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不在

1980年代の日本の「現代美術」が回顧される際に、それが1980年代の日本の「現代美術」として語られる事は些かも無く、しかし或る意味でその後の日本の「現代美術」に最も繋がる形で最も重要なものの一つは、赤瀬川原平氏だったと今でも思う。


1980年代の赤瀬川原平氏と言えば、雑略に言えば「尾辻克彦」と「超芸術トマソン」の時代なのだが、後者が1982年に発売された「写真時代1983年1月号」の連載「発掘写真」の「街の超芸術を探せ」の回で登場した時、それを見て単純に「やられた」と思った。この人は何でこんなにもスマートに事を運べるのだろうか。「育ち」の違いをまざまざと感じさせられた。


日本の1980年代「現代美術」に関して巷間言われるところは、相対的に「華やか」であるとかそうした類の形容であったりするが、しかしそれに対して総じて言えるのは、寧ろ「泥臭い」という事であり、また「自己承認」に対して何処かしら「物欲しげ」ですらある。所謂「1980年代の日本の現代美術」には赤瀬川原平氏の様なスマートな「育ちの良さ」は無い。所謂「1990年代の日本の現代美術」にも無いかもしれない。仮にスマートさを競おうとすれば、1980年代のあらゆる「日本の現代美術」のアーティストが束になって掛かっても赤瀬川原平氏には敵わないとすら思われる。


それ故に、この人はストンと生まれたかの様に見えるスマートな仕事にこそ、その才能が遺憾なく発揮される。やはり櫻画報よりも千円札よりもハイレッド・センターよりも、恐らくは赤瀬川原平氏は宇宙の缶詰の人なのだ。但し「現代美術(前衛美術)」の重力場の中の人であった1970年代までの氏の仕事を直接体験するには自分は遅く生まれ過ぎ、そうした「現代美術(前衛美術)」の人であった赤瀬川原平氏とその仕事は、既に「本の中の人」と「本の中の出来事」であったから、それらは自分にとっては何処かでリアルタイムのものではないし、やはりそれらはやがて氏自身が茶化しつつ離れる事になる「美術」であり過ぎる。


最早「美術」の重力圏から離れつつあった30代半ばの赤瀬川原平氏が、南伸坊氏、松田哲夫氏といった「モンガイカン」と共に、路上で「純粋芸術作品」に見えてしまう「物件」を発見する「現代芸術遊び」を行い、やがてそれは「分譲主義」という誇大妄想的な「冗談」へと繋がり、そして1972年(35歳。南氏と松田氏は25歳)に四谷祥平館に「保存」された「四谷階段」の「発見」に至った後、その10年後に「トマソン」という、これもまた人を喰った名称を付けられた「超芸術」の「提唱」へと至る。「ただそこに超芸術を発見する者だけがいる」。1982年の自分にとって、アクチュアルな意味を持つ存在としての赤瀬川原平氏は「トマソン」から始まる「ごっこ」と「冗談」と、そして「周辺」の人であった。当時「ハイレッド・センター」と「トマソン」を比べて、より「拡がる」可能性を感じられたのは後者だった。そして尚も言えば、氏は「トマソン」によって、「作り出す」事から「見い出す」事へのパラダイム転換を切り拓いたパイオニアの一人であったのではないかとも思っている。


実際、現在を起点とする通史的な意味で、1980年代の日本の現代美術に重要な存在は、実は赤瀬川原平氏だったのではないかと、例えば冨井大裕氏の「今日の彫刻」の様な「仕事」を見ているとそう思えて来たりもする。現在の日本人作家の「作らない」系譜の作品には、1970年代以降の赤瀬川原平氏という「水脈」も少なからず関係しているのではあるまいか。「美術手帖」的な史観からすれば、赤瀬川原平氏は「1960年代美術」の人でこそあれ、「1980年代美術」には掠りもしないとされているが故に、1980年代には同時代的な意味を持つ「アーティスト」としては誌面に登場しないが、しかし恐らく氏のこの「トマソン」こそが、今日に「繋がる」形での1980年代日本現代美術最大のエポックの一つなのではないかと思える。


生徒たちとじっさいに町へ出て、壁や電柱にあるビラ、ポスター、標識、看板といったメッセージ類の観察をはじめ、それが横道にそれて現代芸術遊びが生まれる。つまり路上に転がる材木やその他日常物品の超常的状態、道路工事の穴や盛り上げた土や点滅して光る標識などを見て、「あ、ゲンダイゲイジュツ!」と指でさす。これは概念となってなお画廊空間で生きながらえる芸術のスタイルへ向けたアイロニーでもあった。その延長線上で、一九七二年、松田哲夫南伸坊とともに四谷祥平館の側壁に「純粋階段」を発見し、そこから「超芸術」の構造が発掘されて、後に「トマソン」と名付けられることとなる。


赤瀬川原平路上観察学入門」


The whole city was a Thomasson. Perhaps America itself was a Thomasson.
(このサンフランシスコ市全体がトマソンだ。いや、恐らくアメリカ自体がトマソンではなのではないか)


"Virtual Light" William Gibson


そして今、1990年代の赤瀬川原平氏が自分にフィットし始めている。「美術」の人間が最早誰も注目しなくなった、あの1990年代の赤瀬川氏である。その生涯の前半の部分=「前衛芸術家」に「美術」の人の多くは赤瀬川原平氏の価値を見るだろう。しかし今の自分にとっては、後半の部分こそが重みを持っているのである。


赤瀬川原平氏はマルセル・デュシャンの正統的な系譜の上にあるという評もある。趣味に生きた1990年代以降の氏は、後半生にチェスに興じたデュシャンを彷彿とさせるかもしれない。それが当たっているか当たっていないかはどうでも良い話だが、但し赤瀬川原平氏による大仕掛けの「遺作("Étant donnés : 1° la chute d'eau, 2° le gaz d'éclairage")」は見たくない気がする。


Tumblr の "Hyperart: Thomasson /unintentional art created by the city itself"。ここは「作者の不在」によっても生き続けるものにはどういった可能性があるのかというヒントの一つを与えてくれるだろう。


http://hyperartthomasson.tumblr.com/