不純物と免疫 02

#トレーラー

ヘッドフォンから流れる本展の概説が終わる。

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暗闇に光る明るい矩形が入口だ。その奥に、有孔ボードを背にした幼児の背の高さ程の、灰色をした一本の細長い高圧気体ボンベが見えている。緑色(液化炭酸ガス)でも黒色(酸素ガス)でも赤色(水素ガス)でも黄色(液化塩素)でも褐色(アセチレンガス)でも白色(液化アンモニア)でも無いボンベ。日本では「その他の種類の高圧ガス」に分類される灰色ボンベの中身を記した文字が、どうやら二文字であるらしい事が入口から窺い知れるものの、それが何のガスであるかを完全に読み取れるまでには至らない。

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その灰色ボンベのガス取り出し口から一本のチューブが伸び、元々穴の開いている仮設壁に新たに開けられた/広げられた穴の向こうへと消えていて、何らかのガスはその先へと送られている事が暗示されている。美術の展示室にインストールされている気体ボンベを見て、咄嗟に「む」という音が頭に出掛かってしまったもののそれは封印した。「む」のあれは酸素ボンベであり、その社会的機能から離れて、生命を想起させるメタファーとしての造形物になっていなければ、日本では黒色でなければならないものだ。しかしここにある灰色ボンベは、気体ボンベの回収/再生ネットワークの只中にあるものだろう。気体の種類を示す文字は、「む」のそれの様には消去されていない。

有孔ボードは理念的にモダンであろうとする展示空間では通常は使用されないものだ。1970年に65,000個の丸めた紙が差し込まれた旧東京都美術館はそれを採用していたが、それは実利的にモダンであろうとする態度の、余りに真正直過ぎる表れだった。典型的なホワイトキューブに改造されたこのトーキョーアーツアンドスペース本郷は、紛れも無く理念的モダンの空間だ。その理念的モダンの中に、実利的モダンたる有孔ボードが闖入している。しかしそれは床に接していない為に、壁であるよりは仕切り板的なものだ。小動物や幼児なら楽々と潜れる数十センチの隙間/境界の上にそれは浮かんでいる。その隙間から、磨かれた床に映し出された反射像が見える事によって、有孔ボードの向こうに何かしらの作品がある事が窺い知れる。恐らくそれはフライヤーで馴染みのあるそれだろう。

その他に何があるのかはここからは見えない。しかしその一方で何かが聞こえている様だ。ヘッドフォンを一旦外す。左耳と右耳に聞こえる音の差分によって、「正面」から見て左側に、そのざわついた音の音源がある事が判明する。それは「不純物と免疫」公式サイトにアップロードされているティーザーにも採用された、仲本拡史氏の映像作品「水際からの訪問者」(2017)の音だと想像された。

気体ボンベと、オンラインのティーザーに接続するざわつき音と、ノイジーな有孔ボードと、床の反射像による一幅の切り取られ=絵画。そこに入口でレクチャーされた「51%」のナレーションが重なる。ここから見える光景それ自体が、ティーザー・トレーラー――焦らしのテクニックを駆使した予告編――でもある。

矩形の光景は、映像によるトレーラー同様、本編を断片化し、それを再編集する事で予告編とする事を可能にしている。或いはこれから始まるものは、全てが予告編のみで構成された何かなのかもしれないという思いが頭をよぎった。

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#ターン1

f:id:murrari:20171119080943p:plain展示室に足を踏み入れる。灰色の気体ボンベに「窒素」と書かれている事を確認する。移動する事で、反応するセンサーが切り替わったヘッドフォンは、その窒素がこの展覧会場に於いて、どの様な因果関係の中にあるかを、鑑賞者に先回りして説明し始めた。些かネタバレ感もある。入口で封印した「む」という固有名詞が出てきた時には微笑を返した。

そのガイドで、有孔ボードが大和田俊氏に――取り敢えず――帰属するものであると知らされる。しかし今は、有孔ボードの先にあるものの全てを見る事が叶わない為に、その有孔ボードを大和田俊氏の作品に直ちに帰属させるのはまだ早いと感じ、それを棚上げしたままの状態に置く事にした。従ってこの時点では、有孔ボードはどの固有名詞にも属する事の無い、ボンベのチューブが通された単なる壁面としてある。ヘッドフォンのガイドを、聞くともなく聞く事にする。そして、恐らく、いずれ、やはり、再び、ここ――センサー位置――に回遊して戻って来る事になるだろうという予感がした。

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そこから白いダンジョンの行手方向を見てみると、通路の両側の壁に、様々な高さで3個のモニタがインストールされている。その向こう側正面の壁には、ソーラーパネル、トタン屋根、瓦屋根、法面といった複数の斜面で構成された写真が見える。

f:id:murrari:20171119081138p:plain「不純物と免疫」カタログ02 12ページより

モニタ群。それらのモニタに共通して映っているのは蟹。そして人の空間だ。人が不在の環境の中の蟹の空間でもなければ、蟹が不在の環境の中の人の空間でもない。人と蟹が接する界面がその舞台になる。

左手壁手前のモニタ(以後 “1st.")はかなり低い。次の右手有孔ボードにインストールされたモニタ(以後 “2nd.")は、典型的な映像展示の高さにある。そして左手壁最奥のもの(以後 “3rd.")は少々高い位置にある。それぞれ、相対的に大きな体を持つ者が小さな体を持つ者を見る視線、同じ大きさの体を持つ者=同類への視線、小さな体を持つ者が大きな体を持つ者を見る視線という事になるのだろうか。その一方で、映像をキャプチャしたレンズの位置は、そのほぼ全てが、蟹の目線に準じた高さに合わされている様だ。

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1st. モニタは、蟹が見るには丁度良い高さだ。1st. モニタの下端は、それが映し出している映像中の、目一杯足を広げたゴリラポッドに据え付けられたスマートフォンのレンズの、ゴリラポッドの接地面からの高さと同じ位だろうか。勿論その高さは人の側から蟹に寄り添うに留まるものではある。蟹の目は体から突き出た複眼である為に、人間の眼の構造に準じた光学機器で撮られた映像の様に世界は見えていない。恐らくその視界は、種としての生き残りの為に、全天球カメラに近いものになっているのかもしれない。いずれにしてもそのモニタ映像は、厳密には蟹が見ているものとは異なってはいる。

2nd. モニタは人の目線の高さにある為に、捕獲される蟹に対して、ウェットな感情移入が最もし易い高さとも言える。

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映画産業はこの目線を最大限に利用し、人々のシンパシーを最大の顧客とする事で、映像を一大産業までに引き上げる事に成功した。その目線は、21世紀現在も、未だに商売上最も有効なものとして活用されている。

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3rd. モニタは人にも蟹にも親しくない高さにある。その意味で、乾いた映像の中の蟹と人の乾いた関係に最も適した高さと言える。

映像中の蟹が歩き回る寝具を見て、この寝具にそのまま寝られる人と、寝られない人がいる事を想起した。蟹が歩いた寝具に直ちに潜り込めない人は、ベッドカバーから何からを、取り替えさせたり消毒させたりするかもしれない。そして確かに、2010年代の日本は、過剰な潔癖症の時代だった。2010年代の少なからぬ日本人は、過剰なまでの抗菌除菌概念に囚われる事で、過剰なまでの免疫反応を起こし、その結果過剰なまでに不純物を攻撃していた。

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蟹は癌に例えられたりもする。ヒポクラテスが癌と蟹を結び付けた。形状が似ているという、たったそればかりの理由で。それにしても蟹=癌は、誰に属するものなのだろうか。蟹=癌は内部に由来するが故に、或る意味で「不純物と免疫」のその先にある。人は決して蟹にはなれないが、蟹は潜在的なバグの形で既に人の中にある。

突然 1st. モニタから蟹が脱走するというファンタズムが襲って来た。モニタから脱走した蟹は、有孔ボード下の隙間/境界を横歩きで潜って行った。全天球カメラを2つ備えた蟹の道行きはどの様なものだろう。

Fetch でマウントされた GoPro を装着して歩き回り、動画を残した大型犬を思い出した。その動画は、犬の関心に基づく展覧会の記録だった。その犬の関心の中に、時々人の関心が現れては消える。

2017年11月発売の全天球カメラである GoPro FUSION は、蟹にとっては未だに重過ぎるものの、やがてはそれもバッテリと通信装置込みで蟹が背負える様な大きさになるのだろう。その時、蟹が蟹の関心――関心をしか伺い知れない――に基いて記録する展覧会の映像は、この様なものになるのかもしれない。

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#ターン2

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幾つもの斜面で構成された大きな写真に向かって歩く。しかし気はそぞろだ。右手有孔ボードの向こう側が気になって仕方が無い。音声ガイドが先回って説明していたものを見たい欲求が勝ってしまっている。そぞろのまま写真を見るのは気が引ける。ダンジョンの突き当りで右に回頭し、時間を掛けて写真を見る事を後回しにした。

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