PARASOPHIA

【「PARASOPHIA(序)」から続く】


para- |ˈparə| (also par-)
prefix
1 beside; adjacent to: parameter | parataxis | parathyroid.
• Medicine denoting a disordered function or faculty: paresthesia.
• distinct from, but analogous to: paramilitary | paraphrase | paratyphoid.
• beyond: paradox | paranormal | parapsychology.
• subsidiary; assisting: paramedic | paraprofessional.
2 Chemistry denoting substitution at diametrically opposite carbon atoms in a benzene ring, e.g., in 1, 4 positions: paradichlorobenzene. Compare with meta- and ortho-.


New Oxford American Dictionary

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京都市は観光都市である。京都駅(京都市)構内で石を投げれば、相対的に高い確率で観光客に当たるだろう。


但し外国人訪問者数では、日本は世界で27位(2013年:世界観光機関調べ)――1位はフランス。日本はその1/8以下――であり、アジアでは中国、タイ、マレーシア、香港、マカオ、韓国、シンガポールという5ヶ国+2つの中華人民共和国特別行政区に次ぐ8位――日本はアジア1位の中国の1/5以下――であり、京都(府)はその世界27位、アジア8位の日本の中で、東京都51.4%、大阪府27.9%に次ぐ21.9%の訪問率(2014年:観光庁調べ:PDF)で3位に位置している。この冷徹極まり無い数字から見えて来るのは、世界は極めて広大(大世面)であるという当たり前過ぎる現実である。


それでも平凡な数字ではあっても京都市を訪れるそれなりの数の観光客の多くは、京都市に到着するや否や、30分も経たない内に観光消費――交通機関を利用する事を含め――を何らかの形で行う。事実上、京都市は観光客(国内観光客含む)がもたらすそれなりの観光収入(約7千億円:観光都市でもある東京はその7倍強の約5兆2千億円――共に平成25年)を、この町が町として存続する条件の大きな柱の一つにしている。21世紀の京都市民が日常生活ではオーラルで発する事はまず無い「おいでやす」や「おこしやす」等の文字列を看板の上に掲げつつ、時にその文字列を再びオーラルの形で反復しつつ、観光客の気持ちが消費に向かう事を紫色を纏って待ち構えている。



観光都市としてのこの町の未来が危機に陥り兼ねないと、京都市は最近になって考え始めた様だ。京都市を訪れた観光客が、その市中の何処かで必ず目にする「リニアを、京都へ。」掲示物に見られる京都市の「必死」。その「リニアを、京都へ。」――それが意味するところは「リニアを、京都市へ。」であり、決して「リニアを、京都府へ。」ではない――の前段に「日本の未来のために」とも京都市は書く。この文言に書かれた「日本」は、仮構的なものとしての「日本」だ。一方現実の日本はと言えば、北は北海道から南は沖縄県までを表すものである。



行程の大半が地面の下を飛ぶ「航空機」――想像され得る需要としてはそういうもの以上でも以下でも無い――が、他でも無い京都市の南区(「京都府の他の町」では無い)に、相対的に小さなRのカーブを描きつつ着陸する事を希求する京都市の「総合企画局リニア誘致推進室」による、紫色の出現頻度の高いウェブサイト(トップページの「ツイート」数・253/「いいね!」数・206:2015年4月23日現在)からは、その色使いも含めて隠し様も無く表れているセルフ歴史のセルフ認識を含めて様々なものが見えて来る事だろう。


http://kyoto-linear.com/


京都市の各所で多く見られる紫色は、 “noble" を意図しての選択なのだろうと思われる。しかし困った事に、紫色は “madness" をも同程度に意味するという冷徹極まり無い現実がある。21世紀に入って物故したニューヨークの某有名コンテンポラリー・アーティストから、「世界的に紫色は “madness" の色だと決まっている」という託宣を自分は直接賜った事がある。紫という色は、その意味するところの多義性故に剣呑であり、であるが故に多くの工業製品の標準的なカラーラインナップにそれが使用される事は少なく、また多くの画家がこの色を自作に使用する事を躊躇する。しかし京都では紫色に対するリミッターは完全に外れてしまっている様に思える。


紫色自体に罪は無い。ただ或る特定の色をして何かを表象しようとする企みのあるところには、色というものが持つ多義性が、自らが表象するところの意味の対極をも、冷徹極まり無くインクルードしてしまうのである。自己認識に基づいて描いた自画像が、他人からは全く別の印象を持たれる。そうした冷徹こそが “PARA-SOPHIA" という事なのだ。

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観光客は観光地に何を携えて来るのか。当然観光都市が観光客に最も期待する「金」である事は間違いの無いところだが、もう一つ上げるとすればそれは「覗き穴」である。或いはこう換言する事も出来るだろう。観光とは「覗き穴」を通して物事を見る事であると。


Duane Hanson(デュアン・ハンソン)の “Tourists" シリーズで、「旅行者/観光客」を表す「小道具」として欠かせないのは、首から下げた小型携帯カメラだ。小型携帯カメラ――退職金で買った高級一眼レフ含む――を常に持ち歩く姿こそが、今日の観光客を特徴付ける外見的な特徴になる。デュアン・ハンソンの時代とは異なり、21世紀初頭に於いては、それらの小型携帯カメラの役割はモバイルフォンの撮影機能にシフトしつつあるものの、それがレンズで集光性を高めた「覗き穴」としてのカメラ(暗箱)である事には変わりが無い。それは相も変わらぬ「カメラ・オブスキュラ」の血族なのである。


しかもデュアン・ハンソンの時代(20世紀中葉)の小型携帯カメラよりも、その帯同性に於いては、21世紀初頭のモバイルフォンはより高いものになっていると言えるだろう。モバイルフォンを所有する者が、モバイルフォンを持ち歩かないというのは、極めて例外的(忘れて来た、落とした等々)な事態であり、モバイルフォンを取り出して操作する事は、今や多くの人類の生活習慣の一つですらある。当然、写真撮影の習慣化もまた、所謂「カメラ」よりも相対的に高いものになる。そしてこれもまたモバイル端末がもたらした人類の習慣である SNS(場所に縛られるデスクトップ PC では SNS が成立しない)が写真撮影の習慣化を加速する。21世紀の “Tourists" 作品は、モバイルフォンの液晶画面(「覗き穴」)越しに世界を観察しつつ、そのホームボタンを押して、何処かのサーバに画像をアップロードするポーズになるに違いない。


写真(表現)史に於いて、さほど重要視されていない人物の一人に Oskar Barnack(オスカー・バルナック:1879-1936)がいる。しかし彼は、今日のモバイルフォンへと繋がる小型カメラの形式を作り上げ、写真撮影の習慣化――「覗き穴」を通して世界を見る事の習慣化――を広範な人類にもたらした(人類の眼差しに於ける新たな標準とした)点で、写真社会学的な意味に於いて最重要人物の一人である事に間違いは無かろう。


バルナックの制作になる金属製の小型携帯カメラが登場するまでの撮影機材のスタンダードは、13×18cm ガラス乾板と木製の大型カメラだった。何枚ものガラス乾板(数キログラム以上)と、木製の大型カメラ(数キログラム以上)と、頑丈なトリポッド(数キログラム以上)を持ち歩くのは、職業写真師であって一般観光客では無い。身体化されるまでに小型化する事に成功した「覗き穴」の登場とその大衆化こそが、今日的な意味での観光客の眼差しの在り方を決定付けた。恐らく写真(表現)史や写真(表現)論に於いても、その撮影機材(「覗き穴」)が「大型」であるか「小型」であるかの差異は大きな意味を持つに違いない。

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「覗き穴」という窃視の装置は常に何かを隠している。「覗き穴」から見えるのは「前方」ばかりであり、それ以外は見えなくされている。「正常」な人間の目の視野は片目で耳側に90度〜100度、鼻側および上側で約60度、下側に約70度と言われているし、その外側がいきなりブラックアウトしている訳でも無い。「覗き穴」はこれらの視野を極端に狭め、その狭められた視野の外部を強制的に遮光する。観光という行動もまた「前方」を見る事に専念するものであり、同時に「周囲」に目を配らない事を無意識に行う。


しかし「覗き穴」で最も隠されているものは、それを覗く「目」の背後にいる「覗く者」自身だ。「覗き穴」の眼差しを持つ者=観光する者を言い表す成句に「旅の恥は掻き捨て」というものがある。観光する者は、多かれ少なかれ自身をその地とは切断された関係にあると思っている。観光する者は、観光地で「自分は何故ここに来ているのか」とは考えず、「自分はこの地にとってどういう存在なのか」も考えない。観光する者は、「覗き穴」から「前方」を見る「目」である事だけに徹する。


「覗き穴」。それは特異な眼差しの有り様の一つだ。「前方」を良く見る(凝視する)為に、その他の全てを見る事を止めてしまう存在が観光客である。そして「覗き穴」を覗く目と化した者は、その目を持つ自分自身が何処に存在し、何処に繋がっているのかを見る事は無い。

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またもや前段が長くなった。結局のところ何を言いたかったかのかと言えば、展覧会を見る観客の多くもまた、観光客と同じ「覗き穴」から「前方」を見る「目」を持つ存在なのではないかという事なのである。


展覧会の観客は作品を集中的に凝視し、凝視した作品について考えようとする。ホワイトキューブという20世紀の発明物は、作品=「前方」を凝視する事に最適化されている。ホワイトキューブとは世界を見る視野を狭窄させる「覗き穴」の一形態なのであり、従ってホワイトキューブの「白」は「覗き穴」の「黒」と同じものと言える。明るく見えるホワイトキューブは実際には冥いブラックキューブなのである。展覧会の観客は、自分の「前方」にある作品をしか見ないが、そもそも展覧会という装置には、「前方」だけを見る様に訪れた者を仕向ける何重もの遮蔽(作品以外の何物をも見せない白い壁はその一つ)が施されている。


「前方」をしか見ない者の書く美術評論文(或いは感想文)は、常に紀行文的、或いは観光案内文的なものになる。展覧する者は、多かれ少なかれ自身をその作品とは切断された存在、即ち「前方」の作品を「観測」可能な場所に自らを位置付けている。「自分は何故これを見に来ているのか」「自分はこの作品を前にしてどういう存在なのか」「自分がこれを面白いと思うのは何故か」「自分はこの作品にどの様に関係しているのか」「この作品を見た事で自分はどうなるのか」…。そうしたものは美術評論文には書かれない。紀行文や観光案内文がそれを書く主体自身の目の後ろ=「後方」を書かないのと同様、美術評論文もそれを書く主体自身の目の後ろ=「後方」を書かない。美術評論文では、それを書く者が「前方」を見る「目」に徹する――観測者の位置に自らを置く事が「正しい」事であるとされている。実際この「PARASOPHIA」について書かれたもののほぼ全てもまた、「正しい」観光客が書く「正しい」紀行文になっている。「PARASOPHIA」を見る観客の目は、京都の町を走る観光バスの中から窓外の景色を見る観光客の目の延長線上にある。


例えば「PARASOPHIA」を「国際芸術祭の中でも最もつまらない部類」と評した浅田彰氏の「パラパラソフィア——京都国際現代芸術祭2015の傍らで」から見えて来るものは、こうした装置によって内在化した制度としての観光の眼差しから生まれている様にも見える。「この機会にぜひ訪ねたいのが崇仁地区だ」と氏が書くその時、「崇仁地区」は「訪ねる」対象=観光の対象として氏に認識されているかに見える。氏は見えない一人乗りの観光バスに乗り、窓外の「崇仁地区」の景色を眺めているのだろうか。但し最後段の「昔の小学校の校庭で8人の生徒がキャッチボールをしているのを眺めながら、私はさまざまなことを考えさせられていた」という一文に――そして「パラパラソフィア」というタイトルに――明示的では無いものの「後方」への脱出線は辛うじて(「辛うじて」でしかないのだが)引かれている。そこが「職業美術評論家=職業観光客」ではない氏の、紙一重分だけの面目躍如たるところではあるだろう。


その「崇仁地区」――「PARASOPHIA」では「河原町塩小路周辺」という婉曲表現になっている――にはドイツのペア、フランツ・ヘフナー/ハリー・ザックスによる人を喰ったタイトルの作品 “Suujin Park" がインストールされている。その “Park" (“Amusement park" のそれだろうか)の「入口」が何処になるのかは判らないが、仮にそれを塩小路の「うるおい館西棟」に面した場所であるとするならば、確かにそこには「入口」を表象する造作が施されている。開幕直後には掲示されていなかったキャプション・ボードに「6.門/鳥居の形に切り抜いたフェンス」と書かれているのがそれだ。



参考


欧米人の日本に対するエキゾチシズムの対象としての「鳥居(torii)」。ドイツ人アーティストによる「部外者としてあるいは異物としてそこに介入」(ガイドブックの紹介文)の最も端的な「表現」と言えるそれはまた、「PARASOPHIA」会場としてのこの場所を訪れる美術の観客が、何処まで行っても観光客でしか無い事を見越しての嫌味混じりのウェルカムゲートと言える。「ようこそ エキゾチックな崇仁へ――あなた方の見たいのは結局こういうものなのでしょう」。作品が放つ批判は、それを見に来た観客(=観光客)に向けられる事も多くある。



そんなヘフナー/ザックス作品を見る観客/観光客の「背後」=「後方」を、「人権標語」を車体後部に取り付けた市バスが通り過ぎる。「同じです あなたとわたしの 大切さ」。少し前には「断ち切ろう 身近な差別を わたしから」「人権の 話題作りは 家庭から」「見つけよう 一人ひとりの いいところ」「同和問題の解決は 市民一人ひとりの課題です」といった、より明示的なものも存在した。そうした「人権標語」に書かれた「身近な差別」や「家庭から」や「市民一人ひとり」から広大な「後方」が見えて来る。「同じです あなたとわたしの 大切さ」を掲げている市バスは、この「河原町塩小路周辺」だけを走っている訳では無い。それは北から南から、東から西まで京都市全域をくまなく走っている。そして「人権啓発」を目的としたこうした「人権標語」は、5年後の京都にも、或いはひょっとしたら50年後の京都にも存在していて、相変わらず京都市民に「人権啓発」を行っているかもしれない。


浅田彰氏のレビューの最後に、「四方田犬彦は直前に再訪してきた崇仁地区の現状を話題にし、『中上健次文学における『路地』(作家が自らの生まれ育った新宮の被差別部落を指して使った言葉)を語るのはいいけれど、その前に、君たちは自分の住む京都の被差別部落跡地がいまどうなっているか知っているのか』といかにも彼らしく学生たちに挑発的な問いを投げかけていた」とあるが、四方田犬彦氏のそうした立ち位置こそが広大な「後方」に目を向ける事の無い観光客のそれなのである。


或る意味で、「PARASOPHIA」の「前方」に見えるものなど、その「後方」に比べれば「大したもの」では無い。「後方」を見る想像力を持たない者――或いは「後方」を見たくない者――にとって、「PARASOPHIA」の「前方」は「つまらない」ものに映るかもしれない。「京都市美術館」のチケット売り場では、チケットを購入する際に「現代美術の展覧会となりますが宜しいですか?」と聞かれたりもする。これは「観光客/観客であるかもしれないあなたにとって、『PARASOPHIA』の『前方』はつまらないものに映るかもしれませんが、それでも宜しいですか?」とトランスレート可能な文言なのである。


パラソフィアの無料ガイドブックにも、そしてカタログにも、「京都市」が京都市民向けに長年に渉って「啓発」し続けている「同じです わたしとあなたの 大切さ」等々の、京都市民にとっては極めて日常的な存在――日常的な「後方」――である「人権標語」を、大きく印刷したらどうだっただろう。各会場の入口にそれが大きく掲げられていたとしたらどうだっただろう。それはまさしく「京都に住んだことのある者なら誰もが経験している」ものの一つではあるのだ。


折角「PARASOPHIA」というバッドセンスで「珍妙(福永信氏)」なタイトルにしてまで “PARA" を強調したかったのであるなら、京都が自らを表象するとしている、多義が “adjacent to(隣接)" する紫色をテーマカラーとし、その色に乗せる形で京都に於ける “SOPHIA" の極めて現実的な並立性を表してしまう「人権標語」=「善きもの」の数々を印刷する。次の「京都国際現代芸術祭」のガイドブックはこれしか無い様な気がする。



優れたキュレーションというのは、「前方」の中に「後方」を見る為の「鏡」(反ー「覗き穴」としての)を、多くの観客が認識可能な形で仕込む事だ。或る意味で、作家は作品を見せたら失敗である。作品を評価されたら失敗である。作品はそれを見ている者の背中をこそ見せなければならない。

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お前は並立する “SOPHIA" の「どちら側」に属している人間なのか。それは「京都市美術館」で最初に見る事になるだろうフリーエリアにインストールされたジャン=リュック・ヴィルムートの「カフェ・リトル・ボーイ」からして、観客に突き付けている問いでもある。


Café Little Boy is a space for reflection, communication, and exchange. Its title is inspired by “Little Boy," or the code name for the atomic bomb that was dropped on the city of Hiroshima on August 6, 1945. Your participation is an integral part of the installation. You are invited to express yourselves on the painted surfaces of this room using the chalk and erasers that are provided for this purpose. Your interventions will follow one another and intermingle as time goes by, helping to give shape to the pluralist and cllective spirit of this evolving work.


After the explosion of the atomic bomb in Hiroshima, there was nothing left of the elementary school in Fukuromachi apart from a wall with a large blackboard on which people left messages for their families and loved ones.


お前はこの映画セットの様なおフランス製の黒板に、「ミーもルラシオンしてみるざんす」的に何かを描けて/書けてしまう者なのか、そうではない者なのか(子供は無条件に描けて/書けてしまう側に属する)。いずれにしても、計画の或る段階までは広島、長崎に続く第三の原爆投下地に決定していた京都である。仮に計画通りに京都に原爆が投下され、ありとあらゆるものが一瞬にして灰燼に帰した京都市内に、辛うじて鉄筋コンクリート製の小学校が残り、児童や職員が多く亡くなったその場所の黒焦げの壁に、床に散らばる燃え残りのチョークを拾って「伝言」を書いて来た被爆地としての記憶が京都に強くあれば、この「カフェ・リトルボーイ(カフェ・ファットマンかもしれない)」というおフランス製の参加型作品に対する参加者のスタンスも、幾らかは異なったものになっただろうとは想像出来る。


「美術館の誕生」は当館の「接収期」の様子を見せてくれる。しかしそれは敢えて言えば戦後の話だ。大礼記念京都美術館(1952年以降「京都市美術館」)は、十五年戦争(昭和6年〜昭和20年)の最中の昭和8年(1933年)に建てられている。美術館を建てる当地の機運としては、そういうものが少なからず影響していただろうし、当然それは当館の建築様式にも当て嵌まる。その大礼記念京都美術館では、例えば昭和15年(1940年)の4月から6月に掛けて、大阪毎日新聞東京日日新聞の共催で「紀元二千六百年奉祝日本畫展」が開催されている。


紀元二千六百年の佳歳を迎えて、わが大日本帝國は國運いよいよ隆盛、まさに興亞の盟主として國威中外に輝きわたること、我々生を當代に享けた國民一同慶祝の言葉もない程の喜びである(中略)いふまでもなく東洋の藝術は西洋の藝術に比し頗る対照的な存在であり、殊に日本畫は東洋美術の中においても特異な日本的な発達である。恰かも大日本帝國の独自な存在を象徴するが如く、國體の清華を藝術に表現したとも想念され得よう。


同展開催趣旨文


自分の義母は、京都の15歳の女学生だった頃の大礼記念京都美術館の話を聞かせてくれる。それは学徒動員で大礼記念京都美術館の中で爆弾(所謂「風船爆弾」)を製造していたというものだ。バスケットコート、靴磨き店、カジノといった占領期=「されてきた事」の記憶。確かにそれも歴史ではあるが、しかし十五年戦争期の大政翼賛絵画展や爆弾製造工場等の「(自ら)してきた事」の歴史もまた、この館の生い立ち、ひいては日本の美術――例えば上掲の「紀元二千六百年奉祝日本畫展」の開催趣旨文が、今日の日本画問題に何処かで繋がってしまう――を考える為にも、「占領期」と同程度に明らかにされて然るべきだろう。それが成されれば、当館の眞島竜男氏のダイアグラム展示もまた、少しだけ違ったものに見えてくるかもしれない。


田中功起氏の映像を見ながら、これが沖縄でのワークショップだったら全く違ったアウトプットになったのだろうと会場で思った。自分もまた「砂川闘争」のあった「米軍基地」の隣町で生まれ育ったし、今も米軍機が上空を日常的に超低空飛行し、点在する「アメリカ」を路線バスが非合理に迂回する仕事場に通うが故に余計にそう感じるのだろう。子供の頃には隣町の店の看板の多くが英語で書かれていた。自宅の近くにはアメリカ軍属の娘の「キャッシー」が住んでいて、時々彼女とも遊んだ。そして彼女を乗せたネイビーブルーのスクールバスが「米軍基地」内のアメリカンスクールに向かうのを、幼稚園の園庭から毎日眺めていたものだ。果たして京都御苑が当初の計画通りにアメリカ軍の飛行場になっていて(二条城前の堀川通が実際には使用された)、今もそれが返還されていない状況になっていたらどうだっただろう。


現在の京都市からそうした日本のアメリカは遠い。同府内の袖志のアメリカすら遠い。もしかしたら世界の諸状況からも遠いかもしれない。しかしこれも困った事に、世界の政治を含む様々な状況――“para"――に「近く」ないと、「PARASOPHIA」の作品の多くが少しも面白いものに見えないという逆説がある。意識が外部に向かわない者、自分が外部と相関的な関係にあると思わない者が見る現代美術ほど面白く無いものは無いだろう。


「PARASOPHIA」の作品から見える世界の様々な事象が、自分と「後方」で繋がっているという想像力が無いところでは、それは途端に「おもしろい/つまらない」ものとして評価される観光の対象となってしまう。「国際芸術祭」が国際である意味というのは、意識の観光バスに乗って博覧会会場を移動する事なのではなく、見る者自身がどれだけ国際と関係付けられているかを捉えられるかにある。観光バスに乗りながら日本統治時代の台湾や1999年のシアトルを眺めても、得られるものは何も無い。「現代美術の展覧会となりますが宜しいですか?」。



「PARASOPHIA」無料ガイドブックの中程のページに、「PARASOPHIA MAP」なる「地図」(通常の役には立たない「お遊び」)が掲載されている。「ロンドン」「ヴェネツィア」「ソウル」「ニューヨーク」「台湾(都市名に非ず)」「イスタンブール」「ベルリン」がそれぞれ小さな「孤島」で表現され、それらの「孤島」とこの世界の中心に位置する京都市民的な心理からすれば大きな島もまた、それらの「孤島」と海で隔絶されているというものである。これを「PARASOPHIA」の自画像として優れたものと言うべきかどうかは迷うところだ。


「現代美術」でも「現代アート」でも「コンテンポラリー・アート」でも何でも良いのだが、こうした呼称の違いを議論する時間があるのなら、それが何故に「現代」や「コンテンポラリー(同時代)」と付くのかというところに幾許かでも想像力を働かせば良いのである。それらの「現代」や「コンテンポラリー」の意味するところは何か。簡略に言えば、それらは「今」を生きる者が別の「今」に接続している、或いは可能的な接続状態にある事を示す語なのであり、決して「今様」や「当世風」を表す語なのではない。そして「今」と「今」が繋がるのは「後方」を於いてしか無い。従って「後方」を見ない者は、「現代」も「コンテンポラリー」も見る事は叶わない。そうした者は、只々「現代」や「コンテンポラリー」が外れてしまった「美術」や「アート」を見るしか無いのである。

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嘗ての殖産観光イベントであった第四囬内國勧業博覧会の各縣「賣店」のあった場所を出て、昭和天皇礼記事業繋がりの鉄筋コンクリート製(こちらはフェンス網製ではない)大鳥居を潜る。さて何処へ向かおうか。


今から堀川団地は悪くない。現在見られる堀川通も堀川団地も、共に「(自ら)してきた事」の産物である。堀川通を「広げた」(広い道路を作る事を目的とした訳ではない事は、1946年10月2日に米軍が撮影した航空写真からも見て取れる。それは壊しっ放しの状態で長く放置されていた)のは「同胞」だ。そうしたものを強制的に作らねばならなくなる時代がある。そしてそれは我々の「後方」に今も存在している。



この堀川団地にも「地域」と「アート」の幸福且つ不幸な関係が垣間見える。「アート」が「地域」に頼られる存在であるかどうかは別にしても、嘗てそこは「アート」を微塵も必要としなかった場所ではあった。即ち「アート」が不在である事がこの場所の原状なのであり、且つそれが多くの場所での原状である。普通に人が住んでいたところ、普通に商売を営んでいたところに、「アート」が「流入」して来れるまでになった「流出」の原因には様々なものがあるだろう。「河原町塩小路周辺」の「流出」がそうである様に。ピピロッティ・リスト、ブラント・ジュンソー、笹本晃という「流入」は、そうした「流出」の結果(嘗てそこには人がいた)を見せてくれると同時に、住人の「流出」が意味するもの、そして「アート」の「流入」が意味するものに思いを至らせる事を束の間忘れさせてくれる。建物「疎開」の後に現在の幹線道路としての堀川通(や御池通)が「流入」し、住民の「流出」の後に「アート」が「流入」する。

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鴨川デルタ。果たして京都府議会議員選挙・京都市議会議員選挙の最中、選挙カーが候補者の名前をスピーカーで連呼していた頃のスーザン・フィリップスはどうだったのかは、その時期に当地を訪れていない為に判らないが、選挙カーよりも遥かに大きなラウドスピーカーを使用するスーザン・フィリップスの音量は、果たして選挙カーのそれに「勝てた」だろうか。そしてガイドブックの解説に従って「出雲阿国」を思い起こし、PA(public address)装置というものに無縁だった当時の河原縁での上演の様子を想像する。「信念と情熱の出雲阿国、若さと行動の出雲阿国、出雲阿国、出雲阿国、出雲阿国を宜しくお願いします」的な音量ではないそれを。「出雲阿国」のリアルを思い起こすには、選挙カーと同じパブリック・アドレス・テクノロジーの産物であるスーザン・フィリップスが鳴っていない時間の方が良いかもしれない。

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大垣書店烏丸三条店のリサ・アン・アワーバック。例えば「911」以降、極めてセンシティブに「後方」を通じて世界に接続していたら、そのニット中のメッセージに関して誰もがそれなりに至り着けるものだろうとは思う。況してや “Charlie Hebdo" や “IS" 以降にあっては。

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京都府京都文化博物館別館。森村泰昌氏の展示は「氏の到達地点がここなのだろう」という点で到達地点である。その到達地点には、親切な作品解説も含まれる。

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京都芸術センターのアーノウト・ミック。一人「PARASOPHIA」。アーティスティックディレクター氏も成し得なかった本展のキュレーションの一つとして作動する “Speaking in Tongues(「異言」)"。二つのフィクションによってコヒーレンス(可干渉性)を高められたノンフィクションから放射される極めて「有害」なレーザー光の如き光。その光に現実世界、そして「PARASOPHIA」の様々な「異言」が照らされる。


〈以下4月28日追記 〉


「異言」は「救い」を求めるところに生起する。「異言」自体は単なる「徴」でしかない。「徴」でしかないものに「救い」の兆しを見る。それは「人は自分の見たいものをしか見ない」のバリエーションの一つだ。


「異言」に登場する人物の共通点は「救い」を求めているところにある。彼等はまだ十分には「救われていない」と思い、同時に「自分は救われる権利を有している」と思っている。


アーノウト・ミックの「異言」は内側から反転した映像をスクリーンに映写する。その光源の位置から見れば、「美術」に「救い」を求めて会場に入って来た観客もまた、そこに入るや否やプロジェクターで投影された像の側に立つ事になる。ここでも作品は観客に対して牙を剥いている。お前の「後方」を見ろと。従って、開口部を設けてプロジェクター本体が収まっている内部を見せている事が、この作品では重要なのだ。

 
であればこそ、この作品は京都市美術館のセンターの位置になければならなかった。市美術館(「PARASOPHIA」のメイン)の全てが、「異言」のプロジェクターの光源から投影された像になる為に。


〈以上追記了〉

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「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭」。国内向けの饒舌と、国外向けの寡黙の同居という「国際」感覚。英訳される事の無い「国際交流と文化の集積地・京都」という自意識。


「PARASOPHIA」の成功の浮沈を握っているものの一つは、それを開催した事で幾らかなりとも「京都」自身が変われるかどうかだ。まずは「ポストモダン」の前段階を、「古都」である事に依存し続ける京都が通過する事にこそ、それは掛かっている様な気がする。その「モダン」が「京都市美術館」や「京都府京都文化博物館 別館」的なものとして既に実現されていると言うのなら、それもまたそのちぐはぐさに於いて「後方」を見る為の一助になると言えるだろう。


【了】