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Lest we forget


「寫眞週報」昭和13年(1938年)3月10日号 2-3p 内閣情報部


The single largest public relations campaign of the war centered on Army Day (10 March) in 1943, which was observed throughout the Japanese Empire with several events and the slogan, uchiteshi yamamu. Literally translated, the slogan means "Continue to Shoot, Do not Desist," but a more colloquial translation would be "Keep up the Fight" or "Stay on the Offensive."


David C. Earhart "Certain Victory: Images of World War II in the Japanese Media"


2008年に出版された David C. Earhart 著の "Certain Victory: Images of World War II in the Japanese Media" によれば、太平洋戦争戦時下の日本で最も有名なスローガンの一つ、「撃ちてし止まむ」のリテラルな英訳は "Continue to Shoot, Do not Desist" で、こなれた英訳は "Keep up the Fight"、或いは "Stay on the Offensive" になるという。

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参考:NAVER まとめ東京国際映画祭のとあるコピーがひどい」
http://matome.naver.jp/odai/2141435775617677101

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ニッポンは、
世界中から尊敬されている
映画監督の出身国だった。
お忘れなく。


Lest we forget; our nation
gave birth to some of the world's
most respected directors.


東京国際映画祭 TIFF TOKYO」のポスターの一部コピー文が炎上している。同様のコピー文は、「MR_DESIGN_twit」こと「中の人」の一人である佐野研二郎氏の上掲ツイートにある様に、黒澤明氏を起用した読売新聞全面広告にも使用された様だ(左下に小さめに)。同映画祭の全てのポスターがこれではないが、いずれにしても、日本語を母国語とする大半の人間にとっては、この英文は「装飾」以上「伝達」以下のものでしか無いだろう。


翻訳というのは面白いもので、曖昧な日本語では見え難かった事があからさまに明示的になってしまったり、翻訳者の視点というものが密かに紛れ込ませてあったりする。当然このポスターの場合は、日本語が先にあってそれを英訳したものだろう。しかし英訳は日本語の「至らない」部分を「補って」いたりする。


例えば英文順で書けば、日本語コピー文の「お忘れなく」の主語が何であるかが、多くは石に刻まれ「追悼」的な意味で使用される事の多いこの英語の慣用句 "Lest we forget" で明らかになってしまう。つまり日本語コピー文での「お忘れなく」の「中身」は、「俺達は(we)忘れないようにしような」という「頷き合い」であり、それはその様にただ単に日本人向けである言葉を「英語」の「形」にして「装飾」的に使用するといった、例えば日本国内専用車なのに「TWIN CAM」や「24 VALVE」や「GRAN TURISMO」をこれ見よがしに車体にプリントしていた時代、或いは近年でも佐藤可士和氏がセブンカフェマシンに「(R)REGULAR」や「(L)LARGE」をのみ記したドタバタと同じ、相も変わらぬ「日本流のデザイン仕事」の平常運転の内にある。


日本語の「出身国だった」は、"our nation gave birth" であり、そうなると日本国で生まれた全ての人間もまた "our nation gave birth" という事にはなってしまう。いや自分などは単純に "my mother gave birth" だと思っていて、従って "our nation" に産んでもらった認識は更々無いのだが、しかしそれは違うのだろうか。そして "our nation gave birth" とされてしまう全ての日本国出身者は、所謂「赤子(せきし)」と呼ばれるものに近いものという事だろうか。


日本語の「世界中から尊敬されている映画監督」は、英文では "some of the world's most respected directors" であり、"some of" が付加されているところが「ミソ」であろう。日本語に無かった "most" を付け足したのは、日本語を母国語とする人々への「サービス」かもしれないが、「some of」はそういう人達が結構見落としがちな「穴」である。即ち「世界中から尊敬されている映画監督の出身国なんて世界には掃いて捨てる程あって、ちっとも珍しくなんか無いんだよ。だから日本も(以下略)」という恐ろしい翻訳者のメッセージが、実は "some of" の語に隠されている事を示している。


この日本語のコピーを読んでいる日本人は、この日本語文によって鼻息も荒くなるだろうが、例えばこの東京国際映画祭のポスターは、やはり「撃ちてし止まむ」に "Keep up the Fight" と「カッコ良く」英語で併記してある様なものであろう。そして、その英語を読めない日本人は兎も角と言うか放っておいて、英語を読めてしまう英語の人は「あらあらまあまあ、うーん(以下略)」と思ってしまうというものであろう。"Fight" って誰が誰に "Fight" なんだよとか、誰が誰に呼びかけてんだよとか、そういう人は当然気になってしまうのである。



日本語コピーライターと、英訳者は違う人物であると想像される。"some of" と入れておきながら "our nation" や "most" を強調するという一種の分裂や、戦争による死を想起させもする "Lest we forget" という硬直した言い回しの使用は、出来上がった英文がこの上なく珍妙で且つアグリーに印象付けられる様に極めて自覚的に行われたものなのではないかと疑う事も可能だ。即ちこれは英語を話す人達に嫌悪に似た感情を起こさせる為の一種の「暗号」であり、それを読めない者にとっては、そうしたメッセージが浮上する事は無く、只々「かっこよすぎ」に映るのである。それはまた「監視」を掻い潜る有効な方法論でもあるだろう。