「書評」

瀬能仁美作 連続ケータイ小説「仁美」


 嘗てユングは「外的客体に対する関係・外的な構え」を「ペルソナ」と名づけた。それは一種の「仮面」であり、その「仮面」は、他ならぬ自分自身という内的主体と、他方で環境という外的客体の要求を同時に満たすものでもある。そしてその「仮面」が外部の要求に対して適合すればする程、「ペルソナ」の持ち主は社会的集合性の中に埋没し、彼の、或いは彼女の「個性」は薄められていくとした。


 しかしこの構図は、明らかに「仮面」を被る者の、自己同一的存在を前提に語られるものでもある。仮に彼自身が、あるいは彼女自身が、それ自体自己同一的でない存在とするならば、それは例えば虚言癖、否、虚言症とも呼べる様な「病」の範疇にあるような彼、あるいは彼女、またはあのカフカの毒虫に変身してしまったグレゴール・ザムザの様な彼、あるいは彼女の語る話を、我々はどう聞けばいいのだろうか。


 瀬能仁美は謎の多い作家である。女性名ではあるが、実際は男性であるとする見方もある。その正体は杳として知れず、実際に「彼女」にコンタクトを取ろうとした者は、必ず「手酷い仕打ち」を受けるとも聞いている。


 ケータイ小説「仁美」は、その瀬能仁美がある男に対して問い掛けるという自伝的性格を持つ連続小説である。「仁美」の冒頭は次の様に始まる。


急なメールでごめんなさい…掲示板拝見しメールさせて頂きました。
瀬能仁美といいます。既婚で家庭もありますが、不倫という関係をお求めてメールをさせて頂きました。


原文ママ


 「仁美」の文章の特徴は、仁美という女が一人称で語るという文体に統一されている所にある。そこには仁美以外の視点からの状況説明は全く無い。その全てが仁美の目を通して語られる世界。従って読者は、仁美の世界が実在するかどうかを客観的に判断する方途を予め失っている。仁美は言う。


プロフィールを一緒に送ったので確認して頂けると嬉しいです。


 しかし送ったとされるプロフィールなるものは、永遠に読者の前に提示されない。「待つ」という行為があって初めて存在する「何か」。それはまた、サミュエル・ベケットのあの「待つ」にも似るのである。


 第二話の「お会いする事は出来ますか?」では、仁美に関する具体的説明が記される。


仕事は週に3日ほどですが駅前で塾の講師をしています。
身長は普通だと思います、157cmです。
もし、お会い出来るようであれば、くれぐれも主人には気づかれないように会いたいと思っています。


 読者はここで仁美という「女」を構成する情報、「駅前の塾の講師」「身長157cm」「既婚で不倫希望」を獲得するのだが、この後の第四話「間違ってますか?」に至ると、


年齢は 36歳独身です。今は実家から離れて一人マンション生活なんです
実は婚約者の人と訳あって破局してしまい、人恋しくメールさせて貰ってます。


と既婚者ではない事を明かすのである。この二話と四話の間に存在する矛盾は、しかし果たして矛盾なのであろうか。仮に仁美の言う事が全て真実であるとするならば、この18時間の間に離婚し、その後婚約者と出会い、再び破局してしまったとも考えられる。しかし尚、仁美の言う事が「真実」であるかそうでないかは、仁美を通して語られるこの物語の内部からは判断され得ない。


 その後、第五話の「すみません。」に於いて、「婚約破談の悲しさ」を語ることにより、仁美は自らが独身者である事を強調するのであるが、同時に「仕事ばかりの女」と言って、第二話で明かした週3日勤務の「ブラ勤」状態を否定する。


 その二日後配信の第六話「1日割り切った関係で会ってください。」では、


旦那とは体の関係になることはもうありません、私が不倫を考えだしたのも夜の生活が原因なんです、


となり、わずか二日で再婚し、早くも結婚生活に失望した事が明らかとなる。


 第十一話「今日しかないんです!今から…深夜まででもずっと待っていますから」では、


私明日一日は出勤が本社ではないのでメールは出来なくなってしまうと思うんです。
今日はもう夜の部の人が来てしまうのでここを出なければなりません…


と勤務先の「駅前の塾」(前後関係からすると恐らく駅前が本社)に、21時から始まる「夜の部」がある事を明かし、第十六話「ホテルは休憩でも構いません」では、仁美と相手(読者)の間には「20万円現金」の契約関係がある事が明かされ、エンディングでは「彼女」の「余命の短さ」を伺わせる様な記述もある。


 仁美の「虚」と「実」とは何であろうか。勿論それは読者に判るものではないが、一方で「ペルソナ」そのものである仁美自身にも、それは分からないのである。そして仁美が謎の存在である様に、私たち一人一人もまた謎の存在なのだ。


連続小説「仁美」の「全文」はこちら
http://h-s.air-nifty.com/blog/2006/02/post_e13b.html


(2006年4月18日初出の文章に加筆修正)