デパート

承前


デパートの搬入口から店内に入ったのは一度や二度ではない。その多くは、自分の作品を携えてデパートの定休日に入ったものだ。行き先は店内で美術品を扱うコーナーの事もあれば、一般のテナントの事もあった。


デパートの定休日の搬入口は、商品の搬入搬出や、什器の入れ替えや、改装業者の出入りやらでごった返し、些か殺気立っている。兎にも角にも、そこではテキパキと動く事が求められ、そうした流通のリズムに合わせた動きをしないと、他の業者からどやされたりもする。デパートの搬入口では、自分達もまた数多くの出入り業者の一つでしかない。次々と運び込まれる大量の物品。それは生鮮食料品であったり、高級ブランド品であったり、改装に使用する店内照明器具やディスプレイであったり、交換されるベンジャミンの鉢植えであったり、エスカレーターのメンテナンス部品だったりする。そしてそうした物流を凝縮した流れの中に、自分の作品もまた存在する。しかも自分の作品よりも遥かに高額な物品が、次から次へと運び込まれているその中にあっての自分の作品だ。


搬入口の受付で、中間業者名(個人名であった事は一度とて無い)と入館理由を告げ、バッヂや腕章を貰って以後、そこでは「〇〇(業者名)さん」と呼ばれる様になり、それから台車に作品を積んで貨物用エレベーターに乗って目的のフロアに赴く。店からは「くれぐれも内装や他の商品を傷つけない様に」と注意をされる。定休日のデパートでは、まかり間違っても「(芸術家の)先生」などと呼ばれる事は無く、傍から見れば、我々は単に覚束ない作業をする、トロくて頭の悪そうな業者でしかない。ここは美術館やギャラリーとは根本的に違う場所なのだ。


それでも到着地点が「美術画廊」の場合は、到着後に「先生」などと呼ばれたりもする。そこはデパートで唯一「芸術家」である事が意味を持つ場所だ。何故ならば「(芸術家の)先生」の作品である事が、根拠のあやふやな「美術画廊」で扱う商品価格の唯一の根拠になるからであり、それこそが美術に於ける「コンテクスト」という語の正体だからなのだ。

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話は20年前に遡る。古い話だ。


某鉄道会社系のデパートの美術画廊から、東京の某ギャラリーを通じて「二人展」の打診があった。二人とも現代美術作家。但しこう言っては身も蓋も無いが、決して二人とも「売れ線」ではない。「安全牌」でもない。デパートに「ふさわしい」、「高級」な作品であるとは言い難いし、寧ろデパートには似つかわしくない「表現」に見えなくもなく、客によってはそれらの作品の中に好ましいと思わない思想的、政治的「偏向」を「感じる」かもしれないし、それによるトラブルが起きる可能性も無いとは言えなかった。くどい様だが、ここは美術館やギャラリーとは根本的に違う場所なのだ。それでも初会合の際、デパートの美術画廊の担当者は言った。


「今までのデパートの美術画廊の常識を打ち破りたい。デパートの美術画廊で現代美術を扱って、新しい美術画廊のスタンダードを打ち立てたい」


その様な意味の事を熱く語っていた。


とは言え、遅かれ早かれ、デパートの美術画廊が現代美術を扱う事になるだろうという事は、当時の状況では自然な流れの中にあったとも言える。何故ならば、当時のデパートの店舗内には、既に現代美術が溢れ返っていたからだ。


馴染みのない土地のデパート。フラジャイルとも言える作品を出す自分と、紹介ギャラリーのオーナーが搬入に向かう。別の用事が入っていたもう一人の作家は、会期終了まで会場に足を運ぶ事は無かった。記憶に曖昧なところはあるが、その時に富山で起きた「表現の自由(=美術の身分)」を巡る「支援者」の集まりに行ったのかもしれない。そしてギャラリーオーナーと自分はと言えば、初日を会場で迎える事無く、搬入のその日の夜に、次に控えた別の地方の仕事に向かって行った。

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しかしこうした作品販売の目的でデパートに入る事は少なかった。寧ろ多かったのは、ディスプレイの仕事で入る事だった。とは言え、所謂「ディスプレイ業者」として入るのではない。それは、自分の作品をショップのディスプレイとして使用したい、或いはショップのディスプレイとして作品を作って欲しいという注文に応えてのものだ。


これもまたしかし、当時は珍しい話ではなかった。例えば都内の鉄道系デパートにディスプレイとして使用される作品を搬入した際、その定休日のデパートの店内で、ばったりと知り合いの現代美術家に出会ったりもした。その作家もまた、同じ様な受注を受けての入館だ。そして別のフロアでは、また別の現代美術家が同じ様な仕事で入っていると告げられた。


設営作業の合間に昼食を摂りに一時外出すると、別館の店舗では、今ではタレントになってしまった華道家が、当時は現代美術作家として、干上がったインスタレーション作品を展示していた。毎週毎週、デパートのどこかで、必ずと言って良い程、現代美術作品は存在していた。別の機会には、都内の複数の本屋の店舗内に、現代美術作品がディスプレイされていた。ペヨトル工房の「WAVE」は、事実上まるまるその特集で一号分を作ってしまったりもした。デパートに限らず、バーでも、ディスコでも、パチンコ屋でも、洋服屋でも、本屋でも、銀行でも、現代美術作品をディスプレイとして使用するという事が、極々自然に行われていた。

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個人的にディスプレイの仕事は楽しかった。何よりもディスプレイには「美術」のブリキの看板を背負わないで済む「自由」がある。そこはまた、内装やデザイン一般とタイマン勝負をする場でもある。「美術」の看板を背負わないという事は、同時に勝負が劣勢になった時に、「美術」という退路に逃げ込むのが許されない事を意味している。そうした退路を絶って尚、それでもアーティストでありたいと思うのであれば、アーティストであるという事は一体どういう事なのかという自問が、常にそこでは繰り返され続けなければならない。ある種、それこそが「美術画廊」や「美術館」に於ける「脱領域」の「おままごと」とは異なる、極めてリアルな「脱領域」になるだろう。美術に「引き入れる」のではなく、美術が「引き入れられる」側に回るのだ。


デパートの店舗では、売るべき商品こそが主であり、ディスプレイとしての作品は従の立場にある。それは身分の問題であり、同時に身分の問題ではない。勿論そこにはキャプションボードが添えられてはいる。作家名、作品名、製作年等々が過不足無く記述されているのは、美術館やギャラリーと全く変わりがない。しかしそれらの場所と大きく異なるのは、そこにいるのは「観客」ではなく「客」であるという事だ。「観客」はキャプションボードの中身に興味があるが、「客」はキャプションそれ自体にすら全く興味が無い。極稀に「観客」である様な「客」がデパートに現れたりもするが、それは極めて例外的な存在だ。


店舗でのキャプションボードは、全く無意味な存在として存在する。デパートの中でもアーティストと呼ばれたいと思うディスプレイ屋は、キャプションボードという意味をなるべく大きくして欲しいと思っている一方で、店の人間はそうした無意味をなるべく小さくしたいと思っている。美術がキャプションに守られた王様、王女様でいられるのは、美術の空間の中だけだ。だからこそ、その身分を巡って、身分を獲得するだの、身分を奪取するだの、身分の保証を求めるだの、身分を守るだのの議論ばかりが美術に充満したりする。


善男善女はこうした美術の身分を巡る議論に参加する事が好きなのかもしれない。それぞれが想像し得るところの「陰謀」とやらと、美術の身分を絡めたりするのもまた乙なのかもしれない。それを一種のネタ的な「エンタテイメント」として楽しんでいるのかもしれないし、その時にだけ、善男善女の口は気紛れに緩んだり、それまでにした事がない程の大量の言説を、その日に限って実行したりするかもしれない。まるで閉店セールに群がる「お客様」の様に。


いずれにしても、それが善男善女の気晴らしになるのは、それが美術だからだ。美術に非ざるディスプレイの身分を巡る議論は、善男善女にとっては面白いものではないだろう。しかし一旦ディスプレイが美術の身分に「昇格」した時には、身分を巡る議論は俄然面白くなる。美術になりたい、美術でありたいディスプレイは、美術でありたいと思うのなら、善男善女のこうした気紛れな気晴らしにキレたりせずに、自ら本気でニコニコしながら付き合う事も、いずれどこかで知らねばならなくなるだろう。

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余りに語られ過ぎ、実際にほぼその通りだとは思うが、1990年代初頭の「バブル崩壊」という「気分」が、「現代美術」というチャラい「気分」を軽くすっ飛ばした。経済の好不況は「気分」によって決まり、「〜を嫌って大幅反落」に見られる「嫌う」等といった心理的用語が横行し、そうした「心理」が立派に根拠として成立する世界だ。そして何かを「嫌う」事が、経済のデフォルトであり続けている。「曇り時々晴れ」的「嫌い時々好き」な「天気」が、これからは永遠に続くのだろう。世界の隅から隅まで「気分」で動く世界に「快晴」は無い。その「好き(晴れ)」になる様な飴玉の効力は、そのどれもこれもが短時間の内に効力が失われるユンケル黄帝液だ。それは果てしなく「元気の前借り」であり、そうして掻き集められた「元気」が切れた時のリバウンド的「疲労」は、やはりユンケル的に大きい。嘗ては美術が「好き(晴れ)」を実現させるユンケルになり得ると可憐に考えられていたが、しかしユンケルになり損ねるどころか、ユンケルが切れれば、真っ先に疲労してしまうのが美術だったりする。


極東の国、嘗ては「ナンバーワン」を自称し、他称すらもされていた日本の首都で、「バブル崩壊」の「瞬間(実際にはそういったものは無い。何故ならそれは「何となく」で始まる「気分」だからだ)」に、デパートと美術の蜜月の最後を飾る展覧会が開催されていた。


「Xデパートメント—脱領域の現代美術」


ここでもまた「脱領域」なのである。未だにこの種のまじないは、美術では効力を持ち得るらしいのだが、これもまたしかし、百数十年の近現代芸術の「歴史」では、すっかりお馴染みの「伝統」のやり口であり、その焼き直しの、焼き直しの、そのまた焼き直しの、そのまたミメーシスが、未だに間欠的に現れ続けては、善男善女の気紛れの「慰み物」と成り果てていたりする。「脱領域」の「気分」を提出してはそこで終わり、またどこか別の場所でそうした「気分」を提出してはまたそこで終わりの連続がもう百数十年だ。こうした「脱領域」の「気分史」を「伝統」と言わずして何と言おう。


「Xデパートメント—脱領域の現代美術」は、新宿の伊勢丹美術館と、その巡回展として、大阪梅田大丸ミュージアムで行われた。当時は、そして今でもそうだが、東京と大阪の二都市、或いは東京だけでも、この国の美術の全国制覇は可能だった。極めて楽な「天下統一」であるとは言えよう。


「Xデパートメント」展は、今から見れば「なーんだ」に見えたりするかもしれないがそれはさておき、ぶっちゃけ「日比野克彦」「タナカノリユキ」「関口敦仁」の、東京芸大出身者(きっと偶然)の三人展である。これが1991年当時は立派に「脱領域」に見えていたのだ。


取り敢えずそれは、「デザイン」と「美術」の間に架橋され、構築された「脱領域」である。2010年代の今なら、さしずめ「サブカルチャー」と「美術」の間だったり、「耽美」と「現代美術」の間だったり、「ネット」と「美術」の間に、「脱領域」とやらを架橋構築しさえすれば良いのかもしれない。あと10年程して、「次」の「ディケイド」の2020年代になれば、そこはそこで、それなりに「20年代」の「脱領域」に相応しい架橋ポイントがあるのだろうし、そこでは2010年代に於ける「脱領域」の架橋ポイントは「なーんだ」に見えるのだろう。いずれにせよ、そうした「脱領域」の架橋ポイントをいち早くゲットさえすれば、この「脱領域」を巡る「気分」ゲームでは恐らく一瞬「勝ち組」なのである。或る意味で、極めて楽な「天下統一」であるとは言えよう。


話を「Xデパートメント—脱領域の現代美術」に戻す。20年前、極東日本の現代美術界では、一種の感慨をもってこの展覧会は迎えられた。「ついにデパートの美術館で、先端的な現代美術が企画展になった」という、可憐な上にも可憐な感慨。


しかしそれと同時に、現代美術を巡る状況全体は芳しいものではなかった。明らかに販売の足は鈍り始め、このまま現代美術は終わってしまうのではないかという危機感が関係者間に共有されていた。だからこそ「Xデパートメント—脱領域の現代美術」的なところに「脱出口」を求め、そここそが「バブル崩壊」から逃げ遂せる道の一つなのではないかという淡い期待もまた、当時の現代美術界の「気分」だったりもした。「脱領域」は、荒れ狂う大海の中の一本の藁に見えたりもした。


Amazonで「Xデパートメント—脱領域の現代美術」のカタログを検索してみる。ヒットした。


http://www.amazon.co.jp/X%E3%83%87%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%88%E2%80%95%E8%84%B1%E9%A0%98%E5%9F%9F%E3%81%AE%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E7%BE%8E%E8%A1%93-%E9%96%A2%E5%8F%A3-%E6%95%AC%E4%BB%81/dp/4487753260/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1296954457&sr=8-1


その「商品の説明」にはこうある。


生活のまわりから、アートがなくなってしまったのは一体いつからだろうか。デパートという公共的な場所を舞台にアートとパブリックの関係を問いかける。関口敬仁、タナカノリユキ、日比野克彦彼ら3人が設定したXデパートメントとは?そこから何が生まれてくるのか?


現代美術の、永遠に「伝統」の口調である「そこから何が生まれてくるのか? 」の結句。そこから実際に何が生まれてきたのかは知らない。何かが生まれたのかもしれないし、或いはそれまでの百数十年の間に、世界中で数限りなく繰り返された様に、何も生まれていないかもしれない。殆どの「美術ファン」が、この展示会そのものを知らないだろう現在にあっては尚。

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「Xデパートメント—脱領域の現代美術」のカタログの「商品の説明」には、「デパートという公共的な場所を舞台にアートとパブリックの関係を問いかける」とあった。デパートが「公共」や「パブリック」であると、この参加者にも認識されていたのだろうか。しかしデパートは「公共」も「パブリック」も代表はしない。デパートがそのままで「公共」や「パブリック」であるなどというのは極めて悪い冗談だ。


であるならば「公共」や「パブリック」はどこにあるのか。そこでは如何なる「公共」や「パブリック」が如何なる形で存在するというのだろう。デパート問題はまた、「公共」や「パブリック」という概念それ自体に対する、極めて根本的な問題なのだ。


【了】