珍奇の館

承前


日本全国各地には、イヌやネコ等と「ふれあう」事の出来る「テーマパーク」がある。通常「ワン」や「ニャン」等といった、それぞれの動物の鳴き声が施設名に入っているケースが多い。「ワン」や「ニャン」程では無いが、他にもリスや、モルモットや、ウサギや、ニワトリや、ポニーや、ヤギ等と「ふれあえ」る「テーマパーク」が、日本全国各地に存在する。


それなりの入場料を払ってまで、イヌやネコに「ふれあう」というのは、それだけ「ふれあいたい」と思えるイヌやネコが、日常的な存在から逸脱している記号的存在だからなのだろう。野良イヌや野良ネコでは、余りにイヌそのものやネコそのものであり過ぎ、寧ろそれらとの不用意な「ふれあい」は、時に失望や、場合によってはリスクを伴う事もある。かなりの高率で、利用者に不快な思いをさせない様な、ノミダニ駆除された、「治療済」「消毒済」「調教済」「認証済」の、標準化され、記号化され、「品質保証」されたイヌネコこそが、「ふれあい」という適度にカジュアルな気晴らしには求められる。その上で、心置きなくイヌネコと「ふれあう」には、万が一のトラブル発生時の保証が担保されているに強くはないだろう。


しかし「ワン」や「ニャン」、或いは「コケコッコー」でも「ヒヒーン」でも何でも良いが、「品質」を高められたそれらの動物を幾ら集めたところで、「動物園」を名乗る資格は到底得られない。「動物園」には、イヌネコや家畜等とは全く別次元の、非日常的存在としての珍奇な動物=「珍獣・奇獣」=「珍奇獣」が必要不可欠だからだ。


燃えるゴミの日に、ゴミ袋を漁って、中身を道に散乱させてしまう鳥類や、電柱に小便を引っ掛けてマーキングしていく哺乳類といった様な日常的動物は、少なくとも「動物園」のメインキャラクターとしては必要無い。「動物園」に必要なのは、天地が引っ繰り返っても尚、近くのごみ集積場を漁りに来る事の無いペリカンや、世界の終わりの日に到るまで尚、家の前の電柱に小便を引っ掛ける事の無いジャイアントパンダといった非日常的動物であり、それはまた、観る者にとっての関係の稀少性が、その価値条件となる様な「コレクション」のバリエーションの一つである。


基本的に「動物園」は、「珍奇獣」の「コレクション」を収集、保存、研究、伝達、展示する機関である。これは「動物園」が、「博物館」や「美術館」等と同様の、「珍品奇物」(Mirabilia=ミラビリア)を蒐集した「ヴンダーカンマー」(Wunderkammer:「驚異の部屋」)、「クンストカンマー」(Kunstkammer:「人工物の部屋」)、「クリオジテーテン・カビネット」(Kuriositatenkabinett:「珍品蒐集室」)、「ストゥーディオーロ(伊)」(Studiolo:「書斎」)、「エチュード(仏)」(Étude:「書斎」)、「キャビネット(英)」(Cabinet:「陳列棚」)等と呼ばれる、ルネサンス初期のイタリアの詩人・学者・人文主義者、フランチェスコ・ペトラルカ(1304-1374)の博物博覧的書斎に端を発する博物陳列室を共通の祖としているところから来ている。事実「博物館法」からすれば、「動物園」も「美術館」も、共に社会教育機関である「博物館」に包摂される。




博物館法


第2条 この法律において「博物館」とは、歴史、芸術、民俗、産業、自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ。)し、展示して教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエーション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調査研究をすることを目的とする機関(社会教育法による公民館及び図書館法(昭和25年法律第118号)による図書館を除く。)のうち、地方公共団体一般社団法人若しくは一般財団法人宗教法人又は政令で定めるその他の法人(独立行政法人独立行政法人通則法(平成11年法律第103号)第2条第1項に規定する独立行政法人をいう。第29条において同じ。)を除く。)が設置するもので次章の規定による登録を受けたものをいう。


文部科学省の「社会教育調査」では、「博物館」の種類を「総合博物館」「科学博物館」「歴史博物館」「美術博物館」「野外博物館」「動物園」「植物園」「動植物園」「水族館」の9種に分類している。


文部科学省:社会教育調査-平成20年度結果の概要「調査結果の概要」
http://www.mext.go.jp/b_menu/toukei/chousa02/shakai/kekka/k_detail/__icsFiles/afieldfile/2010/04/01/1268528_2_1.pdf


その説明には、


「総合博物館」とは,人文科学及び自然科学に関する資料を,「科学博物館」とは,主として自然科学に関する資料を,「歴史博物館」とは,主として歴史及び民俗に関する資料を,「美術博物館」とは,主として美術に関する資料を,それぞれ収集・保管・展示するものをいい,「野外博物館」とは,戸外の自然の景観及び家屋等の形態を,「動物園」とは,主として動物を,「植物園」とは主として植物を,「動植物園」とは,動物・植物を,「水族館」とは,主として魚類を,それぞれ育成してその生態を展示するものをいう。


とある。


他方、日本博物館協会の「博物館園数調査」では、「博物館」は、「総合」「郷土」「美術」「歴史」「自然史」「理工」「動物園」「水族館」「植物園」「動水植」10種に、(株)丹青研究所の調査では、「総合」「理工」「美術」「動物」「植物」「人文」「自然」「水族館」の8種に分類されている。


その一方で、国際博物館会議(International Council of Museums. ICOM)によれば、「博物館」の定義は、前掲の日本の「博物館法」よりも広範なものになっている。


第2条第1項:博物館とは,社会とその発展に寄与することを目的として広く市民に解放された営利を目的としない常設機関であって,研究,教育およびレクリエーションに供するために,人類とその環境に関する物的証拠を収集し,保存し,研究し,伝達し,展示を行うものをいう。
b)上記の機関に加えて,次に掲げるものもこの定義の目的に合う博物館とみなす。

i)自然,考古,民族学上の記念物および保護地区,ならびに人類とその環境に関する物的資料を収集,保存及び伝達する博物館の性格を有する歴史的記念物および史跡。
ii )植物園,動物園,水族館,生態飼育館のように,植物,動物の生物見本を収集,展示する施設。
iii)科学センターおよびプラネタリウム
iv)図書館および公文書館で,恒久的に維持される保存施設ならびに展示施設。
v )自然保護地区。
vi)諮問委員会の助言を求めた後に執行委員が,博物館の性格を部分的に又は全面的に有していると考えるもの,あるいは,博物館学的研究,教育,研修を通して博物館と博物館専門職員を支援すると考えられるもの。


「自然保護地区」を含め、最早「珍奇」な「資料(コレクション)」を扱っていさえいれば、或いはそれ自体が「珍奇」でありさえすれば、それが何であれ「博物館」の条件を満たすと考えて良いのかもしれない。


ヴンダーカンマーの末裔の「動物園」が、「珍獣」「奇獣」、「珍奇獣」を見せる「博物館」であるなら、同じくヴンダーカンマーの末裔である「美術館」は、「美術」にカテゴライズされる「珍品」「奇品」、「珍奇品」を見せる「博物館」という事になる。米語の「キュレーター(Curator)」は、英語では「キーパー(Keeper)であり、それはまた「動物園」の「飼育係」の意味も持つ。「美術品」という「珍奇品」の「飼育係」としての「学芸員」。


curator/kjuəréitər/
1 (博物館美術館の)館長, 学芸員, キュレーター;(動物園の)園長, 管理人, 支配人;監督.


keeper/kíːpər/
5⦅しばしば複合語⦆世話[手入れ]をする人;(動物の)飼育者[係]
a groundskeeper|球場整備員
a zookeeper|動物園の飼育者.
6⦅主に英⦆(貴重な物公共物などの)管理[保管]者;博物[美術, 図書]館長;⦅the K-⦆⦅官職名に⦆⦅英国用法⦆(王室の)保管[管理]官
the Keeper of the Crown Jewels [the Privy Purse]|英国王室宝器保管官[出納長官]
the Keeper of the Exchange and Mint|造幣局長.


小学館プログレッシブ英和中辞典」


基本的に「美術作品」という「珍奇品」は、「複製」が効かなかったり、「複製」とは名ばかりの「複製」であったりする為に、数量的な「稀少性」という点では申し分ない。従って、後はそれが「内容」的に、どれだけ「珍」であり、どれだけ「奇」であるかを吟味すれば、「美術館」の「資料(コレクション)」としての収集の条件は、ほぼ満たされると言って良い。そして収集された後は、その「珍奇品」の「珍」具合や「奇」具合を研究し、その「珍」具合や「奇」具合を教育し、その「珍」具合や「奇」具合を伝達し、その「珍」具合や「奇」具合を展示する事で、「美術館」たる職務は遂行される。


「美術館」という「驚異の部屋」への収蔵が、その主要な目的の一つである様な美術作品は、それ故に常に「珍奇品」である事を求められる。それは野良イヌや野良ネコの様に、珍しくも何とも無いものであってはならない。パンダやコアラの様に、それは「珍奇」でなくてはならない。「珍奇」であるからこその価格設定が、美術作品には適用される。そして美術作品は、その「珍奇」さを競い合う事で、自らの価値を上げていく。


従って、世界人口の大半が美術家である様な世界が訪れてはならない。表現活動としての美術は広く行き渡ってはならない。美術が当たり前の存在になってはならない。それは希少品である「珍奇」なものとしての美術を否定する事に繋がる。美しい響きを持つ「美術を社会に行き渡らせる」という題目には、しかし広くその生産活動への門戸を開放するという意味は含まれていない。飽くまでも、その消費人口を増やすという意味でのみ、そうした発言は行われる。即ちそれは「客を増やす」という意味なのであり、決して「同業者を増やす」ではない。


燃えるゴミの日に、ゴミ袋を漁って、中身を道に散乱させてしまう鳥類や、電柱に小便を引っ掛けていく哺乳類といった様な日常的動物は、少なくとも「動物園」には必要無い。しかし燃えるゴミの日に、ゴミ袋を漁って、中身を道に散乱させてしまうアーティストや、電柱に小便を引っ掛けてマーキングしていくアーティストといった様な「珍奇」な非日常的人間は「美術館」には必要不可欠なのだ。そしてそうした需要があるからこそ、アーティストもまた、常に「珍奇」な存在であろうと日々努めるのである。


「美術館」とは、「アーティスト」という、「珍奇」な「異人種」に関する資料を収集し、保存し、研究し、伝達し、展示する機関である。それはまた、「珍奇」な「異人種」それ自体を収集し、保存し、研究し、伝達し、展示した、明治政府内務卿大久保利通の「富国強兵・殖産興業」の掛け声の下に行われた「内国勧業博覧会」の第5回大阪博覧会(1903年=明治36年)に於ける「学術人類館」と、その博物博覧的性格に於いて、同根位相の存在でもあるだろう。


【続く】