは知らないのですから、
最初は、叱るのではなく、
きちんと教えてあげてください。

「ほらほら、(座っている)監視している人に怒られるわよ」

そんな風に注意しているおかあさんをよく見かけますが、
怒られるから、走ってはいけないのでなく、
走るところではないから「走らない」のだ、
どうして作品に触ってはいけないのかという理由を、
教えてあげることが大切です。


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言って聞かせられない子供を持つママ(パパもいるんですが)や、何時泣き出すか判らない乳幼児を持つママ(パパもいるんですが)等はどうすれば良いかと言えば、恐らく美術館に行かなければ良いのである。授乳室等は多くの美術館にも存在していて、一見「カモーン・ベイビー」の態勢を整えてはいるが、それでも会場内で子供が泣き出せば、周囲からはそそくさと退場せよという無言のサインが出る。その「圧力」に耐えられないのなら、美術館になど行かなければ良いのだろう。ロンドンの「テート・モダン」では、乳幼児をベビーカーに乗せた母親を「ヨゼフ・ボイス」展で見掛けたが、案の定と言うか、案の定ではないと言うか、その乳幼児は会場内で泣き出したものの、紅毛碧眼(碧眼であったかは定かでない)の母親は我関せずであり、周囲もまた無関心だった。こうした「テート・モダン」や、「ロンドン」や、「イギリス」や、「ヨーロッパ」は、「流石」なのか、「駄目」なのか、そのどちらでもないのか、そもそも極めて個別事例に留まるものなのかは判らない。


やがて子どもが成長し、こうした「教育」の甲斐あってかそれなりの「分別」を持ち、同時に「話してはいけないが、小声なら良い」とか「走ってはいけないが、早歩きなら良い」等を何処からか学ぶ。しかしまた成長と共に、児童がケータイなどを持ったりすると、今度は小声であっても、隣の人と話す事はオッケーだが、遠くの人とケータイで話す事はいけないと学び、スチャラカでフザケた着信音を鳴らさない様にしなければならないと学び、それ以前にケータイの電源は切っておいた方が良いと学び、或いはケータイのカメラ機能で作品や会場内を撮影してはならないと学び、それとは別に、会場内でニンテンドーDS等に興じてはならないと学んだりする。


そしてここから先は、美術館に於ける高度な大人の「教育」になる。まずは酒気帯びは駄目であろう。美術館の入口は、ほぼ「不許葷酒入山門」である。但し、ニラ、ニンニク、ラッキョウ、ネギ等は、許される範疇にあると思われる。美術館の「内覧会」や「オープニング」は別だが、あれは「美術作品」ではなく「美術界」を見たり、コネクションを遣り取りしたりする場なので、酒気帯びは許されており、寧ろコップを持ちながらの少しばかりの酒気帯びは、そうした「パーリー」に「花」を添えたりするとも見做されているところがある。従って大声もまた許されている。


しかしそうした「パーリー」とは異なり、通常観覧の場合、一旦美術館に入ったならば、「美術」に誠心誠意向き合うというマナーは、最も「大切」なものの一つであり、最も「高度」なものの一つだ。子供レベルの「(大声で)話さない」「走らない」「遊ばない」「触らない」はもとより、「携帯で話さない」「撮影しない」「携帯ゲーム機に興じない」等もまた当然だが、それ以上に「作品」を前にして、「作品」とは関係の無い事を話したり、メールを打ったり、ろくすっぽそれを見ないで素通りする事もまた、高度なマナーとしては「いけない」事とされている。


例えば美術館の会場内で、「あいつマジウザ」や、「今日の晩ご飯何にしようか」という話題を出す事は、余り褒められた事ではないとされる。足早に「あ、これ見た、あれ見た、えーと、全部見た」的に作品の前を通り過ぎるのもまた、美術館的に「マナー」違反である。「マナー」モードでメール着信、即座に返信も、恐らく「マナー」違反である。


「作品」を前にした観客は、兎に角それに没頭するのが「マナー」だ。平均数分間はその前に立つ事が望まれる。そこで腕組みをするのも悪くない。時に眉間に皺を寄せるのも有りだろうし、涙を流しても良い。許されるのであれば、メモなんか取ってみると良いだろう。隣にいる人間とは「ウザい誰かさん」や、「今夜の晩ご飯」等の、「作品」と無関係の話題は避ける。「作品論」や「芸術論」、或いは、「感動・・・」「綺麗・・・」「凄い・・・」でも何でも、それが「作品」について、または「作者」について話していれば、それで立派な美術館「マナー」を身に付けた紳士淑女という事になる。


「作品」の前ではそうした「話題」が図らずも出る。否応なく「作品論」や「芸術論」が出る。少なくとも「優れた作品」の前ではそれが出る。その場でなくても、評論で、記事で、ブログで、facebookで、mixiで、Twitterで、帰りのスタバで「優れた作品」の話題は出る。出る筈であるとされている。出る筈なのだが。



【この項続く】