不純物と免疫 01

#共存

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円周上に6つの点があるとする。それらを結ぶ線の数は15本という事になる。或いはまた、円周上に24個の点があるとする。それらを結ぶ線の数は276本という事になる。それは「不純物と免疫」展というパッケージを円周と見立て/単純化し、作家数6、作品数24をそれぞれ円周上の点とする事で得られる数字である。その線を展覧会に於ける点相互の関係のメタファーとして捉えれば、それらの関係の線が描く単純な多角形ですら、それなりに多くのものとなる。

展覧会が作品を引き寄せる重力場として働くものであるならば、6つの点、もしくは24個の点は、キュレーションという重力によってその場に引き止められていると言える。但しそれらの点は、展覧会に接地しているものではなく、第一宇宙速度超で打ち上げられ、引力と斥力が釣り合っている人工衛星の様に、展覧会の上空で展覧会の地上から一定の距離を保った浮遊状態で引き止められている。従って6つ、或いは24個の点には、展覧会の重力圏を脱出し、展覧会の外部へ飛び出そうとする斥力もまた常に働いている。その斥力のベクトルは、個々の作家、個々の作品それぞれの関心が向く方向を示す一方で、それ自体が展覧会外部の複数の何かとの関係性の線でもある。

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展覧会は、引力(依存)と斥力(自立)のバランスの上に辛うじて成立しているものだ。引力が勝れば、作家や作品は直ちに展覧会へ落下しそれに従属する存在となってしまう。即ちそれは、展覧会がそれらのクライアントになってしまう事を意味する。一方で斥力が勝れば、多様性をそのままの形で多様性としてしか示し得えず、微小な差異の総和の極限値を示す積分的な開放そのもの――開放系ではなく――になってしまう。

世界は多様である。そんな事は当たり前だ。誰もが知っていなければならない筈のものだ。しかしそうした当たり前を、本来的な美的生活には必ずしも必要なものとは言えない展覧会という閉鎖系に仕立てて見せなければならない程に、我々は追い詰められ、且つ自ら追い詰まっている。展覧会が開催されなければならない危機的状況に我々はあるのだ。

展覧会は危機的な世界に於いて方便的なものとして機能する。展覧会に於ける「不純物」は方便としてそこにある。危機に陥っている者が、危機に陥っているが故に閉鎖系に於ける方便を通してしか見えないものがあるとするなら、方便は技術的な洗練を怠るべきではない。それが最終的に捨て去られる梯子であったとしても、であればこそ梯子は丁寧に作られねばならない。円周の内側、及び外側に引かれる、点と点を結ぶ見えない線は、そうした梯子の一つだ。

そして展覧会の周回軌道に新たに観客が入る。独自の関心の総体である観客もまた、それぞれの点に線を引く新たな点になる(注1)。自らが引いたものを含めた蜘蛛の巣状に張り巡らされた線の上を行きつ戻りつしつつ、基本的にスタティックなものとしてある展覧会を、相対的に高速度で動き回れる者の特権として、自らの周回軌道上の位置も変える事で、点と点を結ぶ線やその交差箇所を変化させる事が出来る。

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(注1)この文章は、新たな多角形を描く線の幾つかを列記するものだ。

共存のイメージはそこにこそ現れる。共-存=co-exist に於ける存=exist は、認識の絶え間無い移動によってこそ可能になる。その時、自分とそれ以外を隔てている国境線を跨ぐ事があるかもしれない。共存の第一歩は、その国境線を越えたところから、それまで自分が占めていたと思い込んでいた場所を眺めるところから始まる。共存の方法論としての回遊というものがある。

f:id:murrari:20171114115416p:plainツチクジラ(Baird's Beaked Whale)の分布域=回遊域

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#空中

トーキョーアーツアンドスペースの3階のフロアは、地上8メートル〜9メートル程になる。進化の過程で樹上生活者から地上生活者となった人類の歴史に於いて、その高さは長きに渉って「空中」と呼ばれ得るものだった。確かにそのフロアは原義としての「空中楼閣」的な高さを持つ。

「全国バリアフリー旅行情報」によるトーキョーアーツアンドスペースの施設紹介には、「エレベータが無いので、車椅子利用者は2階・3階の展示見学は不可」とある。車椅子利用者は同施設に於ける「展示見学」の不適格者扱いをされているものの、その一方で同施設に車椅子対応トイレが設置されていたりもする。

8メートル〜9メートルの階段を昇り降りする事が辛い人間――それは日本人の過半数を占めつつある――にとっても、それは事実上よそよそしい「空中」として存在し、場合によっては「展示見学は不可」の不適格者になる。身体という物質性のレベルに於いて、トーキョーアーツアンドスペースに於ける「展示見学」の可否は、そのまま自らが事実的な優生の側に属するか否かの踏み絵ともなる。

或る意味で、共同体の無意識下に潜む優生観――生産性の高い身体を優等とする――を体現した建造物である旧都立御茶ノ水高等職業訓練校事業内訓練教室/旧都教育庁お茶の水庁舎は、優勝劣敗的な発言を繰り返して来た元都知事による都政時代に、その前進であるトーキョーワンダーサイトとして「活用」されたものだ。

そのトーキョーワンダーサイトを自らのトップダウンで作らせたと公言して来た元都知事は、「文学界」2016年10月号斎藤環氏との対談「『死』と睨み合って」に於いて、「自分の肉体が衰えてきて、手足の自由が利かなくなってくる」と、自らが他者への依存を必要とする身体となった事を明かしている。

「不純物」は、排除されるべきものとして認識されるが故に「不純物」と呼ばれる。ひたすらに高い生産性を目指す共同体にとって、生産性の低い身体は「不純物」として現れ 、しばしばその様に目された身体を巡る事件が起きもする。しかし誰しもが年を取れば、やがては生産性の低い「不純物」になる。現時点で「不純物」側に属していない身体であっても、「不純物」になる不可逆的な不治の道を生まれながらに歩んでいる。それを「弱くある自由」と捉える事は可能だ。

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#土地

今から983年前と言えば、日本では平安時代中期の天元年間から永観年間の移行期に当たる。西暦で言えば1034年だ。当時の日本の推定人口は、諸説あるものの数百万人(450万人〜700万人)という数字に落ち着いている。日本で国宝とされるものの多くがそれまでに作られていて、それらは現在日本文化と一般に認識されているイメージの源泉の主要な一部となっている。

今から983年後は西暦3000年になる。国立社会保障・人口問題研究所の推計によれば、西暦3000年の日本の人口は石器時代(推定3,000人)よりも遥かに少ない1,000人になるという。平安時代の数千分の一の人口(注2)だ。それは西暦2014年の出生率・死亡率が、子供を生む事に対する人々の気分と共にそのまま続いた場合を想定しての推計であるものの、それでも西暦3000年までに爆発的な多産社会が何回も日本に起きない限りは、多かれ少なかれ/遅かれ早かれ現実性の高い数字と言える。仮に西暦3000年の日本が、亢進したテクノロジーによって最大限に効率化されていたとしても、人口1,000人に至る遥か以前に、国家――時に国威の前提条件ともなる――としての日本が成立不可能になっているだろう。

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(注2)今から200数十年後には、再び平安時代の人口=数百万人になる。近い将来の話としては、3年後の2020年には、日本の女性人口の半数以上が50歳以上になる。

38万km2の日本列島と呼ばれる土地に、僅か1,000人の日本人がどの様に居住するのかは判らない。極めて狭い面積に一極集中するのかもしれないし、遍く分散して暮らすのかもしれない。或いは相変わらず日本列島という土地には1億人以上の人間が住んで――その時に何という名前の国であるかのは判らない――いて、日本人はその中にあって、消滅寸前の日本語を扱う絶滅寸前の少数民族として「不純物」視されているという可能性もある。

いずれにしても、人口減少の過程に於いて、或る閾値――それが数百万人なのか、数十万人なのか、数万人なのか、数千人なのかは判らない――を越えた辺りで、日本人の領土概念、国境概念、国民概念等は変質せざるを得ないだろう。1,000人の日本人は、その1,000人には余りに広大過ぎる38万km2の日本列島が、どの様な形をしているかに全く興味が無くなっているかもしれない。日本人1,000人時代の天皇は、どの様な存在になっているだろう。

人口減少に伴う社会活力の低下は、「つくること」の低下だけではなく、「こわすこと」の低下ももたらす。シャッター通りや空き家がそのままの形で残ってしまう様に、人口が多かった時代に作られたものは、解体を担う者の不足/不在によって、朽ち果てるままにされる。国宝の維持管理ですら、1,000人の手に余るが故にそうなってしまうだろう。こうして元あった意味をすっかり喪失して単なる凹凸となったものの上を、983年後の日本人は蟹の様に歩くのだ。

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